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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
17/229

三毛猫ロック(2)

 校舎の(カド)から現れたのは、(カドナシ)だった。

 などと、つまらないフレーズが三池の脳裏に過ぎる。そしてほぼ同時に、面倒なので自分から円に話しかける事はしないでおこうと決めた。

 ちなみにこいつ、担任からトラブルに首を突っ込まない様に言われた事など既に忘れかけている。


「てめぇ三池、こんなところに居やがったか」

 三池が視界に入るなり、即座にそう凄んで見せたのは、やはり円だった。

昨日ほどいらついてはいない様子だが、友人でもない相手に随分と鬱陶しい物言いだ。と、三池は思った。

「何か用かよ」

 面倒な気分を露骨に態度と口調に表して応じる三池。手には、あと一口でなんとか食べ切れそうなクリーム入りチョコパンがしっかりと握られている。もどかしい。


「もう1回、勝負しろ」

「あ?」

 と言って最後の一口を口元に運ぼうとしたら、円が即座に言い直す。

「今これから、俺ともう1回勝負しろ!」

「なんでだよ……」

 理由が知りたいと言うよりは、”面倒だからどっかいけ”とでも訴えている様な声で最後の一口が食いたい三池は訊いた。


「そりゃどうだっていいだろ」

「いやなんでだよ」

 はぐらかされた事に大きな違和感を感じた三池は、思わずクリーム入りチョコパンを吹き出しそうになりながら問いただす。勿論最後の一口の前に口に入れた分である。最後の一口はまだ三池の右の手の中にある。


「喧嘩すんのかしねぇのか。しねぇならてめぇが逃げたって事で受け止めるぞ」

 藪から棒に話しかけられ、藪から棒に負け犬呼ばわりされそうになって、三池は挑発でもって応答した。

「なんだてめぇ、また(・・)ぶっとばされてぇのか」

 笑みも浮かべず真顔でそう言いつつも、クリーム入りチョコパン最後の一口を間髪入れず口に放り込む三池!


 だが、円はその三池の様子にかちんときたらしく、ずんずんと三池の方に歩いていく。

 尤も、三池にしてみれば食事の時間を気に食わないやつに邪魔され、有無も言わせず退屈で面倒な会話に時間を割かれているのである。その最後の一口をしれっと口に運んだ行為をぶしつけだとは微塵も思わなかった。

 三池は、こいつにはパンの最後の一口を食べるタイミングがいかに重要かについて小一時間説教してやろうかと思ったが、面倒なのでそれはやめておいた。


「あー、じゃあアレだ」

 ズシズシと歩を進め続ける円に、三池は口の中の物を飲み込む前に話し始める。

「昨日てめぇ、勝ったらなんでも言う事聞くとかなんとか言ってたよな」

 ズシズシと歩を進め続ける円。

「消えろ、ヒトの飯の邪魔してんじゃねぇよ」

ズシズ―――歩を止める円。


 三池はきょとんとした。

 なんでこいつは、俺に向かってくるのをやめたんだ?という問いには、一つの解答しかあり得なかった。

 円が、昨日一方的に宣言した”要求を一つのむ”事を実行しようとしたからである。


 三池は、悪気は無いが可笑しくて仕方が無かった。

 あんなものは、喧嘩の勢いづけや売り言葉みたいなものであって、約束のうちにも入らない類の発言だと三池は認識していたのだ。今の三池の発言だって、まさかその通りにするとは思っていなかった。何でもいいからあっちいけと思って適当に口をついて出てきただけの言葉である。


 それを今、二人しか居ないこの場で律儀にも守ろうとしている円を見て、必死に笑いを堪えざるを得なかったのだ。

 繰り返しになるが、三池に悪気は無いのだ。ただ、悪気は無いのだが、堪えなければ三池は笑いがクリーム入りチョコパンと一緒に口から漏れ出てしまいそうだった。


 二人を包み込む沈黙。

 サァサァと木々がさざめく。

 何を言うべきか、何をするべきか、二秒弱だけ全力で考えて、三池はこう言った。

「真面目かよてめぇ」


 いや、悪気は無いのだ、悪気は。

 三池にしてみれば、多少茶化せば笑いがガス抜きされて収まるだろう、とかそういう程度の意味の発言だったのだ。別に彼を挑発しようとしたわけでは断じてない。

 ただ、円がこの三池の一言を聞いて、昨日の様に三池に殴りかかろうとするのではないか、という事まで考えていない不用意極まりない発言であった事には疑いの余地は無かった。


 実際、円は三池に殴りかかった。今なおズキズキ痛む昨日食らったパンチのダメージなどなんのその、全速力で殴りかかった。

 昨日の失敗を生かし、今度は三池の身体の動きをよく注視している。

 対する三池はクリーム入りチョコパンの袋をひらりと放り、凝視してくる円の眼を睨み返した。円の表情が昨日とは明らかに違う事に、三池は直ぐに気づく。無暗やたらに力任せに殴ろうとしてはいないのだという事もすぐにその表情から読み取った。


 そこまで把握した三池が今回もまたカウンターを狙う筈も無い。相手の身のこなしを見極め、繰り出された一撃を半身を捻って冷静にかわした。

 上体を折り曲げた格好の三池に対し、円は右の膝を突き上げる。

 振り上げられた自分の脚に対面する三池の顔面から、その表情を読み取る余裕は円には無い。


 だがしかし、円は確信した。

(確かに昨日、俺はこのチビ野郎にこてんぱんにやられた。それはもう気持ち良いほどに完敗した。けどな、人間一つの動作が終わる前に次の何かが想像以上のスピードで襲い掛かってきたら、どうしようも無くなるもんだ。かわせるもんならかわしてみやがれっ!)

 円は一切の手加減無く、容赦ない一撃を三池の顔面めがけて振り切った。


 円の右膝には確かな感触が。

「――っつう?!」

 それは、感触、などという生易しい物ではなかった。

 衝撃、ないし激痛。言葉で表現するならば、そういった辺りのフィードバックが円の脳に到達する。

 見れば、円の膝に対し、横方向から三池の拳がめり込んでいた。


 一瞬である。一秒など、とてもとても無い様な一瞬で、三池は目の前に襲い掛かる膝蹴りに対して自分の拳で軌道を逸らそうと判断し、実行したのである。

 咄嗟の判断であったため拳の威力は比較的強くは無かったが、円の膝を自分の顔面から逸らし、彼自身を一瞬狼狽えさせるには、それは十分な一撃だった。


 身体の重心を前に移動し、尚も円の顔を睨みながら距離をつめる三池。

 円は膝の痛みも無視して地を蹴り距離を取ろうとする。が、それが致命的に身体の自由を奪ってしまった。体重を支える軸足が宙に浮き、一瞬身体の制御が利かなくなる円。

 三池は狡猾にもそれを見逃さなかった。右手で円の胸倉をつかみ、自分へと引き寄せる。流れる様な動きで皮肉を込めた様な強力な膝蹴りを、円の顔面に叩き込んだ。


 円の視線があらぬ方向へと振り回される。

 今まさに倒れこもうとしていた円の胸倉を離さず、再度引き寄せる三池。ぐでんと地に流れるように這いつくばっている円の両足は、既に自らの意思で彼を支えようとはしていない。今や、腹ばいに倒れかけている円の身体を支えているのは、力の抜けた彼自身の両足と、その胸倉を掴み上げる三池の小学生の様に細い右腕だけだった。


 目の前に顔を近づけ、三池は円に今一度問う。

「てめぇよ、実はかなり真面目な性格だろ?」

「あ……あア?」

 築三十年のフローリングの床の様にかすれた声で円は無理やり凄もうとするが、まるで肺に力が入らない。


「てめぇよ。昨日、なんであの店で手に持ったタバコをレジまで運んだ? しれっとパクりゃぁおやっさんに見つからずに騒ぎにだってならなかったかもしれねぇのによ」

 三池の眼光は、朦朧とする円の顔を射抜くように鋭い。

「今のこの状況にしたってそうだ。あんな事があった次の日に、わざわざ殴られた相手に会いに来るって。んなもん、問答無用で仕返し以外ありえねーだろ。なーにが勝ったらなんでも約束聞くーだよ。んな約束護るくれぇ律儀ならハナっからタバコなんか買って店困らせてんじゃねぇよバァーカ!」


 三池は、しゃがんで円の胸倉をつかんだ状態のまま、口を動かして何か言おうとしている彼に耳をすませてみた。

「しょうが……ねぇだろう……が」

 ボソリと呻く様な声で、円は確かにそう言った。


(ああ、やっぱりか)

 三池はそう思った。

 かねてから、この円という男に付きまとう違和感。昨日からの一連の横暴は、事情があっての事なのだと三池はこの時確信した。


「あ? 何がだよ、こっちはテメェが口にもしねぇ事情で色々と迷惑してんだよ、これから春大会あるっつぅのにただでさえ目ぇ付―――」

「しょうがねぇだろうがァ!!」

 バシンと三池の手を振りほどき、円は自分の足で立ち上がった。

 視線の焦点はまだ定まって居ないが、それでも自らの二本の足だけでコンクリートの地面に対して自重をなんとか支えている。


 そして、あらん限りの力を振り絞り、酔っぱらいの様な発声で言葉を紡ぎ始めた。

「こっちはなぁ、弟の運動靴やら何やら取られて従うしかねぇんだよ! この野郎!!」

 三池は、不足した情報の中、現在の状況とその一言をつなぎ合わせてみる。

 そして今起こっている事のアウトラインを頭の中に描き出すと、高らかにこう言い放った。


「バァーカ。バァアーカ!」


 円はふらつきながら、無理やり凄む。

「いいから、俺と喧嘩しろォ!!」

 三池はまるでその怒声が聞こえなかったかの様に、涼しい顔で彼に対して自分が訊きたい事を口にする。

「つまりアレか。クラスの奴だか誰だかに弱み握られて、そんでタバコ買わされたりだとか、ぶっ飛ばされた相手と喧嘩させられたりだとかしてるわけか?」

「ああそうだよ!! そうしねぇと、取られたモン全部捨てるっつてんだよあのクズは!!」

 もうヤケクソだという口調で、円は尚も花火の様に怒鳴り散らした。


「てめぇバカを通りこしてアホかよ! ばーか!」

 アホがバカの上位互換なのかはさておき、三池という不良はここにきてド正論を口にする。

「とっとと先公にチクりゃいいじゃねぇかよ。生徒指導の山村ならあいつちゃんと動いてくれっぞ」


 円は、やっと定まりかけた視点を意図的に三池からそらし、後ろめたそうに小声で言う。

「んなダセぇ事、できねぇよ。弟が取られたモンだっつったろうが……」

 直後に三池の内心に沸き上がり、今の今、のど元すぐそこまで出てきた言葉は”ガキがガキに物ぶんどられた時に大人を頼る事の何がダセぇんだよこのタコ”だったが、この華奢な不良、そうは言わなかった。


「じゃあ決まりだ」

 何が何故決まり、三池が何を企んだのか。円には皆目見当がつかない。

 主犯にして黒幕の同級生・館山に内心怯えきっている彼が、”三池が何を考えているか”という問いの答にたどり着く筈がなかった。


「てめぇを脅してやがるクズ野郎ぶっとばして、てめぇの弟が()られたモン取り返しに行きゃあいいだけじゃねぇか!」

「ま、まて」

 壁に手を付き、今度はしっかりと三池を見据えて円は言った。その顔には怯えと使命感の様な色がないまぜになった表情が張り付いている。

「そんなもん無理だ。あいつ、ヤベぇグループのリーダー的な奴で、他の学校の奴らともつるんでるらしい」


「じゃてめぇは今ここで俺と喧嘩して、まーたぶちのめされるのか? あ?」

「っ」

 昨日の事といい、現在の劣勢な状況といい、どうやらこの三池という奴に勝負して勝つのは無理らしい事は、円にもとっくに察しがついていた。

 尤も、黒幕の館山は円と三池の勝負の結果など実はどうでもよく、言われるがままに喧嘩をして必死になって戻ってくる円を見たいだけなのであるが。

 透けて見えるそんな黒幕の思考に呆れてため息の一つでもつきそうになりながら、三池は言葉を続ける。

「てめぇよ、弟が色々奪られたっつうのをてめぇが知ってるって事はよ、つまりアレだろ、弟から面と向かって頼られたって事だろ?」


「……それが、どうした」

「てめぇの弟はよ、そのクズから運動靴取替えそうとしてくれるカッケぇ兄貴で居て欲しいんじゃねぇのか? てめぇには」

 円は、言葉を失った。

 今の今まで、唯一つの目的の為に、プライドを捨て去って行動していた。

 最も重視するべきは、可愛い弟の所に()られた物が返る事だと思っていたし、それ以外の事には全く意識を向けていなかった。


 円は心の底に仄かに湧き出た想いとは裏腹な言葉を口にする。

「あいつは、弟は、俺がいろいろやらされてるっつう事は知らねぇ」

「いや、昨日騒ぎになっただろ。もうばれてっかもなー」

 意地悪ににやりと笑んでそう言った三池に対し、円は記憶を辿って反論する。

「てめぇだって……てめぇだって、さっき大人を頼れとか言ったじゃねぇか!! 俺にダセぇ真似させてぇのかそうじゃねぇのか、どっちなんだよ」


「物ぶんどった相手の言いなりになる事がダセぇっつってんだよこのデクノボウ」

「じゃあどうすりゃいいんだよ!! 俺は、あいつを――」

 三池は、握った拳を突き出して、円に向かってにかぁと笑って言い放つ。

「手ぇ貸してやるよ。俺が」

 円は下を向いてぼそぼそと切り返す。

「言っただろ。相手は、何十人も囲んでやがるグループだ。チーマーっつうのか? そん中には、でっけぇ暴走族(ゾク)のメンバーだって混じってる。……第一よ、お前が俺に手ぇ貸す理由とかねぇだろ。信用できねぇ」


 身体を張った提案をした相手に対し、最後の一言はいくらなんでも礼を欠いた。と、真面目な円は一瞬思ったが、三池はそんな彼の言葉は気に留める様子もなく答える。

「何十人でも何百人でも余裕余裕。俺強ぇから。つうかアレだ、俺は喧嘩が好きだから首突っ込むだけだしよ、別にてめぇの弟だのメンツだの実は何とも思ってねぇから信用なんてしてくれなくてあい結構なんだよ」


(この三池という男が喧嘩が好きかどうかは解らない。だが、俺の事情を聞いて首を突っ込もうとしている以上、何ともないという言葉を言葉通りに受け止めるのは、余りに酷ぇ話じゃないのか)

 真面目で真面目な円は、一瞬本気で三池の本心について思考しようとする。

 それを遮ったのは、先程まで彼の胸倉をつかんでいた三池の右の拳だった。


 円は、鳩尾辺りにぐいと押し付けられた小さな拳に、一瞬きょとんとする。

 その行動により発言のタイミングを得た三池は、なにやら口の端を曲げて言う。

「因みに、何年何組のなんて野郎だ? そいつ」

「3年C組の館山……だ、が」

「よし、行ってくる」


「今から!? ば、バカ、よせ!! てめぇまで目ぇつけられるぞ!」

「あー、怖ぇならまぁてめぇは着いて来なくていいぜ。ここで殴られたフリでもしとけ」

「いや、実際今しがたお前に殴られたんだが……ってそうじゃなく!」

 ずしずしと歩を進める三池は立ち止まり、後ろから慌てて引き止めてくる円に振り返る。

「言っただろ、俺強ぇから心配すんなって。それから、これもさっき言ったが喧嘩大好きだからよ、俺。これ以上止めに入ったらてめぇからぶっ飛ばすぞ」


 怯え、或いはそれ以外の感情により言葉を詰まらせる円。

 再びずしずしと歩いていく三池。

 目にも鮮やかなコントラストが、春の裏庭の風景の中に在った。

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