ささやかなる宴(7)
「”事なかれ村と正義の憲兵”……?」
坂が知らないのも無理はなかった。
大虎祭で演劇部により上演される演目は、毎年書きおろしの作品が用意されるのが通例である。かつてけやきが小学生の頃に観たその作品を、竜術部の面々の殆どは知る筈が無いのである。
石崎は、何故だか自慢げにふふんと鼻を鳴らして部室に集った全部員を見回して説明を始める。
「”事なかれ村と正義の憲兵”っていうのはね、私とけやきが小学生の頃に大虎祭で演劇部によって上演された劇なの。んで、そこには竜術部から駆り出されたガイも出演してて、それがけやきや私がガイを観た最初だったわけね」
「ふむふむ」
「ふむふむ」
双子は、なんだか話が見えてきた。
それを代弁するかの様に、同じことを考えていた山野手が確認する。
「えっと。つまり、石崎先輩や樫屋先輩にとって最後の大虎祭で、その、ことなかれナントカっていうのをリバイバル上演……するってコトすか?」
「そそ。因みに言い出しっぺは私じゃないよー、首謀者はどこからかこの演目の情報を嗅ぎ付けた演劇部の増井っていう部長やってる男子ね」
石崎はここまで随分と楽しそうに語っている。
「ちょっと待ってください」
ここで異議を唱えたのは坂である。
いつも通りボロボロの部室の中、なんちゃって円卓を囲む一同。埃っぽい空気が漂う中で、ドラゴンを含め全部員が彼の方を向いた。
「大虎祭でウチの部としてやる事は確かに今日までちゃんと決めては無かったですけど、でも……海藤さんとか、これまでずっと何か……準備してたよね?」
坂は、発言の途中から海藤の方を心配そうな眼差しで見ていた。
石崎達も、よもや彼女が今日まで作っていた物を無駄にさせるなどという暴挙には及ばないだろうと思う坂であった。だが、海藤が今日まで部活の時間を使って只管に何かしら裁縫していた事を彼は知っている。否、彼でなくとも、海藤詩織という人物に対する取り巻きの認識は漏れなく”常に何かしらこさえてるちっこくて物静かな奴”という具合である。
彼女がここまで積み重ねてきた努力を無駄にさせるなど、とてもとても坂には考えられないのである。
「坂さー、私がそんな外道にみえるかね、んん?」
「見え………………ません」
「なんで一秒半くらい考えた?」
石崎はうんざりした様に頬杖をついて、言うのである。
「大体さぁー」
「はい?」
「私だって、ずーーっっと作ってるんだけど。文化祭用の作品」
いつも彼女が持ち歩いているノートPCをタンタンと叩いて見せ石崎は言った。
「あっ……」
という坂のリアクションに対し、石崎は素の口調でこう言った。
「うわっ、ひっどーい! 海藤ちゃんの衣装づくりがどうなるかは心配するのに私の方のはどうだっていいって思ってる!」
「あ、いえいえいえ、そういうわけじゃなく、単純に忘れて――」
その理由も十分失言である事に気づいて坂は口を手で押さえた。
気まずそうに周囲を見回す坂。
を見て、石崎は破顔した。
「はっはははははは!!」
何事かと思い目を白黒させながら石崎を見つめる坂と、同じく何がどういうわけで突如笑い出したのか解らない双子が困惑する。
ガイやらシキやらショウは、また石崎が何かしらしょうもない事を考えているだけだろうと思って呆れている。
「うそうそ冗談。悪意が無いのなんてわかってるって! もー、からかいがいがあるなーキミは」
坂の頭をぐりぐりとなでて石崎はそう言った。
坂は、それが咄嗟の自分への気遣いであるのか、本当に何も気にしていないのかの判断が付かずに尚も困惑顔である。
彼のそんな表情に気づいたからだろう。石崎は、坂に対して「あんたにも働いてもらうから」と笑いを堪えながら言うと、海藤や自分が取り組んできた事の全容を話し始めた。
今年に限って演劇部がこの様な申し出をしてきた事には、もちろん理由がある。
樫屋けやきという三年生は、竜術部の廃部を回避してのけた天才部長で、頭脳明晰にして容姿端麗という、絵に描いた様なカリスマ性を持った生徒である。
大虎高校の生徒でなくとも学区内の住人なら、モデルの様な体型の彼女が制服を着て歩いている様が強烈に印象に残っていたりする。
そして、そんな樫屋けやきには恋人がいるのだと言う。それはドラゴンで、彼女の龍球の相棒で、何より大虎祭の演劇部のプログラムで運命的な出会いを果たしたのだと言う。
それだけではない。取り巻きにはけやきと同様にかの舞台でガイと出会った石崎、それから手芸部を掛け持ちする海藤、写真部坂、新聞部山野手、双子の兄妹英田良明と英田陽といった、面白すぎる素材が目の前に転がっているのである。しかもこれらの人材に関し、石崎以外はけやきが自ら勧誘して集めた者達なのだという。おまけに四頭ものドラゴン達を一堂に舞台で演じさせるチャンスである。
アグレッシブで有名な演劇部部長・増井が興味を持って竜術部に共同企画の話を持って行かない理由が無かった。
石崎が部員達に話を持ち掛けて以降、英田兄妹をはじめ、竜術部の部員達は全面的にこの舞台に協力した。
ギリギリのタイミングまで竜術部単体としての展示も検討してはいたのだが、やはり増井による根回しを今更無下にするわけにもいかず、数年前に発生したガルーダイーターによる竜術部に対する圧力への懸念もあり、ならいっそという事で演劇のプログラムに参加する事となったのだ。
本年度の演劇部の人数は僅か5名。
成程、増井の意図はこのあたりにもあるのだろうかと石崎は思ったが、特に自分達にとってデメリットがあるわけでもなし、気にすることはしないでおいた。
人手を欲する演劇部。
面白そうな試みに興味がある竜術部。
双方、特に面倒くさいいざこざや部と部による衝突も起こらず、練習は日々繰り広げられていった。
龍球チーム以外のメンバーは放課後になるとすぐに演劇部に合流し、申し訳程度に龍球のトレーニングを行ったチームメンバーもその後直ぐに練習に参加した。
唯一、海藤は尚もいつもの裁縫作業を続けていたが、先日の石崎の発言により、それが衣装制作なのだと知って誰もが納得した。
不可解なのは、少し前までPCで作業を続けていた石崎が演技の練習に参加していた事だが、今回の件に関し仕切っている彼女に対しそれを心配したり指摘する者は居なかった。
強いて、この企画に対して難色を見せていた者を挙げるならば、それはけやきをおいて他に居ない。
石崎が演劇部との共同で舞台に取り組む事を皆の前で発表した際、部長であるけやきは驚くほど喋らなかった。企画に対して反対であるとでも言わんばかりの沈黙っぷりだったのだ。
それは何故か。けやきの性格を少しばかり押し広げて考えれば容易に想像がつく事だった。
石崎が竜術部メンバー全員を招集して今回の企画を提案するより以前。具体的には龍球の夏大会が終わって、竜王高校の者達とキャンプをした二日後の事である。いつも通りの部室にて、雑談を始める様な雰囲気の中で石崎はけやきに話を切り出した。当時、その場は石崎とけやきの二人きりである。
石崎が企画の概要を説明し劇をやろうと持ち掛けたら、けやきはこう言った。
「嫌だ。私は全力で拒否させてもらう。いや、阻止させてもらう事になるだろう」
原文ママである。けやきにしては随分とエモーショナルな一言に思えるが、だからこそ石崎はその理由を瞬時に悟る事が出来たのである。
すなわち、けやきがこの提案に否定的だったのは、ひとえに自分とガイが繰り広げた観客と部員による絡みパートの存在の所為である。
かつて、けやきはガイと舞台上で共演した(※1)。共演と言っても、直接言葉を交わしたわけではないし、けやきが舞台上に居た時間もほんの僅かである。
だが、その僅かな時間が彼女に恋をもたらした。
くどい表現は控えるが、要するにけやきにとってあの舞台での数分間は、猛毒であり、恋人との聖域でもある”途轍もなく大切で神聖な想い出なのである。
他の誰かが同じ演目で同じ瞬間を――或いはガイと――体験するなど、けやきにとってはありえない、あってはならない事だったのだ。
石崎は腐れ縁の親友故、そこまでを瞬時に悟ってしまった。
正直面倒くさい。でもそれ以上に、理解してやりたいとも思う石崎である。なにせ、彼女もあの時あの舞台の上に居たのだから。
あの日以来、内心それはそれはニヤニヤしながらけやきの乙女っぷりを楽しんできた石崎だ。その辺りのけやきの気持ちは十二分に把握していた。
石崎は、けやきの拒絶を受けてこの様な提案をした。
「じゃあ、お客さん参加パートを違う場面にしちゃえばいいじゃん」
「なに?」
「なにも前回と同じ脚本にする必要は無いわけで、そこは増井に相談すればいくらかは融通きくっしょ」
「だ、だが……」
石崎は我を通す事に躊躇いを見せるけやきに対し、小悪魔的な笑みを浮かべてこう言ってからかった。
「なになにー? ガイが他の子に取られてもいいのー? もうここまで来たら劇自体を中止する事は不可能だよー?」
「石崎、お前……」
けやきは、何とか状況を打開する方法や言葉が無いかと思考を廻らす。
だが、脳裏に浮かんで来るのはこの状況に至った経緯ばかり。けやきは、夏大会に至るまでの数か月間、龍球の事にしか頭が回っていなかった自分を恨んだ。
まさか石崎や海藤や増井が裏でこんなにも厄介な事を企てていたとは思わなかった。
(考えてもみれば、妙だった。あまりにも日常として当然だった為に気にしていなかったが、海藤が延々と作っていたのは、何かこう、常にある特定の国の民族衣装の様なものだった。企画は、もう随分前から動き出していたという事か……)
「ねえけやき」
「なんだ?」
「別に、さ。私達だってけやきをいぢめようとしてるワケじゃないんだよ?」
「そんなことは解っている」
「むしろ、さ……」
石崎は、真剣な眼差しでけやきの眼を見据え、恥ずかしさなど無いといった風でこう口にした。
「最後に良い想い出、作ろうよ」
「……」
「どラ部はみんなのおかげで護られた。ここまでみんな頑張ってきた。けやきも頑張った。超頑張った。……だから、最後にもうひと頑張りして、余韻に浸ろうよ。ガイ達とこうして学校の行事を楽しめるのだって、これが最後なんだよ?」
石崎は、けやきの眼が一度だけきらりと輝いた様に見えた。
それが見間違いでは無くけやきの涙によるものであると、石崎は直後の彼女の言葉で理解する。
「石崎」
「うん?」
「それは……ずるい言い方だ…………」
こうして、けやきは言ってしまえばその場の雰囲気で企画にOKを出してしまったのである。
石崎がPCで作っていた物の展示がどうなるのか。けやきは部長としてそれを確認したが、結局竜術部としての展示等は行わないという事で話は纏まった。
竜術部が存続を勝ち取り、ひとときの安らぎを手に入れた秋。
新生”事なかれ村と正義の憲兵”の準備は着々と進んでいった。
※1・・・【2.虎穴の双竜 誇らしい過去は得てして(2)】参照




