因縁の彼方で(1)
* * *
「ふざっけんなよ! 部長なりたての三池先輩を一人にするつもりかお前!!」
「葛寺、お前にだけは追及されるいわれはないぞ」
激昂する葛寺に対し、当初の宮本はいたって平静を保っていた。葛寺には、そうとしか見えなかった。
放課後。誰もいなくなった一年D組の教室で二人は幾分か離れた席から言葉の応酬を続けていたが、いよいよ葛寺は宮本の方へとずかずかと歩いてきた。
机を蹴散らしたりはせず、その間を縫う様にしてお行儀よく速足で近づいてくる葛寺は、宮本の正義がどうしても理解できなかった。
「こんな時期に部活止めるってなんだよってハナシだよ! 俺が部を抜けてたったの三日後だぞ!!」
「タイミングについては、完全に俺のミスだ。謝る」
「はあ?」
葛寺から視線を逸らした宮本は、そのまま視線を窓ガラスごしの校庭に向けたまま、元チームメイトにありのままを語って聞かせた。
「三日前。お前が部活の時に、家からストップがかかって部を抜けると言ったな。その次の日、俺が家に帰って机について勉強していた時に、親に雑談の様なニュアンスでお前が部を止めた事を伝えた。そこから理由を追及され――」
「なんで話したんだよ!? 親がそんな話聞いたらこうなる事くらい、お前なら解ったろ!?」
「ウチの親が、あそこまで世間の目を気にする人間だと思わなかったんだ。本当に、すまない……」
「はぁ…………じゃあ、理由は――」
「ああ。”三池先輩が居る部はダメだ”。それの一点張り、お前の親御さんと全く同じだ」
「いやいやいや、三池さん悪い人じゃないだろうが!」
「そんなの俺だってわかってる!!!!」
誰も居ない教室に、感情的になった宮本の声が反響した。
窓越しに、三池とクロがグランドでいつもの様に憎まれ口を叩きあう声が聞こえている。
「……髪の色がなんだよ。喧嘩好きなのがなんだよ!」
「なぁ、葛寺……俺、思うんだがな」
葛寺は、眼前に立って宮本へと”信じられない”という表情を向けている。だが、宮本の提案の内容は、葛寺も薄々予想はしていた。
「三池先輩に……」
「髪染めてもらって、喧嘩すんなって言えって?」
「懇願は俺がする。だから――」
「お前、三池先輩の生き方に口出しする気か」
「だがな、葛寺。スジを通すならそれが」
「解ってるよ! それが正しって事くらい!!」
「じゃあ……」
気付けば、校庭からの掛け声には野球部の声も混ざり始めた。野球部のランニングが始まる時間。そろそろ、自分も龍球部に合流しなければ三池に怪しまれると感じ始める宮本だが、今はそれどころではない。
葛寺は、宮本の葛藤など知った事ではないという風に、一年生の始めにあった事を口にしはじめる。
「お前だってあん時、三池先輩に助けられただろ。入学早々変な先輩ん絡まれて目ぇつけられそうになってた時、三池先輩が首突っ込んで助けてくれたから俺もお前もあいつや周りに虐められずに今まで生活してこられた」
宮本は同じく当時の事を回想し、当時三池が二人の前で発した言葉を一語一句違えずに再現してみせた。
「”俺に助けられたとか思うんじゃねぇぞてめぇら。良いから気にせずこんなクソみてぇな日の事はとっとと忘れろ”……」
葛寺は、気付いたら宮本の胸倉を捻り上げていた。
「てめぇ、三池さん自身の言葉を盾にして逃げるつもりかよ」
その葛寺の行動と言葉に対し、宮本も甚だ不快感をあらわにしてその手を振り払った。
「お前が真っ先に部を抜けるって言ったんだろうが! お前の方こそ、偉そうに俺に説教できる立場じゃない事を理解しろ!!」
葛寺は引かない。
「俺はあの時言っただろ!! 三池先輩と部をよろしく頼むって!! お前はそれを一度は受け止めた上で部を抜けようとしてるんだぞ!!」
「お前が部活を止めた事に変わりは無いだろう!」
センテンスの終わりに近づくにつれて語調を荒げていった宮本は、そのままの勢いで葛寺に畳みかける。
「三池先輩をよろしく頼むだと!? 馬鹿言うな! あの人は俺達がいなくたってなんとかやっていける強い人だ!! 俺達がそうやって気を回す事が、俺達を身体を張って助けてくれたあの人に対してどれだけ失礼な事か考えろ!! いいか葛寺、三池先輩がもし、あの人がいないところでこうして俺達が気を回している所を見たらどう思う!? ”いいからぐだぐだ言ってねぇで事情を全部話せ”って言うだろうが!!」
「宮本ぉ!」
葛寺が彼の名を呼んだのは、それ以上反論の語が浮かばなかったからである。
全く言う通りだ。三池はこうして気を回す事など望む奴ではない。
「気なんか回さなくて、正直で良いんだよ……俺達は。辞める必要があるならそう言って辞める。それだけだ」
宮本は葛寺から視線を落とし、その場に存在していない何かに抗議する様にそう吐き捨てた。
と、その時。
夕日に照らされる教室に、突然忙しなく身体を動かし続ける気配が紛れ込んだ。
ばっさばっさばっさ。
音のする方へと、二人は顔を向ける。同じような顔でぎょっとした。
「三池先輩!?」
「三池先輩!?」
クロの背の上で胡坐を組んでいる三池が、”この窓あけろや”と顔で訴えかけていた。
かくかくしかじか。
窓を開け、三池とクロが教室へと入ってくると二人はありのままを彼女に話して聞かせた。
「つまり、俺のアレやコレやの所為でお前等部活止めるハメになってるわけか」
「三池先輩、でも俺」
「そこに関して部長に抗議をするつもりは、ありません」
葛寺と宮本は慌ててフォローしにかかるが、三池は「つったってなぁ」とクロの背を椅子代わりにしたまま腕を組んだ。
「まぁ、実際山村にもさんざ言われてっからなぁ……髪の事も、喧嘩の事も」
葛寺は、実は理屈よりも感情の方が先に来ている意見を三池に伝える。
「三池先輩が今でもそういう風だから、その取り巻きの俺等が変な奴等の仕返しに合わずに済んるっつうのもあると思うんスよ」
「あー……」
妙に説得力のある葛寺の言葉に納得する三池。
葛寺は、マトモになった三池をあまり見たくは無いのである。
「そもそも……」
三池は、ここにきて根も葉もない事を言い出した。
「俺が首突っ込んで喧嘩でカタつけようとしたのが間違いだったよな。とっとと山村なりなんなりにチクっときゃよかったんだよあの時よ」
山村。生徒指導にして龍球部の顧問である山村の事だ。
「先輩、でも俺達は今更それを言うつもりはないスよ」
宮本は頷いて葛寺の言葉に続いた。
「あと……凄く、言いにくいんですが、結論はもう出てるんです」
三池と葛寺は宮本の言う”結論”に耳を傾ける。
「今更、俺も葛寺も親に何を言っても納得させられそうも無いんです。正直、その、部を抜けなければあらゆる手段でそうさせる、くらいに言われてて」
三池は天井を仰いで「例えば」と想像を口にする。
「小遣いカット、バイト禁止、夜間外出禁止、彼女作るのも禁止……」
「最後の例はともかく、ベクトルとしては大体あってます」
と、宮本。
三池は、膝をばしんと叩いてかっかっと笑った。
「んじゃーしゃーねーじゃんかよー」
そして、いつもの軽い軽い笑顔でこう言うのだ。
「よし! 龍球部の事は任せろ! てめぇらはてめぇらの事を考えれ!」
そして、沈黙する二人に対し、三池は一度だけその言葉を口にした。
「悪かったな、二人とも……」
*
【どらや】で売っている駄菓子のうち、三池が最も気に入っているのが10円チョコだ。
くじ付きで、包装の裏側に”アタリ”と書いてあるともう一つ貰える事になっている。加えてチョコレートは腹持ちが良いので好きなのだ。
自分の物を含めて合計四十円。
ふん、何という事は無い出費だ。痛くもかゆくも無いねと、三池はボロい財布の中を覗き込んだ。残額、千二十円。家賃と光熱費は切り崩さない事にしているので、今月あと五日はこの千二十円で生活しなければならない。
【どらや】を出て坂を下り、住宅街を抜けた先にある河川敷。
そこに、三池と、竜王高校龍球部に所属するドラゴン三頭が並んで腰を下ろしていた。三池、クロ、来、西と並んだ四名のシルエットは、どことなく愛らしかった。
理屈で説明するなら、小柄な三池、そこそこ大きなクロ、ドラゴンにしては小柄なライ、ほんの気持ち赤みを帯びたこげ茶のセイが並んでいる姿が、なんとなく家族っぽく見える事からそう感じやすいのかもしれない。
だが、そういった理屈がどうでもよくなるくらいに、夕日に照らされる彼等の姿は妙に愛おしい哀愁に満ちているのだった。
一番左に座る三池が、「で、だ」と切り出す。
十円チョコ1枚ずつでプライベートの時間を残業に費やすドラゴン三名は、部長・三池の話に耳を傾けた。ただし、今日の練習に宮本までもが来なくなった事から、薄々はその話題を察してはいる。
三池からの、かくかくしかじか。彼女は、ドラゴン達に洗いざらい話した。
もちろん、葛寺も宮本も、ドラゴン達に面と向かって”部を止める”という事は告げたのだが、その事情までは説明していなかったのだ。
一通り部長の話を聞いて、クロはこう言った。
『要はてめぇの所為じゃねーか。どうしてくれんだよ』
三池がそのクロの言葉に対して何らかの発言をするより前に、ライが口を開いた。
『クロ君クロ君ミケをいじめないでー。あの二人だって、ミケが不良なのは納得して部活やってたんだしさ』
ライの鳴き声は子供っぽく、何ともあどけない。体の小ささもあって幼く見られがちだが、実年齢では三十歳。人間の年齢に換算してももう十五歳の少年である。
兎に角。
実際に葛原の相棒をしていたライがこう言うのだ。ここでクロが折れないワケにもいかなかった。
『ちっ、まーどうせ、あいつらがやる気が無ぇんならどうしようもねーけどよ』
『今後どうする』
その場にいるもう一頭のドラゴン、セイが手短に尋ねた。相手は勿論、部長三池である。
三池は迷う事無く答えた。その回答は準備していたという様には聞こえなかったが、三池の中では解り切っている事らしく、特に彼女が答えに詰まったり、考える素振りは見受けられなかった。
「兎に角、練習は継続する。そのうえでメンバーは勿論募る。めどは来年度初めの新入生が入学してくるタイミングだ。春大会までには何とか人数だけでも回復させるつもりだよ」
『三池、アホのお前でもさすがに解ってるとは思うが、人数を集め、そのうえで鍛えてやる時間も必要だからな?』
「わーってるよ。新一年生がねらい目だって事を言ってんだ。俺は」
『ならいいが……』
カァカァと、カラスが侘しさを煽ってくる。
河原に反射するオレンジ色も、本来青い筈なのにすすけた肌色の様な色に染まっている橋も、河原でフライングディスクをして遊ぶ犬も。みんなして嫌がらせの如く三池達の心を沈ませようとしてきている。
三池は、不意にすっくと立ち上がった。
『む』
『なになに?』
『なんだよ急に』
セイ、ライ、クロが口々に言いながら三池を見る。
三池は、視線を浴びながら彼等三頭の前へと歩いていき、直立して夫々の顔を見て言った。
「無茶言って悪い! けど頼む!! 俺は、どうあっても来年大虎とケリつけねぇといけねんだ!! だから協力してくれ!!」
三池は、深々と頭を下げていた。
三池が、である。
* * *
クロは普段さんざ三池に憎まれ口をたたいているが、三池が皆の前で頭を下げたあの日の事に関しては茶化したり、卑下するような事は一度として口にしたことがない。
それは、純粋に部を背負っていこうとする三池への敬意の現れだった。
あの侘しい空気漂う河川敷にて、小さな肩に部の色々を背負い込んで闘おうとする三池の姿に、クロは正直な所感服しそうにすらなった。
当然、つまらない意地だのなんだのがそのクロの心を引き留め、彼がその気持ちを三池に伝える事は未だ無い。
だが、それでいいのだろうとクロは思う。彼にとって、三池は見上げるべきリーダーでは無かったし、三池にとってクロは、従属させるべき家来ではなかった。
かつて拳と牙を交えて戦った、無二の戦友なのだから。




