空を泳ぎ海を飛ぶ(2)
陽は、その手に持ったボールを振りかぶる。
(アキ、たぶんその辺りにいたらパスカットされちゃう!)
(了解、思いっきり右にぶん投げてくれたら俺がそれに追いつく!)
振りかぶったボールを、陽は言われたまま思いっきり前方右側へと投げ放った。
「なにッ!?」
『なにッ!?』
三池とクロは、弾かれたように首を左方へと捻じ曲げた。直後、視界の左端にそれに追いすがっていく良明ユニットの後姿を捉える。
『兎に角追う! ボールの奪取は任せたぞ!』
「おうッ!」
クロはすぐさまレインの後を追いかけた。三歩踏み出したところで羽ばたきも加え、一気に距離を詰め始める。
クロの脚力と飛行能力は、レインのそれを完全に上回っていた。程なく良明ユニットに追いついた三池とクロは、流れる様な動きでボールを奪う体勢へと移行する。
右手を伸ばし、ついに良明によりキャッチされたボールへと三池がその手を伸ばした時だった。
良明は、右手に持ったボールを自分の左方へと叩きつける様なフォームで投げ放った。
その瞬間、三池の表情はまるで無垢な子供の如き色で洗い流された。何一つ理解できていない、まるで深みの無い、虚を突かれた様なそんな顔。伊藤辺りが見ていたら、可愛いだのなんだのとからかってきた事だろう。
「どう――」
ボールの行く先を見ると、良明が投げ放った白球は、ショウに跨る陽がしっかりとキャッチしていた。
「――なってんだよ!!」
三池は手綱を引っ張りながら回想する。
(この男子、俺に追いかけられ始めてから一度としてボールから目を離してなかった。あの女子とアイコンタクトするタイミングなんざ無かったはずだぞッ!)
『落ち着け、不良』
と、クロ。
「ああ!?」
『要は、またパスを出される前にボールを奪えばいいんだろうが』
「……おう」
『頼んだぞ、俺はこのまま彼女に接近し、その背後を閉ざす』
「了解!」
竜王高チームにとっては幸いと言うべきか、陽とショウの目の前には葛寺ユニットが待機している。
「抜けるもんなら抜いてみろスよ!」
陽は良明の視覚情報を受信すると、状況を精査していく。
(正面には”っス”の人のユニット。真後ろには三池さんユニットがいて、そのドラゴンは羽を広げて私とアキの間を遮ってる。竜王高のもう一ユニット。真面目な顔の人の方はまだ私の左手に待機したまま)
陽はその手に持ったボールに力を籠める。三池と葛寺の二ユニットはぐんぐんと距離を縮めはじめた。
(アキが相手ドラゴンの陰のどっち側から追いついてくるかで、私がパスを出すべき方向を見極める!)
良明は、大きく広げられたクロの羽根の右側へと手綱を引いた。
コート外周の直線と三池ユニットの隙間を縫う様にして、陽のすぐ傍らへと体をねじ込もうとするレイン。三池の視点で言えば、正面に陽達の背、右手に良明のユニットが捉えられた形となる。
陽が、パスを出すのか、出さないのか。
二者択一。
兄妹のうち、最終的にゴールリングへとシュートを放つのがどちらなのか。双子が三池に対してそれを見極める事を迫る状況が出来上がった。
(アキ! 私がこのままシュートする)
(わかった、俺は出来るだけ相手を引き付ける)
テレパシー能力など持ち合わせていない三池達は、咄嗟に分担して良明と陽のユニットをマークする事などできない。
となれば、三池が出す結論は確定しているも同然だった。
「両方、止める!!」
『おう!』
言うが早いか、三池は手綱を放して飛び降り、クロは左脚を軸にして身体に力を籠めた。陽と良明の両ユニットへ。
三池とクロは、夫々の獲物へと飛びかかった。
良明を前にして、クロは瞬時に気づいた。
(こいつ、視線をボールを持った女子へと向けていない……パスを受け取るつもりなら、パスを出す相手の手元を見ていなければタイミングが掴み辛いはずだろうに)
そこから導き出されたクロの結論は、陽がこのままシュートを放つという英田兄妹が予定した流れそのものだった。
ただし、クロには三池に対して暗にそれを伝える手段は無かった。口で言えば、相手チームのドラゴンにも聞かれてしまう。
(気づいてくれよ、相棒……ッ)
三池は、ショウに跨る陽をぎょろりと鋭い眼で見上げた。倨傲な態度で見下すでもなく、謙虚な心で称えるでもなく、ここまで攻め入って来た双子の妹の方の指先一本の動きまで、連続する時間の中でそのすべてを見極めようとしている。
ショウに揺られ侵攻を続けていた陽にも、その三池の凄みが伝わってきた。
地上から跳躍し、今まさに陽の両手に固定されたボールへとその手を伸ばす三池を見て、陽はいよいよ確信する。
(動きが速すぎる! この人、私やアキが単騎で真正面から相手しても勝てる相手じゃない!!)
陽は、良明へと意識を集中する。
(アキ、作戦変更! 一旦そっちにパスを――)
(陽、だめだ!!)
凄まじい勢いで迫ってくる三池の姿に呼応する様な声で、良明は陽の提案を却下した。
(俺は完全に三池さんのドラゴンに警戒されきってる! これじゃ今パスを受け取れたとしても、一瞬で奪われる!)
呻く陽の眼前に三池が迫る。
「陽!!」
けやきの声だった。
思考というステップを完全に省略し、陽は身体が動くままに頭上から聞こえた声の方へとボールを投げ放った。
三池は三メートル頭上から聞こえて来たその声に、まさにドラゴンの様な眼を爛々とさせ、その口元を気色が悪いくらいに捻じ曲げる。
けやきの声音で解ったのだ。これこそが、自分が求めていた樫屋けやきだと。
(そういやぁ、去年もそうだった――)
けやきは陽からのパスを受け取ると、そのままガイを羽ばたかせた。
見れば、けやきに呼応する様にガイの顔つきも明らかに変わっている。
(――去年も、最初はくっそつまんねぇ堅実で模範的な龍球をしてやがったんだった)
宮本が遠くから慌てて駆け付けようとしている。クロは良明へのマークを放棄し、巨大なガイの羽根へと追従を始める。
(んで、俺が向かってった途端に、目の色を変えて、急に動きが洗練され始めた)
そして三池は、届く筈がない高度のけやきへ向かって、猫の様に跳躍した。
完全なる集中の世界に意識を飛ばしたけやきは、ボール三個分下で下降を始める三池の姿を確認すると、竜王高のゴールリングへと視線を戻した。
龍球の試合においてけやきが完全集中の状態へと移行するには、ある程度の時間と強力な敵という二つの要素が必要不可欠である。
予め三池の実力を知っていたけやきにとって、二つ目の条件は試合が始まる前からとうに満たしていた。そして、時間に関しては英田兄妹が攻めあぐねつつもボールを護っている間に十分に経過した。
けやきが今、この時覚醒したのは必然だったのだ。最大の敵を前にガイがけやき同様の完全集中の状態へと移行した事も同様である。
宮本のユニットは遥か遠く。けやきとガイを遮る者はもはや居ない。
切れ目の瞼から除く漆黒の瞳とこげ茶の虹彩が、磨き上げられたリングを真正面に捉えた。
「これで、同点だ!」
けやきが振り抜いて放ったボールは、迷いない軌跡を描いてゴールリングを通過した。
準決勝でも変わらない、ゴールリングの電子音と審判のコールが辺りに鳴り響く。
ただし、ベンチ、客席、実況席からは、これまでの試合に比べていくらかヒートアップした声が聞こえてきている様に兄妹には思えてならないのだった。
自コートに帰りながら、三池は横を歩くクロに言う。
「ほらみたか! コレだよコレ!! このダァーってカンジ! 解るだろ!?」
『嬉しそうに言ってんじゃねーよアホ。折角取られた一点取り返されただろうが!』
「こっから取り換えしゃあいいだけだろー、んなもん。てめぇもっと楽しめよ、うらうら」
と言って三池はクロの羽根をぐらぐらと揺すった。
その顔は極めて獰猛な笑みに満ちており、戦いの中の幸福と興奮の只中にあるその表情は、およそ年頃の女子高生が浮かべて良い種類の禍々しさではなかった。少なくともクロはそう強く思うのだ。
「事実上、破られた……て事だよね」
陽は、ショウの首筋に手をかけて隣を行く良明とレインにそう言った。その陽の仕草が不安を紛らわせる為の行動である事は言うまでもない。
三池とクロがユニットを解いて陽と良明夫々に襲い掛かって来た時点で、テレパシーを使ってもどうしようもない状況が出来上がっていた。事実、良明はクロに完全にマークされ、陽はあと一歩でボールを奪われるところだったのである。あの時、兄妹が持つどんな情報を共有したところで、どうしようもなかったのだ。あの時けやきが駆け付けてくれなければ、間違いなく三秒後にはボールは三池の手中にあった筈であると陽は思うのだ。
「何事も使いどころだ、という事だ」
二人が向かう先で待機していたけやきがそう言った。
けやきを背に乗せるガイも、「がるる」と励ますような嘶きをあげる。
「だが、それはそれとして、だ。英田兄妹、それにレイン、ショウ……」
けやきは四名を見回した。
「出し惜しみは、もうやめよう」
Bコートで試合が再開される。
蜘蛛の子を散らす様に散会していく選手達を眼下に、観客席の山野手はドリンクを一口飲んで寺川に聞き返した。
「長くなるって、どういう事です?」
「聞いたままだよ。今さっきの樫屋くんの動き見て、気づいたんだけどねぇ」
「はい?」
「やっとエンジンかかった様だよ、ウチのチームは」
「じゃあ、このまま一気に追加点が欲しいですよね」
寺川は、「んー」と言ってその後に「難しいね」と続けた。
「相手が相手だからね。今のプレーに触発された三池選手以下竜王高チームがいかに熾烈に攻め、エンジンのかかったウチのチームがいかに粘り強いディフェンスを繰り広げるか、想像に難しくは無いよ」
山野手は、寺川の話を総合してまとめる。
「つまり、この試合の流れからしてここから先は双方ともに全力を出し、んでだから、決着はなかなかつかないんじゃないかってことですか?」
「多分、試合はしばらく膠着状態に陥るはずだよ。それだけの緊張感が、今のBコートには立ち込めている」
山野手は、いつになく自信ありげな寺川の言葉に「はあ」と言ってぼんやりと納得する様な声を上げた。その背後で、海藤が言葉も無くこくりと頷く。




