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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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三毛猫ロック(1)

 虫も殺せない様な気弱な少年は、事ここに到っても弱音を吐かなかった。

 ”生徒指導の先生が日頃から言っているから”という理由で横の髪が耳に掛からない様に気をつけている彼の名は、斉藤君夫と言った。

 サラサラの髪のおかっぱ頭に、見るからに人の好さそうな優し気な眼をしている。


「ゆーすけ、てめぇガッチガチじゃねぇか」

 けらけらと笑う大男は、君夫と同じ竜王高校の三年生・円礼太(かどなしらいた)である。

 彼の一番の悩みは、自己紹介の時に逐一自分の名前の読み方を説明しなければならない事だ。毎度毎度これがどうにも面倒くさい。


 ゆーすけ、とは君夫のあだ名である。君夫の君でyou。すけは命名した先輩の女子が適当にくっつけた。

 君夫は、さっきからずっと自分の足元を見つめている。見慣れた上履きに守られた足と、ぱっと見にも触れ幅一センチ以上で震える脚を、どうしても視界から外す事ができないでいるのだ。


 とてもとても正面など向ける状態ではない君夫だが、前方に円の他にも数名の気配を感じてはいる。

 その場には、円と君夫の他に、もう三人居る。

「校長、なんて言うかなぁ」

 その三人のうちの一人。その場唯一の女子が、誰に問うともなしに呟いた。

 他の二人は、黙している。

「それ言うなら教頭だろ、やべぇのは」

「まぁそうなんだけど」

 円に指摘され、女子はやや食い気味に返事する。


 ここまでで口を開いていないもう二人の方は、やはり尚も黙している。

「おい、てめぇらさっきから何でそんな静かなんだよ、腹でも痛ぇのか? やっぱやめるか?」

 黙していたうちの一人は、ゆっくりと円に振り返る。

 その口元が、ニタリと歪んでいた。

 ニタリ。まったく、本当にそう音が聞こえてきそうな顔をしている。


* * *


 やっと学校が終わった。校門前を横切る道路に、帰宅する生徒がちらほらと見て取れる。

 その数がそう多くないのは、夫々の部活が終わる時間がまちまちだからである。

 部活帰りの生徒達は、まっすぐ家に帰る者もあれば、学校のすぐ下の商店で買い食いして帰る者、ショッピングモールのゲームコーナーで出会いを求めてゲームで時間を潰す者など、様々である。


 三池(みけ)はそれらのうち、商店で買い食いして帰る者に該当する。今日もまた安いスナック菓子を一袋手に取り、会計を済ませたところだ。

 三池と言えば、竜王市立竜王高校近辺では名の知れた不良高校生である。

 大体いつも黒地に白の二本線の入ったジャージを着ており、オレンジに染めた首まである髪も相まって、見掛けた者の記憶に残り易い。名の知れた、というのはそういう事情もあるのだろう。


 大男を刺し殺してしまいそうな鋭い眼光。そして、それには到底そぐわない、細いくせにやたらと筋肉質な体つき。

 初めて見た者が、むこう三日間は事あるごとに嫌でも思い出してしまいそうな、刺々しいオーラを放つその竜王高の三年生に対して、大抵の人間は”なんだこいつ”という第一印象を持つ。


「こんのチビ介…」

 幾つかある特徴から、三池を罵る言葉に小柄である事が絡められる割合は中々多い。

 それは多分、”この野郎、解り易い不良の格好しやがって。喧嘩すりゃぁてめぇなんざ一発でぶっとばせんだぞオラ”、だとか、そういう意味がこめられた言葉なのだろう。


「っせえよいいから帰れや」

 小柄な体型から発せられた声は高く、カラオケに行った時など、女声ボーカルの歌でも楽に唄えそうな音域だった。

 が、その語調はきわめて荒荒しく、眼光とあわせて相手を声だけで撃ち殺せそうな迫力をしている。


「てめぇに関係ねーだろが!!」

 ばん、とカウンターを叩いて吼えたのは、三池と対峙して久しい男子生徒。三池とは対照的に背が高く、見るからにガタイもいい。彼もまた、その口の悪さから不良と呼ばれる種類の生き物だと見て取れる。


 短髪でごつっとした角ばった形の顔に、特徴的な大きな眼が不動明王の像の様に相手を威圧している。彼が身につけているのは所謂学ランで、上から第二ボタンまで外し、中からは白いシャツが覗いて見えている。


 学校前の坂を下ってすぐの所にある駄菓子屋兼酒屋である【どらや】ではタバコも売っており、時折生徒がそれを万引きしては問題になっている。度々駄菓子も万引きの対象になり、店主は学校に何度も相談の連絡を入れてはいるのだが、どうにも下品で分別を弁えない悪ガキ共の犯罪が収まる気配は無い。


 だが、それでも店主には店主なりの正義があるのである。

 学校のすぐ下でタバコを売っているのはなにもこういった事態を誘発したいからではなく、単にこの近辺が住宅地であり、それなりの需要があるからである。また、竜王高校の校則で別段買い食いは禁止されても居ないし――店主はわざわざ確認したそうだ――、”駄菓子ではない方の品”を子供が手に取ったら、そいつがどんなにいかつい風体でも販売する事は断じて無い。なんなら、自分から警察に通報して事を大きくしてやろうとさえ思っている。


 今回、この【どらや】が高校生同士の喧嘩の場になったのは他でもない、この正義と生徒側のわがままの対立が原因であった。

 細かい赤系統のモザイク柄が五十センチ四方ほどのタイルになって敷き詰められた床に、四畳半程の狭く窓が無い店先。こじんまりとした佇まいに対し、カウンターを叩いた生徒は百七十五センチは超えていて、随分不釣合いである。


 机を叩いたそのガタイの良い生徒は、名前を(かどなし)と言った。

「別に万引きしようとかしてねーし、俺が吸うわけでもねーし、親父に頼まれただけだぞ? ほらおめぇ関係ねーだろうが」

「おやっさんが迷惑してんだろがアホ! ぶっとばすぞ!」

 小柄――数字にすれば百五十センチも無い――三池は、そんな円に相対して尚、微塵も臆する事無く言い返す。

 おやっさん、というのはこの駄菓子屋の店主であり、今正にカウンターの向こうに立ってやり取りに口を挟むタイミングを見計らっている男の事である。身長百七十センチ前後、白髪交じりの丸刈り、優しそうな顔をしているが、周りに流されるタイプではなさそうなしっかり者なのが顔立ちに滲み出ている。


 初老を過ぎた辺りの店主の声が、

「菓子なら売るが――」

 と、何か言いかけた所で、それが耳に入っていない様子の円が、三池の腕をつかんでその本体ごと店の外へと乱暴に引っ張り出した。

 それに抵抗する様子も無く、黙って店の外に出される三池。


 自分も外に出てきた円がいらいらした風に口を開く。

「てめぇアレだろ、そんな解りやすい格好してっからどいつもこいつもビビって避けてんだろ」

 何が言いたいのか計りかねる三池は不機嫌そうに、

「あ?」

 と声を上げた。


「一回痛い目ぇ見ねえと解らねんだろ? いいよ喧嘩しようぜ。てめぇが勝ったら何でも言う事聞いてやんよ」

 ”いきなり何言ってんだこいつ”という気持ちを表情に出す三池と、声を荒げて凄んでみせる円。気づけば、いつのまにやら集まっていたギャラリーが随分な数の人だかりになっていた。

(部活終わりに面白そうな見世物やってるなー)

 ギャラリーの大半は面白全部(・・)で二人を見守る。


「おいこら! 学校に連絡するぞ! そしてどっちが勝ってもガキにタバコは売らないからな!!」

 店主の至極全うな主張は、やはり円の耳には届いていない。

「あー、おい」

 三池は、右の手のひらを前に出して円に発言させろと要求する。

「ああ? 何だよ謝んのか? 今だったら――」

 という円の声を遮って三池は言う。


「言っとくけど、俺強ぇかんな?」


 それが合図であるかの如く、円は即座に三池の顔面に向かって右の拳を振り上げる。

 何の合図も開始の宣言も無く、というのは喧嘩の始まり方としてはそう珍しく無いのだろう。だが、頭に血が上った円がでかい図体ひっさげて、全力を込めた握り拳で小柄な三池に唐突に殴りかかる様は中々にダサい眺めではあった。


 勝負は一瞬だった。

 円の振りかぶった拳が彼自身の右肩を通過する頃、三池の頭は既に円の懐手前に潜りこんでいた。

 体重をかけた円の右ストレートに対し、気持ちが良いくらいにタイミングの合ったカウンターが彼の顔面に叩き込まれた。


 ギャラリーがおおーと歓声を上げる。見世物の様なその場の空気の所為だろう、誰一人として悲鳴を上げる者はいなかった。


 ふら付く暇も無く、身体の制御を失った円の身体が地面に崩れ落ちる。

 全く受身も取らない格好で顔から倒れこんだ円を見て、三池は小さく「やべっ」と口に出したがもう遅い。三池は、足元で喉から変な音を出している円に手を差し伸べるでもなく、その場からそそくさと立ち去るでもなく、ぼりぼりと頭をかきながらギャラリーの誰かが救急車を呼ぶ声をただただ聞いていた。



 翌日の午前中はあっと言う間に過ぎ去った。

 三池はいつも通りに登校し、いつも通りに授業中に居眠りし、いつも通りに購買部で昼飯のクリーム入りチョコパンを買い、校舎裏に向かった。


 実のところ、三池にとって喧嘩事は日常茶飯事であったし、誰かを殴って気を失わせた事など数数え切れない経験であった。

 ”俺の不良っぽいカッコにビビって近寄って来ねぇだと? そんなもん、人殴った事無ぇ奴くらいだろ。この華奢ぇ見た目にビビって殴るの止める奴なんて見た事無えよ。俺がどんだけ喧嘩ふっかけられてると思ってんだ”と、三池はそう円に主張したいのだ。

 兎に角、要するに。三池が昨日の一件の所為で精神的に不安定になり、普段の生活に何か支障が出る事も無かったのだった。


 そんなこと(・・・・・)より三池にとって重要なのは、去年度まで使っていたお気に入りの食事の場所がここ最近使えないでいる事である。

 三年生に進級した時点までは、三池の昼飯の場所は屋上と決まっており、比較的生徒が少ないその場所でいつも一人で昼飯を食べていた。しかし、今年度からは屋上に続くドアが閉鎖され、昼休みにのんびり時間を潰せる場所がひとつ失われてしまったのだ。

 長い長い一日の、一時(ひととき)のオアシスよ戻って来い。ろくに真面目に授業を受けているわけでもない三池はそう思うのだった。


 そういう事情があっての、仕方なくのこの校舎裏での食事である。

 竜王高校の校舎裏は錆び付いたフェンス一つ挟んで雑木林と隣接しており、日当たりも悪く、なんなら森林浴でもできそうなじめっとした場所だった。

 お陰で屋上で昼飯を食べていた頃にちらほら居た三池以外の生徒は、今や三池の周囲に誰一人として居ない状態ではある。野暮を承知で捕捉するなら、それほどまでに食事に適さない寂れて湿気だらけの場所、という意味だ。


 校舎の壁に寄りかかり、立ったままクリーム入りチョコパンに噛り付く三池。

 なんとなく、昨日の放課後にあった事を思い出してみた。

 昨日三池が取った行動は、ギャラリーによる報告のお陰で身を守ろうとした事によるものだと認められ、結果的に担任から”あまりトラブルに首を突っ込むな”と窘められただけで済んだ。


 結局、昨日のあの一撃以降、円とは全く口を聞いていない。というか、言葉を交わすタイミング自体が無かった。救急車に同乗したのは当然三池ではなく彼の担任の教員だったし、そもそも意識があるのか無いのか良く解らない状態の円とマトモに会話する事は出来そうもなかったのだ。


(……とっとと食って、部室にでも行こう)

 一通り回想しつくた三池が、そんな事を思った時だった。

 コツ、コツと上履きがコンクリートと接する時の足音が聞こえてきた。三池は直感的にその足音の主を察する。

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