竜の里(2)
英田兄妹達一行が潜ったゲートから見て、五十メートル程は平地が続いていた。
ゲートを潜ってすぐ左右には二十軒前後の屋台が並ぶ。種類は様々で、ソフトクリームにソース焼きそば、りんご飴や唐揚げも売っている。但し、ヨーヨーやスーパーボールすくいといった類の、事実上子供専用の物は一切無く、代わりにタオルやTシャツを売っている店があったりするのである。
屋台がある辺りから五十メートル程奥へと進むとそこから先は坂になっており、坂は角度を増し、やがて段へと変わっている。
草に覆われたそれらの地面は今や多くの人により踏み固められ、ごった返す人の波の中で肩がぶつからない様に歩くのも一苦労といった状態だった。
今、兄妹達の一行が居るのは段差の中でも奥の方。ゲートからはかなり離れた地点だった。
「まぁ、ほぼ全ての竜がその”竜の里”の出身だからこそ、この世の中が成り立っているという向きもあるんですが」
その霧山の表現に、けやきはどうにも得心がいかなかった。
「出身、という表現はどうでしょう。本籍をそこに置き、管理を任せているというのが正確なのではないかと。今や、都会で生まれ都会で亡くなっていく竜も少なくありません」
「ああいや、確かにそうです。僕が言いたかったのは、心の住処というか、精神的な本来の巣ということですよ」
霧山の横では英田兄弟、それと竜王高校の面々が興味深々といった表情で話に聞き入っている。話題は”ドラゴン達の帰郷について”だ。
良明は、霧山の言葉を正しく理解できているかどうかの確認の意味を込めて、自分の知識を言葉にしてみる。
「毎年、この時期になるとテレビのニュースでもやってるじゃないですか。ドラゴンの帰省ラッシュがピークで云々って。俺、正直竜の里についてはそのくらいの認識だったんですけど、つまり、今の霧山さんの話からすると、竜には人間界での住民票とその”竜の里”での竜としての戸籍情報みたいなものがあるんですね」
「そういう事だ。そして年に一回、自分や身の回りの竜について報告をするためにこの時期になると各地方の竜の里には竜達が殺到する。竜王高校や大虎高校の竜達もその一部というわけだ」
良明や陽。それに大虎高の面々は言葉にこそ出さなかったが、この時、今一度レインの事が心配になった。少なくとも自分達には未だに身の上を語ろうとしない彼女が、竜の里という場所へ行くという事が一体何を意味するのか。
想像すら覚束ない頭で彼等が考えを巡らせていると、後方から無駄に明るい声が近づいて来ているのに気が付いた。
「うーいソフトクリーム買ってきたぞー」
両手に合計四本のコーン入りソフトクリームを持って歩いて来た三池は、その場の会話の内容など全く興味無いと言った様子で芽衣、伊藤、陽、石崎へとアイスを配る。
陽は申し訳なくなって深々と頭を下げる。
「本当にごめんなさい。三池さんの足を使わせてしまって……」
「こんの混雑だ、慣れねぇと大変だろ。今日はがしがしパシるぜー、俺。もう足のケガも治ったしな」
見れば、確かに一帯は夥しい数の人で溢れ返っていた。人を避けずに十メートル直進する事はまず不可能な程である。
人々の格好は様々だったが、ジーンズにTシャツやらタンクトップ、キャミソールやらレギンスなどといった、概ねお祭り騒ぎに参加しに来るような物を誰もが身に着けており、それらの者の内大半が若者だった。
カップル連れも多く、参加者の殆どは誰かしらと連れ立ってこの場に来ている様に見える。
陽は、深々と三池に対して頭を下げつつも、徐々に迫ってくる興奮の波に呑まれようとしていた。良明も同様である。
「いーかてめぇら。この場に来なかった藤やらウチの後輩共が後悔するくらい楽しんでやれ!」
三池は、決して余裕があるわけではない財布の紐を緩めて買ったタオルを良明と陽に差し出した。二人は、三池の喋り方があまりにも快活で楽し気だった為、遠慮する事も忘れてそれを笑顔で受け取るのだった。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
けやきが双子に続いて三池に何かしらの言葉をかけようとする。
「な、なあ三池。さっきも言ったが、私はこういう場は慣――――」
ズゥウン。
けやきの言葉は、文字通り地面を振動させる重低音にかき消され、三池はその音がした方向を背にしてけやきにこう返す。
「お、きたきた! 樫屋そろそ――」
ズゥウウウウウン!!
重低音は連続するドラムの音を従えて、先程とは比較にならない程の音量で以て三池にそれを言わせなかった。
ギターが加わり、キーボードが旋律を奏で始める。
三池はけやきとの会話を打ち切り、ステージへと身体を反転させた。
舞台上に設置された工事現場の足場を思わせる鉄パイプのタワー。
横四メートルに縦三メートル程のスクリーン三つ。それらスクリーンを三つ並べても足らない程の巨大な膜がステージ最奥に垂れており、それにはイベントロゴがでかでかと掲げられていた。ステージ上部ではいくつものライトが出番を待ち構えている。
『替川 DRAGON MUSIC 12、盛りあがってくぞォオオオ!!』
今回の野外音楽フェスのトップを飾るグループがその特権たる叫びをあげると、会場はスピーカーから流れる伴奏に対抗する様な歓声に包まれた。これ以降双子達が居る一帯は、もう会話など出来る様な状態ではなくなる。
(これが…………ッ)
(夏フェス……ッ!!)
良明と陽は、顔を見合わせる。
共有した思考が互いの興奮と歓喜を見せつけ合い、二人の表情は溢れんばかりの笑顔へと染まった。ステージへと向き直るが早いか、知りもしない曲のリズムに合わせて右手を突き出し、周りの客と一体となる。
孤島・【通竜島】で真っ先に彼等を迎えたのは、バオバブの様に枝の少ない木々の、深い深い森だった。
これは、古くから受け継がれるドラゴン達の知恵である。枝が少なければ間を縫って飛び易いし、森の存在自体は防風林の役目を果たす。また、旧くは防衛上の目的として植えられた木々であるとも言われている。
夏の潮風が心地良く背中を押し、森へとドラゴン達を押し込めていく。
鼻に残る潮の生臭さは、この竜の里に籍を置くドラゴン達にとっては故郷の匂いの様なもの。年に一度、この島の浜辺に遊びに来る事を目的に竜の里を訪れるドラゴンも少なくない。
森の中を三分ほど競う様に飛んだ先には、乱雑に組み上げられたログハウスと吊り橋の群れ。どれもこれも、完全にドラゴンの手により造られた建造物である。
一般に人間ほど細かい作業を得意としないドラゴンであるが、彼等にしてみれば人間の作り出すモノの細かさの方こそが繊細すぎるのであり、建物なんてモノは住んで暮らせればそれでいいのである。
着陸し、一行は道をその脚で歩みだす。
建築物の粗雑さと同じ理由で畝など皆無の畑と碌に舗装などされていない道がしばらく続き、レインはやがてその道が坂になり始めている事に気づく。この頃になると島も大分内陸にさしかかっており、訪れている竜の数も視界に捉えるだけで二十は下らない。
『おや、珍しい』
レインの気のせいかもしれないが、どこからかそんな声が聞こえて来た様に思われた。レインは他のドラゴン達から遅れない様に脚を動かしながら思う。
(もし今の声が気のせいじゃなくて私の事を言っているんなら、それはこの眼のことにちがいない)
琥珀の様に深みのある金色の眼。
それは、伝承として語られるところによれば特別な力を持ったドラゴンである証だというが、事実世界各地の金眼のドラゴンについてそういった能力は確認されていない。
ただ、希少であるという点からオッドアイの様に神秘的で独特な魅力であるという認識は世間一般に存在しており、それがある意味特殊な才能と言えなくも無かった。尤も、先日からテレパシーなどという大それた物を目の当たりにしているレインにとっては、そんなのは今更自慢げに誇る様な物だと思えない次第である。
そのまま坂を徒歩で登っていくと道の小脇には宿屋が点々と現れ始め、やがて軒を連ねていった。どれもこれも大抵は他の建物と同様の雑なつくりの木造なのだが、稀に小奇麗に整った形をした建物があったりする。
それは人間界でトップクラスの技術を学び、そしてこの竜の里へと持ち帰ったドラゴンが近年になって建てた宿なのであるが、言うまでも無く中身は完全にドラゴンの為だけの作りになっている。
具体的に上げるとすれば、まずはベッドを初めとした家具や戸口のサイズの多様さを挙げるべきだろう。ドラゴンは人間に比べて成長による身体のサイズの変化がかなり激しく、種によっては人間の掌に乗るサイズの卵から生まれた雛が二十メートル程にまで成長する事すらある。なので、部屋もドラゴンの年齢や種類に対応するために様々な大きさが用意されているのである。
他にも手っ取り早く上階へと移動する為の吹き抜けや干し草が敷き詰められたリラックスルームなどの存在が挙げられるが、他にも例を出そうとするとキリがない。
そんな、坂の途中に存在していた新しい宿のうちの一つでチェックインの処理を完了させたショウは、シキに確認した。
『今日はもうこのまま解散します?』
『ああ。俺の顔があれば里長も明日には会ってくれるだろう』
ショウに対してそう答えたシキに、ガイが懇願する様な口調で尋ねるのだ。
『シキさん、もうこのまま他のドラゴンの様に手続きだけ済ませて帰ってはどうだろう? ほら、レインの事もあるしあまり長居は……』
木目が美しい床、壁、梁。宿のロビーに備えられたドラゴン用のベンチに腰を下ろし、シキは『往生際が悪いぞ』と言った。
『レインにしたって、お前にしたって、悪いが里長に会わせないワケにはいかない。もう観念してくれ。それに、見てみろ』
シキは視線をある方向へと向ける。
宿のロビーの最奥はバルコニーに繋がっており、眩しい日差しが森と宿を隔てる川をきらきらと美しく輝かせている。
レインは、その川を興味津々に覗き込んでいた。
彼女の背後ではセイとライが優しく川の中を泳ぐ魚について教えてやっていて、レインは彼等の言葉をふんふんと頷きながら聞いている。どうやら、あわよくば捕まえておやつにするつもりらしい。
その姿は、現実逃避をしているというよりはむしろ、ありのままを受け入れた上でやがて来るかもしれない修羅場に真正面から向き合う事を納得しているという風である。
ガイが思うに、レインは覚悟を決めている様に見えた。
竜の里という物に対して知識が殆ど無かったレイン。余程の都会育ちの常識知らずでもなければ滅多にそんなドラゴンは居ない。何かしらの特殊な身の上が彼女を苦しめているだろう事を、水面を見つめるレインを見てガイは改めて想像していた。
レインにとって、この、ドラゴンしか居ない未知の場所が恐ろしくない筈が無かった。
(まったく、あいつは本心という物が見えない)
ガイはそんな事を考えるばかりだが、レインのそんな姿を見せつけられてはけやきとの事を里長に報告しないわけにはいかないのだった。




