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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
6.ダンス イン ザ スカイ
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夜明けの高揚(1)

「ツノの形が曲がってる。右はスニーカーだけど左はサンダル。えーと、あとねぇ……」

 由の言葉を遮る様にして、びしっと二人同時にテレビ画面の右上を指差す。

「雲の形が違う!」

「雲の形が違う!」


 【ロジカルIQエネルギー】と言えば、子供達――主に小学生――を中心に大人気のクイズ番組である。

 ほぼ毎週同じレギュラー回答者が勝者となるなど、クイズとしての真剣さが窺えるその番組には様々なコーナーがある。中でも最後の間違い探しのコーナーは大人気で、毎週この問題を最大の楽しみにして見ている少年少女も多い。

 小中学生に比べ高校生になるとこの番組に対していくらか興味が薄れる傾向にあるが、英田家の長男長女に関しては、どうやらこれは当てはまらないらしかった。


 何週間ぶりだろう。既に寝間着を身に纏った良明と陽は母の方を振り振り返り、同じ様などや顔をしてみせた。(よし)は、そんな双子の顔を面白そうに眺めながら「あー、解らなかった。あんた達よく気づくねぇ」と返す。

 兄と妹は、そのまま番組が終わるとその場にごろんと横になった。

 五分間のニュース番組が始まる。

「アキー」

「んー」

「カラオケ行きたい」

「陽それ……薄石との練習試合の前くらいからちょいちょい言い続けてるよな」

「だってあれから遊びに行く機会なんてなかったんだもん」

 腹這いのまま畳をバンバンと叩いて主張する妹。

「行って来ればいいじゃんか」

「連れてってよー、友達に声かけて待ち合わせするのめんどくさーい」


 大会から一週間足らず。訪れた平穏は、兄妹にとっては思いの外味気無かった。

 疲れていない身体で食卓を囲む日々がもう何年振りかの事の様に感じられ、まるで異世界にその身を転移させたかのような、そんな不思議な感覚に包まれていた。

 激減したドラゴン達との時間は驚くほど切なく、あれほど辛かった練習の日々が恋しいとさえ思うのである。


 練習は、一日一時間程度は毎日続けている。

 その一時間の為に学校へと趣き、部室横の更衣室――と言う名の倉庫――でユニフォームに着替え、基礎練習やミニ試合を行い、それが終わればドラゴン達やコートに隣接する家の二階から話しかけてくる長谷部と雑談をして、解散する。


 恐ろしいくらいに平和な夏休みだった。


 彼等が呼ぶところの”ユビキタスシンパシ-”は相変わらず健在で、良明と陽が互いに通信を試みた時に限り、お互いのありとあらゆる感覚を共有する事が可能だった。

 だが、それもこの日常生活においてはさほど使う機会に恵まれるわけでもなく、半ば宝の持ち腐れとなっていた。雑談やらちょっとしたやりとりならばお互いに口でやりとりすれば事足りる。わざわざ能力を駆使する理由も無いのである。


「陽さー」

「ん?」

「腹筋、割れただろ」

「折角忘れてたんだから言わないでよ!」

 捲れあがっていたパジャマを直して陽は応えるが、実の処そこまで気にしてはいない。


 他愛ない会話が繰り広げられる空間の中、五分ニュースを映し出すテレビの中で仕事をしているニュースキャスターが、何やら面白い話題を提供している。

『趣味が高じて望遠鏡マニアとなった宮田さんですが、少しでも多くの人に流星群を楽しんでもらおうと準備を進めているとのことです。二十日から二十二日にかけて見える今回の流星群は残念ながら県内では観測する事が出来ませんが、見える地域の方にはこの夏一番のスペクタクルになるでしょう』


「大虎じゃあ……」

「観れんのかーい」

 促す様な良明の間に応じて陽が続いた。大会が終わっても仲良である。

 陽は、ごろんと身体を回転させて仰向けになると、頭頂部を畳に擦り付けるようにして母の顔を見た。

「母さん母さん、これ観に行ってきていいー?」

 上下反転した陽の視界の中で、由はテレビを指さす娘に答える。

「県内じゃ見れないって言ってるじゃん。それに夜中なんて危ないからだめだめ。家で引きこもってテレビでも見てなさい」

「えー……」


 不意に。

 良明の脳内で”腹筋星空マニア”という謎の単語が生成され、彼は思わず「ぷふっ」と噴き出した。



 恐らく流星群というキーワードが彼女の脳内にある夢ジェネレータに反応したのだろう。

 その晩、陽は久々の夢を見た。

 それは明晰夢ではなく、彼女はこの夢の中で斜に構えたりする事はなかった。懸命に状況を判断しようとする精神の中で気が付くと、そこはどこか見覚えのある森の中だった。視点は自分を俯瞰する形ではなく、主観視点である。


 夢の世界の中で、陽は星空を見上げていた。

 邪悪なまでに黒い空の中で、嘘くさいくらいに白い星々がてんてんとしている。どれもこれも瞬いたり仄かに色味が付いていたりはせずに、暗幕に開いた穴から光が漏れ出して来る様に、残らず真っ白である。。

 不気味な事に、空自体は完全に夜空なのにもかかわらず、手前にはまるで昼間の様に明るい色合いの木々が並んでいた。まるで素人が雑に合成した様に、全く色味が星空のバックの黒とマッチしていない。

 地面には芝よりも少し背の高い草が茂っており、その色はさながら絨毯の様な趣きを放っていた。


 陽は周囲に人の姿を探してみる。彼は、すぐに陽の視界に捉えられた。

「アキ!」

 陽の前方三メートル程の場所に、うつ伏せに倒れている良明が居た。

 良明はやや黄色がかった白い民族衣装の様な物を身に纏っており、陽がよくよく自分の身体を見てみると、彼女も同様の服を身に着けていた。縄文を抜けて弥生時代に差し掛かった様なシンプルな服である。


 うつ伏せになっている良明をひっくり返し、その顔を確認する事に対して陽は唐突な恐怖を感じた。

 その顔を判別する事は出来るだろうか?

 兄の顔は、きれいな状態を保っているのだろうか?

 そんな思考が彼女の思考の片隅をサッと駆け抜ける。


 恐怖を冷静に沈めていく様に、陽はゆっくりと兄の身体を裏返していく。

 後頭部、耳、眉間。徐々に見えてくる良明の頭は、いたって損傷していなかった。

 陽は、仰向けになって完全に自分と向き合う形となった良明の身体を脚に乗せ、何度も何度も呼びかける。

「アキ! アキ!!」


 気づくと、空は昼間の色を取り戻していた。

 青空の中にうっすらと千切れ千切れに浮かぶ生生しい形の雲が主張する。”これは現実である”と。

 陽は視界の端に空の青を認めながらも、構わず尚も良明へと呼びかけ続ける。

「アキ!! アキ!!!!」


 良明が陽の叫び声に反応する様子は無い。

 と、その時陽はある事を思いつく。

(そうだ、テレパシーで!)

 その方法だから良明が自分の呼びかけに応じるという根拠など、一切無い。

 だが、陽は彼との繋がりとして最も頼るべきその方法で兄を目覚めさせる事を試みた。

(アキ!! 起きて!!)


 良明の、眼が明いた。


 直後に眉間に皺をよせ、かなりの度合いで苦しみだす。

「陽……逃げ、ろ……」

「え?」

 良明の手が、妹の頬へと触れる。陽は、右の頬に触れた冷たい感触にぞわりと背筋が凍り付いた。


 不意に良明の手がぼとりと地面へと流れるように落ちると、陽は今の今まで彼が触れていた自分の頬を触り、その掌を目の前へと持ってきた。

 彼女の指紋を浮き上がらせる様に、現実的な量の血液がべっとりと陽の手を染めていた。

 良明に眼を落とす。既に、息は無かった。


「あ……ああ……」

 陽は良明の頭をそっと地面へと寝かせると、顔だけを天へと仰ぎ、絶叫した。



「ぅぁあああああああアアア!!!!」 



「――う! 陽!!」

 目を覚ました陽は、暗闇の中で良明の胸倉を掴むと物凄い勢いで引っぱった。自分が横になっていたベッドへと叩きつける様に引き寄せ、良明が何の抵抗を試みるよりも早くにその両肩を押さえつけて、彼が身動き出来ない状態になる様に抑え込んだ。

「おい! 陽!! 落ち着け!!」


「………………」

「………………」


 尋常ではない量の汗をかいている陽は、まるで良明こそが異常を来しているかの様な顔をして、目の前に押さえつけている兄を見下ろした。


「私、また、うなされて……た?」

 良明は、陽の余りの剣幕に圧倒されながらも辛うじて声を振り絞った。相手が家族でなければそれさえ無理だった。彼はそう思った。

「…………大丈夫か? 本当に」

 その良明の返答は、直前までの陽が”うなされていた”などという表現では足りない様な状態であった事を暗に示している。


「なぁ、陽。一回心療内科……精神科? 行ってみたらどうだ? 行きにくいんだったら俺もついて行くしさ」

「……」

「何かあるんだってば。理由が。ハッキリ言って、この前よりも酷くなってた」

「…………」


 陽は兄の提案には返答せず、絞り出す様な声で夢の内容を告げるのである。

「………………アキが」

「……ん?」

「アキが、死ぬ夢」

「…………」

「血を流して、アキが死ぬ夢……だった」


「陽は? 無事だった?」

「凄くリアルで、どこかで見た様な気がする森の中で、最初、アキがうつ伏せに倒れてて……」

「大丈夫、昼間になればただの夢になるから」

「…………」


 良明にしてみれば、その時の何かに憑りつかれた様なやり取りを繰り返す陽の方がよほど怖ろしかったが、それを口にして冗談めかしたところで彼女の気持ちを落ち着けられないと思った。


 家の外から聞こえてくる川の音が、陽の意識に入り込んでくる。

 それは、陽にとって今を現実だと確信させるには十分なリアリティを持った音だった。夢で見た、雲と同じくらいには。


 震えながらも物凄い力で押さえつけてくる妹の手を振りほどく事もできず、良明はじっと陽の顔を見つめるしか出来なかった。

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