在りし日の想いと共に(3)
それがどうしたことだろう?
今日の相手は三池を前にして尚、彼女に真正面からボールの奪い合いを挑んできたのだ。三池が腕を伸ばしてボールを奪おうとしても、なかなかどうしてうまくかわしてくる。そして、まるで三池のディフェンスを抜く事が得点する事に等しいかのように、他の選手へとパスを出す気配も全く無い。三池にとって、他校との試合でこうしてまともに相手をしてくれた選手は、初めてだった。
『三池、何てこずってんだ! とっとと奪え!!』
クロが背の上の三池へとそう言うと、三池はこう答えた。
「うっせえ! 今いいトコなんだよ!!」
クロは思う。
(この野郎、なんて楽しそうな声出しやがるんだ……)
新しい玩具を買ってもらった子供の様に、その遊び方やコツを貪欲に調べて試す様に、三池は次から次へと相手のボール奪取の為に四肢を振り回す。腕がかわされれば足を、足がかわされれば身体ごと向かっていく。文字通り体当たりの心意気で、絶え間なく白球を奪おうとした。
だが、それでも相手は巧みにボールをかわし、三池の攻撃の全てを防ぎきるのである。
全身を使ってなりふり構わずボールを奪おうとする三池に対し、相手の女子は最小限の動きでそれを阻止している。そこから生まれる差が、体力の消耗度合という形で歴然として浮かび上がっていた。激しく息をする三池に対して、相手はドラゴン共々体力を温存しているのが容易に見て取れるのである。
三池はこの時、龍球部への入部以来初めてこう思ったのである。
(これがガチで龍球が上手ぇってコトか、くそ。体力と運動神経でごり押ししてる俺とは格が違ぇ……)
それでも、三池は相手からボールを奪おうとする事をやめようとはしなかった。あと少し。今伸ばした手の指先の、あと数センチ先の所にボールはあるのだ。
これまでに相手のボールに触れた事だって何度かはあった。それでも届かない。その数センチが何百キロもの距離であるかのように、三池の指先は相手のボールを捉えられないでいた。
と、その時。
相手ユニットが突如としてフェイントをかけ、三池の横をすり抜けようとした。
三池は直後、本能的に悟る。
(俺の体力が消耗するのを待って、この機会を窺ってやがったのかッ!!)
「させっかよ!」
三池はクロの背をステップに中空を舞った。
まるで体操選手の様な身のこなしでそのまま体を二回転。着地した目の前には相手選手を捉えていた。
「っく!」
意表を突かれて立ち止まる相手のドラゴンと、その上で反射的にボールを遠ざける騎手。
三池は、頬に汗を流れさせながら彼女の手元のボールへと跳躍した。
「もらったァ!!」
地面へと着地した三池の手中には、白球がしっかりと握られていた。
「っしゃァ! 速攻――」
ビッビッビッ。
ホイッスルの音がした方を見て、三池はさらにその向こうの電光掲示板が前半の終了を告げている事に気がついた。
「っくそ! 折角ボール奪えたトコで……」
ボールを勢いよく地面に打ち付けて毒づく三池に、励ましの声が聞こえてくる。
「ドンマイドンマイ」
「次は俺達のボールからなんだ、上出来だよ」
「グァ」
声の主は、竜王高チームの他の選手達であった。
「三池」
と、呼ばれて三池はそのうちの一人の方へと視線を向ける。
「やっぱお前凄ぇよ。センスある。ベンチの一年生共にもいい刺激になってると思うよ」
三池へとそう告げた背の高い男子を仰ぎ見て、彼女はこう返す。
「尾部先輩よぉ、俺やっぱもうちっとガチでやっときゃよかったわ。正直あいつ強すぎる」
尾部先輩、と呼ばれた男子は穏やかな表情でこう返す。
「お前は十分練習頑張ってるよ。あれだけやっててガチじゃないって事は無いだろう」
「いや……なんつうか……頭使う部分総スルーしてね? 俺」
「あー……それは、まぁ今後に期待……かな?」
尾部が否定しないあたり、やはり龍球競技者としての自分の問題点はそこにあるのだろうと三池は思った。
「ミケミケー」
と、もう一人の選手が三池へと近づいてくる。
「溝田先輩、そのミケミケっつうのをだな――」
「ミケミケはねぇ、惜しむらくは龍球を始めたのがこの春からって事なんだよー。本当なら一年生からみっちり教えたげたかったんだけどねー。二年生からってなるとどうしても限界が……」
尾部は、溝田に対して「だからこそ」と言って続けた。
「三池の身体能力を前面に押し出してこうして攻める事が、現状この大会で勝ち進む事を考えたら最善の道なんだろうな」
その表情に、妬みだとか僻みだとかというチンケな感情は一切無かった。
会話が一区切りすると、彼等はドラゴンを伴ってベンチへと向かおうとした。インターバルはたったの五分。限られた時間を有効に使う必要がある。
額の汗を拭いながら「喉渇いたァ」と呟く三池の前を歩く尾部が、その表情を曇らせた。
「誰だアレ」
尾部の視線の先を、三池と溝田、そして竜王高校のドラゴン三頭が続いて見やった。彼等の視線の先には、三池とほぼ同時に入った一年生部員の葛寺信夫と宮本啓太、そして顧問の山村が居る。それだけならば既に見慣れた組み合わせなのだが、ベンチ周辺にはもう二人、見知らぬ大人の男性が立っていて、眼前のベンチに腰掛ける山村に向かって何やら話しかけている。
悪い予感がして駆け寄る選手達の耳に、次第に会話が届き始めた。
「――ので、事実確認を早急に行いたく、山村先生にこうしてお話を伺いに参った次第でして」
「解りました。今当事者が戻ってきているので」
山村は、六名のなかの一人に視線を投げて叫ぶように呼んだ。
「三池ぇ!!」
「ん?」
三池は、何やら高圧的な態度を声音に灯してきた山村に怪訝な顔をし、選手達の群れの中から抜け出して真っ先にベンチへと戻った。
その背中を、クロは何かを察した様な表情で見ている。
三池がベンチに戻ってくるなり、山村は深刻な色で塗り固めた様な声で彼女にこう尋ねた。
「お前、ガルーダイーターの関係者を殴ったのか?」
「はあ?」
なんて不躾な質問なんだと言わんばかりの表情の三池。山村は、この三池の表情を見て彼女へかけられた嫌疑が少なくとも発言者の原文ママの有り様ではない事を確信した。
「答えろ。はっきりと。殴ったのか殴ってないのかどっちだ」
「殴ってねぇ」
「あ、山村先生、そうではなく、ですね」
山村に話しかけている男はワイシャツにスラックスという格好で、首元には品の有る沈んだ青のネクタイを締めていた。
「先方が仰るには、殴り掛かった、とのことです」
三池は、このワイシャツの男が何の話をしているのかやっと理解した。先程の、署名活動をしていたガルーダイーターとの一悶着で、自分が彼等に対して危害を加えたという話になりかけているのだ。
理解した途端に、三池はたちまち腹が立ってきた。
「殴りかかってねぇよ! 喧嘩売ってきたのは向こうだぞ!!」
「三池、言葉を選べ! 学校外の方だぞ」
論点をずらしてきた山村に不快感を覚え、三池は抗議の意味を込めた沈黙を山村に叩きつけた。
「お前の言い方だと、何かしらあったのは確かな様だな。説明しろ。……鈴木さん、インターバルの時間は止めていただけますね?」
「勿論です。既に手配してあります」
「助かります。三池、ありのままを話せ。一切脚色なしでだ」
三池は、臨むところだという顔で先程あった事を包み隠さず語り出した。
彼女の言葉には、山村の指示通り一切の主観が混ざりこむ余地が無く、ともすれば淡々と当時あった事を並び立てていった。
「――んで、そいつがなんならこの場で喧嘩でもするかって言った。それに対して俺は、望むところだって返した」
「望むなよ……」
眉間に指をあてて俯いてしまう山村に、三池は今度は自分の感情を前面に押し出して言った。
「いや、だからよ! 最終的に殴ってなんてねぇんだって! 指一本触れてねぇよ!!」
「あーいや、そりゃそうだろう。お前だってこうやって試合があるわけだしな」
「ああ、その通りだ!」
山村は、顔を上げてベンチから立ち上がると、首から大会運営委員会のカードを下げている鈴木へと向き直った。
「鈴木さん」
「はい」
「その、こう言ってはなんですが、目撃者の方々も多く居らっしゃるかと思うんですが、その辺り、いかがなんでしょうか?」
山村の発言を要約すると、”ウチの可愛い――勿論見た目的な意味ではない――生徒が相手に殴りかかった所を見た奴なんて居ねぇんだろ! 大事な試合の邪魔してねぇでとっとと消えてくれ!”という事である。
「それがですね、山村さん。ガルーダイーターの方は殴り掛かられたの一点張りでして、謝罪の言葉が無いのであれば事を荒立てるのも止むを得ないと……」
「なんだよそれ! 上等だ! そんなつもりなら――」
「三池エ!!!!」
山村が、物凄い迫力で怒鳴った。
その場に赤ん坊でも居れば確実に泣き出しそうな、地面に振動が伝わって来た気さえする様な、大音量である。
「…………」
気圧された、というよりは驚いた。
三池は、これまで幾度となく自分を叱ってきた山村がここまで大きな声を出したところを一度として見た事は無く、思わず黙り込んだ。チャラチャラしている不良が生徒指導の教員に畏敬の念を抱いたわけでは無かったが、兎に角三池は黙ったのだ。
「……鈴木さん、運営側の立場はどういった風なんですか? 先方の主張を、言い方は悪いですが鵜呑みにして、我々が問題を起こしたというお考えなのでしょうか?」
「いえいえ、決してそんな。相手はガルーダイーターという組織ですので。ただ……」
「ただ?」




