ささやかなる宴(3)
「……てめぇらそもそもだ。本当に、楽器とかやれんのかよ」
ここまで来てまだ疑う三池も三池だが、霧山も大概の恐れ知らずである。もしくは、信用するべき相手を余程選んでいるのかもしれない。
県道沿いの道に隣接するシャッターを開き、天井、床、壁をコンクリートで覆われたガレージへと入る。
ごつくて深い緑をしたドラゴンみたいな4WDの傍らを通り抜け、オレンジ色の工具箱やオイル缶が出迎える棚を避け、そのすぐ傍らにあるクリーム色をした鉄製の扉へと手をかけた。
ぎい、とドアが内開きに開いていくと、三池、トオル、ミアルの三人以外の者達は、躊躇いなく部屋の中へと歩を進めていった。
取り残されるようにして歩くのをやめた三人は、思わず息をのむ。
黒光りしたフローリング、汚れ一つない白い壁紙、一面を鏡で覆われた最奥の壁、左手は壁ではなく全面ガラス張りである。この部屋の中で彼等が普段から目にする事があるものと言えば、非常口へと駆け込んでいく緑色のアイコンくらいだった。
「おいおいおい……おい」
「頼み込んでみるものだろう?」
道中、皆への疑いの念を捨てきれない様子だった三池に対し、得意げになっているのは霧山である。柄にもない。
三池が靴を脱いでプラスチック製の簡易な下駄箱へとそれを入れようとすると、非常口の表示の下から一人の男性が姿を現した。癖なのだろう、肩を揺らし悠々と歩くその様は随分と態度がデカい様に見て取れる。
「はいはいお疲れさんね、どう? 上手くなった?」
見たところ四十代後半くらい。体格が良くて、それと同じくらい人の好さそうな快活な喋り方をするその男はどうやら芽衣達とは既に面識がり、また、この場所の関係者の様でもあった。
男が着ているグレーのスーツの胸ポケットに付けてあるプレートには、こう書かれている。
「”ドラゴンゲート ゴルフ場経営担当 矢是 高樹”」
歩いて来た男のネームプレートを見て声に出してみた三池に対し、矢是はこう尋ねた。
「キミが三池君?」
(’君’……?)
「あ、ああそう、スけど」
普段、”らしきもの”程の敬語すら使わない三池であるが、この時彼女は自然と矢是に対してそういう言い回しをした。恐らくそれは仲間が世話になっているからとか、そういう理由から来る行動だったのだろうが、彼女自身それを自覚している様子は無い。
自分の苗字に付けられた敬称が’君’だったのが納得いかない三池であるが、話が先に進まないのでそこは気にしない事にする。
因みに、矢是に三池を君付けさせているのは芽衣と伊藤で、これは未だに三池の事を男子だと思い込んでいる円にタネ明かしをしない為の配慮――こいつらは、三池と円に関して一体なにを目指しているのだろうか――である。矢是は、三池が一応は女だという事を知っている。
「うんうん、良い声じゃん、心行くまで練習してくれよ、俺、本番観に行くから」
「え、来るんですか!?」
焦るとともに意外そうな顔をした伊藤に対して、矢是は何を気に留める様子も無くこう切り返す。
「え、だめ? 行く行く。時間作って観に行くから。ハッハッハ」
霧山は、ここでいささかタイミングを逃しつつある紹介を始めた。
「矢是さん。もうお気づきの様ですが、こいつが三池です。三池。こちら、この場所を無償で提供してくださっている矢是さんだ」
「うんうん、頑張れよー」
そう言うと、矢是はばんばんと三池の肩を叩いた。大きくてごつごつとした手が三池の華奢な肩を揺らす。
矢是は満足げな様子で話に一区切りつけると、がっがっがと笑いながら今しがた入って来たドアへと踵を返してしまった。
三池は、男の後姿を見ながら半ばあっけにとられた様子で呟いた。
「活力の塊みてぇなおっさんだな……」
「事情を説明しよう」
霧山は、ベースギターの入っているケースを開けながら説明を始めた。他のメンバー達もこなれた手つきで練習の準備に取り掛かる。
「矢是さんはこのゴルフ場の経営者でな――」
一方の三池はと言えば、トオルやミアルとともにガラス越しに外を眺めている。
視界に入ってくるのは林の緑、芝の黄緑、空の青と雲の白。あとはバンカーのベージュとバルコニーの灰色。三池はこれまで一度も訪れた事など無かったが、つまるところここは、なんともイメージ通りのゴルフ場の一角の様だった。
タバコの臭いを消す為だろうか?部屋は随分と強い芳香剤の匂いで満ちている。
「ここは半分プライベートスペースということらしい。彼自身も以前バンドをやっていたそうでな、今でも時間や気分と相談してここで楽器を練習するそうだ」
「じゃあ、あのおっさんに弾き方教わってんのか?」
霧山は三池の問いに対して首を横に振った。
「あの人はギター以外は弾けないそうだよ。御厚意で楽器と場所を貸してくださっているだけだ……これだけ良くしてもらって”だけだ”もないが。因みに、矢是さんが今現在バンドをやられていない理由はみんなで訊かないようにしている」
三池は、霧山の口から出てきた説明にぽかんとしつつもこう返す。
「っつうかお前、そもそもなんでこんな凄ぇおっさんと知り合いなんだよ。ご都合主義かよ!」
霧山は、ふふんと誇らしげに三池を見た。
「な、なんだよ」
「ユークリッドのケイ、いるじゃないか」
「お、おう……」
三池は、まさか、と思った。
それを霧山も解ったのだろう。どうだいいだろうと言わんばかりの喜々とした声で、彼はこう言い放った。
「お前にライブに連れて行って貰った日、実はケイ氏とちらりと話す機会があってな。そこで意気投合して携帯の番号を交換して、今じゃこういう関係さ」
「うっそだろてめぇ! なんで、え、なんでそうなった?!」
霧山は、抗議の様相さえ垣間見せる三池の問いに対し、回想しながら答えるのである。
「多分、雑談の中で経営学の話が出たのが大きかったんだろうな。矢是さんの後を継ぐ様に言われている彼は、それに対してかなり消極的でな。それを強行する父親……つまり矢是さんについて悩んでいるらしい」
「相談に乗ってるんだね、ギブアンドテイクだねっ」
伊藤はドラムセット用の椅子の高さを調整しながらそう言ったが、霧山の見解はそうでは無かった。
「そんなんじゃないさ。俺だって、少々ガリ勉しているだけのただの高校生。確かに経営学には興味があるし、独学で色々と調べてみてはいるが、知識なんてタカが知れてる。何より、俺の目指す先は法を司る場だ」
「まぁなんにしても、要は学がある奴同士で気が合ったってわけだ」
「正解っ」
芽衣は三池を指さして言った。
「……まぁ、んでよ――」
三池に視線をやられたミアルは、彼女の言葉に先行して皆に促す。
「よ、良かったら、聴かせてもらえませんか? 皆さんの、演奏。僕達、まだ聴いた事が無いのですごく聴いてみたいんです!」
違う。三池が言いたかったのは、ミアルがどう演奏に参加するのかを考えようという事だったのだ。しかしミアルは、三池がそれを言おうとしている気配に気づき、遮った。
自分の存在が練習の時間を奪う事が嫌だったのだろうか、と三池は思うのだが、とりあえず現状を把握するという意味ではミアルの提案は適切だとも思った。
「んー、まぁ、そうすっか?」
三池とミアルの言葉に応える様に、場の空気が変わった。
「よしゃっ。いこか!」
芽衣に促され、楽器を持つ者達は頷いた。
そこから先に言葉は無い。ドラム担当の伊藤の合図を皮切りに、四人はついに演奏を始めた。
三池にとっても聴き慣れた四小節のイントロ。
円のギターが和音を鳴らし、伊藤のドラムが助走をつける様にリズムを刻み、霧山の8ビートのベース音が曲として必要な厚みを持たせながら、全体を包み込んでいく。原曲には無い芽衣のキーボードは距離を取る様に、それでいて耳に心地良く、旋律の向こうから絡んできた。
ズコーとコケる用意までしていた三池は、その彼等の演奏に度肝を抜かれた。
勿論、クオリティそのものは決して高くは無い。ミスは多いし、明らかにテンポが狂っている箇所も複数あった。それでも、曲を楽しむうえで必要な最低限の”音楽”の体は既に成しており、これなら或いは文化祭までに一曲やり切る事も不可能では無い様に思えた。
(アウトロ前の間奏……ここで、ボーカルが最後の一フレーズ。んで、終わり)
誰が測っていたわけでは無いが、三分五十九秒。本来のCD音源よりも二秒遅れて、演奏は終わった。
窓際で幽霊二人と共に演奏に聴き入っていた三池は、つかつかと皆の所へと歩いていき称賛の言を述べようとした。
すると、
「ゃっべぇええええ!」
「完走したぁあああ!」
「はじめてだぁああ!」
「やっとだな…………」
円、伊藤、芽衣、霧山の叫びを聞き、三池は絶望した。
三池達のやり取りが聞こえる部屋へと差し込む自然光が、そこから続く廊下にまで光沢をもたらしている。ポリッシャーでよく磨かれた床からまばらな反射光が一組の男女を見上げていた。
廊下には節電の為か一つとして照明が点けられておらず、奥に薄っすらと見える鉄扉の辺りに至っては夜の様に暗い。二人の施設関係者は、闇に溶け込みそうになりながらもお互いに向き合って、何事か話している様だった。
どちらも三池達よりも年上で、大人である。
薄暗い通路の暗がりを楽しむ様に、矢是は部下に軽妙な口ぶりで言った。
「いいねぇいいねぇ。青春だねぇ」
話しかけられた女性は二十代前半。矢是に対して臆する風でも無く、話し慣れた口調でこう返した。
「矢是さんってば、毎度毎度こうしてしっかり見守ってらっしゃるのに”上手くなった?”は無いでしょう」
「まぁ社交辞令だよ。気になるじゃない、ウチの息子と繋がりがあったとはいえ、わざわざ頼み込んできたんだよ? 学祭でバンドやるから練習させてくれーって。今時あんな行動力のある子はそう多くは無いし、気にならないわけがないじゃん」
兎に角この矢是という男が彼等にかなり感情移入しているという事だけは解ったその部下は、話の方向を無関係な方にぶん投げる。
「……恋とか、芽生えないんですかねぇ」
「山口君は、自分の高校生時代を思い出しているのかい?」
「いいえー、そういう事ではないですよ?」
山口と呼ばれた女性は、胸に矢是と同じフォーマットのネームプレートを付けていた。
”ドラゴンゲート ゴルフ場事務担当 山口 蛍子”
「矢是さんの方こそ、こう、ご自分の学生時代を思い返されて懐かしいんじゃないですか?」
「あーいや、俺はバンド始めたのは社会人になってからだから」
「え、そうなんですか!?」
「こうやってプライベートに使える空間を作ってさぁ、わいわいやるのが夢だったんだよなぁ」
「……あの、矢是さん」
「うーん?」
「もし、差支えなければですけど……どうして辞めちゃったんですか? バンド」
矢是は、憔悴する事を自身に許さない経営者の顔で、淡々とその問いに対して答えた。
「辞めた……というよりねぇ、俺も含めてみんな忙しくって。いつの間にか集まらなくなっちゃった」
「ああ……」
「ははは、語るほどの辛い出来事でもあると思った?」
「あ……いえ」
山口が気まずそうにしていると、矢是は声を押し殺しつつも快活な笑顔を浮かべてこう言った。
「さあ、仕事に戻った戻った。あんまり盗み見るモンでもないだろう」
男は、懐かしむような、寂しく思うような、羨ましいような、そんな表情で闇に呑まれている鉄扉の方へと歩いて行った。




