そこに垣間見えたもの(4)
だが、天才は天才である。
「せんぱぁあい!」
陽はけやきの手の位置と角度を見極め、最適なお玉の渡し方を脳内でシミュレートする。けやきにより差し出された掌は、小指の付け根から指先にかけての角度を見る限り、四十五度。陽が持つお玉の柄は、当然それに合わせて傾けさせてやればいいわけである。ただし、この時に注意しなければならないのがお玉の向きである。罷り間違って掬う方をけやき側にして渡したりなどすれば、ピンポン玉は容赦なく転げ落ちるだろう。だから、お玉の背側をけやき側に向けて差し出すべきなのだ。その後、受け取ったけやきはお玉を自分の前方に持ってくる際に改めて向きを反転させなければ持ち手が逆の状態になってしまう点にも注意を払うべきだろう。
要するに。角度のつけ具合が重要なのである。
以上、陽の脳内でのシミュレーションは三秒かからずに完了した。
「任せろ! スピード優先!」
前方で待機しているけやきにそう言われ、ショウはさらに脚に力を加える。ピンポン玉が零れる事は無く、陽の手にしていたお玉は無事にけやきへと繋がれた。
『けやき、とばすぞ。さすがに本職相手だとバランスの事まで考えていられない』
『ああ、ガイ。私の事は気にせず全力で行け!!』
『応ッ!』
けやきは渡されたお玉を空中へと軽く放り、その隙に手首を反転させる事でお玉の持ち手を変えた。
龍球の県大会の場でも通用するガイの脚力である。平均台で一人を抜き、ハードルが並ぶエリアではもう一人を軽々と抜き去った。
かくして一位を獲得した竜術部は、最終コーナーに差し掛かる。
その時だった。
もはや後は独走するのみだと思われたところで、その者はけやきとガイのすぐ後方へと姿を現したのである。
「直家ッ!!」
「樫屋。悪いが、ここは俺が勝たせてもらうぞ」
いつから後ろに着けていたのだろう。リンに跨った直家は意とも容易くけやきとガイへの並走を開始した。
ガイとリンも二言三言をかわす。
『リンお前、いつからそこに!』
『てやんでぃ、ウチの好青年はどうあっても石崎の姉ちゃんにいいトコ見せてえんでな、手加減はしないぜぃ』
「それがお前の、目論見かァあ!」
けやきの叫びに呼応する様にガイが速度を上げるが、リンはすぐさまそれに追いついた。
『く、お前いつの間にそんな脚力……を?』
ガイはその時、リンの速度の理由を目の当たりにした。
『お前ッ!』
見れば、リンは羽根をばたっばたっと羽ばたかせている。その足元はたまに浮き上がり、地面を蹴っては小さなジャンプを繰り返していた。
『飛ぶなァなんてルールは無いんでなぁ!』
リンはその一言を切っ掛けに開き直ったかの様に――否。完全に開き直って――羽根へとより一層の力を籠め始めた。
ばたっばたっばたっ
完全に上昇し、最終コーナーを曲がり切ってみせるリン。
「おいいいい!」
会場がまたもや爆笑と突っ込みの声に包まれた。中には腹を抱えて息が苦しくなる者まで居る始末だ。もうここまでくると、不快感を表す教員すらいない。放送部に至っては調子に乗って好き勝手な実況を始めている。
リンとガイの空中戦は上空十メートルを超え、沸く会場の声援を後押しに、意味も無くトラックの中央へと躍り出る。
リンが輪を描き一回転すれば、ガイはそれと全く同じ軌跡を描いて追従する。
リンが急降下を始めれば、ガイはそれに並んでチキンレースの様に地上すれすれで再上昇する。
とうに野球部とバスケット部がゴールし、続く他の運動部や、文化部までもがレースを終えていく。
ただ、誰もそんなものに視線をやってすらいなかった。
舞い踊るかの如く、戯れるかの如く。空中で飛び交う二頭のドラゴンと一組の男女に誰もが見とれていた。
石崎は誰にも気づかれない程小さな声で、呟く。
「いいな……」
恐るべきは、ドラゴンに跨る二人であった。
どちらも、これほどの動きを繰り返すドラゴンの上にありながらもお玉の上からピンポン玉を落としてはいない。
最後尾の美術部がゴールインしたのを合図にした様に、直家はいよいよゴールラインの方へと手綱を引いた。
ゴールラインの跨ぎ方が逆であるが、誰もそこには突っ込まない。
リンが先か、追い上げるガイが先か。それを見逃すまいと、観客一同、参加者一同は目を凝らして刺す様に見つめた。
*
「まあまあまあまあまあ、結果オーライじゃないっスか! ね!」
山野手は、必死だった。
体育祭は、大方の予想通り紅組の圧勝という形で幕を閉じた。
だが、今こうして部室横の中庭に集合した面々としては、そんなことはどうでもいいのである。
当然、部内での紅白の組み分けは割れていたし、そもそも体育祭の勝敗などというものはスケールが大きすぎて勝ちだの負けだのという実感が沸かない物である。
山野手が必死になっている理由であると同時に、部内の多くの者がどうでもいいで片づけられないでいる論点は、あの放送の事である。
「坂、誰がウケを狙えといった?」
けやきが鬼をも委縮させそうな眼で坂を睨んでそう言った。
部室内では無く竜小屋の前で部員総出で集まっているのは、隣接する家の二階から長谷部と成哉がミーティングンに文字通り顔を出しているからである。
「面白かったし、素敵じゃないかしら」
窓から坂をフォローしてやる長谷部だったが、いかんせん物理的な立ち位置の高さから”高みの見物”という語を誰もが連想せずにはいられなかった。
彼女の話し方が当初のお上品なものに戻っているのは実はキャンプの時からで、なんでも本人が言うには”普通の主婦にもどります”との事だった。
坂は、怯え切った顔を引きつらせてこの期に及んでこんな事をけやきに尋ねた。
「だ、だめで……した?」
けやきは坂との間にあった二メートルを無言で詰めて、何をするつもりなのか、その両手を彼の首筋に伸ばそうとしたところで部員達の群に止められた。ある者はけやきの腕を三人がかりで引き留めて、ある者は坂を身を挺して守ろうとしている。
ドラゴン達はと言えば、シキは呆れ、レインはいまいちピンときていない様子で、ショウは面白そうにけやきの方をみつめている。
そしてガイは、
『嫌、だったか……?』
けやきの横に立ち、そう尋ねた。
けやきは即座に腕から力を抜き、ガイの方へと向き直る。
彼女の腕を支えていた石崎と良明が勢い余って、力を加えていた方向へとバランスを崩した。
ガイはもう一度きちんと言い直そうとした。
『俺と、恋仲であると言われた事が、い――――』
「ガイ」
けやきは、途轍もなく複雑そうにガイの赤い眼を見つめてこう言った。
その声は花の様に儚げで、泉の様に澄んでいた。
「その質問は、ずるいだろう…………」
自身の中の気まずさメーターが振り切れる寸前の良明と、けやきの対応の愛らしさに内心悶える陽である。
石崎はここぞとばかりに話をまとめにかかる。
「はーいみんな撤収ねー、部室の中に集合して反省会の続きをやろー、長谷部さん成哉君、今日はどうもお騒がせ様でしたぁー」
口々に「またね」だとか「ばいばい」だとか言って返す長谷部と成哉をしり目にかけて、けやきとガイと坂以外の部員は部室へと帰って行った。
坂は、けやきとガイが作り出した沈黙の沼に取り残されて身じろぎ一つ許されない状態が続いている。
「まぁ結果として良かったんじゃないの?」
円卓につくなり、石崎はそうのたまった。けやきと並び名指しで恥ずかしい紹介をされるに至った良明や陽を前にして、である。尤も、けやきが遭った目に比べれば彼等が”愛くるしくて”などと形容された事は些事に過ぎず、相手が先輩達である事を考えれば、良明や陽は抗議するにできなかった。
さすがの石崎もそこまでを計算に入れて兄妹の不服を黙殺しようとしているわけではなかったが、結果的にやろうとしている事は同じだった。
彼女は話を進める事にした。
「元々、一位を取る目的は部の宣伝だったわけ。それを考えれば、あの入場の時のアナウンスである意味目的は達してたってことで」
「ささやかな犠牲を払って」
ぼそりと山野手が言うと一同はどっと笑いだして、誰からともなく中庭のけやき達が聞き耳を立てていないか確認した。
「まぁ、でもラストの直家とリンとの勝負のくだりも部の宣伝っていう事で考えれば決して悪くなかったし、今回の計画は山野手の言う通り、結果オーライっていう総評でいいでしょうよ、うん……」
山野手は少しくすぐったそうにはにかんだ。
良明と陽は、この時不意に部屋に妙な空気が立ち込めたのを感じた。
というよりも、より具体的に言うならばそれは沈黙であった。
多くの者が何かを悟った様に押し黙り、石崎の発言を最後に誰も新たな話題を提供したり、石崎にその先を促そうとはしないのである。
戸惑う良明と陽を見て踏ん切りをつけるかの如く、石崎は「さて」と言った。
その眼は寂し気で、悲しげで、それ以外を感じ取れない色をしていた。
彼女が外へと視線を向けると、窓際にはけやきと坂とガイの姿。部室へ戻ろうと、入り口へと歩を進めている最中だった。
ただ黙って彼等二人と一頭の入室と着席を待つ一同。
その意味が解らず戸惑っているのは、兄妹とレインの三名である。
「あ、あの……」
「あ、あの……」
恐る恐る発した双子の声が揃ったのを聞いて、石崎はふうとため息を一つついた。そして、何かを割り切った様な作り笑いで並んで座る二人と一頭に向かってこう言った。
「次は、文化祭だよ」
その言葉の意味を、彼等はすぐに理解した。
今この場に集う竜術部のメンバーで行う最後のイベント・大虎祭。
それは竜術部の三年生達が引退を飾る日でもあり、一、二年生とドラゴンにとっては一つの別れを経験する事になる日。
そんな事、とうの昔にみんな解っていたはずである。
なのに、今の今まで一度としてそれがこんなにも恐ろしい事だと認識した事がなかった。恐らくこれは、秋の二大イベントであるうちの一つ・体育祭が終わった事による実感だった。
荒涼感満載なこのボロボロの部室にさらに追い打ちをかける様な現実が、双子とドラゴン達に突き付けられようとしている事に、今やっと彼等は気づいたのである。




