ヒトとドラゴンが得た物(1)
けやきの懐へと、三池を乗せたクロが凄まじい勢いで飛び込んでくる。
「ッさせない!」
三池の身体の動きは俊敏そのもので、けやきの手中の白球を一回、また一回と奪おうとし続ける。
三池がけやきへと迫る度、その額の血液がふわりと宙を舞い、クロや三池自身に滴り落ちる。にも拘わらず”彼女に着地による影響は無いのだ”と、けやきがそう判断する程に、三池の狙いは狡猾で的確だった。
「やるじゃねぇか、けどなァ!」
けやきの左右から葛寺、宮本両ユニットが迫る。
良明達はさらにその背後に位置しており、この時点で攻防に手出しする事は不可能な場所にいた。
三対一の攻防を、けやきはきっかり七秒間耐えきった。
ただし、その七秒の先にあるのは必然的なボールの喪失である事に変わりなく、ついに三池はその手に勝利への扉を開く鍵を掴み取った。
彼女を遮る最後の砦。大きく自陣側に回り込んでいた双子達は、三池の前へと躍り出た。
幸い、竜王高の二ユニットの進路はけやきとガイが防いでくれている。そのそのどちらか片方がけやき達を大きく回り込んで駆け付けてくるまでは、双子と三池の二対一が成立する状況が出来上がっていた。
三池の脚が今一度彼女の脳へと強烈なフィードバックを叩きつける。動くなと、試合を中断して呼吸を整えろと、凄まじい激痛で以って彼女の動きを阻止しようと全力で刃向かってくる。
無論三池はそんなコトバには一切耳を貸さず、くそくらえとばかりに全神経を研ぎ澄ませ、明確な意思により四肢へと最善の動作を要求し続けた。
クロはそんな三池を心配する事はせず、ただただ眼前の状況に向き合っていた。
かつて、竜王高校とは何ら関わりが無かった自分を龍球部へと引き入れてくれた三池と言う少女への感謝と、こと龍球に関しての全幅の信頼。彼が三池の無理に付き合う理由など、それで充分であった。
「っははははははは!!」
三池が、壊れた様に笑いだす。
まるで、今この時こそが彼女の人生において最大の見せ場であるとでも言いたげに、笑い出す。
クロは、その三池の奇行に対して特別に驚いたりはしなかった。
三池というのはこういう奴だ。
クロの中ではわざわざ理由付けするまでも無くそれは当たり前の事であり、むしろ彼は、妙な冷静な心持でこの時ある日の記憶を無意識のうちに掘り返していた。
彼と三池が初めて出会った日の事を。
刹那のうちに行われた追憶は、彼の動きに影響を与える事は無い。
*
「入学早々ォ、ウチの仲間をコケにしやがったのはてめぇか」
名前も知らない、顔も知らない、制服すら見た事が無かった。
ブレザーを着た男子生徒は、眼前のちっこい奴に睨みを利かせながら尋ねた。河原に呼び出した、憎い憎い仇敵にである。
まっとうな高校生活を送っている学生ならば、こうはならないだろう。
この男子生徒の事を言っているのではない。彼に睨まれ、威嚇に等しい問いかけをされている、対面に立つ三池女史の事である。
高校生活三カ月目にして、三池は女史と皮肉の一つも込めたくなるような馬鹿をやらかした。
「コケにした? ざっけんなよてめぇ」
「ああん!?」
「てめぇんトコの坊主頭が俺がゲーセンで遊んでるトコに絡んで来たんじゃねぇか。順番譲れだのなんだの言ってよー」
「普通譲るだろうが! 幸田のイカつい顔見たら大体誰でも席譲るわ!」
「……え、何言ってんだ? てめぇ」
三池の知らない学校の男子生徒は、上着のコートを乱暴に脱ぎ捨てると、後ろに控える仲間達に「おいコラてめぇら」と言って確認する。
二十人弱は居るだろうか。彼と同じ制服の生徒達が、今にも暴れ出しそうなガラの悪い面を並べている。
「アレにはきっちり金払ったんだろうな?」
「払ったよ、けどモッチー、お前馬っ鹿じゃねーの? 相手一人だぞ? 五万もドブに捨てやがって……」
「アホはお前だ。幸田が敵わなかった相手だぞ。タイマンじゃ絶対ぇ勝てねぇし、束でかかってもまだ危ねぇ。用心するに越した事ねぇだろが」
男がそう言って眼前へと視線を戻すと、三池は何やら俯いて肩を震わせている。
「ぁあ!? てめぇクソオレンジ頭! なにが可笑しい!!」
「いや、タンマ。ちょい待て。いいから……くくく」
三池は左手を前に、右手を口元に当て、必死で笑いを堪えてこう言った。
「なんだってんんだよ!!」
「いや、そのくっそ不良不良したヤツが”モッチー”って……」
「別にィ! ウケる程珍しくも無ぇだろうがぁあああ!!」
モッチーの咆哮を合図にした様に、集団は一斉に三池へと襲い掛かった。
「はァーあ。ちょいツボっただけだろうが、ったく……」
と笑いを一段落させると、三池は首と手足をくねくねとまわして準備運動を始めた。
構わず相手の群れは迫りくる。眼前一メートルに最初の一人が迫っても、彼女は肩をぐるぐると回して準備運動を続けていた。
はずだが。
「っぐっは!」
と言ってもんどりうった少年は、鼻血を袖で拭いながら驚愕の表情を浮かべて三池を見上げる。そして、こう言った。
「今……何が起こった?」
彼に、三池のモーションはまるで知覚出来なかった。
二人目、三人目は立て続けに三池に蹴りと殴打を浴びせにかかるが、どちらも完全に空振りし、気づいた時には側頭部に重い蹴りを貰って吹き飛ばされていた。
四人目、五人目は共に木の棒きれを手に彼女の脳天へと振り下ろす。
「アホ! 当たったら警察沙汰んなるのはやめろっつっただろうが!」
モッチーの制止もむなしく、その二人の一撃は完全に振り抜かれる。
「ッ!?」
「え?」
それよりもはるかに速いタイミングで彼等の懐へと潜り込んだ三池は、四人目のの鳩尾に拳を、五人目の脇腹に肘鉄を食らわせた。両者、呼吸が儘ならなくなり、ゆっくりとその場に蹲る。
「おい、五万円! 出番だ来い!!」
五万円。そう呼ばれた男は、群れの奥から姿を現した。
『あいあい。五万円分の仕事だけはきっちりこなさないとな……って言ってもお前等俺の言葉解らないんだったよな? 今日はこの前の通訳どうした?』
気付けば既に十人以上をノしてしまっている三池は、そいつを見てピクリと眉根を動かした。
「おうおう、人間様のケンカに首突っ込むのか?」
言われて答える男は、赤い眼でちっこいやつを見下ろしてこう答えた。
『なにせ、五万円もらっちまったからなぁ』
男はドラゴンで、小柄な三池などよりも遥かに大きな体を構えて早くもタイミングを計り始めた。
「ははは! ざまぁみろ!! こいつはこの辺りでこういうコトして生計立ててる、いわば喧嘩のプロなんだよ!! ドラゴン相手に勝てる人間なんていやしねぇ! てめぇ、終わったなァア!」
饒舌になるモッチーをぎろりと見る三池、彼女を取り囲む残りの者達。
三池は、ゆっくり足元に落ちた角材を拾い上げると、
「っせーよ」
モッチーめがけて投げつけた。
見事なコントロールで直撃する角材。モッチーは痛みに歪んだ顔面を押さえながらドラゴンに指示した。
「始めろ! 五万円!!」
『遅ぇよ。一撃貰った後に言ってんじゃねえ』
ドラゴンは、ずんずんと歩を進めて三池の前へと出てくると、じっと彼女を見た。
「あんだよ。五万円受け取ったんだろ。とっととかかってこいや」
『…………』
二秒ほどの間の後、ドラゴンは突如として三池めがけて爪を振り下ろした。
三池は、避けようとしない。
群衆のどこかから「ビビッて動けない」だとか、「やばくねぇか」だとか、そんな声が飛び交った。ある者は眼をみはり、ある者は反射的に視線を逸らす。
しかしながら、次の瞬間ドラゴンの一撃が捉えた物は何もない中空。ただそれだけだった。
ドラゴンの太い爪は三池の細い腕により受け止められていた。
ぐぐいと黒龍の腕を押し上げて、三池は腕の向こうから相手を睨みつけてこう言った。
「様子見してんじゃねぇぞ……ドラ公が」
クロは素早く身体を反回転。尻尾を三池に叩きつけようとしたが、彼女は跳躍する事で軽くそれをかわし、ついにその拳をごつごつとしたドラゴンの頬に叩きこもうとふりかぶった。
ここで彼女は気づく。
(――誘われたッ!?)
クロは、支える物が一切無くなった状態の三池へと踏み込み、その顎めがけて強烈な頭突きを繰り出した。
クロの頭に、三池の顎に、骨を震わせる衝撃が走る。一撃は完全に入った。
ジャンプの後に重力により落下しようとしていた三池の身体は、この一撃によりささやかに再び上昇し、そして地面に背中から叩きつけられた。
『舐めんな、人間風情が』
仰向けに倒れている三池に吐き捨てる様に、ドラゴンは憎しみを込めてそう呟いた。
あっけないまでに一瞬の攻防。
モッチーはじめ、その場で観戦を決め込んでいた一同は、何も言えないで一頭と一人を見ていた。
「勝っ……」
誰かが勝利を口にしかけた時だった。
「ああ? ……んだってぇ?」
仰向けに倒れた状態の三池が、むくりと上半身を起き上がらせる。
ざわつく群集。
「おい、今完全に入ってただろ! 顎だぞ顎!」
「人間風情? 喧嘩に人間もドラゴンもあるかよアホ」
ドラゴンは、ピクりと動いて半歩退いた。そして、問う。
『お前、竜語が解るのか?』
「は? なんだりゅーごって。てめぇがそんなカンジのニュアンスの事言ってたからああ返しただけだ」
三池は完全に起き上がると、「そんな事より」と言って続ける。
「てめぇ、なんで追撃してこねんだよ。待ち構えてた俺がアホみてぇだろうがコラ!」
クロは、その三池の一言に対してあんぐりと大きく口を開き、そして、その眼を見開いた。
あっけに取られていた彼の表情は次第に歓喜のそれに代わり、そして、クロは、
大きく吠えた。
電車の警笛の様に高らかに、三池以外の誰もが耳を塞ぐ程の大音量で、吠えたのである。
三池はにやりと笑って一歩、二歩と踏み出していく。
クロもそれに応える様に駆け出し、羽根を羽ばたかせる。
人間とドラゴンによる、素手のタイマン勝負が再開された。
殴る蹴るは当たり前。尻尾を叩きつけ、爪を突き立て噛みつくところまでを目撃し、群集はついに恐怖を感じて散って行った。群れで揃ってどこかへと逃げ出したというよりも、三々五々に散って行った。クロが大口を開けて三池の肩へとばくりと顎を下ろしたところで、散って行った。
その時の彼等にとっては最早仲間の為の復讐などという事はどうでも良く、それは、ただ只管にこの危険人物達と関わり合いになりたくないという一心からの行動だった。死者が出る。そう確信した誰かが警察と救急へと電話をかけようとしたが、モッチーはそれさえ窘めて「関わり合いになるのは御免だ」と言った程だ。
「ぉおおおおお!」
「ァアアアアア!」
クロが上空から振り下ろした爪をかわし、三池はその小さく鋭い拳を彼の腹に叩きこんだ。
二人以外誰も居なくなった河原にて、勝敗決す。
左の肩に歯形が付いた三池。
角の先端が折れたクロ。
一人と一頭は、気づけば共に河原へと倒れこんでいた。
「カウンターって、やっぱドラゴンにも効くもんなんだな……覚えとくわ」
目の上を切って流血しているクロは、横に転がって何か言っている人間にこう尋ねた。
『お前、名前は?』
「三池だよ。それがどうした、この乞食が」
『乞食じゃない。俺の名前はクロだ』
「……まっとうに働く事もしねぇで喧嘩で生計立ててんだろうが。乞食で十分だ」
『……ああ、何かと思えばその事か』
クロはぐぐいと身体を起こそうとするが、痛みが邪魔をして崩れ落ちる。
『お前達人間が、俺達の職場を奪ったんだろうが……』
「はあ?」
『肉体労働だろうがなんだろうがやるつもりはあるのに、それをあーだこーだと理由をつけてさせないのは、お前達の方だろうがって言ってるんだ』
「なんだソレ」
『……お前、さてはアホだな? 勉強とか全っ然してねぇだろ』
「にゃにおぅ」
三池は血を流している左腕をだらりと垂らしたまま、二本の脚でしっかりと立ち上がるとクロの前まで歩いて行き、しゃがみこんで彼の顔を覗き込む。
それを見て、クロはすっと目を瞑ってこう言った。
『俺の、負けだよ。もう指一本動す気になれない』
三池はぶすっとしてそんなクロに言う。
「”気になれない”? 気に食わねぇ言い方だな。やろうと思えばまだやれるってコトだろそれ」
『……さぁな』
夕日が川面をキラキラと光らせている。
「お前よー」
三池はクロを背もたれにして脚を伸ばして座ると、こんな事を言い出すのである。
『ウチの学校に来ねぇか?』
「なんだソレ」
『仕事紹介してやるっつってんだよ』
「アテがあるのか?」
風が肌寒い。
ジャージに空いた穴から肌へと冷たい空気が入ってきて、三池の傷をじんじんと刺激する。
「なんだかんだ、生徒の事考えてる先公が居てよぉ。俺、部活とかやってねぇんだけどよ、あいつが顧問やってる部なら、ガチでやってもいいかなって思ってんだよ」
『……飛道部か?』
「龍球」
『…………悪く、ない……』
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