竜の里(3)
「霧山!」
「ああ!」
走り気味のドラムが、西日に照らされる客達のボルテージを高めていく。
三池と霧山にとってはこのスリーピースバンドの曲を聴く為に今ここに居ると言っても過言ではない。
今回のフェスの為に集まったメジャー歌手達に混ざり、地元のインディーズバンドの代表として招待されたそのバンドの名は、ユークリッドと言った。
他のバンドにも全く引けを取らないギター、絶唱する様に主張してくる癖に耳に煩い印象を与えないベース。客達のうちユークリッドを知らない者達は、曲が始まって短いイントロが過ぎ、ボーカルが歌い初めて五秒程でその旨みだけを抽出した様な旋律にざわつき始めた。
良明や陽もその中の二人で、三池は彼等が自分達と同じ楽しさを共有していると見るや否や、そのか細いくせに筋張った手を差し出すのだった。
双子はぱあっと明るく笑顔を咲かせ、三池に手を引かれるままにステージへとずいずいと進んで行く。霧山は、あくまで”仕方なく”というオーラを纏いながら彼女等に続いた。
三池や兄妹だけではない。客の群全体が、うねる様にステージへと詰め寄りつつあった。これは、ここまでのどのグループが唄い始めた時にも発生しなかった現象である。それは見方によっては他のメジャー歌手達に対して残酷な現実を突き付けている光景ですらあったが、客達の勢いは最早誰にも止められないし、それをしようとする事すら憚られた。
なにせ、彼等は純粋に音楽を楽しもうとしているだけなのである。
Cメロ前の間奏で、良明と陽は三池に貰ったタオルで汗を拭いながらこう思わずにはいられなかった。
(ああ、本当にふっさんの奴来ればよかったのに)
(後は最後のサビだけかあ、もっと聴きたいなぁ)
幸福感を凝縮した様な三分五十八秒はあっという間に終わり、ユークリッドはただ二言三言コメントしただけで舞台を下がって行ってしまった。
その時の三池の謎のどや顔の意味を、兄妹は瞬時に理解する。だから、彼女が二人に問いかけをするより前に、彼等は声を揃えてこう答えたのである。
「はい、すっごい楽しかったです!」
「はい、すっごい楽しかったです!」
何がどう、と並べ立てる事すら野暮だった。そんな事は、今しがた繰り広げられた演奏と客による怒涛の盛り上がりを目の当たりにすれば言葉にするべくもない。この四分弱を共有した三池と兄妹の間には、確実に言葉が不要な意思の疎通が成立していた。
「よし、一旦戻るか」
「はい!」
「はい!」
次の演者が出てくるまでのインターバルに入ると、ステージ上のスクリーンでは参加アーティストのCD発売を告知するCMが流れ始めた。
「三池さん三池さん」
「三池さん三池さん」
双子は、三池の後をついて行きながら呼び止めた。
「おうどした、何か飲み物でも買ってくるか?」
「フェス、楽しいです!」
「フェス、楽しいです!」
人波の向こうに、けやき達が見え隠れしている。その誰もがなんだか子供達に同伴してきている親の様な顔をして自分達を見ているが、きにしない。
良明と陽に対し、三池はかっかっと笑って嬉しそうに「そうか」と応えた。
段に敷いたブルーシートに腰を下ろしている石崎は、「あんたらどんな体力してんの」と言って呆れた。
無理も無い。開演は午後十二時半。普段鍛えていない者が直射日光を浴びながら立ち続けるにはさすがに過酷な環境である。イベント自体に飽きているというわけではなかったが、グループが入れ替わる毎に入るインターバルではこうして腰を下ろす客も多かった。
けやきは、昨日からさほど会話していない竜王高校の面々と会話をしていた。
普段の三池の様子やら彼女が繰り広げてきた戦いの日々について、同居人幽霊のトオルの事について、反対に英田兄妹の事を語って聞かせたりもしている。
それもこれも、今日三池がこのイベントに大虎高校の面々を誘わなければ無かった交流ではあったが、そもそもけやきと三池という二者が同じ龍球大会という舞台に立った時点でここまでの流れは必然だったのかもしれない。
けやきは、今一度この出会いに素直な感謝の念を抱かずにはいられなかった。
かつて、恣意的にトーナメント表が改竄されているのではないかと口にしたけやきだったが、今この瞬間は心のどこかでその犯人に感謝の念すら覚えている程だ。
フェスは続いた。
日が暮れ、ステージのライトが客達の顔をオレンジに染め上げる。そしてバラードが始まると、彼等はタオルを揺らして大音量に相反するゆったりとした曲のリズムに身体を預けた。
月が見降ろし、ステージの照明が最小限に抑えられた中で奏でられる曲は、ジャンルがごった煮となっているこのフェスの総まとめの様に穏やかであり荘厳で、だからこそ、やがて訪れるイベントの終わりを客達に意識させていくのである。
そんな聴く側の切ない心理を想定しての設計だろう。締めの曲は力強さと安心感が同居するミドルナンバーだった。
誰もが日中の喧騒を忘れ、最後の一曲に身と心を委ねる。
幸福感による充足に心が満たされて行くのを感じながら、良明と陽は生まれて初めての音楽フェスを曲を背景に振り返っていった。
最後の曲が終わり、会場には最寄の駅までのシャトルバスを案内する放送が流れ始めた。
帰り支度を進めていた伊藤の手が、ふと止まったのを見て円は彼女の横顔を窺った。
「どうした?」
「円さ、三池にゅんにあの事まだ話してないよね?」
「ん? あ、ああ」
「私凄い事思いついちゃったかも」
「なんだよ藪から棒に」
「いやー、でっもなぁ……無理かなぁ……」
「だからなんだよ?」
伊藤は、けやきの元へと歩いていく。
今ここで切り出さなければ、たぶんもう提案するタイミングは無い。
この竜の里で生産される寝床用の干し草は、島の主要産業である。
【孤竜草】ブランドの干し草は、弾力と強度を併せ持つ。これは人間界で生活するドラゴン達にとって大きなメリットとなりうる特徴である。
干し草と言うのは元来、敷けば散らかる。掃除をする時などは部屋から細かいくずをすべて取り払う事になるのだが、この時の手間と言ったらない。ほうきで部屋の隅を奥から手前になぞる様に掃き、理想を言うならいったん部屋から古い草を完全に取り払う必要がある。
そこで開発されたのが強度がある草を干す事で細かいくずを極力出さないタイプの干し草なのであるが、これは干し草が本来有するべき弾力性能を著しく損なう結果となった。寝心地が悪い。
【孤竜草】は、そこにもうひと手間を加える。
一度干したこの高強度を持つタイプを湯煎したうえで天日で一週間干し、改めて機械で揉み込むという工程を加えたのである。
手間とコストを惜しまず品質のみを追及した結果、【孤竜草】は極上の品質をブランドの名と共に全国に広める事となった。
消費者である諸ドラゴンにとってつらいところは、この手間とコスト故に生産量が他のブランドに対して極端に少なく、価格が一ロールニ万円を超えるという点である。
通常の干し草の価格が千円~五千円程という事を考えると、かなりの価格の隔たりといえるだろう。
今日、シキがこの宿を選んだのは、オプションでこの【孤竜草】を五千円程でオーダー出来るからである。
レインは部屋に入るなり、天井に頭をぶつけそうな勢いで羽根をばたつかせてジャンプすると、そのまま中途半端な放物線を描いて干し草の上へとダイブした。
四方と床天井は勿論。チェスト、ベッド、椅子やテーブルに至るまですべてが木製の部屋で、無機物と言えばテレビとドアノブと照明器具くらいのものだろう。窓に当たる部分もやはり木で出来ており、本来ならガラスがはまっていそうな部分は雨戸つきの格子になっている。
「きゃ~ぁ」
気持ちよさそうに干し草に顔を埋めるレインはずぶずぶとそれへと身体を埋めていきながら、やがて羽根だけを草の間からぴーんと伸ばした。
”干し草に羽が生えたモンスター”の様になっている彼女を窘める様に、ショウは言った。
『ほら、はしゃぐのはいいけど夕食の時間に遅れないでね?』
『はーい!』
頭を生やした干し草モンスターが元気に返事した。
パタリと扉を閉じてショウが部屋から去っていくと、レインはもう一度干し草の中へと頭を埋めた。
『……どんな竜なんだろう。里長さん』
レインの空元気は、尽きていた。
彼女が不安な色を隠していたのは、ショウをはじめとした仲間に深くを追及されたくはないから。その先に待つ残酷すぎる真実を皆に伝える事など、レインには出来ないからである。
だが、こうも彼女は思うのだ。
(私がすべてを覚悟して洗いざらいぶちまけることの方が、みんなに対してまだ誠意があるのかもしれない……)
『類さぁん! お電話でぇす!!』
『誰から? ガルーダイーター関係なら手が離せないって伝えてー』
ルイと呼ばれたドラゴンは、直径二メートル程の切り株を加工して作られた机の上の書類を紙揃えしながら部下に返事した。
側には高さ一メートル程の書類の山。それが、合計七つ程。
三種類の判と二種類の朱肉が左手に、右手にはドラゴンでも扱いやすい形をした電話が置いてある。ルイは書類の山の一番上から一枚を取り、二十行程の文面を速読で把握して押すべき判を手探りで手に取った。
六畳程の部屋のドアを開けて中を覗き込んでいた部下は、ルイの赤い眼を見てこう言った。
『それが、どうも個人さんらしいんですよ』
『はいはいはい? この忙しい時に個人さんですとぉ?』
トン。と、判を押す。
『シキさんと仰る方が、なんでも”件の事に関わりがあるかもしれないドラゴンを連れて来た”んだそうで……』
ぴたり。次の書類を取ろうとしていたルイの手が止まった。
『民君さ、そのドラさん、別の名前も名乗ってなかった?』
『別の名前……ですか?』
ミンは、自分も忙しいのであまり余分な会話はしたくないと言った口調でルイにそう返す。
『ああ、いや。名乗って無かったならまあいいんだ』
『内線取るよ、ありがとう』
『はーい』
ミンが部屋を出ていき、執務室のドアが閉まる音をその耳でしっかりと聞いた上で、ルイは受話器を取った。彼は、努めていつも通りの口調を取り繕う。
『もしもし初めましてー、【通竜島】里長ルイですー』




