事なかれ村と正義の憲兵(4)
緞帳を背に袖から演者達が現れると、会場からは暖かい拍手が起こった。
マイクを手に、増井は名乗ってから客と関係者への感謝の言葉を述べる。
「本日は御観覧真にありがとうございました。竜術部の全面協力により実現した今年のプログラムが無事に終わった事に心から感謝します!」
再びの拍手の中、マイクを手渡されたけやきは少し困惑した様に言う。
「今回の企画は、うちの中では石崎さんが主導で進めてくれました。私から述べるべきなのは皆さまへの感謝のみです」
それだけいうと、けやきは早々に石崎へとマイクを渡す。
この時、けやきが竜術部の保護を訴える言葉を吐かなかったのはそれが場違いであると悟った上での事であり、マイクを受け取ったお調子者石崎もそれは察していた。
「えーっと……私は……」
急なフリに対して完全に動揺している石崎は、しんとなる体育館の中、百を超える人々の時間をいただいているという自覚を抱きながらも言うべき言葉を見つけられないでいる。
「ありがとう、ございます……あっ、体育館の後ろっかわに、私が作ったこの劇をモチーフにしたゲームが展示されてるので、良かったら遊んで行ってください…………」
思わず軽い話し方になってしまい、石崎は余計に焦り始める。
「っと、私……」
事前の打ち合わせ無しに急にマイクを振った事を横でけやきが後悔している。石崎は、それを察知し余計に焦り出した。
「石崎――」
けやきが何か言おうとした時だった。
「楓ー! 頑張れー!」
口元に手を当て、叫ぶ声が静まり返る体育館に響き渡った。
石崎はその聞きなれた声に顔を真っ赤にし、怒りとも恥ずかしさとも取れる口を真一文字にした表情でその人物がいるであろう辺りを見た。
直家だった。
横ではリンが「おいおい」という顔で彼を見上げて座っている。石崎はぱちくりと瞼を大きく開き、身を縮こまらせるしかない。
会場からざわめきが起こる。
下の名前で呼んだぞ、だとか、家族か、だとか。そんな声が石崎の耳にも聞こえてきた。
そして。
「う、うっしゃい!」
噛んだ。
「うっさい! 皆さん、この人ウチの彼氏です! ご覧の通りデリカシーが無くて、ヒトが必死で言うべき事を考えてフリーズしてる時に口をはさんできて、言われた方の気も知らなくて…………知らなくて、それで……」
会場が実に愉快な笑いに包まれる。
石崎は緞帳に並んだ列から一歩歩み出て、仁王立ちになり、両手を口の周りに当てて、こう叫び返した。
「サイコーの彼氏です!」
ちなみに、これを聞いて先程の石崎よりも顔を真っ赤にしているのは甘酸っぱすぎる飴を舐めさせられた英田兄妹であった。
二人とも、露骨に目線を落として謎の恥ずかしさに耐えている。
「ああ、いけない。忘れるところだったぞ。石崎、マイクを」
そう言って手を出して要求してきたけやきに、石崎はマイクを手渡す。
けやきは増井に視線で確認すると、彼は頷いて竜術部部長に促した。
「今日は、スペシャルゲストをお迎えしています。関係各位のご理解、ご協力に大変感謝致します」
演劇部・竜術部が共に退場を始める。
けやき自身も彼等に続き、部隊の脇の方へと移動し、そして友人達を紹介した。
「それではお楽しみください! 竜王高校からのゲスト、三池猫バンドです!」
幕が、上がった。
「うわー! うわー!! ほんっとに来ちまったよ、大虎高校!!」
はしゃぐ芽衣を窘める様に円が言う。
「幕開いてる、もう開いてる!」
伊藤は他人事の様にこう言った。
「開いたねー」
霧山は震える手に動揺しながら皆に――自分に――言い聞かせた。
「まぁ、ここまで来たらやるだけさ」
三池とゆかいな仲間達。改め、三池猫バンドは各々の楽器やマイクを手に眼前に広がる人々の群れを直視した。
なんと壮大な事だろう。
暗闇の中に薄っすらと見える人々の顔の数といったらない。緊張感、或いは”大勢の人々の前に立って何かを演じる時の独特の感覚”がステージ上の全員に襲い掛かって来た。
幕が開ききると、困惑する客席に対して君夫は声を張り上げた。
「僕達は、市立竜王高校から来た者です!」
三池が退いてマイクを譲ると、彼は声をスピーカーに乗せて喋り始める。
「と言っても実は、僕は竜王高校の生徒ではありません。竜王高校に招かれて、今回のバンドに参加させていただいたのですが……」
三池はこの状況にあって臆せず話し続ける君夫に内心感心する。喋り方自体、いつもの彼からは想像も出来ない程に凛々しかった。
「諸事情あって、今日の竜王高校のステージに立てなくなって、急遽こちらにお邪魔させていただく運びとなりました。一曲だけですが、どうか皆さん、楽しんで行ってください! それから、本日僕達をここまで連れて来て下さった関係者の皆様、本当に、有難う御座いました!」
もう何度目かになる”竜王高校から来た”という旨のコメントで客席の動揺はいくらか納得に代わっていく。
拍手が起こる。
事情を知って、暖かく彼等を迎え入れてくれると言ったニュアンスの拍手だった。
君夫の脳内にミアルの声が響く。
(な、何か緊張してき、きました……)
(大丈夫、一緒に頑張ろう、ミアル君)
(は、はい)
この土壇場での会場変更にも拘らず、客席の一角には竜王高校の関係者、ドラゴンゲートの矢是、インディーズバンドユークリッドのケイ。アイアンエッグ社長にして君夫の父までが駆け付けて来ていた。
君夫がキーボードの所まで戻る音を聞いて、三池は身構える会場と見守る大虎高校の友人達に気づいた。
彼女は、うんざりするのである。
「違ぇだろー? ゆーすけよぉ」
伊藤がそう呟いた三池の背中に首をかしげる。
「ん? 三池にゃん、なにが?」
「空気が、だよ」
三池は笑みを浮かべて振り向き、伊藤にそう言った。
オレンジ頭の不良少女は、改めて客へと向き直る。
そして、息を吸い込み。
叫ぶ。
「邪魔すっぞ! てめぇらああああああ!!」
驚く程にあっさりと、会場からは今日一番の歓声が巻き起こった。
劇の後の挨拶の時の拍手など比ではない。三池の声のイントネーションと声量、そしてその中性的な魅力のある声に、文化祭という年に一度の祭りに興じていた生徒達は一瞬にして沸騰し、それにつられた者達も一斉に拍手と叫びの波の中に同化したのである。
四小節のイントロがかき消されそうになるなか、三池の男か女かよく解らない声に観客たちは確信したのである。ああ、今は立ち上がって大声を張り上げ、リズムを刻んでもいい時間なのだなと。
円のギターが鳴らす和音が唄い出しへと曲を誘い、伊藤のドラムは会場の熱気をフィードバックとして受け止め、力強さに変えてリズムを刻む。
霧山は他の者達同様に練習に練習を重ねたベースの演奏に全神経を研ぎ澄ませ、君夫とミアルが奏でるキーボードは三池のボーカルを送り出す様に駆け出す。
そして、アンプから聞こえてきた芽衣が奏でる音色。エレキバイオリンが原曲には無いニュアンスを曲に加え、鳥肌が立つほどのハモリでついに伴奏を完成させた。
三池は唄い出すなり右手を突き上げ、既に立ち上がり同様にリズムを刻む客達と感覚を共有し始める。少々過剰であった筈の音量が決して大袈裟に聴こえていないのは、そんな三池猫バンドと客達のテンションがあってこそである。
機械室にて、坂は眼前に腰かけている放送部員達に礼を言った。
「本当に、無理を言ってすみませんでした」
「そうじゃないっしょー坂ちんや」
「え?」
頭を下げた坂の言葉を否定したのは、いつも昼休みには放送室で雑談を繰り広げているあの二人である。(※1)
かつて坂がけやきへの疑惑を抱き行動に出た際、放送室に居合わせた女子二人。
今や彼女たち二人も膝でリズムを刻み、演奏に聞き入っている。
「人に何かしてもらった時は、”有難うございました”」
こんな楽しい時間に、謝罪なんかするんじゃねえ。どうやら彼女が言いたいのはそういう事らしい。初めて坂と会った時には”なにこいつ”という眼で見ていた生徒とはおよそ同一人物とは思えない程に友好的な面持ちである。
もう一人の女子。眼鏡と三つ編みがやたらと似合っている方は、坂に無言で微笑んだ。
曲はBメロに差し掛かる。
今回の申し出を快く了承した上で速やかに竜王高校へと話を通した校長は、体育館倉庫の前で腕を組み、愛おしそうに子供達を見守っている。
演劇部のアドリブにより、色付きのスポットライトが体育館中を飛び回り始める。
奇跡ともいえる興奮の最中に、出入り口から入ってくるドラゴン達の姿があった。
「ったくあの三池……楽しそうな顔しやがって」
クロをはじめ、竜王高校のドラゴン達だった。
「楽器を背に乗せて飛んでくるのはさすがに骨だったな……」
「でもでも、みんな楽しそー!!」
クロの後に続く二頭。
竜王高校龍球部のライとセイは羽根をぱたぱたと仰いだ後、その場にぺたんと座り込んだ。
三池がサビを唄い始めると、観客のボルテージはさらに高まった。
三池は唄うのが一曲きりだというのをいい事に、後先など考えずに喉を枯らす様な声を張り上げている。ともすればカラオケにでも来ている様な歌い方だが、彼女の独特のハスキー声が、その素人臭さを音楽としての楽しさに昇華していた。
客がこれほどまでに盛り上がっていたのはだからだろう。格好つけようなどとは微塵も思っていない彼女の声が、与えられたチャンスを楽しもうとしか思っていない単純な魂が、単純化された誰もの思考に否応なく浸透していった。
すなわち、今この瞬間だけ、たったの五分も無い一曲を共有しよう。
今、この場にはそれしかなかった。
龍球での激戦の先にある余韻ではない。
竜王高校と大虎高校の協力により成立した企画への感銘ではない。
そんな政治的な話はどうだっていいのである。
何か、ちっこくてかっこいい奴が、彼――実は彼女――を取り巻くバンドを伴って、素晴らしい演奏を繰り広げている。だから楽しむ。
ただのそれだけである。
間奏を超えて最後のサビの気配を感じ始めた頃、フレーズをリピートするパートにさしかかると三池と観客は交互に唄い出す。
叫んでいると言った方が適切なやり取りの後、ついに曲は最後のサビに差し掛かり、ついにアウトロ前の間奏が始まった。
楽しい時間の終わりを誰もが察し、ついに三池が最後の一フレーズを唄い終わると、客席は悲鳴と歓声がないまぜになった声で満ち溢れていった。
「てめぇらァ! 今日は楽しんでけよ!!」
※1・・・【2.虎穴の双竜 長の器を満たすモノ(2)】参照




