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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
5.護るは命運、喰らうは栄光
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空を泳ぎ海を飛ぶ(5)

「誰が野郎(・・)だ!」

『野郎みたいなモンだろが! 一々細かいところ突っ込むな!!』

「細かくねぇよ!! てんめぇ、マジ喧嘩売ってんのかコラ! 後でシメんぞ!」

『つうかなぁ、お前そこに反論するくらいだったら少しはしおらしく――』

「やだね!」

『お前は……』

「大体さっきのはわざと飛び降りたんだろうが、ああしねぇと追いつけなかったのが解んねぇかよ」

『だから、それをやって大怪我したらどうするんだって言ってんだよこのノータリン!!』

「なんだよ心配なんかしてんじゃねぇよ気色悪ぃ。こんくらいいつもの事だろが」

『……お前、いつか本当に大怪我するぞ』

「ほっとけ。そん時ゃてめぇも道連れだ」

『上手くまとめたつもりかよ! 俺は絶対付きあわねえからな!』


 一人と一頭が無駄口を叩いている最中にも、彼女等と良明ユニットの距離はどんどん狭まっていく。

「れ、レイン。なんか凄い喚き散らし合ってるんだけど……」

『落ち着いて、アキ。私たちが今やるべきなのはボールを奪い返すことだよ!』

「だな、陽とショウが他の二人を足止めしてくれてる間に取り返さないと!」

 何という対比だろう。


「いいかてめぇ、このまま二点目入れるぞ!」

『それはお前次第だ。俺は適切なポイントに飛んでいくだけだからな』

「だーもう、だからなんでそこで”おう!”だの”そうだな!”だの言えねぇんだよてめぇはよ。ちょっとした景気づけだろが!」

『お前の気持ちの持って行き方なんか知った事か! なんで俺がお前と仲良く一緒に気合い入れにゃならんのだ』

「だーかーら! そんな深い意味じゃなくて、あーもう、もういいわてめぇ。もういい! めんどい!!」


(まだやってる……)


 右か、左か、上空か。良明はレインの手綱を引くべき方向を吟味しながら、黒龍に跨る少女かもしれない奴を凝視した。

 三池からは、手綱を引く様子が見て取れない。相変わらずクロとアホみたいな言い合いをしながらその両手にボールを固定し続けている。

(クロさんの判断に任せる気だ……)


 三池自身が懐のボールを動かす気配は無い。つまり、三池がシュートを放つ直前までならば、クロの動きさえ見極めればボールに手を届かせる事も不可能ではなさそうだった。

 問題は、手が届いたとしてあの二人がかりでももぎ取れなかったボールを良明一人で奪えるかという点だが、それに対しても良明には勝算があった。

(相手が移動を続けている今なら、さっき程の安定は無い筈。もしかしたら……)


 良明は、三池の顔に視覚のピントをフォーカスした。その表情からなんらかの行動の意思を読み取ろうと試みる。

 やはり、自分で手綱を引く意思は感じられない。

(え……)

 だが、クロと激論を交わして久しい彼女のその顔に、眼光に、この時良明は明確な変化を感じた。


 無駄口をかわし続けているはずなのに。

 クロになんら指示する気配もないのに。

 そのドラゴンの様な眼が、より一層の輝きを宿していた。


 完全集中状態。三池は自分の意識を完全に研ぎ澄ませきっていた。

 良明は直感的に危機感を察知し、その視線を三池の手前に位置する黒龍の顔に移した。

(うそ……だろ)

 クロもまた、その灼熱に燃え滾る炎の如き赤い目を、燃え上がらせる様に輝かせていた。

 黒と赤の邪悪な色の組み合わせが、凄まじいまでの迫力を伴って良明達へと羽ばたき、迫ってくる。


「陽! 戻れ!!」

 遥か後方から飛んできたけやきの陽に対する指示が、良明が認識したものが思い過ごしや見間違いではない事を証明した。

『アキ!』

 狼狽えそうになる良明の心をつっかえ棒の様に支えたのは、相棒の声だった。

 三池ユニットとの距離はもう、三メートルも無かった。レインの励ましに言葉で応える事はせず、良明は彼女と自分を繋ぐ手綱を握り締めた。

(だいじょうぶ。私はどんな指示にも一瞬で対応する。良明の思うまま、最善と思うままを、綱に込めてまっすぐに投げつけてくれればいい!)

 高度は、地上二メートル。相手との距離は一メートルを切った。


 良明は、自分が考えられる中で最も強力な一手を選んだ。

(羽根を広げて、停止ッ)

 それが、手綱を介して良明からレインに送られた指示だった。

 クロは声も無く、進路を塞いできた相手のユニットの上を通過しようと二度ほど強く羽ばたいた。難なく上昇を開始する。

 そこへ、良明は飛び込んでいった。

 良明はレインの背からその身を離脱させ、三池の懐のボールへと全体重をかけた右手を伸ばしたのだ。

 ルール上は地上三メートル未満で相手に飛びかかる事は認められている。虚を突き相手の動揺を誘った上で、さらに最もボールに力が加わる方法である。

 良明の一見無謀とも見える行動は、この無謀な実力差を埋めるに当たっては理にかなった選択だった。


 三池は、迫ってくる良明の身体の動きの指先一つまでを詳細に見極めた。

 彼の脚はクロの身体をステップにしようとしているか、視線はどこに向けられているか、伸ばした右の掌は、あとコンマ何秒後に自分のボールへと到達するか。

 無駄だらけの体勢。ボールしか見えていない視線。ボールを奪うには余りにも早く出し過ぎた右手。

 少年の一世一代の試みは、隙と雑さにまみれたものだった。

 だが、それでも一つ間違いない事があると、三池の直感は彼女の理性に警告するのだ。

(伸ばしてきた右手は、間違いなくボールを正確に捉えてやがる)

 無駄だらけの動きで向かってくる少年は、それでもまるで欲望が欲するかの様に、そのボールだけに対しては確実に、正確にその手を伸ばしているのだ。

 貪欲であるかの如く、狡猾であるかの如く、どこまでも力強く。

 後先を考える事もなく、その身体を中空に躍らせる(さま)は、まるで直前の三池を思わせた。


 目の色を変えて集中しきった三池は、それでもなおニカァと口を歪めて少年の身体を睨めつけた。

「あああアアあ!」

「気に入ったァ!」

 叫ぶ良明と、哂う三池。


 刹那の後、ボールを手にしていた者がその勝利の余韻に浸る事は決して無かった。

 全力で相対した相手への敬意と、ここまででこの大会一番の楽しい瞬間を提供してくれた事への感謝。全力をぶつけ合った事への歓びと、夢でも見ている様な非現実的なまでの冒険心。

 それら全てをないがしろにしない為に、それら全てを意味のある物にする為に、ボールを手にしたユニットはゴールリングへと進んでいく。


 結果にしてみれば鬼一口の一瞬だったが、三池の心は満たされた。


 良明は、その身体を地面へと叩きつけてゴロゴロと五メートル程を転がった。

「ア――」

 陽が彼の名を叫ぼうとした時、彼女は未だかつて見た事が無い兄の表情を目の当たりにする。

「陽! 戻るぞ!!」

 その表情は、一瞬とはいえそれが良明である事を双子の妹である陽に疑わせるほどの笑顔だった。


 陽でさえ殆ど見た事が無い顔に陽はほんの一瞬、集中を切らせる。大きな目を兄に向け、手元の指示を中断した。心配そうな表情を浮かべて良明の元へと降下してくるレインを視界に捉え、それで陽は漸く我に返る。

 そして、返事をした。

「う、うん!」

 右腕に擦り傷を作った良明は即座に騎乗し、陽のユニットと共に自コートへと引き返す。


「樫屋ァあああ!!」

『ったく、バカの一つ覚えみたいに』

 と、冷たい視線を背の上の三池に送りかけたクロは、直後にいささか信じ難い声を耳にした。


「三池ぇええええ!!」

『三池ぇええええ!!』

 百八十一センチある長身を身構えて、けやきは叫んだ。

 両翼合わせて十メートル程もある羽根を仰ぎながら、ガイは吠えた。


 クロは、呆れ返った様に呟くのだ。

『おいおい……どいつここいつも、気でも狂ったのか』

 だが、変わらずその羽根にだけは力を籠め続ける。それにより、辛うじて彼は自分が龍球の試合の只中にあるのだという認識を保っていた。


「なぁ、クロ」

 クロは、視線は相手チーム主将・樫屋けやきに向けたまま三池の言葉に耳を傾けた。本当なら、今の妙なテンションの三池の事など無視してやってもよかったのだが、クロはそれをしなかった。理由は、彼女が自分の名を”クロ”と呼んだから。いつもなら’介’という一字をつけ”クロ介”と呼んだりするのだが、三池は今、それを意図的に避けたのだった。


 クロは、その瞬間妙な危機感に襲われた。

 三池の口から出てくるであろう一言に、耳を貸してはいけない気がする。

 それを自分が耳にしたとき、きっとよくない事が起こる。そんな、漠然とした不安がクロの心を埋め尽くそうとしてきたのだ。


(さっきの攻防で沸きたつ観客席の歓声が、何故だか星の裏側で起こっている事の様に感じられる。……俺はあれを間近で見ていたのに、俺もあの攻防の当事者なのに、まるで自分には関係の無い他人事みたいだ! ……いや、それでいい。いつだって俺はそう望んできたし、三池のアホを俯瞰してやるのが俺の役目であり、居場所だ。それが俺にとって地に足の着いた事であり、安息なんだ。だから、三池がこの後に続く言葉を、俺は聞いてはいけない。それをしたとき、俺は、きっとこの瞬間だけ俺でなくなる。そんな気がする)


 クロは、いよいよ耐えられなくなって彼女の名を呼び、発言を制止しようと試みた。

「おい、三――」

 彼は、自らその一言を途切れさせた。

 三池の表情は、相も変わらず毒々しい。先程もクロは思ったが、およそ現役女子高生が浮かべて良い笑みではない。だが、クロには今の三池のその顔が、ただ単純に自分の楽しみを享受している者の顔にはどうしても思えなかった。


 まるで、何かを気遣う様な、手を差し伸べる様な。

 快活で邪悪な笑みの中には、ほんのささやかだが、確実に思いやりに類する何かが見て取れた。それは、母性と言うには余りにも些細で、むしろ年上の兄が弟を思いやる様な色に近かった。

 クロは、自分が何かを期待している事に気づく。

 今現在も拒絶したいと思っている三池の言葉を、餌を待つ雛の様に口を開けて待っている自分がいるのだ。


「――――」


 今一度、クロは三池の発言を阻止する語を口にしようとした。

 その時だった。

 三池は相棒が喋る気配を上書きする様に、彼に対してシンプル極まりない提案を行ったのである。

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