因縁の彼方で(2)
前途洋洋。少年少女とドラゴンは、今一度輝かしい準決勝のコートへと舞い戻った。
良明は、右手でレインの首筋をぽんぽんと撫でる。
『うん、がんばる』
レインが凛とした表情を浮かべて唸った。
良明は、相手チームの群れの中央最前に構える三池とクロに対し、恐れを意図して忘れようとしている視線を向けた。
「得点で言えば1対2の今、三池さん達にボールが渡ったらそれはかなりの確率での負けを意味する。」
『うん』
「だからこそ、まずは一点を返さないといけない」
『うん』
「……今が、その最大のチャンス」
ボールを手にする良明は、陽へと目配せする。
本来、そんな事をする必要など無い。どういう原理で実現しているのかは定かでないが、仮にユビキタスシンパシーと呼んでいるこのテレパシー能力を以てすれば、念じるだけでお互いへと思っている事を伝える事ができる。
だが、良明はそれでもあえて彼女の眼を見たのである。
彼と同様の、ぐりっと大きな人の良さそうな優しい眼。衝動的に、それを視界に入れたくなった。
陽には兄の不安がよく解った。
口に出せば、言霊が容赦なく状況を悪い方向へと突き落としてしまいそうな、とてつもなく大きな不安。
竜王高校にとっての勝利の一点は、自分達にとってはこの半年間の努力を舞台上から蹴落とされる事になる一点である。今これから一点を取り、さらにその後相手からボールを奪いもう一点取る。
さもなくば、敗北。
容赦のない現実を体現する様に、彼女と良明の前の三池とクロは闘気を纏って試合の再開を待っていた。
『行こう』
レインが、意を決した様に言った。
かつて自分の命を救おうとしてくれた良明と陽。彼等が不安になるのなら、今は自分がその背中を押す時だと彼女は思う。
良明と陽の背後で、けやきはいよいよ息を吸い込んだ。
その気配を感じ、ガイがじりりと足に力を籠める。
時は満ちた。
一か八か。竜王高チームに古戦陣への対策があるならば、苦戦は免れない。
だが、もはや立ち止まる理由も、振り返る時間も無い。
進むしかない戦場を、六名はついに進み始めた。けやきによる号令が、”進め”の意味を伴って叫ばれる。
「エンペラー!!」
三池は、陣形最奥のけやきへと、一秒間注視を続けた。
その手前では向かって左に陽、右に良明のユニットが羽ばたきを始める。
「ボールを持ってんのは兄の方……」
三池がクロへと前進の指示を出すと、彼は騎手へと忠告してきた。
『恐らくパスを回されるぞ』
「解ってる。俺達はその後樫屋をマークして、双子の対応は葛寺と宮本に任せる」
『樫屋がオフェンスに関わる事を封じるという事か』
「ああ。正直、あいつは俺等がマークしてねぇとかなりヤベぇ」
会話が終わる頃、良明と三池との距離は五メートル程にまで縮まっていた。
三池が良明のボールへと狙いを定めると、良明は迅速にパスを出した。
まだ三池の間合いからはかなり余裕があったが、先程の三池との攻防を経験した良明にとってはこれでもぎりぎりのタイミングだった。
「それでいい」
良明がパスを出した相手は、そう呟いたけやきであった。
そのまま良明を横切り、三池を乗せたクロはさらに加速してけやきとガイへと飛んでいく。
「そう来ねぇとなぁア!!」
ボールに追いつきかねない程の速度を伴って三池を運ぶクロは、視界の中で立ち姿を大きくしていくガイの行動を予測した。
(高度を上げて俺をかわすか、或いは何もせず樫屋がパスを回すのを支えるか。この勢いで俺達が接近している以上、ガイの奴から進んで加速して間合いに入ってくる可能性は低いだろう。さて、どうする三池)
手綱を左に短く二回引く。三池がクロに出した指示は、”向かって左側へのパスを阻止する”だった。クロは眼球だけを動かしてちらりと陽ユニットを見る。
「了解だ!」
陽は、けやきからのボールを待つべく両手を構えて待機していた。
「ガイ、いいな?」
『いつでも』
けやきは、接近してくる三池が間合いに入る二秒前に行動に出た。
ちらりと陽と良明を順番に見て、彼等がけやきの動向に注視している事を確認する。
視界の正面にけやきを捉えている三池は、彼女が何かをしようとしている事に気づく。が、行動を起こしたのはけやきが先だった。
「アロウ!」
三池の背後、竜王高コート内で、陽と良明の両ユニットが直列陣形を形作る。
が、その気配を肌で感じつつも、三池が彼等に振り返る事は無かった。
「ほう」
けやきの算段では、この時三池が振り返った隙をついてアロウフォーメーションの先頭にいる陽へとパスを出す予定だった。だが三池はこの時、自分がけやきから眼を離す事が致命的な結果につながる事を直観的に察したのである。
それは、大虎高の陣形戦術に対して三池の個人としての能力が対抗した瞬間だったと言える。
(先輩――)
(――どう、します)
陽と良明が視線でけやきへと指示を請うが、けやきがそれに答えるそぶりは無い。と、言うよりも、今現在彼女は三池の一挙手一投足を見極めるべく眼前の相手を凝視している。ちらとでも、双子の方を見る余裕は無さそうに見てとれた。
それこそが、けやきの双子に対する回答だった。
三池は、相も変わらずアイスピックの様に鋭い眼光を、けやきの懐のボールへと突き刺している。けやきは涼しい顔でそれを意識の外へと受け流すと、三池の身体の動きだけを冷徹なまでの冷静さで精査した。
三池は、小細工が苦手である。
真っ正直な性格がある意味災いし、人を欺くために演技したりであるとか、試合においてある局面で相手を出し抜くために予めフェイントの動きを頭で組み立てるといった事が出来ない。
それでもフェイントを必要とする場合には、ある方向へと本気で駆け抜けるつもりで身体を動かし、その後に改めて方針を転換して別方向へと走り出す。それでは動きが大振り過ぎて相手に対して身のこなしを把握されてしまいそうなものだが、三池の身体能力は、その相手の認識速度のさらに上を行く。並の選手が相手ならば、”フェイントだ”と認識した頃にはもう、三池は既にその者を横切ろうとしているのである。
話を戻す。
けやきは、三池の意識がボールから離れていない事を確信した。
そして、ガイから伸びる手綱をぐいっと引いて飛翔の指示を出す。
「逃がすかよ!!」
三池に追跡を指示されたクロは、迅速にそのガイの動きに追従した。結果、自分達の頭上をガイが飛び越える事はおよそ無理な高度を獲得する。
だがそれでも、三池が油断する事は無かった。
(樫屋はどこだ)
飛翔するガイの腹に隠れてけやきの姿を視界に捉える事が出来ない。
三池は、視線を振り回してけやきの所在を確認し始めた。三池が彼女の姿を見つけるまでコンマ七秒。それはあまりにも速い反応と対応だった。
ガイの背から離脱したけやきは、ボールを手に地上から三池を見上げると、眉間にしわを寄せて歯噛みした。
交錯する二者の視線。
三池はすぐさま手綱を手放し、クロの背から飛び降りた。
けやきは、三池が着地する前にボールを振りかぶり、前方で待機を続ける陽へと全力の投球を放つ。
未だ中空に存在している三池の小さい手が、それへと伸ばされた。
「上等だオらァ!!」
その指先を、ボールが掠めて飛んで行った。
「フラット! 私も直ぐに駆け付ける!!」
「させっかよ!!」
けやきと三池は、同時に夫々のドラゴンへと飛び乗った。
横に並んだ二頭のドラゴンが、速さそのものを競い合う様に羽ばたき、加速する。
クロとガイは、気配のみで相手を感じながら羽の筋肉へと力を込めた。
ボールを受け取った陽は、宮本操るセイが踏み出した一歩をたまたま視界の正面に捉えた。
(――向かってくる!)
その手に持ったボールを、相手の攻撃を受け流す様なタイミングで兄へと投げた。
とはいえ、良明は良明で眼前にて葛寺とライのユニットが行く手を阻んでいるのだ。
「ここは通さんっスよ!」
『とーってみろー!』
どこかコミカルな鳴き声を上げるライに気を取られそうになりながら、良明は陽からのボールをしっかりとキャッチする。
(アキ、こっちへのパスは多分もう無理。三池さんが戻ってくる前に攻め切って!)
(無茶言うなって! 俺だって二年生相手なんだぞ! 無理やりにでも二対一に持っていこう。陽、こっち来てくれ!!)
(わかった!)
陽がその心の中にて二言三言かわしているような顔をしていたのを、宮本は見逃さなかった。
彼は、今しがたのインターバルにて、三池から英田兄妹の能力の事は伝え聞いてはいた。内容が内容だったこともあり、今の今まで半信半疑だったが彼はこの時確信する。
「この二人、本当に心の中で会話をしているッ」
『宮本、追尾を』
セイが宮本へと方針への同意を請うと、宮本は「ああ、頼む」と言って陽への追跡を開始させた。
ショウは宮本ユニットよりも二歩分早く、良明達の元へと駆け付けた。
良明は上体を左に倒し、方向を調整するレインの背の上でそのままゴールリングへと狙いを定める。
それを見た葛寺が条件反射の様な速度で良明の射線の前へと躍り出たが、妙だった。どうにも相手のシュートまでの間に違和感を感じる。葛寺の、選手としての勘が漠然とした警鐘を鳴らし始めた直後、それがフェイントであると気づく。
「しまっ――」
良明は陽へとパスを出すと、そのままショウの身体の向きを調整させ、陽を追いかけてきた宮本ユニットの前へと躍り出た。
セイとショウの二歩分隙間。
そこに割り込めるかどうかはレインの力加減次第だったが、彼女は難なくそれをやってのけたのだ。
「レイン! 羽根を!!」
レインは言われて羽根を広げる。両翼合わせて五メートルあるかどうかという小さい羽根だが、それでも、相手の進路を制限する事は出来た。
(これで宮本さん達の動きは封じたし、葛寺さんのユニットは陽に追いすがるには俺の方へと寄り過ぎた!)
「よし、陽! 頼ん――」
予想外の速さでの帰還だった。
三池を乗せたクロは、何一つ遮る物が無いと思われた陽のすぐ背後へと迫る。
「待てコラぁあああア!!」
ほんの一瞬、ピクリと身体の動きを強張らせた陽だが、すぐに意識から三池の声を排除し、ボールを相手コートのゴールリングめがけて投げ放った。
ボールも、陽も、ショウの尻尾の先も、完全に三池とクロよりもゴールリングに近かった。
良明、陽、レイン、ショウ。その場に居合わせた大虎高チームの誰もがボールの軌道だけがシュートが失敗するファクターだと確信した時、それでも三池とクロは諦めていなかった。
『三池、まかせろ!!』
たったそれだけのクロの言葉の意図を三池が汲み取る事が出来たのは、彼女とクロの付き合い故だろう。
その背から三池を離脱させたクロは、身軽になった身体をボールめがけて突進させた。
「っ!」
「っ!」
兄妹の視界の中で、クロの身体が竜王高のゴールリングに激突した。厳密に言えば、彼がぶつかったのはリングを支えるポール部分。凄まじい勢いで背中にポールをぶつけたクロは、ずるずると流れ落ちるようにして、ポールの根元へと落下した。
その両手には、しっかりと白球が握られている。




