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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
112/229

変わらぬ想いはあるがまま(4)

「陽!!」

 陽の加勢は良明にとって意識の外の出来事だった。近づいて来ている感覚はしていたが、さすがにここ一番というところで来須ユニットの攻防に全神経を集中させていたのである。


「クっそおおオ!!」

 五指へと力を籠め、良明の持つボールを鷲掴みにしようとする来須。

 その、敗北を悟りつつも全力を出す事を止めない声は、悔しそうでもあり清々しくもあった。


 妙に耳に残るその叫び声を聴覚に受け止めながら、陽は無二の相棒にだけ聞こえる方法で促した。

(アキ決めて! これで、終わりだよ!!)


 安本達の行く手を遮っていたけやきが叫ぶ。

「行け! ケリをつけろ!!」


 シュートを妨害する者から解放されて滞空位置の調整をするレインが、囁いた。

いま(グァ)!」



 実況からして、普通ではなかった。

 突如として立ち回りに迷いが無くなった大虎高校の双子ユニット。沸き立つ観客席。両チームのベンチの全員は腰を上げ、実況席近くに陣取っていた受付係のアベックは、年甲斐も無く放送音声に乗りそうな大声ではしゃぎ合っていた。

 だから、実況の絵巻が逐一滑舌の良いボキャブラリーに富んだ言葉でまくしたてるのも、解説の長谷川がそれに乗っかって同じフレーズを繰り返して興奮するのも、彼等本人だけが原因というわけでは無い。


「次代を担う龍球の麒麟児が、その先鋭なる奇策で以て旧臣の築き上げてきたセオリーという名の牙城を突き崩していきます! 大虎の若き双竜が、ついに巣穴からその燦然たる輪郭を現し、この競技のヒエラルキーをがっしがっしとよじ登っていくゥ!! ああかつての英雄ミザイル=ギリンスかくやなこの衝撃! 果たしてこの試合が高校龍球の分水嶺となるのか否か、少なくとも今(わたくし)達はその瀬戸際をしかと刮目しております!!」

「見た事ない! こんなの見た事ないですよ! え? なんですか今の。どうやったのかまるで解らない! 見た事ない!」


 観客席の一角である大虎高校関係者が陣取る一帯は、彼等とその周辺の人やドラゴンによる歓声に満たされていた。

 寺川は立ち上がり、直家はリンの肩に手を回し、海藤は裁縫道具を投げだした。

 英田夫妻などはもう大変なもので、コート上を動き回るわが子達の姿に感涙を禁じ得ずにお互いの身体をゆすり合っている。


 コート上のベンチでは緑山が黙して見守り、長谷部、石崎、シキの三人はやはり黙して見守っていた。


 良明の放ったシュートはあらゆる者達の視線と歓声を浴びながら、その身に任された重大極まりない役目を果たすべく、試合の進行の要を務め上げていく。

「入れ!!」

「入って!!」

『入れ!!』

 口々に叫ぶ双子とレインの声の影響を受ける様に。ボールは進んだ。


 そして、その瞬間は訪れる。


 ホイッスルと、電子音。それが聞こえた。

 直後、良明と陽は全く同じ動きで電光掲示板へと首を曲げた。

「前半十二分……」

「……三十、一秒」

 前半の時間が無くなったわけではない。


 けやきとガイも同じ方向へと首を向ける。

3-0(さんたいぜろ)

 得点は入っている。

 つまり、その電子音とホイッスルは間違いなく、大虎高チームの得点を知らせる為の音だった。


 観客席が、ベンチが、実況席が。

 会場が、耳を劈く様な大音量の声に包まれた。薄石高チームが哀れになるほどの祝福の歓声に埋没していったのだ。

 確実に発声されていた審判の得点のコールなど、それにかき消されて聞き取れたものではなかった。


 そんな中で、藤が勢い良く立ち上がり観客席を後にしようとする。

「藤?」

 直家に呼び止められて、藤は振り返ってこう言った。

「出来れば皆さんも! 僕に考えがあります」


 コート上で、レインは良明にしがみついていた。

 ぎゅうぎゅうとドラゴンの力で締め付けられて痛いわ苦しいわだったが、良明は一切拒絶せずそれを受け入れ、彼女の背中を優しく撫でてやった。

「レイン、まだだぞ。あと二勝しないとてっぺんじゃあないんだぞ」

『解ってるけどさあ!!』

 レインの腕にさらに力が籠る。呻きそうになる喉に力を入れ、良明は労う様なため息をついた。


 そんな良明達を、陽とショウは並んで観ている。()ているというよりも、愛でる様な眼で()ているのである。

 ショウは、陽にこんな事を言ってからかった。

『妬いちゃう?』

 ドラゴンの言語が解らない陽にも伝わる様に、わざとらしいくらいに小悪魔的な声音と表情を作ってやったら、陽はその唸り声の意味を理解したらしい。

「な、なに言ってんのショウさん。実の兄だよ?」

『私にしがみついてもいいんだよ?』

 と言って両手を広げるショウ。


 ふざけているのかな、と思い躊躇う陽だが、どうせだったら乗っかって抱きしめてもらおうと思った。だが、彼女がショウへと足を踏み出した時、何か耳に届く音を感じて動きを止める。


 ピピピー。ピーピーピー。


 審判がホイッスルから口を外し、「いいですか? 整列してください」と言っている。

 陽は、既に整列している薄石チームに気づいて周りの仲間に視線を戻した。

 未だにぎゅうぎゅうと良明を締め上げるレイン。それに対して戸惑いながらも受け入れる良明。陽と同じく審判のホイッスルに気づいたショウ。背後では、けやきとガイが陽や良明や、レインやショウを優しい表情で見守っていた。


 けやきが慌てる様子の無い声で穏やかに言う。

「行こうか」

 陽は、「はい!」と元気に返事し、コート中央へと向かった。


 意気消沈する薄石高チームを目の当たりにした時、英田兄妹とレインの心根には心地良さは無かった。

 勝ったその時にはざまあみろと思ってやろう。頭のどこかではそう考えていた。気がする。

 辛い練習の日々も、半分はこの瞬間の為に耐え抜いて来た様なものである。

 なのに、敗北を喫した薄石高の面々をいざ前にすると、例え心の中であってもどうにも悪態をつく気にはなれなかったのである。


 どう感じるか(・・・・・・)という事で言えば、高々半年死にもの狂いになった程度で彼等に勝利してしまった事に関して申し訳なささえ感じてしまう。

 尤も、双子もレインもそれを口に出す事は止めておこうと思った。うまく言葉には出来ないが、多分それは相手に対してとてつもなく失礼な事なのだと思う。


 しかし、そうなると困ったものなのである。かつて大虎高のコートで来須の胸倉を掴んだ陽は思う。

(この、私達が振り上げた拳は結局どうすればいいんだろう。3対0で試合に勝って……それで、おしまい?)


 ほら謝れ。

 あの日の事を頭を下げて深く深く反省しながら謝罪しろ。


 などと、この場で言うわけにもいかないし、後からわざわざその件について物申しに行くなんてもっと無理だ。

 勝ったんだからドヤ顔して退場してやればいいのか?それも随分と不躾なカンジがする。


(え、ひょっとしてホントにこれで終わり? 先輩に対して無能呼ばわりした事を撤回させて、私達全員に謝ってもらうのは……もう無理なの?)

 正直なところ。陽も良明もレインも、今の薄石高チームの顔を見てしまって溜飲はかなり下がっていた。

 スカっとした、というのとは少し違う。今の安本や来須の顔には、敗北した事への絶望とは別に、あの日の事に対する罪悪感が満ちている様な気がしたのだ。

 安本と来須は敗北の悲しみに顔を歪ませるでもなく俯き、影になったその顔は口を真一文字に閉じている。と言っても、唇を噛みしめているのではない。ただただ”閉じて”いるだけだ。彼等の眼はハイライトを失って、地面の一点を見つめて何かを思案している様にも見て取れる。何かをするべきか、しないべきか、迷っている様な、そんな表情である。


(恐らく、俺達が何かを言わなくても、この人達はあの日の行動が愚かだった事をもう解っている)

 そう気づいた良明は、これ以上彼等に関わりや拘りを持つ必要性を感じられなかった。彼等の表情に浮かべられた反省の色が、謝罪と同義の何かに思えてならなかったのだ。


 御崎審判が、試合結果の宣言に移ろうとした時だった。

「あの、少しだけ……いいですか?」

 御崎は「なにか?」と言って控えめに小手を掲げた安本に向き直った。


 安本は、「少しだけ」と言って大虎高チームの選手達を見た。安本の眼前には試合に参加した六名の他に、石崎とシキもベンチから出てきて整列している。

 良明は、(そういえば試合前にも何か言おうとしてたなぁ)と思い出して耳を貸す事にする。

 それは何の前触れも無く、突然だった。


「すいませんでしたァ!!」


 ワンテンポ遅れて、来須が

「すみませんでしたっ!!」

 と続く。

 安本と来須は深々と腰を折り、久留米沢はそれに準じた角度でお辞儀している。ドラゴン達は揃って首を垂れ、夫々静止していた。


 御崎が戸惑う気配を感じながらも、安本は謝罪と同じ声の調子で続ける。

「皆さんに対する、数々な失礼な態度と、挑発的な練習試合の申し込み、大変失礼しました!」

 安本が言い終えるのを待ち、今度は来須が同様の口調で言葉を紡ぐ。

「故意のファウルをした事、それを正当化する龍球選手としてあるまじき言動。部長である樫屋さんの名誉を傷つける発言、また、龍球を初めて間もない皆さんへの失礼極まりない発言。並びに関係者の皆様への非礼、数々の暴言を謝罪致します!」


 いざ聞いてみると、なんとも居心地が悪いものである。

 良明も陽もレインも、けやきも、それ以外の部員達も、何と言葉を返せば良いのか反応に困った。


 そんな中で最初に言葉を返したのは、部長であるけやきである。

「顔を、上げてください」

 ゆっくりと、何かを警戒するような動きで薄石高の選手達は顔を上げた。

「……謝罪の言葉は、しっかりと受け取りました。良明、陽、レイン、みんな。言いたい事はあるか?」

 その場の誰一人として、沈黙を破らない。


「件の事は、これで終わりにしましょう。私達は今日(・・・・・)を以てこれ(・・・・・)以上あの日(・・・・・)の事を引き(・・・・・)ずりません(・・・・・)。皆さんも今日今日限り、あの時の事は……気にしないで(・・・・・・)下さい」


 けやきは、言い終えた後で棘を付けすぎただろうか、幼稚だっただろうかと少しだけ後悔した。

 今しがたの彼女の発言には、これまで大虎高校側があの日の事を一日として忘れていなかった事や、薄石高校側にあの日の事を忘れて貰いたくないという意味が込められていた。これまでけやきが目にしてきた良明や陽やレインの並々ならぬ薄石への憎悪を考えると、”言いたい事はあるか”と確認したとはいえ、易々と薄石の悪行を水に流す事は出来なかったのだ。


 けやき自身の気持ちに関していうならば、実は彼女はあの日の事をさほど気にしていなかった。当時、薄石高チームに勝てなかったのは自分の力量不足であるという認識は彼女にしてみれば図星以外の何物でもなかったし、来須による故意のファウルの件に関しても、”ルールはルールだ、私はやらないがアレは不正ではない”というのが彼女の考えなのである。しいて言うならば、兄妹やレインが不快な思いをして苦しんだ事に思う部分がありはしたが、けやきの目的はあくまでガイの寝床と生活の確保、そして竜術部の存続である。その実現への布石として、良明、陽、レインの三名が闘志を燃やす事は望ましい事ではあった。

 だから、けやきが今しがた薄石に言葉を返した時の口調は、良明達の憎悪が稚拙に思える程に穏やかだったのだ。


 沈黙を続ける一同。

 審判が試合終了のコールに戻るべきか否か、タイミングに迷っていると、安本が「すみませんっした」と早口で抑え気味の声を発して促した。


「ゲームセット。以上、ポイント3-0で大虎高校の勝利と判定します」


 そのコールを以て、良明と陽とレインのリベンジは幕を閉じた。

 その場を後にする面々の中で、良明と陽とレインだけが退場を躊躇う。理由など明白である。ある一言を言うべきか否かを迷っているのである。


 タイミングは完全に逃した。逃したという事は、一度は言わない選択をしたという事である。だが、このままではいけない気がする。漠然とそう思った。詳しい理屈など勝利の余韻と耳にこびりついた会場の歓声が邪魔し、到底解らない。

 それでも、このまま自分達に背を向ける安本と来須をただ見送ってしまっては、いけない気がした。


「あの」

「あの」

 うなだれながら歩く薄石高チームは、双子の声に振り返った。


「もう、いいですから」

「もう、いいですから」


 微笑んだのは、けやきだった。

 観客席棟へと足を踏み入れた時、英田兄妹は試合前に感じていた震えがいつしか完全に無くなっている事に気づいた。

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