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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
13/229

決断(1)

 英田家長男・良明の決心は、思いの外すぐに固まった。

 あとは度胸の問題である。彼はそう自分に言い聞かせ、一歩一歩を踏み出していく。


 一方、横を歩く英田家長女・陽は、はっきり言って決心などしていなかった。

 単に兄が馬鹿な事をしようとしているのを放っておくに出来ないので、仕方なく、成り行きで、その”馬鹿なこと”に付き合うことにしたのだ。

 強いて彼女が今この場(・・・)に居る理由を他に挙げるとすれば、感情に流された事が挙げられるだろう。ケージの中で震え怯える仔竜に対し、そうするしかなかったから土手から救出し、そうするしかなかったから今、助けようとしている。

 そうするしかないから、彼女は足を無理やりつき動かしていた。

 それでも、陽は今はそれでいいと思った。

 こういうのをご縁というんだよ。と、自分に言い聞かせて歩を進める。


 これで三度目。そろそろ見慣れてきた渡り廊下を行き、ボロい戸を引くと、それまでうっすらと聞こえてきていたボールが跳ねる音が、はっきりと聞こえてきた。

 兄妹の読み通り、日曜日の竜術部部室の奥の中庭では、けやきとガイが朝練に励んでいた。

「樫屋先輩!!」

「失礼します!」

 兄と妹は台本でも読んでいる様な、どこかわざとらしい響きのある声で部長を呼んだ。因みにこの兄妹、事ここに至るまで何一つけやきに話す内容については打ち合わせしていない。


 ふわりと着地するガイ。そしてその背中に腰を下ろしているけやきは、無表情に英田兄妹の方を向いた。このときの表情に”何事か”という疑問の色が一切無く、ただただ無表情だったのは、恐らくは兄妹の声音から彼女にとっての厄介ごとが舞い込もうとしている事を瞬時に察知したからであろう。


 中庭から部室に続く戸を引いて、けやきは問う。

「どうした?」

 昨日の二人の表情を見るに、彼らが入部を希望していない事は想像に難しくない。けやきにとってそれは半ば確信に近かった。それで尚、彼らがこの部室に足を運ぶという事は、何か事情が変わったという事。自分の知らない何かが彼らの身に降りかかり、自分に用が出来たのだ。けやきは一瞬でそこまでは悟った。


 けやきは答えを待ちながら思う。

 彼等の中での自分のイメージは、恐らく”ドラゴンや龍球に詳しい先輩”と言ったところか。恐らくは、ドラゴンに関する何事かで自分の元へと足を運んだのだろう。


 と、その時彼女は良明の腕に抱かれているドラゴンの存在に気づいた。


「突然……なんですが、お願いがあって来ました」

「……」

 けやきは、無言でもってその先を促す。否、その沈黙は、良明の口から出るであろう言葉を想像する事で、自分の言葉を失ったが為の沈黙である。


「こいつを、竜術部で生活させてやってくれませんか」

「英田」

 すかさず何か言おうとするけやきの声を遮るように、良明は続ける。

「無理を言っているのは重々承知です! 竜術部の風当たりが強くて、部費的にもそんな余裕が無いのかな、とも思ってます。けど、それでもお願いします!」

「……」


 けやきは再びおし黙り、深々と頭を下げた良明に対して投げつける言葉を選ぶ。

「お願いします!」

 頭を上げようとしない兄の横で、妹も全く同じ角度でお辞儀する。

 この瞬間、陽の覚悟は意とも容易く兄に追いついた。そして、それは同時にもう引き返せない事を彼女が身体で感じた瞬間でもあった。

「…………まぁ……座れ」


 けやきはタオルで額の汗を拭いて、二人と一頭を相も変わらずボロボロの学生机に促した。

 良明と陽に対面する位置に腰を下ろすけやき。ガイは、その背後から良明に抱かれているドラゴンを穴が開きそうなくらいに凝視している。

「兎に角、まずは事情を話せ」

 呆れる事も叱る事も一旦待つべきだとけやきは思った。

 唐突に舞い込んだ話には、冷静に、冷めていて醒めている姿勢で応じる必要があると判断したのだ。


 良明にとって、けやきが厳選したその言葉は予想していた一言であったし、当然事情について突っ込まれるであろうと思っていた。が、同時に最も訊かれたくない事でもあった。

「言え…………ません」

「…………」

 けやきは、今度は無言でもって抗議する。

「では、何故言えない」

 質問を変えるけやきに、それまで兄に任せきりだった陽が答える。

「……解らないんです。この子に、何があったのかが」


「ならばお前の知っている全てを話せ。まずそれからだ」

 返すべき答を一瞬で導き出し、冷静な――それでいてどこか威圧するような――口調でけやきは促した。

 双子は、昨日あったありのままを、目の当たりにした限りの全てをけやきに伝えた。


 けやきの表情は、変わらなかった。

 明王の様に顔をしかめるでもなく、菩薩の様に達観した表情を浮かべるでもなく、むしろ、無表情に、それでいて凄まじい思考の内にある漆黒の瞳を金眼のドラゴンに向けた。


 一分ほどはそうして沈黙していただろうか?

 その間の英田兄妹は、必死に気まずさに耐えながら一切口を開く事も無く、ずっと視線をけやきの顔に突き刺していた。

 けやきはついに重い口を開き、ほんの小さくため息一つ。言葉を紡ぎ始めた。

「まず、竜術部で生活させる……という言葉の指すところはなんだ?」

 第一声に”駄目だ”だとか、”馬鹿を言うな”だとか、辛辣な否定の語の類が出てこなかった事に対し、内心胸を撫で下ろす二人。


 だが、けやきの問いに対して即答で切り返す事は出来ないでいる。そんな英田兄妹の様子を見て、けやきがその問いの意味を整理して問い直す。

「至極素直に解釈するとして、その子竜の家をここに構え、他の竜達同様に竜術部で働かせるという意味か?」

「……はい」


 恐る恐る応える良明に、けやきは努めて穏やかな口調で言う。

「龍球のノウハウも知らないだろうまだ小さいその子に龍球をさせたり、学校の各種行事に参加させたり、何より現住所がどことも知れないその子を私達の方で一方的に引き取ると言うのは無理があるのではないか?」

「こいつは……多分、帰る場所が無いから何も教えてくれないんだと思うんです」


「そういう事を言っているのではないぞ、英田」

「え、」

「何かしらの事情があって、その子はそんな目に遭っていた。それは状況からして事実だろう。そしてそれは恐らく、自分の家に帰れない理由でもあるのだろう」

「じゃあ――」


 ここ数センテンスのけやきとの問答の意味を、兄ははかりかねていた。

 この金眼の子竜の居場所が無さそうである事は、どうやらけやきは理解してくれたらしい。だが、問題の論点にすべきはそこではないと言う。良明の頭の中では、けやきが問題にしている”そういう事ではない”何かが導き出せないでいた。


「お前は、家出して事件に巻き込まれた子供が家に帰りたくないと言ったら、自分の家に上げて生活させるのか?」

 良明、それから陽の認識は甘かった。

 人間とかけ離れた見た目をしている為なのか一般的にも忘れられがちだが、この世界において、ドラゴンは人間に準ずる知的生命と認められているのである。けやきの例え話は、大げさでもなんでもない。言葉そのままを正面から受け止めるべきである程の、子供数人が抱えきれる程度を超えた重さを有していた。


 陽が、肘から上だけを立てて遠慮がちに挙手する。

「英田妹」

 名を呼ばれて発現する陽。

「……この子自身、自分の家の場所を語らないから、引き取るしか無い……という理屈では、駄目……ですか?」

「警察に連絡するのが筋だろうな」

 腕を組んでけやきは何かを考えるような口調になって言った。


 その時だった。


「グェエエ! グェエエ!!」

 金眼は、不意に大声で吼えた。

 それは、ヴァイオリンでこれ以上無いくらいの高音を出したような掠れて細くて黄色い声に、コントラバスで身体が震える低温を出した様な振動を伴わせ、周りに一切の気を配る事を放棄した様な、ただただ大きな声で主張する事だけに重きを置いた様なイントネーションだった。

 その声は、何かに怯える様で、拒絶する様で、さながら”泣き声”の様に思えた。


 突如として部屋に響く悲痛な竜の声。

 それは竜との付き合いが浅い双子にすら解る程に明確な意思を伴い、声の主の仔竜からして、怯えた金の眼をぎょろりとむいて震えていた。

 仔竜の気持ちをあえて人間の言葉に変換するなら「それだけはやめて」以外の何物でも無いのは明らかであった。


 けやきは、ここにきて難しげな表情になる。曲げた右の人差し指で下唇を支えて、金眼をじっと見つめる。

 金眼はその視線を正面から受け止め、懇願するように三人が囲む学生机の上に踊り出た。

「お願い、します」

 良明と陽は、今一度けやきに頭を下げる。

「英田兄、妹」

「はい」

「はい」

「……こいつに関して、仮にこの部で身元を預かるとしてもだ。面倒を見るのはお前達だぞ」

「もちろんです、こいつがここで暮らせるんなら、俺は何でもやらせてもらいます!」


「英田」

 半ば良明の言葉を遮るように、けやきは少年の名を呼んだ。その口調は、明らかに今日一番の怒りの色を宿していた。良明は、自分になにか失言があったのだろうかと焦り、調子の悪いエンジンが始動を諦める様に口ごもる。

「そう簡単に、何でもなどという表現を使うものじゃない。特にこういう大真面目な話をしている時のその手の発言は、言葉通りの意味を伴うと承知しておけ」


 そして、けやきはこう問うのだ。

「お前達は、この金眼の仔竜が竜術部で働く為に、お前達の高校三年間の”本気”を捧げられるか?」

 良明と陽の回答の違いは、そのニュアンスを含め全く無かった。

「はい」

「はい」


 数時間前にかわされていた兄妹の会話の中で、竜術部に助けを求めるという案を出したのは、良明である。そして、陽はそれに応じたのみ。

 兄は、言い出しっぺの責任感からもはや後には退けないという状況を自ら作り出す事で仔竜を助けようと思った。

 妹は、そんな覚悟も決められないままここまで来たが、結局の所、気持ちとしては仔竜を見捨てる事が出来なかった。


 昨日、藤から連絡を受けた時点で兄妹の伝う路は確定していたのだ。

 あの時、兄妹が仔竜を助け出した後、藤は二人にはっきりとこう言った。

『この子が黙っていたって知るもんか。俺は助け出してやってから後の事は知らないよ』

 そして金眼の仔竜に対しても、目を合わせてこう言った。

『落ち着いたらどこへなりとも行きなよ。助け出してやったんだから、お前はもう自由だ』


 兄妹は正論だと思った。

 その藤の発言に対し、薄情だなどとは一切思わなかった。

 これはもう、性格の違いによる考え方の相違でしか無いのだろうと、そう割り切るしかなかった。

 つまり、兄妹が今この場にこうして頼み込んでいるのは、結局の所、自分達の意思なのだ。”そうするしか無かったから”という理由をつけないでいられない性格の、紛れも無き自分達の意思なのだ。


 極めて傷つき難いダイヤモンドは、されどもハンマーで叩けば意とも容易く砕け散る。

 硬くは無い二人の決意は、されども非常に粘り強かった。

 英田兄妹が竜術部部長・樫屋けやきに言うべき事は全て言った。あとはこの人が首を縦に振りさえすれば、晴れて兄と妹の三年間に亘る高校生活の闘いが始まるのである。


 その筈だった。


 樫屋けやきは、目を閉じて沈黙する。

 五秒。否、英田兄妹には十秒くらいには感じられた静寂の後、彼女はすっとその瞳を露わにし、こう言った。

「英田兄妹」

「はい」

「はい」

「私と、勝負しろ」


 耳を疑った。

(今、なんて……)

(……言ったの!?)

「こちらは直家と私のチーム。そちらはお前達二人」

「え、先輩、ちょっと」

「まあ聞け、何も真向勝負しろと言うのではない」

 突如として畳みかける部長に、兄も妹も反論の隙を見いだせないでいる。

 というより、どう反論すればいいのかすら頭に浮かばない。


「私達から一点でも取るか、前後半合わせて二十分間私達から一点も奪われなければ、そちらの勝ちだ」

 その条件が如何程の困難さを秘めているのか、二人には解らなかった。が、少なくとも真向勝負するよりは自分達にとってかなり有利なルールである事は理解出来る。

 それだけの理由で、良明は部長に対してこう訊いた。

「僕達が勝った場合、こいつがここで生活する事を、絶対に許可してくれますか?」

「ちょっと、アキ!」

「無論だ、約束する。何なら今ここで録音してくれても構わない」


 慎重さを欠いた良明は、妹に相対してこうのたまう。

「陽、先輩がここまで譲歩してくれて、それでも尚俺達が負ける様じゃ、きっと話にならないんだよ。この先こいつを支えていく事も、まして竜術部を引き継いで行く事も」

 陽は、とても何か言いたそうに良明とけやきを見比べている。が、あたかも口を開けられない魔法でもかけられた様に何も言えないでいる。

 口を'ん'の形で閉じたまま、黙ってしまった。


 けやきは、腰掛けていた椅子から立ち上がり、二人と一頭を見て言う。

「ただし、金眼の竜。いざ責任の所在を追及される様な事態になった場合、警察が絡む事を拒んだ君にその辺りの事は負ってもらうぞ」

「グァ」

 金眼の仔竜は、肯定の鳴き声をあげた。


 うん。と頷き、けやきは陽に問う。

「それで、この子の名前はなんというんだ?」

「え」

 良明と陽は顔を見合わせる。それは、今に到るまで全く不明な事柄の一つであった。

「いつまでも”金眼の仔竜”では不便だろう」


 と、ここでその金眼の仔竜は右の手をけやきの方に差し出した。

 よくよく見ると、その指の間にはなにやら粗雑に折られた紙切れが一枚。けやきは差し出されたそれを受け取り、開いてみる。

 つたないつたない利き手ではない方の手で書いた様な字で、”レイン”と書いてあった。


 けやきは、レインの頭にぽんと掌を当てて言う。

「事情が事情だけに厳しい態度を取って悪いが、必要な事なんだ」

 その顔を見たレインは、やはり「グァ」と肯定の声。チャンスを貰えただけも有り難い、と言っている。


「……まぁ、なんだ」

 けやきは少しだけばつが悪そうにしつつも、場の緊張を解そうとする。

「一度部に入ってしまえば、ガイ達も新しい妹分が出来たと言って優しく迎えてくれるだろう。だからこそ、本気でかかって来い」


 陽は飴玉の様に眼を丸くしてけやきに質問する。

「この子の性別が解るんですか?」

「顔つきを見れば大体はな」

 良明と陽はまたも顔を見合わせる。

 そして今一度レインを見るが、けやきが言う”顔つき”が何を指しているのかはさっぱりまるで解らなかった。


 果たして、ここまでドラゴンに関して熟練した者に勝てるのだろうか?兄妹は再び不安になり、それを表情に出してしまった。

「まぁ、あくまで竜に関しては、だがな……」

 と、けやきが足した言葉の意味が解らず、同じ様な顔をして良明と陽は「え?」と声に出すが、けやきはそれ以上何も語らなかった。

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