夜明けの高揚(3)
八月二十日水曜日。
夏休みが終わる気配を醸して来るこの頃になると平均的な会社の盆休みは終わりを迎え、部員達もその平均の多分に漏れずに各々の祖父母宅から既に彼等の実家へと戻ってきていた。それは実に幸いな事であり、今回の企画に不参加となったメンバーのうち、そういった”止むを得ない理由でしょうがなく”参加を辞退した者は一人も居なかった。
『石崎よ。もう別に良いんじゃないのか? 本人だって薄々気づいているだろう』
ガイは、隣を飛んでいるシキの背の上で先程からずっと首を垂れている石崎に対してそう告げた。
「今更このタイミングでタネ明かししてもしょうがないっしょ。ここまできたらもう、バレてようがいまいが突っ走るだけっすよ」
石崎は、口以外微動だにさせずにそう返した。
彼女の様子は、ぱっと見にも随分と妙だった。
身に着けている服はまだわかる。色の薄いタイトなジーンズ、胸に線画で白人女性が描いてある白Tシャツ、腰には赤で長袖のチェック柄シャツを巻いており、メガネはいつもの赤いフレームの伊達眼鏡である。動き易そうでいてある程度の洒落っ気も確保した、なんとも彼女らしい服装である。
が、やたらとリアルな眼が描かれたアイマスクを装着し、ガムテープやら荷物梱包用のビニルテープで竜具を厳重に身体に固定している点がどう贔屓目に見たところで彼女を不審者の様にしてしまっているのだ。
おまけにシキの首が締まりそうなくらいにしっかりと彼にしがみつき、先程から、シキが背中に携えている荷物にたまたま自分の脚が触れる度、ビクッと怯える様に体をはねている。
『石崎よ……いい加減に慣れた頃合いなんじゃあないのか? アイマスクを取ってはどうだ。遠くまで続く森が綺麗で良い眺めだぞ』
「無理無理無理。絶っっ対に、無理! シキさん、私がただでさえ高所恐怖症なの知ってるでしょ!? ましてこんの十メートルくらいの高さで目ぇ開けてるなんて絶っっ対に、無理!」
『今現在、十メートルなどという事はない』
「へ?」
『地上からの距離は……うむ、二十は超えているな』
「シキさぁ゛あん!!」
シキは「はぁあ」とためを息つき、隣を飛んでいる部員達を見やった。
英田兄妹とけやき、レイン、ショウ、ガイの六名は、文字通りの涼しい顔をしてその身体に浴びる風を楽しんでいる。
遥か遠くに大虎の市街地が見えるそこは、左右に森が覆う県道の真っ只中だった。
県道に限らず舗装された道路の両脇には”誘導柱”と呼ばれる柱が立っており、ドラゴンは原則としてその上空を飛ぶことが法律で定められている。眼下の道路にはたまに峠を越そうとしていくトラックが見て取れたが、大虎高校竜術部の一行が飛んでいる道路上空には殆ど人を乗せて飛んでいるドラゴンはいなかった。単に荷物を携えて山を越えていくドラゴンならば先程からそこそこ見かけはしているが、その誰もが人間に手綱を握られているという事が無かった。
良明は、”大会お疲れさま&文化祭がんばろうの旅”と書かれたA4サイズの紙をクリアファイルの中から取り出し、今一度順を追ってその内容を確認しようとした。彼を背に負うレインは怯え続ける石崎を不思議そうに見つめていたが、特に声をかけるでもなく、ばっさばっさと羽根を上下させ続けている。
シキもそうだが、レインも、他のドラゴン達も、日頃馴染みの薄い装備を身に着けていた。鞍には左右に垂れる様に荷物入れがぶら下がっていて、手綱は龍球用の物に比べて鮮やかでポップな色をしている。
試合の最中と比べて客観的に最も違いを感じる点は、校章が入った首輪をつけていない点である。それは今現在彼等が完全なプライベートの時間を満喫している事を意味しており、その他の装備と合わせ、彼等は今現在人間で言うところの私服に身を包んでいると言ってよかった。
陽は旅のしおりを再確認し始めた兄に気づくと、ショウの背中の上から彼の名を呼んだ。
「あ、アキアキ、私も見たい。共有して」
「あーい」
良明は意識を集中し、視界に捉えたしおりの視覚情報を陽へとシェアしてやった。改めて、読み始める。
(えーと……出発、八月二十日水曜日。午前九時丁度……まぁここの時間はいいや。えーっと、今日の予定は……)
しおりにはこう書かれてあった。
(キャンプ場到着予定、昼二時。そこから手続きと食材の買い出しを三時までに済ませておやつ休憩、テント組み立てと夕飯の準備を六時までに終わらせて……)
「あっ!!」
良明ははっとして慌ててしおりを裏返す。
「アキ?」
不思議そうに視線を向けてくる陽に対し、良明は何か許可を求める様な眼差しを石崎へと向けた。しかし石崎は相変わらずアイマスクの下の眼をぎゅっと閉じてシキの首に絡みついており、彼の視線に気づく様子は無い。
しおりには、六時以降の予定がこう書かれていた。
~夜八時:食事後片付け完了、
~夜九時:キャンプ場の浴場で入浴完了
再集合した人から流星群観測開始
良明は、十中八九陽はこのサプライズに気づいていると思うのだ。
なぜって、石崎の口から今回の旅行が提案されたその日から、彼女は一切プラネタリウムの話をしなくなった。それに、石崎がこのしおりを兄妹に対して配る際、あろうことか”はいこれ、よっちゃんの分はこっちねー”などと口走っていたからだ。
陽に対し石崎が何かしらの隠し立てをしている事も、陽がそれに気づいている事も、あからさまなまでに明らかだった。たぶん、陽も気づかないふりをしつつ石崎の顔色を窺っているはずだと兄は思うのである。
陽は自分に渡されたしおりに関して、この日の最後の予定が”~夜九時:入浴完了、再集合した人から雑談ぱーてぃー”などという文言になっている事が、流星群観測をサプライズとして設定している証に違いないと思った。
もっというと、そうなのではないかと良明や他の部員達に尋ねる事をあえて控えている節もあった。
良明はしおりをファイルに仕舞い、陽に言う。
「まぁ、後は現地に着いてからで良んじゃね?」
陽は深く追求せずに「うん」と返事した。
そんな彼女を見て、良明は(やっぱり)と確信するばかりである。
それにしても、と良明は思う。
「皆さん、残念でしたよね」
背後から話しかけられたけやきは、ガイの上で良明へと振り返った。
「遠慮はするな、と再三にわたって念を押したんだがな」
『フリだとでも思ったのか』
けやきを乗せて羽ばたき続けるガイが珍しく冗談を言うが、良明は一瞬その線もあるのだろうかなどと真剣に考えた。
『おい、冗談だ。真に受けるな……まぁ、彼等には彼等なりの拘りがあるのだろうさ』
彼等、とはつまりこの場に居ない部員達の事である。
けやきやガイが”遠慮”だとか”フリ”だとか言っているのはつまり、旅行は実際に龍球に参加したチームメンバーだけの水入らずで楽しんで来るべきではないか、などというそういう発想である。
実際にこうして八名で飛んでみて良明はしみじみと実感しているのだが、もしも坂達が気を遣ってくれたのならば、むしろそのおかげでかなり寂しくなっている気がする。なにせ、人間で男は自分だけなのだ。良明にしてみれば肩身が狭い事この上なかった。
ただし、幹事である石崎の口ぶりからして試合に参加した六名に関しては拒否権というものは無かったし、そう言った理由を抱える良明以外は殆ど全員喜び勇むくらいには乗り気だった。唯一、けやきに関しては――表面上――冷静ではあったが、ガイを含むメンバーとの旅行など、楽しみでない筈が無い事は言うまでもない。
(ただ、坂さん達が不参加だった事で困った事になっている人は自分だけではないんだよなぁ)
がたがたと震えながらシキの首を締め上げようとしている石崎を見ながら、良明はそう思うのだ。
八名を超える大人数ならば、少なくともこうしてドラゴンの背に乗って現地へと移動するという流れは無かった筈である。恐らくその場合、新幹線だか何かを使っていただろう。丁度うまい具合に人間とドラゴンの数が合致してしまったが故、こうして旅費を抑える手段に出てしまったのだと良明はすぐに認識した。
高所恐怖症であるにもかかわらず、よくもまぁこんな手段を提案したものだ。良明は石崎に対し、とうとう尊敬の念まで覚えてしまうのだった。
「あ、あの……石崎先輩。本当に、大丈夫ですか?」
良明は、思考中に視界の中へとフレームインしてきた石崎が途端に心配になり、気遣う気持ちを込めた声をかけた。
「今何時? めちゃくちゃこわい。大丈夫」
「なんで五・七・五なんですか。そして文章全体として若干意味が通ってないですよ」
けやきは腕時計を見る。現在午前十一時。
「石崎、良い時間だ。この先の道の駅で一旦休憩しないか?」
「だぁいさぁんせぇい……みんなごめん」
*
【道の駅和日】は、国道に面しつつも反対側に川を見下ろす展望デッキを備えた、県内屈指の流星群観測スポットである。
普段は十九時で締まるこの施設だが、抜け目の無い事にここ数日は営業時間を延長するとの旨が豪華なポスターにより大々的に宣伝されていた。
「したたかだなぁ……ん、あれ? ”したたか”って使い方違うっけ?」
ポスターを見上げて、陽はソフトクリーム片手にレインにそう尋ねた。
陽も他の部員達同様に動き易そうな服装をしている。ほんの僅かに青が混ざった白のズボンにピンクのTシャツ、その上から暑苦しい長袖シャツを着るという普段着スタイルである。ちなみに、この真夏日に長袖シャツなど着ている理由は、”日焼けするのが嫌だから”だそうだ。
レインは、それ程深くはない自身の国語知識の引き出しを開いてみた。
『したたかって、強く、とかそういういみじゃないの?』
「あれ、でもしたたかに恋人を奪い取る……とか言うよね?」
『陽、例文がこわい』
白いイスとテーブルが並ぶ木製の展望デッキには、平日という事もあって人はまばらだった。
彼女達の様にどこかへ行く途中の学生が居てもおかしくは無かったが、そういった者の姿は特に見かけなかった。むしろ、初老を超えたくらいの老夫婦や何がしかの手段で本日の労働から免れた二十代後半の男女が散見され、子供の姿はごく少数である。
良明とガイは展望デッキの淵の方にある椅子に並んで腰かけ、百メートルは下らない眼下の山と山の谷間を覗き込んでいた。
良明の服装は緑のチノパンツに黒のタンクトップ、その上から涼し気な長袖シャツを羽織っている。彼も石崎同様に洒落っ気たっぷりなのだが、どれも真新しく、つい最近購入したらしい事が匂いからしてすぐに察しがつく。
『良明は、大虎高の生徒に好きな奴なんているのか?』
「は、ふぁい!?」
頬張っていたホットドックを喉に詰まらせながら、ヌンチャクを振り回しだしそうな声を上げる良明。
彼は、物凄い質問を投げつけて来たガイを見て思う。
(ガイさんの口から、未だかつて放たれた事がないであろう質問が、何故今この瞬間に……?)
『ぼーいずとーくだ。ぼーいずとーく』
「が、ガイさんどうしたんですかいきなり」
何とか一口飲み込むと、良明は可笑しそうにガイにそう尋ねた。
が、対しガイが至って真面目な態度で彼に問うのである。それは、今まで良明や彼の妹が深く言及することが一度として無かった論点。良明は、ガイのその口調にふざけようとする色が見て取れない事に直ぐに感づいた。
ガイ問う。
『……正直に。客観的なモノの見方で考えて……俺とけやきの関係をどう思う?』




