事なかれ村と正義の憲兵(1)
すうと息を吸い込み。良明と陽は視線をかわす。
コクリと頷きあい、暗闇の只中にあるステージの上にて、馴染みきった手元の感覚に意識を向けてみる。
ほんの僅かに右に、左に、縦にゆらす。
化学繊維により編まれた綱は、いつも通りに相棒のドラゴン達の存在を感じさせてくれた。
スピーカーから出でた風切り音が、体育館の中に満ちていく。
程なく、演劇部員の声は聞こえてきた。
『昔、昔の、まだ昔。今から千と二百年も前の、ある異国にて。いつ終わるともない戦は、続いていました』
幕が上がる。
良明と陽は、レインとショウは、その瞬間に漸く実感が沸いた。
緑色のシートが敷かれた普段と違う体育館。そこに並べられた、数百名分のパイプ椅子。腰かけている、椅子と殆ど変わらない数の老若男女の人々とドラゴン。
彼等彼女等は、皆一様にステージ上の演者達に注目していた。
その視線を視界に捉えた瞬間、瞬時に消し飛びそうになる台詞の尻尾をつかまえて、双子は強引に口元へと引き寄せた。
すぅ。
同時に、息を吸い込む。
「敵は残すところただ一騎!!」
「我等が敵わぬ通りは無い!!」
良明と陽に続き、演劇部部長・増井はシキの背の上で剣を天に突き立てて続く台詞を言い放つ。その声はピンマイクでも使っているのかという程のさすがの声量で、猛々しく、それでいて凛々しくもあり、豊かに変化する彼の表情は正に役という物になり切った人間の成せる業だった。
ステージの上の増井とシキへとスポットライトが当てられ、それを合図に雷の音が鳴り響く。ストロボライトで稲光が表現され、体育館の中はさながら雷雨に見舞われた戦場に瞬間移動した様な感覚に包まれた。
「いざ! 王国の正義の為にかの巨悪を打ち滅ぼさん!! かかれ!!」
剣が振り下ろされるのと同時にスポットライトによる照明は移動していき、行き着いた先は体育館後方、二階である。
二本の脚で立ち、手すりの向こうで大きく羽根を広げるガイ。
「グァアアアアアアァアア!!」
意味を成さない雄たけびを上げ、ガイはその両翼を大きく羽ばたかせた。スポットライトが三つ追加され、合計四頭のドラゴンとその騎手を照らし出す。
そして全てのドラゴン達は今、飛び立った。同時に戦場を演出するBGMが鳴り響く。
ガイの傍らへと次々とドラゴン達が向かって行っては、その度に武器を振り下ろすSEが館内に響き渡る。レイン、ショウ、シキが夫々二回ずつガイへの攻撃を試みたところで、増井はシキの上から叫んだ。
「噂に違わぬ勇猛さよ! だがしかし! 最早貴様の主はその背にはおらぬ!! ここで勝つのは我々だ!!」
斬撃が命中する音。
そして、ガイへのスポットライトは一瞬にして消失した。
雷光とSEが続く中、増井は叫ぶ。
「我々は勝利した! 悪の巨竜を打ち滅ぼし、王国へ不満を抱く悪魔どもを今ここに地獄へと送り返したのだ!!」
まったく、上手い段取りである。
この間にステージ上では次の場面の街並みが準備され、役者達も所定の場所へとついていた。
いつの間にか閉じていた幕が上がると、そこにはがやがやと世間話をする村人達が立っていた。
商店街なのだろう、パン屋、肉屋、香辛料が並べられた店などが軒を連ね、中央奥には立派な噴水が立っており、そのさらに中央には馬に乗った男性の像が在った。
建物はどれも三角屋根の石造りで、中には梁と思しきものが外壁に描かれた建物も多い。規則的に並んだ窓は現代のそれを思わせるが、それらの建物には徹底された美意識が見て取れた。
「大変だ大変だ大変だァあ!」
山野手が駆けてくる。
「どうしたんだい。アンタ、まーた野犬にでも追いかけられたの?」
と返した演劇部の女子に対し、山野手は言う。
「違うんだよ! 犬なんて生易しいもんじゃあねえ! あれは……ドラゴンだ!!」
その場に居合わせた村人達が声を揃える。
『ドラゴン!?』
完璧なタイミングで揃った声から一秒後、村人の群れの中に居る坂がこう言った。
「待った待ったァ! はっはっは! 今時野良のドラゴンなんて居るかよってんでぃ!!」
ステージ脇で石崎が笑いをこぼしそうになる。練習で何度も何度も観てきた演技なのに、である。
山野手は返す。
「そりゃあ五年前から続く王国サマの方針で、ドラゴンは漏れなく王国に管理される事にはなったさ! けどな! 俺は確かにこの目で見たんだ!! もうすぐそこまで――」
村人達はそんな馬鹿なと口々に笑いをこぼし、皆と意見を交わしていく。
その時、音は聞こえてきた。
どずん、どずんと一歩一歩を踏み出す様な音。それが、その一歩を重ねる毎に大きくなっていくのである。
左手から現れたのは、一頭のドラゴンだった。
脚を引き摺り、苦しそうな息をそれでも荒げて「グァア」と鳴いた。
ドラゴンの言語が解らない村人達にも、観客達にも、彼が言いたい事がしっかりと伝わるガイの名演技だった。
ドシャリと倒れ込むガイ。
それに対してたじろぎ、驚き、身を遠ざける村人達。
幾許かの沈黙の後、坂は他の村人達に対してこう指摘した。
「なあ、今……”助けてくれ”って言ったんじゃないのか?」
『おい!』
村人達はオーバーアクション気味に坂を見た。
「いやいやいや、アンタそりゃ危ないってモンだよ! もし違ったらどうするんだい? 私ァそんな奴ほっといて、とっとと憲兵さんに早馬を寄越すべきだと思うね!」
村人達は演劇部員女子扮する村人Cへの同調の意思を込めて頷いた。
坂演じる村人Bだけがそれに同調し切れずに、ドラゴンと村人を見比べる。
と、その時だった。
ドラゴンが現れたのとは逆の方から、一人の女性が現れた。
頭から足元まで黒いローブに身を包んだ石崎は、ツカツカとドラゴンの元へと近づいて行く。
「ミア様だ! みんな、ミア様だぞ!!」
村人A山野手が真っ先に道を開けると、他の者達もそれに倣う。
ミアと呼ばれた女性は彼等には目もくれず、変わらない速さでドラゴンへと近づいて行く。
「ミア様危ないよ!」
「それ以上は近寄らない方が……」
村人Cと村人Aの制止も聞かず、ミアはついにガイの傍らへと腰を落とした。
「あなたは……王国のドラゴンではありませんね?」
清楚で、儚く、消え入りそうで、それでいてしっかりと聞き取れる声で彼女はそう言った。
村人達がざわつく。
「なんだって!?」
「ミア様、なんでそんな事が解るんです!?」
「仮にもしそうなら、尚の事そこは危険だ! 早くこちらへ!!」
ミアは立ち上がり村人を見据え、そしてその後で客席へと一歩を歩み出し、訴えかける様な口調でこう言った。
「この宝石の様に澄んだ眼を見れば解ります。この方は、正義の為に尽力し傷ついたドラゴン。けれど、その魂の在処は壮絶なる戦場にこそある。何物にもとらわれず”自らの由”を作り出す、いわば自由なるドラゴン!」
ミアの背後でドラゴンがよろよろと立ち上がる。
「大丈夫です、この方は我々村人には危害を加えません。私には解るのです! どうか皆さん落ち着いて、安心してください。彼は決して――」
彼女がそこまで口にしたところで、ミアの背後に立ったドラゴンはその大きな口をくわっと開き、彼女の頭を上あごと下あごで挟み込み――
「ミア様ァーー」
「男衆、はやく助けなさい!」
「あんたもやるんだよ! さあ早く!!」
山野手、演劇部員、坂扮する村人A、村人C、村人Bを始め現場の目撃者達がミアを助け出そうとしたところで、不意にドラゴンの身体から力が抜け落ちる。
『!?』
ドラゴンはついに力尽き、その場に崩れ落ちて意識を失った。
ステージは暗転・幕が下りる。
スポットライトがステージ手前の一角を照らし出すと、そこには一人の男。漆黒の空間に向かい跪き、首を垂れて増井は自らをこう名乗った。
「王国騎士団・ルミネスに御座います! 戦果をご報告に上がりました」
スポットライトがルミネスの眼前にもう一つ、ぽつりと灯る。
そこに居たのは演劇部所属の男子。
赤いマントに宝石が散りばめられた王冠。複雑な幾何学模様が入ったビロード生地のローブは見るからに品位があり、豪勢ながらも下品な主張が無いものだった。百八十センチはあろうかという長身とバランスの取れた大きな体の彼は、ルミネスに対しこう言った。
「団長自ら国王ガザンの元へと報告とは大義よ。して、その戦果とは」
ルミネスは首を垂れたまま声を張り上げる。
「はっ! 私直属の第一部隊を以て、かの軍勢の首領・ルナ騎を墜落に至らしめました!」
「ついにか。その報告をどれだけ待ちわびた事か、思い出すのも忌々しい。…………今回の攻勢に至るまで、貴様自ら前線に立つ事を認めなかった私を赦せ」
ルミネスは下に向けている顔を地面につかんばかりに下げ、力強くこう言った。
「恐れ多い事であります。私めへの御評価と御信頼、身命を以て守り抜く所存に御座います」
「……時に、ルミネスよ」
「はっ!」
「落としたルナとそのドラゴンの躯はいまどこにある?」
「ルナは敵軍陣地に、そのドラゴン・エルン号は三百マレルの高高度から森へと落ちていくのを私の眼にて確認しております」
「では、どちらもその息の根が止まるところを確認したわけではないのか?」
「いえ。ルナは脈を取り確かに確認致しました。エルンの方もあの高さでは――」
「駄目だ!」
「はっ」
「今すぐ躯をこれへ持って参れ! 私がかの憎きドラゴンの死を確認する。貴様への報奨はその後と心得よ」
「ははっ!」
二機のスポットライトが眠る様に明るさを失っていく。
そして暗転。幕は再び上がった。
場面は部屋の一室。窓の外には先程の場面にもあった像がちらりと見えている。その風景から、そこが三階以上高さの一室である事が窺える。窓の脇では開け放たれた戸がベランダへと通じていた。調度品が少ない、何とも落ち着きのある部屋であった。
その部屋の中には白いシーツが敷かれたベッドがあり、その傍らには木製の椅子に腰かける女性。石崎演じるミアの姿があった。
何より驚くべきなのは、ベッドの上でミアの介抱を受けているのが彼女に牙をむき、頭からがぶりといこうとしたあのドラゴン・エルンである事である。
ミアは、達観した様な優しい視線をエルンへと向けてこう語りかけた。




