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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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ターニングポイント(7)

 陽は今一度辺りを見回す。そうだ、と覚束ない足取りで土手の上へと駆け上がる。

「陽!?」

 橋の上から何かが投げ込まれる。

「布地が邪魔して掘るのには使えないと思ったけど、これでなんとかならない?」

 続いて戻って来た陽が手にしていたのは、良明の傍らに投げ込まれた物とよく似た形をしていた。


 先程まで使っていた折り畳み傘だった。

 良明は橋の上から放り込まれた方の傘を手に取り、素早く纏めてボタン付きの紐をぐるっと一周。雑に畳んだ。

 それを陽と同時にゲージの下へと力任せにねじ込む。もはや合図すらしない。


 五センチ程だけ地面に付き刺さった傘の柄に対し、今度は上から力いっぱい押さえつけて荷重をかける。足で踏ん付けて体重をかけている陽に気づき、良明もすぐに真似した。

 ぐにゃり、と明らかに傘の骨が負ける感触がしたが、尚も足踏みしてテコの力点に体重をかける。


 橋桁がしのつく雨から双子を庇い、一方の川面はやかましい音を立てて急かしてくる。

 急激に増しだした水嵩が、ついに二人のひざの所までに達した。

「アキ!」

 焦りと不安を包み隠さない陽の声に、良明は内心彼女以上の焦りと不安を覚える。

 が、それでも。

「ここでやめたら、大人になって死んでいくまで、絶対一生後悔する!」


 感情的になって兄の口から出たその言葉は、あながち嘘では無かった。

 先日の一件と関連した記憶として、今日の日の事はまず間違いなくこの先忘れる事は出来ないだろう。

 まして、”人間で言えば自分達の年齢にも達していない仔竜を見捨てて、自分達だけ助かった”という批判交じりの語調にて、この日の記憶が断層の様に深く心に刻み込まれる事は間違いなさそうである。

 断層は時折地震を引き起こし、彼等が街でドラゴンを目にする度にこの日の事を思い出させる。あの時ああしていれば、こうしていれば、と過ぎた古傷を何度も抉ろうとするだろう。


 だから陽は、即答した。

「うん! 絶対に諦めない!!」

「けど」

 使い物にならなくなった傘を引き抜いて、両手を突っ込む。

 良明は、力を籠める様に、感情を籠めるように、叫んだ。

「お前はもう上がってろ!」

 良明はその貧弱な手に力を込めたまま、陽に命令する様な調子で言った。

「絶対、ヤダ!! 一人で何が――」

 陽はあらん限りの力で、未だ土に埋まったゲージを引っ張り上げようとする。

「――出来ると思ってん、の!」


 まったく、返す言葉も無い兄だった。

 先程から、ゲージを掘り返そうと提案したのも、傘を使おうと提案したのも陽である。

 まして、一人で掘り続けるより二人で掘り続けた方が早いに決まっている。

 普段碌に妹を妹扱いしない自分が、こんなに手が欲しい時に限って野暮な事を言った物だと反省し、良明は今一度両手に力を込めた。


 ズ。と、それまでに無い感触が手首、腕、肩へと這い登ってくる。

「良明ぃー! 陽ぉー!!」

 兄妹を呼ぶその声は、この現場に二人が来て以来、最大の危機その物だった。

「父さんだ!」

 と、良明。

「見つかったら、絶対に即上がって来いって言われる!」

 陽の言葉の「見つかったら」の後には、”竜を見殺しにして”という文言が省略されている。


 或いは、その英田家家長・英田(まもる)の言葉が二人に力を与えたのかもしれない。

 ケージは一気に角度を変え、まとわりつかせた土を名残惜しそうにボロボロと手放しながら、その姿を完全に地上へと現した。

「陽! 怒られる前に引っ張り上げるぞ!!」

「傘壊しちゃった時点でどのみちバレるけどね!!」

 土だらけの手でぐっと親指を立てて見せた陽は、雨との対比が心地良くさえある笑顔をにかっと兄に見せた。


 橋桁から身体を出す。ケージの中のドラゴンは怯えて鳴き声一つ上げず、打ちつける雨にも一切リアクションする事なく、その身を茶釜の様に蹲らせて固まっている。

「おまえら、何やってんだ!」

 怒りよりも驚きの方が強い父の声を、兄妹はチャンスと捉えた。

「父さん!」

「手伝って!」

「え、あ、おう!」

 指していた黒い傘を肩にかけ、衛は子供たちの元へと駆け寄った。

 土手を登り切ったところでへばりこんだ兄妹の元へと駆け付けた父は、かけるベキ言葉のベクトルを考える。今すぐ怒鳴り散らすべきが、とにかく家へ促すべきか、それとも――。


 兄と妹は、雨が打ち付け続けるお互いの顔を見つめあう。

 土手を上がる際に雨を払おうと顔を拭った所為で、二人とも左頬に泥がこびり付いている。その顔を見て無邪気に笑い声をあげる事も無く、兄妹は互いを称える様な微笑みを浮かべた。

 そして、打ち付ける豪雨の中でそっと拳を突き合わせる。



 名前すら明らかでない仔竜は、不安げな表情のままじっと部屋の一点を見つめていた。


 ドラゴンは壁にすがって腰掛けるジャージ姿の陽の腿の上に頭を乗せ、タオルケットに包まれた状態で一定のリズムで呼吸を繰り返す。手足を微動だにする気配すら無く、まるで少しでも動けばその瞬間命を奪われるかの様に、身体を強張らせていた。何を考えているのか――或いは何も考えていないのか――表情すら変えずに、ただただ電池が切れた様に黙している。


 そんな仔竜をじっと見つめる陽。

 こうしてじっくり見てみると、ドラゴンは随分と可愛く思えた。彼女自身不謹慎とは思いつつも、それが陽のドラゴンに対する率直な第一印象である。

 くりっとした綺麗な眼。三次元の曲線で構成される大きな鱗一つ一つが作り物の様に洗練されており、さわってみるとまだぷにぷにとしていて気持ち良い。

 鋭さの無い爪の先端から指の方へとサッと入っている幾筋かのラインは、背伸びしておめかしする人間の子供を思い出させた。


 最も眼を引いたのは、傷一つない外皮よりもやや明るいグレーの皮膜である。妙な例えだが、陽の思ったままをそのまま引用するなら、”安っぽいCGの様に鮮やか”だった。それくらいにムラが無く、今は畳んでしまって見えないが羽を広げるとその皮膜には色の淀みの様な物が一切見て取れないのである。

 総じて、全体的に丸っこいフォルムと、それでいて所々背伸びする様に成長しつつあるドラゴンとしての身体の対比が、陽の琴線をくすぐって仕方が無かった。


 泥だらけのケージから出してみると、仔竜とはいえ竜。なかなか大きかった。

 陽は自分の脚の上に乗るドラゴンの頭が少し重かったが、だからといってどかしたいとは思わなかった。疲労の中に妙な幸福感を覚え、ずっとこうしていたいという気分になりながら彼女もまたじっとしているのである。


 陽は、この状態で何もすること――出来る事――が無いので回想してみる。

(もしあの時、あと三分間手間取っていたらどうなっていただろう? この子を見捨てて、土手の上に上がってた……?)

 そうしなければ、自分が濁流に飲まれる事になっただろう。


 そもそも、兄と自分を呼ぶ父の声を聞いた時点で、タイムオーバーだった。あれ以上あの場で粘ろうとしたって、兄諸共力づくででも土手から引っ張り上げられていたに違いない。実際、家に帰ってからしこたま叱られた。兄と並んで正座させられ、「危ない事とそうじゃない事くらい解るだろ!!」などと、小学生を叱るような文言で延々十五分くらいは説教され続けた。

 否。父は、叱るというより半ば感情をむき出しにして”怒って”いた。あんな剣幕の父を見たのはそれこそ小学生以来である。


 だが、それでも陽は自分の選んだ行動に後悔はしなかった。心配をかけた事に対して申し訳ないという気持ちはあったが、あの時現場で兄が言っていた通り、途中で投げ出せば一生後悔したはずだ。


 陽は回想の末、改めて思う。

(あの父さんの声が聞こえたからこそ、焦りから力が出せたのかもしれない)

 ばつの悪さからだろうか。親からの心配に対する自分の気持ちよりも、その事の方が強く頭の中で主張していた。


 自分が座る居間へと戻って来た良明に疲れ切った顔を向け、陽は尋ねる。

「どうだった?……今から行って大丈夫そう?」

 家に帰りついて、良明は真っ先に病院の電話番号を調べた。

 電話帳で検索した限り、英田家から歩いて行ける距離にあって尚且つドラゴンが受診できる病院は二件。

 土曜日であった為通常は午前のみの日だが、どうやら市内の病院はローテーションで休日の運営を行っているらしい。その内のひとつがあと二時間だけ受診できる事が解った。


 相変わらずの豪雨ではあったが、連れてきたドラゴンの衰弱の度合いが素人目にも酷いと見た二人は、兎に角病院へと連れていく事にしたのである。

「受診時間はまぁ大丈夫ぽいんだけど……」

 言葉を濁す兄に、陽は表情で先を促す。

「人間と同じで、竜の受診って住所聞かれたり、保険証無いと料金滅茶苦茶料金が高くなったりするらしいんだよな……」

「緊急時だよ、そんなん言ってる場合じゃないしょ? もういっそ救急車呼んじゃう?」


 陽の言っている事は尤もだ、と兄は思った。

 直ぐに命に係わる状態ではないにしても、あの様な場所に閉じ込められていたという状況は、このドラゴンにとって”緊急時”であった事に間違いなさそうだった。

「なぁ、えーと……」

 良明は、陽の前まで歩いて来て、ドラゴンに目線を合わせる様にしゃがみこんだ。

「名前、解んないけどさ。お前、家族はどこに住んでるんだ? 保護者の人の居る場所に連絡取りたいんだけど……」


「…………」

 ドラゴンの変わらぬ沈黙は、問いに対しての”NO”の返事であった。

 このドラゴンに一体何があったのか、それがはっきりしないばかりに、彼、或いは彼女の態度は随分とぶしつけな様にも見受けられ得た。

 だが、それでも英田兄妹がそのドラゴンを責める素振りは全く無い。


「なあ陽、友達にこういう竜の医療とかに詳しい人とか居ない?」

「居ないねー」

 タオルケットにくるまった状態のドラゴンは、くいっと首をもたげて良明へと振り返った。

「ぐぁ」

 丸い目が何かを訴えているのは解るのだが、その詳細を掴む事が良明には出来なかった。


 と、その時。

「あーもー、かあいいなーもー」

 突如としてドラゴンの首にをぎゅっと抱きしめる陽。

 ドラゴンの言葉の意味を探っている良明の鼻に、暖かくて懐かしい匂いがしてきた。見ると、母・(よし)が盆に粥を乗せて運んできている。


「ドラの口に合えばいいけど……」

 など作った本人は言うが、粥からは本当に美味そうな匂いが漂っていた。

 仄かに塩の香りが利いた、それでいて微かな甘みとメインの旨みが容易に想像できる、雑炊寄りの味がする匂い。由が持ってきたのは、家族の中では【英田家秘伝のおかゆ】という名称で呼ばれている一品だった。


「あー! 私も食べたーい」

 一月の七草粥として食べた時の味を思い出し、陽がレインを胸に抱き上げて立ち上がった。ドラゴンは、太り過ぎた猫が前足の付け根で持ち上げられた格好によく似た状態になった。


 それでもドラゴンは、変わらずただ一点を見つめて黙している。

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