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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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決断(3)

 当然の事である。

 レインは、あくまで緊急措置として竜術部に居場所を置かせてもらう事になったのである。彼女の生活の安定を考えるならば、今にも潰れそうな大虎高校竜術部に身を寄せるという選択は決して最適解ではないのだ。


 試合に勝って県大会で結果を残さなければ、竜一頭の生き方と竜術部の今後に係わる。

 頭の中ではっきりと直視した事実に、瞬間、良明の精神は押し潰されそうになった。だがそれでもはっきりと自分の意思を述べた上での苦境である。もはや良明には逃げる事は許されないし、逃げたいとも思わなかった。


 けやきとの出会い、竜術部への勧誘、レインとの遭遇。良明は、ここまで行き当たりばったりで様々な事に直面してきた。

 だが、ここにきて、今この瞬間、漸く自身がやるべき事を能動的に捉えられた気がしたのだ。


(俺は、今目の前の画面の中に広がっている戦場で戦い、勝ち抜かなければならない)

 今の自分にはとてもとてもやれる事ではないが、それでもやれるようにならなければならない。

 賭けるものは部活一つ、竜一頭の人生と、自分自身へのけじめ。対して良明自信が得られる物など、たかが知れている様に思われた。

 それでも、である。


 不安げな表情を浮かべる英田兄妹を見ると、けやきは「よし、着替えろ」と一言。中庭へと歩いていってしまった。レインの表情がぱぁっと明るくなり、鴨の子の様にけやきとガイの後ろをついていく。


 良明は、自分の心境に気づいた今、今一度この場で陽に問わずにはいられなかった。

「陽さ、お前本当にいいのか? これから先、本当に本当に大変だと思うんだけど、解ってる?」

 陽は、兄の眼をまっすぐに見据えた。

「解ってる。竜術部やレインがやばいって事も、この先すっごい大変だって事も、アキがそろそろそうやって訊いてくるだろうって事も解ってたよ」


 陽は軽快に椅子から立ち上がり、兄の顔を見下ろした。

「あの日、一緒にレインを助けたんじゃん。竜術部に助けを求めるって言い出したのはアキだけどさ、私だけ楽しようなんて思わないよ」

 良明は考える。

 自分が彼女の立場なら、こんな面倒で、さして得も無い事など絶対に首を突っ込まない。レインを救う代案など思い浮かばなかっただろうが、竜術部への入部は頑なに拒否したと思う。断言できる。


 反対に、陽が今の自分の立場だったとして、こいつはその事を薄情だなどと思わない筈だ。自分だって、もしも今彼女が”やっぱり竜術部には入らない”と言っても、”そりゃそうだ”で終わる。後腐れなど一切無いし、それを陽も解っているはずだ。


 それでも彼女は、律儀にもこの戦いに身を投じると言っている。この茨の道をあえて一緒に走りぬくと言っている。

「まぁ、私にもさ。出来の悪い兄に付き合う理由が色々とあるとですよ」

 どこかの方言を絡めて茶化した陽の言葉は、それでも良明にほんの些細な納得をもたらした。


 付き合う理由は在る。と。

 そういえば、つい最近もこんな風に壁を作って何かを教えてくれなかった事があった気がする。

(たぶん、どうでもいい事だったとは思うけど……)

 良明は、それ以上詮索せずにロッカーへと向かった。


「さて」

 中庭には、けやきとガイが並んで立っている。さらに、対面する形で良明とレイン、陽とショウが組になってけやきの指示を待っていた。

「夫々、ドラゴンと人との組を、龍球用語で”ユニット”と呼ぶ」

 三組のユニットは、コートの中央線をまたぐ形で立ち、新入部員二人は緊張した面持ちで部長の話に耳を傾ける。


「昨日からの基礎トレーニングはいい加減にこの辺りにしておこう。これから、お前達には試合で必須のスキルを身につけてもらう」

 けやきは、ボールを陽に投げて渡した。

 陽は胸の前ど真ん中に来たボールを容易くキャッチするが、勿論それはけやきのコントロールが完璧なおかげである。


「そのボールを私に投げて返せ」

「あ、はい!」

 陽は両手で固定していたボールを前方に突き出す様にして、けやきに投げ返す。

 けやきは、今度はショウにボールを投げる。

 今しがた陽に投げた時とは異なり三メートル程上空に放られたボールを、軽く羽ばたいて高度を合わせたショウがキャッチした。そして着地よりも前にけやきに投げて返す。


 けやきは今度は良明に投げて渡しつつ、言葉を続ける。

「何の事はない。球技でよくあるパス回しの練習だ。私の投げ方を良く見て真似ろ」

 良明はけやきにボールを投げ返す。手元が狂って少し反れた位置にボールが行くが、けやきは腕を伸ばしてしっかとそれをつかみ取る。


「動きに関しては極力言葉を使わないで伝えるつもりだ」

 もう一度ショウにパス。

「余裕が出てきたらこういう風に何か喋りながらパスを出せ。実際の試合では、とっさに情報のやり取りをしながらの動きになる事が多い」

「はい」

「はい」

 戻ってきたボールをレインにパスするけやき。


 陽と良明には、話をしながらパスを出す様な余裕はとてもとてもまだ無い。中学校の体育の授業でやったサッカーのパス練習でさえ、まともに相手の所にボールが戻る確率は五割あればいい方だった。


 どちらかといえば運動音痴でさえあるそんな二人の動きを、実はけやきはじっくりと観察していた。

 二人にとって今日の部活は実用的な練習の初日であり、かなりの緊張状態にある。それは裏を返せば、集中しようとする意識が最も高い時期とも言え、難しい動作なら兎も角簡単な練習ではミスは起こり難い筈である。だが、どうも二人の動きを見ていると、運動が不得手なのは間違いなさそうに見受けられた。勿論、それは本人達から告げられ先刻承知の事実であったし、けやきの想定の範囲内の事ではあった。


「レイン、行くぞ」

「グァ!」

 けやきの投げたボールを、空中でしっかりと掴んで投げ返すレイン。

 何気ないその動作に、けやきは「ん」と小さく声を出した。

 実力のあるけやきだからこそ気がついた、ごく微妙な動きの特徴。自分に届くボールをしっかりと目線で追い、ボールの軌跡を確信した段階で既に腕をボールが来るであろう位置に構えて待機。

 レインの取ったその動作に、けやきはごくごく小さな素質の様な物を見出す。


 たまたまそういう風に見えただけかもしれないし、他の者達の動きを見て参考にしたのかもしれないが、レインは無駄の少ない動作でけやきのボールを受け取った様に見えた。

 瞬間、けやきはその感心を言葉にはせずにレインに視線を送る。

 ”よく見ているじゃあないか”と。


 多くのドラゴンは、そういった人間の声にしない声を聞き取ろうとする。それは、人間とのコミュニケーションにおいて口語を使えないからこそ根付いた習性である。

 レインはけやきの視線を受け止めたが、その表情は変わらなかった。変わらなかったが、実は内心してやったりと小躍りしていた。


 パス練習をそのまま十分程は続けただろうか、けやきは新参者の二人と一頭に告げる。

「よし、とりあえずここまでだ。こっちに来い」

 そう言ってけやきの後について歩いていくと、そこはゴールリングの麓。

(改めて見上げてみると、やたらと高く見えるな)

 新参者達は思った。


「見ての通り、何の防御も無い状態のゴールリングだ。地上からボールを投げて五球に一球入れられたら今日の目標クリアだ」

(成程、実際の試合ではこの高いゴールリングに、さらに相手選手の防御がつくのか)

(成程、実際の試合ではこの高いゴールリングに、さらに相手選手の防御がつくのか)

 双子の思考がシンクロし、一秒後には同じような苦い表情になった。


「まぁそうぞっとするな。五球に一球、一度でも入れば今日のゴール練習は終わりだ。今はそれだけが目標でいい」

 返事の言葉に「はい」と味気ない二文字を選んだ双子は、今一度高さ五百十八・一六センチあるゴールリングを見上げた。


「レイン、ショウ。お前達は反対側のリングで練習だ、ついて来い」

 そう言って連れて行かれた二頭を尻目にかけて、陽と良明は聳え立つゴールリングに立ち向かう前に目配せした。

(向こうチームに勝とうぜ)

(オーケーオーケー)


 気合を入れると、先陣を切って良明がボールを投げた。

 龍球用ボールが”ふわぁあ”となんともキレの無い放物線を描いてゴールリングへと近づいていく。リングの淵にすら当たらず、ゴールリングの向こうへとてんてんと音を立てて落下するボール。


「アキ下手すぎ、ちょっとみちょき」

 どこかの方言を絡めるのは妹のマイブームらしい。などと思いつつ良明は「お、おう」と場所を譲る。

 陽の放ったボールは勢いをつけ――良明の一投を見てそれを踏まえて強めに投げたのである――ゴールリングに近づいていく。

 ゴールリングよりも頭八つ分は高い位置を通り、ボールは遥か向こうへと旅立って行った。

「馬鹿ぢからー」

「うっしゃい!」


 双子が仲良く練習を開始した頃、反対側のコートではけやきが「ほう」と声を上げていた。

 レインの第一球。羽根を広げてバランスを取り、地上からゴールリングを見据えるその立ち姿は、随分と様になっていた。

 実際、ドラゴンが地上からボールを投げる際に羽根を広げるという動作は、安定性を高めるという意味で有効である。テレビか何かでそれを知っていたのだろう、レインはそれを実践し、視界の中央にゴールリングを捉えた。


 すっと息を吸い込み、両手でボールを投げたレイン。

 瞬間、けやきとショウは確信した。ゴールリングに、レインの放った第一球が入る事を。

「やるじゃないか、大したものだ」

 けやきにそう言われたレインは、嬉しそうに「グァ」と鳴いた。

『さぁショウ、ハードルが上がったな』

 見事ゴールリングを通過したボールを拾い上げてそう言ったのは、それまで沈黙を貫いていたガイである。


 心境は語るに及ばず。天を仰いだショウはガイからボールを受け取り、構えた。

 実際の所、地上からのシュートは熟練者でも必ず入れられるわけではない。第一球にして目標をクリアしたレインも、二球目、三球目がどうかは解らない。ガイがショウに緊張を煽る様な事を言ったのは、この練習が本来いくらか難しいという事をその場のレイン以外が解っているからこその冗談であった。



 双子が五球に一回をクリアできたのは、それから一時間弱程後の事だつた。

 それも、恐らくはまぐれ。もう一度やれと言われれば二時間かかるかもしれないし、案外またまぐれですぐにやれるかもしれない。

 つまり、何のコツも解らない状態でのクリアなのであった。


 が、けやきはそれも想定したうえでこの練習メニューを組み込んだのだ。

 ”素人でも届きそうな目標”があれば、ゲーム感覚でそれに取り組める。上手くいけば達成感を味わえるし、そうでなければ目標が難しすぎない以上はなんとかクリアしてみたいと思うものだ。上手くいった理由が解らなければそれが気になるだろうし、それは今後のモチベーションに繋がっていく。


 尤も、これらのどの理屈も、二人がこの先龍球をやっていく事が確定しているという前提あってこそ成り立つもので、これがただの体験入部ならば”なんだか難しそうだから他の部にしよう”で終わりかねない。

 実際、兄妹を見てみればその表情やちょっとした身体の動かし方で、不完全燃焼なもやもやとした気持ちがありありと伝わってくる様だった。彼等のこういう状態の事を、世間一般では”顔にそう書いている”と形容するのである。


「ふたりとも、何とかこなしたな。今日はそれで十分だ」

 さて、とけやきは本日最後のメニューを告げる。

 もしも、双子やレインがいとも容易く目標をこなしてしまった場合、ちょっとした達成感だけで今日の練習が完結してしまう。

 その場合明日以降の練習に繋げる引き(・・)が何かあった方がやりがいもあるだろう、と考えてけやきが今日の予定に組み込んだ最難関のオーダー。


「私とガイのユニットからボールを奪取しろ」

 双子は、「の」という良く解らない声を上げてけやきを見た。

 提示された目標の、あまりの無謀さに、瞬間やる気が消失しそうになる。

「勿論、そちらは二人でかかってきて構わない」

 けやきの補足を聞いて、今度は「え」と声を上げる二人。


 二対一。殴り合いの喧嘩だとか、テレビゲームだとか、それが何であるにせよ勝負事の結果には大きく係わるであろう人数分けである。

(これならいける!)

(これならいける!)

 確信する双子に、けやきは口の端をゆがめる。


「もし達成できたら今日の部室の掃除は私がやろう、お前達はこのまま帰っていい」

 このけやきの言葉に対し双子は一切遠慮せず、「本当ですか!?」と言って素直に喜んだ。

「制限時間は部活終了までの残り二十五分から、掃除と片付けの時間を引いた十五分だ。始めるぞ」

 ガイが羽ばたいて最後のメニューの開始を告げた。


 陽と良明は、思い思いにけやきを注視。合図も無いのに全く同時に向かっていった。

 二対一なら行ける、という確信が二人の身体を勢いづけた。

 迷いの無い軌跡を描いてけやきの前に立ち塞がり、その手に持っているボールへと各々の両手を伸ばす。けやきはいとも容易くそれを交わした。


 ドラゴンの飛翔による縦軸の移動も無しに、けやきはその上体を捻って陽と良明の手からボールを遠ざけたのだ。

 竜術部部長の余りにも的確でスマートな身のこなしに、双子はその時刹那のうちに悟った。

(ああ、さっきの「もし勝てたら今日の部室の掃除は私がやろう、お前達は帰っていい」って言葉に対する、正しいリアクションはああじゃなかったんだ)

 けやきが、長い後ろ髪を棚引かせて二人の前に立ちはだかる。

(”新入部員と部長の間には、それ程の実力差があるんだな”って、ゾッとする所だったんだ……)

 何かこう、側溝の中に落とした五百円玉を見つめる様な表情で先輩を見上げる新入生二人である。


 けやきは、絶望する二人の戦意を呼び戻そうとする様に、双子のすぐ後ろに待機していたドラゴン達に叫ぶ。

「ショウ、レイン! お前達も参加していいぞ。四対一だ」

 ガイが寂しそうな眼でけやきを見ている。

「ガイ、お前は後で私と一対一の勝負だ!」

 ガイは肯定の鳴き声を上げて羽根を広げた。


 部長に襲い掛かる二人と二頭のうち、ショウだけは冷静な面持ちで作戦を考えている風だったが、どうやらこの分では今日中にけやきからボールを奪う事など出来そうもないと判断せざるを得なかった。

 なーんにも考えず、勢い任せに突っ込んでいく良明と陽とレインは、とても楽しそうな顔を浮かべているのである。



 汚らしい部室の床に倒れこんで息を切らせている新入部員が二人と一頭。

 うつ伏せのままスポーツドリンクを額に当てて居るのが陽で、仰向けで大の字になって息を整えようと必死なのが良明。

 レインは良明の締まらない腹の上でぐったりとしている。


 ただ一頭、息の整え方を心得ていたショウだけが窓際に腰掛けて、ゆったりと涼んでいた。

「十分そこいらの、運動だけ、で、こんなに疲れるなん、て……」

 陽が搾り出す様な声で呟くと、けやきは先の練習の重要性について語り出した。

「龍球の基本は、ドラゴンが移動を担当し、人間がボールを司るという役割分担にこそある。とはいえ、状況によってはその法則から外れ、人間も身体を動かす事になる。今のその疲労は、半月程度で慣れてくる。頑張れ」

 そのけやきの言葉から読み取れる事はつまり、陽がそれだけ必死に彼女の手の中のボールを追いかけていたという事を、しっかりと見てくれていたという事実である。

 多分、けやきが発した言葉にはそんな意図は微塵も無かったのだろうが、陽は褒められた気がして少しだけ嬉しくなった。

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