闇夜に響くベル(4)
ガルーダイーター本部の所在地は、郊外とはいえ首都”明京”の一角である。
綺麗に舗装された道路を少し辿っていけばコンビニがあるし、周囲には住宅街と個人営業の店が入り混じっている様な場所に在る。山が無くフラットな地形の中で不意を突く様に学校程の大きさの敷地が確保されており、その奥に位置する十階建ての灰色のビルがそれである。
座り込みをしている人々の一部は敷地内の駐車場に身を寄せ合っており、法的な意味で言えばいつ強制的に退去させられてもおかしくは無い。
警察がその措置を実行しないのは、ひとえに座り込みに対する参加者の多さ故である。これは今回の事件を報道するニュースやワイドショー番組の空撮映像から確認できる事だが、本部へと集まった人間の数は優に千を超えている。ガルーダイーター本部前の片側一車線の道路とその脇の歩道は人で溢れ、無関係な通行人が行き来する事も儘ならない状態に陥っている。
これらすべてを一帯から退去させるとなると相応の時間がかかるのは明らかであるし、場合によっては怪我人を出す可能性も十分に考えられる。また、集った人間の分母が多ければ多い程、過激派の存在も懸念材料として重要視すべき事柄として挙げられる。
人の群れをかき分ける様にして機動隊による警備が敷かれたのが一時間前。
それを見た一部の座り込み参加者は、こう言った。
「やっぱり後ろめたい事があるんじゃないか!」
ガルーダイーターの善悪は別にして、この状況で機動隊の出動それ事態に異を唱えるに至るほど、現場の認識は混乱しつつあった。
――と、いう内容がまさにテレビで放送されている真っ最中の事である。
竜術部員達は、事件発生から二日目の部活動の為、部室に集っていた。
体育祭や文化祭の打ち合わせの際に用いた机を並べて作られた”円卓”を、坂、海藤、山野手、良明、陽、そしてシキ、ガイ、ショウが囲んでいた。
引退した三年生二人や寺川の姿は無い。
殆ど誰も、沈んだ表情をしていた。理由は主に二つある。
一つは、事件そのものへの不安と不満。具体的には世論に流される形で廃部へと追い込まれつつある現状と、首都・明京で起こったガルーダイーターとの衝突――と呼称しても良い段階だろう――。
そしてもう一つは、昨日の部活にて新部長である坂から部員達へと出された指示に対する失望である。シキにより単独行動をしないよう注意されたのが昨日の昼休み。当然、その日のうちに竜術部では今日と同様に話し合いの場が設けられたのだった。
坂は、皆が沈んでいる理由が昨日の自分の発言にある事を自覚し、口を開く。
「確認するけど、皆、今回の件に関しては首を突っ込まない。いいね?」
坂の気持ちが昨日と変わらない事に対し、さらに表情を険しくする一同。
その中で、シキと副部長海藤だけはそんな部員達を冷静に見回している。
坂は、返事をしない部員達に対し、昨日も口にした彼の考えを今一度述べ始めた。
「事態は、もう大きくなりすぎている。現場に向かう事自体、最早危険と言って良いはず。だから座り込みへの参加は禁止。レインの件については状況に不自然な点がある以上、彼女には悪いけど、寺川先生を通して警察へと通報させてもらった」
それらは、部を任されたリーダーとして当然の判断だった。
山野手は、着任直後にとんでもない事態に見舞われた部長の横顔を見ながら思うのだ。
(そもそも、部内でレインを匿うような事をしていた今までが異常だったってのは解る。解んだけどさぁ……)
皆、その異常な事態を理解したうえで、この秋まで頑張ってきたのである。今更レインを警察へと引き渡す事には違和感と抵抗があった。
坂の横に座る海藤は彼同様、考えてもみれば当然の言葉を口にする。
「レインの身に物理的な危険が降りかかっている可能性も……あるから。危ない」
そう、皆それは解っているのである。
だから彼女を助けたい。
だから、現地へと向かいたいのである。
特に、良明と陽、ガイ、ショウの四名はその気持ちがかなり強い。共に龍球という戦場を駆け抜けた仲間を放っておくことなどしたくはなかった。
昨日から否定の語を吐いているシキも、実の処スタンスとしては彼等に近い。もし皆が行くなら危険を顧みず協力するつもりはあるのだ。
坂は、海藤の言葉に補足する様に続けた。
「ただし、彼女に危険が降りかかっていない可能性だってある。単純に、誰も巻き込まずにシンプルな置手紙を残して座り込みに参加しに行った。それだけっていう可能性は勿論あるんだよ」
だから、警察でもなんでもない自分達が進んで首を突っ込む事はすべきではない。坂の意見はそうだった。
結局のところ議論は既に平行線をたどり始めており、つまりは考え方の違いによる行き詰まりを迎えているのである。これ以上は、もはやどちらかが折れる以外に無い。
部員の安全を確保したい者と、何が何でもレインを助けに行きたい者。二者の間に、沈黙が訪れた。
そしてそれは、かねてよりタイミングを見計らっていた訪問者へと発言のタイミングを与えるきっかけとなった。
「話し合いの最中に、申し訳ない。少し良いか?」
誰もが、意外そうな表情を浮かべた。
「直家先輩!」
元飛道部部長・三年直家龍彦は、部室出入り口の梁を掴んで少し焦った表情をしていた。
「どうしたんですか?」
とは尋ねてみた良明だが、彼を含めて直家が竜術部の元へと訪れた大まかな理由は察しがついていた。今回の事件に関する何かしらだろう。
直家は、単刀直入に部室内の全員に対してこう尋ねた。
「藤の居場所を、知らないか? この時間になっても部活に来ないと後輩から連絡があってな。もしかしたらここに来ているのではないかと思ったんだが」
シキが席から立ち上がり、呻く。
『あの少年……ッ!』
良明が慌ててシキの方を見る。
「ま、待ってくださいシキさん。単純に風邪で休んでるだけとかそういう事かもしれないですし」
『このタイミングでか? 可能性は低いだろう』
「……どういう、ことだ?」
直家は、昨日の昼休みこの部室で繰り広げられたやり取りの全てを、この瞬間まで知らなかった。
「――というわけで、つまり今、レインと藤は夫々単身でガルーダイーター本部に向かっている可能性が……」
陽が粗方説明を終えた頃には、直家は静かに腕組し、深刻そうな表情を浮かべていた。当初は戸惑った様子を見せてはいたが、彼も今回の事件自体はニュース等を見て知っている。話の途中からは冷静に今やるべき事を考える表情を浮かべ、彼女と良明による説明に聞き入っていた。
説明を聞いたうえで、直家が発した一言はここまでの議論からは外れる論点の言葉だった。
「樫屋と、かえ……石崎にはこの事は?」
(今、’楓’って呼ぼうとしましたね? しましたよね?)
(今、’楓’って呼ぼうとしましたね? しましたよね?)
何やら浮ついた事を考えていそうな顔の双子は気にせず、坂が質問に応える。
「言っていません。引退され、受験勉強なんかもあるでしょうし、巻き込みたくは無いので」
坂へと帰って来た言葉は、シンプル極まり無いものだった。
「言え」
「え……」
「今の俺がそうであるように、引退したからと言って後輩が困っているのを見過ごす程あいつらは現金じゃない。それに、巻き込まれるかどうか決めるのは彼女等自身であり、そこに勝手に気を回すのはむしろ失礼だぞ」
「でも!」
坂は条件反射の様に声を大きくした。
「いや。お前の言いたい事も、解る。樫屋に任された以上、部は自分達だけでなんとかすべきだと、そう言いたんだろう」
「……はい」
双子も坂の返事に続く様にしてこう言った。
「その、それについては」
「私達も、同じ意見です」
直家は言う。
「後からこんな事件があったのだと聞かされた時の樫屋達を想像してみろ。それだけで俺が言いたい事は伝わる筈だ」
誰もが、元部長の同じ声と表情を想像する事が容易に可能だった。
イメージの中のけやき曰く、
『言ってくれてもよかったんじゃあないのか?』
ただし、それは嘘ではないにしろあくまで建前という名のルビであり、より強い本心はこうだろう。
『ガイが困っているのなら、私は一人の人間として協力する』
ガイという存在を前にしたけやきにとって、部に所属しているかどうかなどは些事極まりないに違いなかった。
石崎も、なんだかんだで仲間外れは嫌だろう。
一年にも満たない付き合いだったが、双子は彼女等についてそう確信できたのである。
*
いっそ、藤に何もかもを託してしまおうか。
そんな考えが一瞬、頭の中を過ぎる。
毎日の通学で使っている電車の窓の外では、毎日の帰宅時と同じ風景が流れている。いつも通りに車両の出入り口横で揺られ、いつも通りに兄妹でどうでもいい様な会話を二言三言。
否、この日の電車の中で、二人の間に一切会話は無かった。
二人とも例のテレパシー能力で会話する事も無く、夫々の頭で熟考していた。
今回の事件の事、これからの竜術部の事、レインの事。
(レインは、自分の意思で明京へと向かったんだろうか?)
(もし、例えば攫われたんだとしたら、今すぐにでも助け出すべき)
無茶は承知であるし、攫われたのだとしたらその場所を突き止める事から始めなければならない。
電車を降り、家へと続く川沿いの道を行く。
十年位前に兄妹二人で登った山を同じ様な顔で見ながら、並んで歩く。
川面を目にして、二人は気づいた。
(でも、無茶って言うならそれは、あの豪雨の日にレインをケージから助け出した時だって)
(相当な危険を承知で、それこそ下手したら死んじゃってた様な状況で助け出したよね……)
会話が無いまま並んで歩き続け、結局そのまま帰宅した。
由の作るその日の夕飯はトンカツだった。ソースとケチャップを混ぜた特製タレとカツの味が兄妹は大好きで、こんな日に限ってこのメニューが出て来た事に関して何かしらの意味を感じずにはいられなかった。
だからだろう、罪悪感が凄まじかった。
(こんな事してていいんだろうか?)
(今すぐ行動するべきじゃないの?)
珍しく夕飯の食卓の場に居る水族館勤務の父・衛が、上の空の二人に気づいた。但し、どうした、とは問わない。
必死で考え、何かしらの答へと向かって歩んでいるのが衛にも解った。
じゃんけんで決めた順番で風呂に入り、上がり、双子は夫々の部屋に戻る。
寝間着でベッドに横になり、天井を見上げてほんの微かに訪れた眠気に気づく。
それでも尚、兄と妹は夫々の頭で考え続ける。一言も意見を交換しようとしない。
レインを助けに行くべきか、行かないべきか。
レインは攫われたのか、自分の意思で行ったのか。
単身レインを救いに行った坂を追うべきか、追わないべきか。
それを理由にレインを助けに行かない事が、果たして赦される事なのか。
思考の森に迷い込み、自分が何を考えているのかすら曖昧になってきた頃の事だった。
――――ジリリリリリリリリン……ジリリリリリリリリン……
兄の携帯電話が、鳴った。




