対の竜は天を仰ぐ(3)
想いが交錯する大会準決勝。
かたや龍球を始めて半年のメンバーが三名。かたや半年のブランクをもつメンバーが二人。廃部の危機にさらされたチーム対一年越しの想いをぶつけにかかるチームの勝負の行方は双方の実力に目を向けて考えても未知数だったが、それはつまり、双方にとって勝算があるという事に他ならなかった。
これを勝てば春大会優勝校との決勝戦。
大虎高校と竜王高校にとって、最後の因縁を断ち切る瞬間が刻一刻と迫っていた。
観客席棟の一階、選手控室を出ると、そこはなんとも辛気臭いグレーの壁に覆われた通路になっている。左手はコートへと続き、右手は一般観戦者が行き交う通路に合流する丁字路へと繋がっている。
天井では一定間隔に蛍光灯が並んでいるその風景を、兄妹とレインと大虎高チームの全員は既に目に焼き付く程に見慣れていた。だから、退屈だったのだろう。一足先に準備を終えたガイと良明は、レイン達が女子控室から出てくるまでちょっとした会話の様な事をしていた。その場にはシキの姿もあるのだが、彼はその会話には興味なさげに、コート側から差し込んでくる光に眼を細めて佇んでいる。
壁にすがる姿勢のまま、良明はガイにこの様な質問を投げてみた。
「ガイさんくらいになると、こういう場での不安って無いものなんですか?」
ガイは首を縦に振る。そして、伝わらないと解っていつつもこう言葉にした。
『お前達だって、大会参加はまだ二度目の割に随分落ち着いてやれてるじゃないか』
「樫屋先輩も、もう慣れっこですよね……こんな緊張感」
ガイは再び頷く。
『あいつは元々臆すという事が無い。特別、竜王高が相手だからと言ってそこが変わる事も無いさ』
「俺、こういう時思うんですよ」
「グァ?」
「もし俺がしっかりしてられるんなら、陽の奴だってしっかり出来るって事だよな……って」
『おもしろい考え方だな』
「だからこそ頑張れる事も実は多くて。逆に、あいつが心を折らずにやれてる事を自分だけ出来ないのも凄く悔しいですし」
『”だからここまでやれてきた。”か……』
「だって、本っ当に今まで俺達二人、運動部の経験はゼロでしたからね」
『それはもう耳タコだよ』
「でも、だから思うんです」
淡々と言葉を返しながら珍しく話しかけてきた良明の機微を探っていたガイは、彼の心理が垣間見えそうなフレーズが出てきた事でその横顔をじっと見つめてみた。
「レインの奴は、本当に凄いよな……って」
『……』
「俺達兄妹の姿を見て、だから頑張れてる部分もあるのかもしれない。けど、双子である俺達二人に対して、疎外感みたいなものを感じてるんじゃないかって、たまに心配になる事があるんです」
ガイは、視線を正面に戻して呟いた。
『……抱きしめてやれ』
「え?」
『言葉が解らないと、こういう時に不便だな……』
ガイはもう一度、何とかニュアンスから言いたい事を読み取ってもらおうと気持ちを込めて言いなおす。
『たまにでいいから、抱きしめてやれ。それだけで、お前のレインに対する大事に思う気持ちは意外な程に伝わる。人間が人間を抱きしめる事は中々許されない事が多い様だが、竜と人間ならばそういう気持ちの伝え方もアリさ』
「ガ、ガイ先輩、すいません。ちょっと……」
ガイの長めの言葉を理解できないで困った表情になる良明。
ガイはため息交じりに”仕方がないな”という表情を浮かべ、良明の方へと身を寄せる。
『こうだよ、こう』
軽くハグされて、良明はガイの言わんとするところを漸く理解した。
(そういえば、レインにちゃんとこういう風に気持ちを伝える事なんていままで碌にしてこなかった……もちろん練習に対して俺もレインも必死だったっていうのもあるけど、それにしたって、もう少し元気づけたりとかしてやっても――)
ガチャリ。
レインは控室からその辛気臭い通路へと出ると、先に準備を終えていた男子組を見て硬直した。
軽くハグしているだけのガイと良明が、何故だろう、レインには熱い抱擁を交わしている様に見えたのだった。
控室の入り口付近で足を止めるレインに陽が「どうしたのー」と寄ってくると、その視線の先を追ってみた。
兄と、先輩の彼氏が抱き合っていた。
さらに彼女の背後から歩いてくるけやきとショウに気づいた陽は、猛然とガイと良明の間に割って入ろうとして身を乗り出す。結果、控室と廊下を隔てるドアの敷居に躓いて、コンパスで書いた様に綺麗な半円を描きながら床へと頭突きを食らわせそうになる。
陽の背首をわっしとつかんで何とか支えてやったショウだが、その所為で背後のけやきへの対応は一切出来なくなった。
けやきは、何故か未だにハグしあう一頭と一人を見て、見てはいけない物を見たかの様に視線を逸らした。
『けや、けやき!!』
ぽいっと良明を手放して、けやきへと駆け寄っていくガイ。恋人は尚も視線を逸らしたままである。
この時点でけやきは、何らかの話の流れでああなっていたのだと気づいているのだが、彼女にしては珍しい、ふざけてドン引きしたフリを続けているのである。慌てるガイが愛おしくて仕方がないけやきだった。
シキが『やれやれ』と言ってため息をつき、最後に控室から出てきた石崎が「なにやってんのあんたら」と突っ込む。
最初に噴き出したのは、レインだった。皆それにつられ、次々と笑いを堪えきれずに溢れさせていく。
まばらに廊下を行き交う関係者が何事かとちらちら見ては通り過ぎていくが、その誰もが”なんだか楽しそうなので問題無さそうだ”という結論に至っているのがそのほっこりとした表情から伝わってきた。
そんな混乱した状況の最中にあって、良明は不意にどこからか視線を感じた。
観戦者達が行きかう通路と、関係者以外立ち入り禁止のこの通路の境目の丁字路。そこに、応援に来てくれている面々と長谷部の姿があった。
「あ、先輩、あれ!」
良明に指差された方を見て、けやきは皆に「何事だ? 行ってみるか」促した。
駆け付けてみて解ったが、その場には次の試合相手である竜王高チームの姿もあった。総勢で二十人強にもなる集団がいささか通行の邪魔になっているが、話している面々は誰も早口で、早々にその場を後にする意思が感じ取れた。
「まぁ、そういうわけですので今日は確りと最後までやりきりましょう」
と言った山村に、寺川が答える。
「はい。こちらとしても相手にとって不足ありません。全力で肥やしにさせていただきますよ」
「山村、もう行こうぜ。ほら、大虎の奴等も来たし割と邪魔になってんぜココ」
と妙に内容に正当性がある事を言い出す三池を山村は叱る。
「てめぇはこういう場でくらい敬語ってモンを使えアホ! 俺に恥かかすな!」
やはり、山村の三池を叱る声はもう既に迫力と言う概念が抜け落ちてしまっている。兄が妹を窘めているような声にしか誰の耳にも聞こえなかった。
だが、だからこそ大虎高校側の関係者――例えば英田夫妻――は、(ああ、コミュニけーションがしっかりととれている部活なんだな)などと思うのだった。
かつての薄石高の様な嫌な相手ではない。
心の底から気持ち良く勝負ができる、春大会の時の翁野高校の様なチーム。
それでいて、準決勝まで上がって来た、極めて強力なチーム。
それが、大虎高チームにとっての竜王高チームという存在だった。
「三池」
けやきが一歩歩み出て、山村としょうも無い言い合いを続けている三池を呼び止めた。
「おうよ」
「いい勝負を、しよう」
差し出されたけやきの手を、三池はがしっと握って破顔した。
「ああ、今日で正真正銘の決着だ。勝った方が連山高と戦って優勝ってワケだ!!」
誰もが一様に、爽やかで清々しい笑顔を浮かべていた。
時刻は午後一時四十三分。試合の準備を促す館内放送が通路に反響した。
*
準決勝から先の試合は全てBコートにて一試合ずつ行われ、実況と解説も一試合ずつに対応し、その模様は国営放送――地方支局――よりテレビ放送される。
例年、AコートとCコートが使われなくなる準決勝以降の試合にさしかかると共に、観戦者達は席を観客席中央付近の方へと移動する。その結果Aコート側とCコート側に位置する部分の席はガラ空きとなり、喧騒から逃れたい者達といくらかの放置されたゴミだけがそこにちらほらと残る状態となるのだ。
そんな、ちらほらと残った内の一人。Aコート側に、見た目六十代程の男が座っていた。
傍らには二頭のドラゴン。どちらも赤い目をしており、立派に伸びた角から一目で相応の年齢だという事に思い至る事ができる。
「どうだったね。大虎の子達は」
男はドラゴンのうちのどちらともなしに問うた。
二頭のドラゴンは、先程まで大虎高関係者が集う観客席に紛れていた、あのドラゴン達だった。
『いえ、客席に居たのは龍球をやらない子達で、彼等の実力は――』
「それは知ってるよ。私が訊いてるのは彼等が竜術部のキャッチアップに貢献する選手たちをどう見ているのか、だ」
『ああ、そういう事でしたら、一人として嫌々付き合っている様な者は居ませんでしたよ。皆、大いに盛り上がって応援しています』
「ふむ」
ドラゴンの内の一頭は、彼の事をこう呼んだ。
『……あの、校長』
「んー?」
『我々を使っていただくのは構いませんが、ご自分で行かれるという選択は何か問題があったのでしょうか?』
「君それぁ、問題大ありさね」
『は、はぁ……』
「いいか、通君。これは君や相君も解ってい――……、ソウ君、起きろ」
今まで男と話していたトウと呼ばれたドラゴンの横で舟をこいでいたもう一頭が、鼻提灯を弾かれたような動きをした後、そのうつろな目を開く。それを待ってやって、校長と呼ばれた男は話を再開した。
「いいか、これは君達も解っていると思うが、今日において彼等、ひいてはドラゴン界隈の事柄は極めてデリケートな問題になりつつある。いや、もうなって久しいと言うべきか」
男はBコートに視線を移す。
「それを君、これから戦おうとしている所に問題対応の最前線に居るトップが顔を出して見ぃ。プレッシャーにならないワケがない。たとえ試合に参加する選手でなくとも、彼等竜術部関係者への接触は最小限に抑えるべきだよ。部を守ろうとするのは彼等であって、私は子供達がどうしたいかを聞き届けてそれを精査し行動するのみさ」
『ですが、それで校長自身に後悔は残らないのでしょうか?』
「……トウ君、私はただの大虎高校の校長だよ。龍球にこれと言って思い入れがあるわけではない」
『思い入れ……それが、生徒と学校に対してはあるのではないですか? 本当にそれで、後悔は無いのですか?』
「生徒と学校への想いあればこそ、私はあえて俯瞰するんさね。それが私のポリシーであり、校長と、いち部活動とのあるべき姿ってものだろう?」
トウと男はしばし沈黙のうちに見つめ合う。
『貴方がそこまで仰るなら、私はこれ以上何も言いません』
「うん。トウ君とソウく……ソウ君、起きろ」
ソウは名を呼ばれて意識を取り戻すが、今にも再び眠りに落ちてしまいそうな眼をしている。
「……トウ君とソウ君には感謝している。ドラゴンでありながらあえて中立の立場で仕事を続けてくれている事には、本当に助けられているんだよ」
一人と二頭が遠くBコートを見ると、グラウンドの砂の匂いが鼻にくすぐったく纏わりついてきた。
コートに姿を現す選手達を見て、校長は呟く。
「ところで、彼等は勝つのだろうか? この試合」
唐突な校長の問いかけに対して、トウはやや冷たい眼差しでこう問い返した。
『それは、どういう質問ですか?』




