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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
5.護るは命運、喰らうは栄光
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ヒトとドラゴンが得た物(3)

 英田兄妹が、左右から差し出した手。


 その間に位置していたボールは、彼等の手をこじ開ける様にして二人と二頭の背後へと通過した。


 ゴールリングへと振り返った良明と陽の背後では、既に速攻の準備を整えたけやきが身構えている。


 ボールは、ゴールリングへと突き進む。

 良明と陽の表情が驚愕とほんの僅かな絶望に染まる。

 そんな彼等の心の内を解っていた様に、けやきは声を張り上げる。


「リバウンド!!」


 双子は対の目を見開き、背後のボールを凝視した。

 レインとショウはそんな彼等を禁止エリアギリギリまで運ぶ。


 選手達が慌ただしく動く中、ボールは我道を進み続けた。

 向かう先は、ゴールリングのど真ん中。三池が投げたその先の、最後の一点のゴールの中心ただ一つ。


 そのはずだった。


 ボールの軌道は、明らかに予定よりも逸れたルートを辿っていた。


 当然である。双子の手に触れた事により、三池が放ったシュートの軌道は間違いなく変わっていたのだ。良明と陽は苛立ちを覚える程に白いボールが行く先を必死に追い続け、禁止エリアギリギリ手前に到達した時点から既に手を伸ばし始めている。


 ボールは、ゴールリングの枠へとぶつかりその形を今一度歪ませた。


 良明と陽は呻き声をあげながら白球が返ってくるのを待つ。

 願いを込め、その瞬間を待ちわびる。


 もう取り損ねたりしない。

 今度こそしっかりとこの手で掴み、けやきへと渡す。


 大丈夫だ、三池は完全に背後に居る。

 相手チームの誰も、自分達を遮る事は出来ない。


 絶望の中に灯った首の皮一枚の希望。

 それにすがる様に、双子の思考が入り乱れた。


 一瞬、一瞬を追う毎に、彼等に許された思考の時間は減っていく。

 ボールは物理法則に従い、普段と変わらないルールで動き続ける。


(さあ、返ってこい!)

(絶対に、先輩に――)


 リングに弾かれたボールは、角度を大きく変える事は無く。



 そして、リングを潜って抜けていった。



『…………………………………………』


「……ぁ」

「……ぉ」

 双子が小さく声をあげ、レインが落下して跳ねているボールを見つめ、けやきは、黙り続ける。


 そして直後、電子音は辺りに響き渡った。

「竜王高校、一点。ゲームポイント、トゥースリー!」


 大虎高ゴールリングを囲む禁止エリアのほんの三センチ手前に、落下した事で倒れこんでいる三池の指先が位置していた。



「次の試合は…………」

 良明の疑問に対し、石崎は答えた。

「才進学園高校対……竜王高校」


 選手達と長谷部は、コートから観客席棟へと入り、控室に続く廊下を歩く。

 今しがた良明が口を開くまで、誰一人として何も言わなかった。

 強いて言うならば竜王高校の選手達に対してはきっちりと礼をし、「ありがとうございました」と声を張り上げた。

 けやきだけは三池と二言三言だけ何がしか話していたが、その内容など良明や陽の耳には塵程も入ってこなかった。


「……ありがとうございます」

 ワンテンポ遅れて、良明は次の試合の組み合わせを教えてくれた石崎にそう礼を言った。

 石崎の俯いた顔が、ウエーブがかったロングヘアに隠れている。


 そんな彼女に、けやきに、ドラゴン達に、陽は良明と同じ言葉を述べた。

「ありがとう、ございます」

「……よっちゃん」

「陽」

『陽……』

 石崎、けやき、ショウが彼女の何かを押し殺すような声に足を止め、振り向いた。


「ありがとうございました!!」

「ありがとうございました!!」


 双子は、今一度深々と頭を下げた。


 通路を行きかう人々が、彼等を、大虎高校の選手達を不思議そうに見ては通り過ぎていく。

 不思議そうに見てはいるが、殆ど誰もがその行動の意味を理解している。

 たまに見かける光景。それはさほど珍しくは無い、大会に参加する少年少女達の姿であった。


「……ほ、ほら。みんな見てるから、顔上げな。ね?」

 石崎の声は、震えに震えていた。礼を言った双子の声など比ではない。

 これでは先輩の威厳もなにもあったものではない。

 良明と陽は、石崎の声が聞こえなかったのか、或いは聞き取れなかったかのように、顔を上げようとはしない。

「やめなってば。もー、ほら、控室すぐそこだからさー、ね、ね?」


 どんどん不安定になっていく石崎の声を耳にして、良明と陽は漸く顔を上げた。そうしなければ、この、人の行きかう通路のど真ん中で石崎は涙を流し始めていただろう。


 だが、顔を上げた二人の眼も、大粒の涙が今にも零れ落ちそうな程に光沢を湛えていた。


 二つの控室に入ってから出てくるまでの間、大虎高の選手達は誰一人として泣く事をしなかった。

 まるで、それはとてつもなく愚かしく、してはいけない事であるかのように。涙を見せれば、その瞬間に人としての価値が消失し、自尊心という概念が自分の中で無意味な物へと変貌するかのように。


 これからの事を考えている者など一人として居はしなかったが、今泣けば、レインを、部を、絶対に救えなくなるという漠然とした恐怖があった。


 控室前の通路へと先に戻って来たのは男子三名であった。

『泣いていいんだぞ?』

「いじわる言わないでくださいよ」

 ガイの言葉も、今の良明にはもはや人語と変わらなかった。

 だが、初めて聞く彼の言葉は余りにも容赦が無く、良明が必死に意識を集中している彼の涙腺を揺さぶりにかかるのである。


『後輩の特権だろう』

「でも……」

 ”陽だって、樫屋先輩だって耐えている”そう言おうとして、良明はなんてつまらない事を考えているのだろうか、と思った。

(男だから泣くなだって? 同じ境遇の女子が涙を見せないんだから泣いちゃだめだって? そうやって、人間らしい感情を押し殺す事に何の意味があるだろう? みんなでしっかり泣けばいいじゃないか。ここまで共に歩み続けて来た戦友たちと、感謝と悲しみを分かち合えばいいじゃないか)


『お前が泣けば…………けやきも、泣ける』


 それが、次に良明にかけられたガイの言葉だった。

 良明は、思う。

 けやきが試合が終了してから今に至るまでの間に気の利いた言葉の一つも吐けなかったのは、部長たる彼女が皆の前へと泣き顔を晒さない為だった事に疑いの余地はないのだと。

 何か口にすれば、その瞬間気持ちのタガが外れるという確信が、彼女の中にはきっとあるのだと。


 良明はこの時、意地でも泣くもんかと心に決めた。

 樫屋けやきの泣き顔など、絶対に見たくはない。良明と陽にとっての彼女は、どこまでも強く、頼るべき二つ年上の大先輩なのだ。一度でも彼女の涙を目の当たりにすれば、その関係が音を立てて崩れていきそうな、そんな気がした。


 ガチャリ。

 大虎用に宛がわれたもう一つの控室から、けやきがその長身を現した。

「待たせたな」

 良明は、何食わぬ表情でけやきの顔を確認してから言う。

「行きましょうか。みんな、待ってくれてるでしょうし」


 けやきはこう言った。

「大丈夫か?」

「な、なにがです?」

「…………すまない。行こう」

 良明は、けやきの問いかけの意味が全く理解できず戸惑った。


(ああ、そうか)

 思い当たり、彼はけやきにこう返す。

「あ、ああ。大丈夫です。テーピングして貰ってから、痛みは殆どありません」


「……違う」

 けやきは良明の前へと歩み出で、そっと彼の眼の下へと人差し指を伸ばした。

「その……凄い顔を、しているぞ……」

「え?」

 良明の顔から離したけやきの人差し指には、なみなみとした彼の涙が表面張力で耐えていた。


 良明は、とうに泣いていた。

 だが、けやきはそんな彼を見て自らもそれに続こうとはしていない。


 少年はこの時二つの事を悟った。

 一つは、ガイの”お前が泣けば、けやきも泣ける”という言葉は、彼を素直に泣かせてやる為の方便だったこと。

 そしてもう一つは、樫屋けやきという少女は、自分が思っているよりも遥かに強いということだ。


 けやきは、良明の頭へとぽんと手を乗せ、こう言った。

「ここにはウチの他の部員や関係者達は居ない。この混雑だ、彼等が向こうから降りてくるという事も無いだろう。今のうちに、泣いておけ」


「あー、アキずるーい」

 陽は控室の中から出てきつつ、眼の下に涙の筋を残した顔でそう言った。

 隠しもしない涙声だった。

 ショウが、陽の側へと寄り添っている。



 石崎がタイミングを作る。

「応援!」

『有難う御座いました!!』

 選手全員と長谷部は、小学生の卒業式の様な口調で声を揃えようとした。

 揃えようとしたが、結果、ばらっばらだった。


「ばらばらじゃないですか!」

 山野手が突っ込むと、辺りは笑いに包まれる。

 まるで、落ち込む様な事など何一つ起こっていないかのような、子供らしいリアクション。

 英田夫妻や長谷部の夫、そして寺川も、素直に微笑んで彼等のやり取りを見守った。


 観客席やや後方。Aコートからいくらずれた場所に観戦者達は居た。

 Bコートでは間もなく決勝が始まる為、あまり中央付近にいると他の観戦者達に迷惑がかかるからという配慮である。

 誰も、見せつけるように沸き立つ観客席の事はまるで意識に捉えていない様子であり、彼等は完全に自分達の空間の中で会話をしていた。

 まるで、学校に帰り、あのボロボロの部室の中で集っている様に。


「ごめんなさい! 負けちゃいました!!」

 陽が手を挙げ、良明が深々と頭を下げた。

 誰からともなくパチパチと拍手があがる。人数が少ない為いささか寂しい拍手ではあったが、その分心の籠った、あたたかな拍手だった。


「これからの事は、また追って考えよう。今は兎に角、頑張り抜いた事を誇っていいよ」

 寺川はそう言うと、立ち上がって続けた。

「君達は、本当によくやった。樫屋くんはよくぞここまで三名もの後輩達を引っ張ってきたし、一年生やレインくんはたったの半年でよくぞここまで強くなった。トシのあれこれはおいといて、素直に一人の人間として敬意を表すよ」


「もう先生、泣かせる気ですか!」

 控室から出て来た時点でとうに泣いていた陽が、何か言っている。


 大虎高チームの為に駆け付けた誰もが誇らしく選手達を見て、沈黙する。

 陽は、そんな有り難くもくすぐったい視線に対して、冗談めかして応えた。

「泣かせようとしたって泣きませんからね!」


 辺りに今一度笑いが起きると、陽は先程から口を開こうとしない兄の方を見た。

「ほら、アキも何か言って!」

「俺はいいよ、陽よりも笑い取れる自信ないし」

 再び大人達を中心に笑い出す一同。


 良明は、けやきへと目配せした。

 彼女の言葉は手短で簡潔で、だからこそ嘘が無かった。

「本当に、有難うございました。ここまで駆け付けて下さった皆さんの真心に感謝します」

 再びの拍手。


「俺なん――」

「君達おつか――」

 一呼吸置き次の言葉を紡ごうとした寺川の声に、別の誰かの声がかぶさった。

 その場の者のうち、日頃学校に通っている者達にはその声に聞き覚えがあった。

 一方、長谷部夫妻や英田夫妻は、”誰?”という顔でその男の顔を見ている。或いは、どこかで見た様な、とも思っていそうではある。


 夏用スーツにスラックスという、まるで政治家の様な格好をした男。その左右には二頭の赤目のドラゴンが立っており、一頭はうつらうつらと眠気を必死に耐えている。

 意識がはっきりとしているもう一頭は見るからに真面目そうで、英田兄妹が思うに、彼は自分が知らない熟語を一千程度は知っているに違いなかった。きちっと背を伸ばし、綺麗な姿勢で男に従う様な雰囲気を出している。


 坂は、「あっ」と言ってその見覚えのあるドラゴン達に問いかけた。

「さっき、僕達が居た辺りに居ましたよね、そちらのドラゴンの方達」

「グァ」

「Zzz」

 男は、坂の問いかけに寝息で答えた方にこう言った。

「ソウ君、起きなさい」


 双子はその瞬間、悲壮感さえ忘れて驚きの声を静かに上げた。

「校長……先生?」

「校長……先生?」

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