黄昏の告白(3)
「良明君、前」
背後から、女子の声が少年を現実に引き戻した。
散策コースCは、一度入ると出口まで十分弱程は歩き続ける事になる林道だった。
進入禁止の意味もあるのだろう。道の左右にはびっしりと金網が張り巡らせてあり、これならば崖から落ちる事も、落石にぶつかる事も無さそうだ。
木々や草、土に還りつつある木の葉の匂いは辺りを満たし、歩く者達に自身も自然の一部なのだという事を思い出せようとしてくる。植物が生い茂っている為、どんなに天気が良い日でも空など碌に見えはしないのだが、それもまた趣きとして受け取ってみれば楽しいものである。むしろ、真夏日でもうまい具合に太陽光を遮ってくれるので、涼しさを味わいながら歩く事が出来る良い道だと言えた。
ただしこの道、夜中に歩くととてつもなく怖い。
電灯一つ無い道の最初には、”夜間は必ず懐中電灯等をご持参の上利用下い”――原文ママ――と書いたプレートが下げてあり、文言のすぐ右には実際の林道の様子が写真で添えてあった。成程確かに、その写真を見る限り、夜のこの道は照明が無ければマトモに歩く事が儘ならない程に暗く、足場が悪かった。
この散策コースCを見て、肝試し実行委員会の面々が”これだ!”と声を揃えた事は言うまでも無い。
かくして良明は、この物静かで口数の少ない女子と二人っきりで散策コースCを進む事となったのである。
「なにも、こんなにも人数が居るのに二人一組でやる事ないと思いません?」
良明の顔面に枝が激突する。
「っんのぅわっ!」
おばけ的な物に接触した事を連想したのだろう。なんとも情けない怯えた声を出した良明は、バランスを崩してしりもちをついた。
枝が目元にぶつかった様に見えたもので、共に歩いていた相棒は慌てて彼へと駆け寄った。無言で良明の顔を覗き込むと、ポケットからハンカチを取り出して彼へと差し出す。
「あああごめんなさい、大丈夫です」
良明は、”良明君、前”という相棒の警告を無視したわけではない。聞き取れなかったのだ。
日頃は会話をする機会が少ない為かあまり気になる事は無いのだが、海藤詩織二年生の声はかなり小さい。たまに今回の様に聞き取れない事もある。
そもそも、彼女が他の部員と会話らしい会話をしているところを、良明はこの半年間、一度として目にした事がなかった。
海藤は、相手とのコミュニケーションを大抵単語や短い文章で成立させる。
また、その自身の苦手を埋め合わせようとしてきたからなのか彼女は察しというものがかなり良く、周囲の人間の機微に気づいては何かと手助けをしたりする。かつて竜術部の体験入部の際、陽がスカートしかなくてガイに乗れない状態だったのを助けたのも彼女であった。
手短にやり取りを終わらせる事は会話が苦手な彼女なりの対策なのであるが、それが根本的な解決になっていない事は海藤自身も解ってはいる。
良明は、差し出された海藤の手を取った瞬間、その手の冷たさと小ささに驚きの声をあげそうになった。なんて繊細なんだろう。この足場の悪い道で転んだら、質の悪いプラモデルの様にばらばらになってしまうんじゃないのか。少年は思わずそんな事を考えてしまう。
海藤の手を取る事で、すばやくバランスをとって起き上がる良明。
「すいません」
「小声、ごめん」
良明は、何かの物音だと思って聞き流していた海藤の声が前方への注意喚起だったのだとこの時漸く知った。
「あ、いえ! 俺こそ無視するみたいになってすみません!」
「ううん、悪いの私……」
海藤は、立ち上がった良明の前で首を垂れた。歩きを再開する気配は無い。
「がん、ばるから……」
「え」
良明は、唐突に出てきた海藤の台詞に対してその言葉が差すところを考える。
(声を出す事を頑張る……ていう宣言? え、でも俺なんかに向かって?)
海藤は、良明が自分の発言の意味を理解しかねている事に気づいて、少し慌てた様子で継ぎ足した。
「文化祭、文化祭を! お裁縫で……」
「あ」
ここで”ああ”と伸ばすとなんだか上から目線に聞こえてしまいそうだと気づき、良明は咄嗟に何かに気づいた時の’あ’に似た発声をした。意味は納得の意味の”ああ”そのものである。
海藤は、察しが良い。
「良明君は、優しい」
「え」
良明は、ここにきて年上然とした声音になってくれた海藤にどこか安堵しつつ、その発言の意味をまたもや理解できなかった。
「行こう…………頑張る。声も」
そう言うと、海藤は進んで後輩の前を歩き始めた。
良明はそんな彼女の小さい背中を見て思う。
(認めたくない……陽の奴が、この人と同じ性別の生命体だという事を)
その時だった。
「ぅぉぉぉぉぉおおおおおおお」
背後から気配が
「おおおおおおおおおぉぉぉぅ」
したかと思ったら、あっという間に二人を抜き去って駆け抜けていってしまった。
なんなら海藤よりも小さい背中を左右に揺らし、三池は全力疾走で闇の中へと姿を消し去ったのであった。
「グァアアアアアァァァァァァ」
二秒遅れて、ペンライトを咥えたレインが彼女を追いかけていく。
一人と一頭が消えて行った先を見ながら、良明は黙るしかなかった。
海藤が彼に問う。
「………………走る?」
「………………いえ」
同時刻。五分前に先行していた陽は、そろそろゴールの気配を感じ始めていた。
「でもこれだけ人数いるのに、二人ずつ出発する事無いと思いません?」
横を歩く大男は、陽に対して真面目に考えた答えを返す。
「話を聞く限り、つまりあのアホ伊藤どもはイカサマのくじで直家さんと石崎さんとくっつけようとしてたんですよね? その所為なんじゃあ……?」
「あ……はい」
そんなことはしってた。そう思いかけた陽だったが、自分の話題の提供の仕方にも問題があったのだろうと反省し、話を続けた。
「なんか、すいませんねー。今日会ったばっかりの相手と肝試ししてても気、使っちゃいますよね」
「いや、まぁこちらはいいんですけど。……英田さんの方こそ、さっきから色々と話題を振ってくれて……」
(言えない。沈黙が気まずいとかじゃなく、道が怖いから話し続けてたいだけだなんて……)
陽の隣を歩く真面目な大男、円礼太は今度は自分から話を振ってみる。
「最近、面白い事ありました? あ、大会以外で」
どうやら、竜王高の観客席から見ていてもあの時の自分達は試合を満喫していた様にみえたらしい。確かに、ここしばらくであの瞬間程に楽しいひと時は無かったと思う陽である。
「うーん……今、かなぁ」
「!?」
「あ、あ! ごめんなさい違いま、アレですよ!? この旅行って言う意味ですよ!?」
「あ、ああ、はい……はい! それはそうですね!」
若干照れた様子の円に申し訳なくなった陽は、彼の顔をちらと確認してみた。
珍しい名前だった上にえらくガタイが良い事もあり、陽は円の顔と名前をすぐに憶えた。また話していて、真面目で律儀な性格なんだろうなぁと言うのも直ぐに伝わってきた。言葉も見た目から来る印象と比べれば随分綺麗だし、たぶんプライベートで人を罵る事なんてするタイプじゃないのだろうとも思う。
陽がそう誤認するのも無理は無い。円は、どこぞのオレンジ頭とは違い、相手に応じて話し方を変えられる人間なのである。
陽は、そんな彼の口から出て来た質問を、彼自身へと投げかけてみたくなった。
「円さんは? 何か楽しい事ありました? 最近」
「最近……最近、かぁ…………あ」
「ん?」
「最近……でも無いんですけど、春先から人との出会いには恵まれてますね」
「ほほう、これは私が円さんと二人っきりで肝試ししてる事を弁解しなければですね」
「あー、いえ。そっち方面じゃなくてですね」
「あれ」
「ほら、名前言っても全員は解らないかもしれないですけど、三池とか、伊藤とか、あと霧山と芽衣とトオルさんとは春頃から順次知り合ったんですよ。二年生までは全く付き合いナシで」
「へぇえ!」
他校の生徒とはいえ話している相手が三年生である事を知った陽は、内心ビビりつつも彼の発言の趣旨に対して驚きの声をあげた。
そして、夜中のテンションというものだろう。彼女は冗談めかしてこんな事を言ってみるに至ったのである。
「でもでも、丁度男女三人ずつじゃないですか! 誰かあのグループの中で好きな人とか居ないんですか?」
先程、今日会ったばかりである事を気にしていた者の発言とはとても思えない質問だった。
円は「いやー……」と首を振る。
「無いですね……いや、嫌いとかじゃないんですよ。嫌いとかじゃないんですけど……」
「駄目かー」
「あれ、というかウチのグループは男子四の女子二ですよ?」
「へ?」
陽は頭の中で人数を数えなおす。
三池、伊藤、芽衣が女子で、円、霧山、トオルが男子。うん、間違いない。
円は自分の発言に間違いが無い事を確認してみる。
伊藤、芽衣が女子で、三池、霧山、トオル、自分が男子。うん、絶対に間違いない。
陽は、自分が見ていたグループは円が普段から仲良くしているグループとはメンバーが違うのだろうかと考え、それから面倒なので考えるのをやめた。
「三池さんって」
突如として陽の口から出て来た名前に、円はその時どういうわけか指先をピクリと震わせた。彼自身にもその理由は解らない。
「はい」
「可愛いですよね」
「!?」
「ちっちゃくて、試合の時も、今日会ってからも、ずーっと元気いっぱいっていうか……こう、快活? で」
(これが噂に聞く女子と男子での”可愛い”の違いか……)
円はそんな事を考えた。普段、さんざ三池についても話している筈の伊藤や芽衣の存在などはとうに忘れているらしい。
「でもめちゃくちゃ喧嘩強いんですよ、あいつ」
「え」
「実際、俺あいつと喧嘩した事ありますけど、一発も殴る事も蹴る事もできませんでしたからね……」
「!?」
陽は、思わず止まりそうになる脚に意識を集中させることでなんとか歩き続けた。
(あ、あれ? 今の話の流れって、三池さんについてのアレコレだよね? え、円さんが三池さんを殴ろうとしたってコト? え?)
それまで陽の中で築き上げていた円のイメージが崩れていく。
(真面目で律儀でどんな理由があろうとも女の子に手をあげる事なんて絶対に無い様な、そういう種類の人だと思ってたんだけど……いや、まあ殴る事自体がダメなんであって女の子だからアウトってのも理不尽だとは思うけども……思うけどもさぁ……えー、円さんってそういう、えー……)
何だかとても残念な気持ちになりつつ、陽ははたとひらめいた。
先程の会話の不整合。三池の今日の服装。今しがたの円の発言。そこから導き出される答は明白だった。
(あれ、三池さんって……男の子!?)
陽は入浴時間の時に三角屋根の建物付近で入れ違いで彼女を見かけた様な気もしたが、何故かつい先程のその記憶の方を疑った。
と、その時だった。
「ぅぇえええええいひゃっほぉおおおう! オラオラぁレイン! 羽根使わねぇと勝てねぇんだったら飛んでもいいんだぜうらぁ!!」
「グァああああああ!!」
全力ダッシュで陽と円の背後に到達した三池とレインが、
「ほらあと二百メートルって書いてるぜ! 負けたらジュース二本だからな! 忘れてねえだろうな!?」
『はぁーやぁーいぃー!!』
陽と円の間を走り抜けようとして、三池の方だけがその襟首を捕まえられた。
首元に襟が食い込んで「ぐえっ」とえづく三池が、自分の身体を猫の様にぶら下げて摘み上げた円に振り向いて、「なにすんだよ!」と怒鳴る。
「それはこっちのセリフだ!! てめぇ、他の奴等の迷惑も考えろ!!」
「なんだよ、怖くなくなっていいじゃんかよ! 出発前にみんな”肝試しなんて予定にない”だの”怖いからヤだ”だの言ってたじゃねーか」
「お前なぁ、奇跡的に好きな相手と一緒になった奴とかだっているかもしれねぇだろ? そういう奴等のムードとかちょっとは想像しろよ」
「なんだよむーどって。大体俺は別に邪――」
「お、ん、な、ご、こ、ろ、って知ってるか」
「ああ?」
三池のこの”ああ?”には二つの意味がある。
すなわち、”てめぇ女相手に何言ってんだ”と”知るかそんなもん”である。
「ぐぁーい」
レインが三池を引き離していく。
「あ! ほら離せって! 勝ったら二本のうちの一本やるから!」
と言いながら円の手を強引に引きはがし、三池は「まてこらぁ」と叫びながら走り去ってしまった。
彼女の背中に向かって不機嫌そうに「いらねぇよ」と呟く円の傍らで、陽はくすりと可愛く笑った。




