空を泳ぎ海を飛ぶ(6)
「たまには、一緒にはっちゃけようぜ……」
三池の言葉に対し、クロは色々と反論したかった。
”お前はいつだってはっちゃけてるだろ”
”俺が冷静でいなきゃあ、お前はどこまででも好き勝手やるだろうが”
”俺に、お前みてぇなアホ面して笑えって言うのか”
”大体、相手はあの樫屋だぞ。そんなんで戦りあえるとでも思うのか”
さて、どれから口にしたものか。
クロは言いたい言葉を選択し、眼前五メートルにけやきとガイの姿を捉えたうえでこう口にした。
「おうよ!!」
ガイは、完全にクロの進路をカバーしていた。羽ばたきながらも、その羽根でゴールリング周辺を遮る様に滞空しているのだ。上下するガイの羽根のタイミングを見計らって潜り抜けようにも、周期が速すぎてとても成功しそうにはなかった。
(目の前を封じられているんなら、高低差で差を付ければいい)
そう考えたクロは、今一度大きく羽根を羽ばたかせるとコート上空へと高く飛翔した。
ガイはそれへと追従する。
『大した瞬発力だ、だが!』
ぐいとクロへと近づいて、けやきを三池の手元のボールへと一気に寄せるガイ。けやきは予めその動きが解っていた様に、隙の無い動きでボールへと手を伸ばした。
三池が咄嗟に上体を逸らしていなければ、この時点で彼等の攻防は完結していただろう。けやきは「ちぃ」と舌を鳴らし、さらに三池を追撃する。
高度は上空七メートル。ドラゴンから離脱して相手に飛びかかる事がルール上認められていない高度である。三池ユニットが自ら下降をしない限りは、けやきはこういった小手先の技術でボールを奪う以外に方法が無かった。
二頭の高度はなおも上昇を続ける。高さ十五メートルを超え、観客席からは動揺を伴うざわめきに交じって悲鳴が聞こえ始めていた。
ボール奪取を三度阻止されたけやきは、三池を見据えて称賛の言葉を吐く。
「やはりやるな、三池!」
「けッ、てめぇらこそいい加減一旦地上に降りたらどうだ!」
言われたけやきは、右手に絡めた手綱をぐいっと一際強く引いた。
「!?」
三池の眼前で、けやきを乗せたガイはその身体をぐるりと一回転。突然宙返りした。そうする事で体勢を整え、改めて三池との間合いを詰め始めたけやきとガイはこう言い切るのである。
「断る!」
『断る!』
けやきとガイの声が聞こえてきたのと同時に、三池の手の間の感触が消失した。ボールは弾かれ、高度二十メートルの高さにまで達していた。
(――尻尾で弾きやがったかッ!)
三池はやや後方へと飛ばされたボールへと振り返り、けやきユニットに後れをとらないタイミングでクロを羽ばたかせた。
「ガイ、この機を逃す手は無いぞ!!」
『解っている!』
「クロ、頼むぞ!」
『任せろ!』
三池ユニットに対して僅かに後れを取ったけやき達は、それでも諦めない。
「ガイ! アレが優勝カップだと思え!!」
『おう!!』
餌に群がる魚の如く、我先にとボールへと向かって行く二つのユニット。
高高度に達した攻防に参加するのは彼女等四名のみ。強いて言うなら観客席とベンチから熱い視線が送られ、あたかもボールと彼女等をより高い上空へと押し上げている様に感じられた。
程なく終わった競り合いの後ボールを手にしたのは、三池でも、けやきでも、彼女等のドラゴン達でもなかった。
「先輩ッ!」
三池は、意識の外に居たその人物に彼女の眼を見開き、直後に声の主から投げられたボールをしっかりと受け取った。
「宮本! よく追いついた!!」
周辺には、陽を振り切った葛寺、宮本両ユニットが三池へと投げられたパスの行く先を見極めるべく滞空を続けていた。
「ッ、しまっ――」
歯噛みするけやきにガイは言う。
『けやき、まだだ!』
上空十八メートルの高さから投げられた三池のシュートを、けやきは辛うじて見逃さなかった。ガイが独断でボールへと寄せた身体の上で、彼女は放たれたシュートの進路を遮ろうとその長い腕を伸ばす。
タイミングは確実に間に合っていた。狙いも完璧。
距離さえ足りていれば、三池のシュートは確実にけやきの手によって阻止されていた。
ビーーーーッ!
「竜王高、一点。ゲームポイント、ワントゥー!」
審判竹達の声がほんの僅かにとはいえ震えていた事を本人以外の人間に悟られなかったのは、彼の大人としての、審判としてのプライドがそれを阻止したからである。少しでも気が緩んでいれば、マトモにコール出来ていなかっただろうと竹達は思う。まさに辛うじて、だった。
だが、竹達は思うのだ。かつての自分はあんなにも熱く、真っ直ぐに、龍球の選手として生きていただろうかと。
審判は、今しがた繰り広げられた龍球の申し子達の戦いを懐かしそうに、羨ましそうに、あたかも中継リプレイの様に頭の中でフラッシュバックさせていた。
『んもはや神業ッ! 頂上決戦ッッ! 先程私は大虎高校の英田兄妹の技に対して神術と申――』
藤はラジオの電源を切ると、イヤホンを外して眼前のBコートへと目を凝らした。その表情は、友人達を気遣うというにはかなり冷静で、現状の試合展開や彼等の戦いぶりをただただ分析する事に全神経を集中させている様な面持ちだった。
だが、それは見様によっては心を抉られる様な苦しみに対して必死に耐えている様にも見て取れる。
直家は、レインを取り巻く事情や藤が関わったあの雨の日の事も知っていた。だからだろう、彼は、今年入部した彼の後輩を励まさずにはいられなかった。
「お前が気に病む事ではない。彼等があれだけの力を手にし、自らを鍛え上げ、それでも尚一歩のリードを許しているのは、あくまで彼等が行くゴールへの道程だ。お前のレインに対する決断も、さぞ勇気が要る事だったんじゃないのか?」
「ありがとう、ございます……」
「気に病むなよ」
「……はい」
コート上は、ベンチに戻る。
長谷部はすぅっと息を吸い込むと、ふぅっと吐いて深呼吸をした。
「お前等、まぁ落ち着け」
長谷部の声を聞いた良明とけやきは、叱られているのは自分達二人だと思った。正直、試合を、三池とのやりとりと攻防を、完全に楽しんでしまっていた自分を彼等はこの時しっかりと認識していたからである。
大局を忘れていたわけでもなければ、大義名分をおざなりにしていたつもりもない。だがあの瞬間の自分は間違いなく、迸る様な幸福感に包まれていたと思う。それが試合に影響していなかったかと言えば、恐らくそんな事は無い筈である。
『で、でも――』
フォローしようと口を開きかけたショウの言葉を遮って、長谷部は良明とけやきにこう言った。
「勘違いするなよ。私は、なにも試合を楽しんでる事を責めてるんじゃない」
”えっ”という表情で顔を上げる良明に対して、尚も長谷部は意外過ぎる言葉を並べ立てるのだ。
「むしろ、試合は楽しんでこそだ。じゃなきゃあ、動きが硬くなって本来の能力を出せないなんて事もザラにある。特に、プロじゃない龍球の試合では」
長谷部は、こう続けた。
「皆、今しがた何故点を取られたのかをようく考えてみろ。解る奴、いるか」
「ぐぁ!」
「はいショウ。言ってみろ」
挙手の代わりに声を上げて、発言を許されたショウが長谷部を見上げて言う。
『相手選手の連携によって点を取られました』
「そうだ。相手選手の連携によって点を取られた! お前等、今日まで練習してきた事を折角の晴れの舞台なんだから活かしなさい」
「フォーメーション……確かに、余裕が無くて全く使えて無かったです」
と、陽。良明は長谷部とけやきに確認する。
「実際、三池さんにフォーメーションがどのくらい通用するのか、見通しはどうなんでしょう?」
けやきは部員達と長谷部の顔を見回して見解を述べる。その表情は完全に冷静さを取り戻し、感情的な物の一切を排除して論理的に物を考えられる状況に彼女がある事を示していた。
「去年もそうだったが、三池……いや、竜王高校というチームは基礎能力の高さと三池という攻撃の要により試合を組み立てている節は、確かにある」
長谷部は頷いて先を促す。
「三池をボールから遠ざけるという意味では有効だとは思う。だが、もしこの読みが間違っていた場合……」
『即ゲームセット、だ』
ガイはけやきの言葉を補足する。その冷静ながらも深刻な表情から、彼の言葉の意味をその場の誰もが理解する。現在のスコアは一対二。竜王高チームのリーチは既に成立しているのだ。
沈黙を禁じ得ない一同。
そんな彼等の背を押したのは、それまで一言も口を差し挟んでいなかった三年生だった。
「みんなさー、そこでビビってもしょうがなくない?」
「石崎さん、でも」
不安げな陽に視線を合わせて石崎は続ける。
「私がハタから見てた限りでも、三池っちとクロはやっぱり強いよ。それに対抗する事を第一に考えるのは当然っしょ。もし今年の竜王高チームが古戦陣のなんたるかを習得していたとして、それでも勝算は五部くらいを見込もうよ……」
「ぐぅう」
唸ったのは、石崎の横でゆったりと寛いでいたシキである。
『あと、けやき。一つだけ私にもアドバイスさせろ』
非常に珍しい事だった。
シキは、名指しで生徒に対して龍球の事をアドバイスする事は滅多に無い。それは、人間は人間を、ドラゴンはドラゴンを指導するべきだという彼の中のポリシーによるものなのであるが、はたして今の会話に彼が口を差し挟む理由とはなんなのだろうと一同は関心を抱いた。
『お前は、単体ではそこの双子よりも断然強力な戦力であり、実力者だ。ユビキタスシンパシ―とやらに期待する気持ちも解るが、この因縁の一戦、お前が出て行かなければ勝機は減るぞ』
「シキ……」
ドラゴンの言葉が解らない良明や陽や石崎は口々に「え、なんですなんです」だの、「ふえ?」だの、「シキさーん内緒話ー?」だのと不満げな言葉を吐き出す。
長谷部は、意訳してシキの言葉を皆に教えた。
「頑張れ。ってさ」
そんな短い言葉じゃなかっただろうと思いつつも竜の言葉が解らない三人――英田兄妹と石崎――が渋々納得したのは、その時のけやきが何らかの決意をその眼に宿していたからである。
それまでフォーメーションを駆使して攻勢に出る判断を躊躇っていたけやきだが、シキからの言葉を受け取った今、その何かが変わっていた。それはその身に宿す雰囲気、ほんの些事な身動きの変化、或いはそれ以外の何か。
兎に角、今の彼女からは迷いに類するものが完全に消え去っているのである。
「相手が三池の突破力で攻めるなら、私達は、私達らしい戦い方をしよう」
その語調は、未だかつてない希望に満ちていた。
あと一点取られれば勝負は決す。三池率いる竜王高に勝利するためにはあと二点取る必要がある。にも拘らず、今の大虎高チームはこのままでは終わらないという自信に満ちていた。
それは、根拠の無い自信などではない。けやきの決意と自分達自身が積み上げてきた物、その先に得たもの。それら、これまでの経験を経たからこその、確信にも似た想いだった。
竜王高という壁に挑む為のフォーメーション。それを指示し、指揮するのはけやきなのだと、長谷部とシキはそう訴えた。
そしてその訴えに対する回答が、今のけやきの眼であり、戸惑いながらも彼女について行こうとするチームメンバー達の表情なのだった。
「よし、行ってきな!」
長谷部に背中を押された兄妹は夫々のドラゴンに跨り、その後をけやきを乗せたガイがしっかりとした足取りでついていく。
けやきは、ガイの背の上からベンチに残る三人へと振り返った。
「ありがとう、ございます」
石崎は、顔をくいっと動かして”早く戻れ”と促した。
長谷部は口にこそ出さなかったが、思うのである。
(この天才樫屋けやきに対してさえ慎重な戦略を選ばせる三池……やっぱり彼女はかなりの化け物だ……それは、間違いない)




