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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
111/229

変わらぬ想いはあるがまま(3)

 良明と陽の速攻が始まった。

 視覚や思考だけではない。硬い砂地の地面を踏みしめる一歩一歩の感触、会場に充満する石灰の匂い、近くで「戻れ」や「はい」などと発する敵チームの声、その他ありとあらゆるクオリアが、兄妹の意識の中で完全に共有されていた。

 それはつまり、お互いの位置のみならず、周辺の状況――敵味方の立ち位置や、視聴覚で察する事ができる相手の戦略、ボールの現在位置など――を共有出来ているという事だ。


 そこには今しがたまで脳裏をちらついていた絶望も、互いへ歩み寄ろうとする馴れ合いも無い。

 一切の譲歩も妥協も同調もなく、双子はこの瞬間、元来から思想と目的を同じくする同志として完全にシンクロしていた。いわば一頭の双頭のドラゴンとなった二人は、虎穴の最奥から躍り出た。


 双子はパスを繋いで一気に攻め込んでいく。前方に回り込んでいた騎乗済みの敵チームが二人の前へと立ちはだかる。具体的には安本ユニットが陽に、その他の二ユニットがボールを持つ良明へと距離を詰めた。

 それら薄石高選手の誰もが事態を把握していた。


 十数秒前の兄妹ならば、この時の相手選手達を見て絶望していただろう。

 安本も、久留米沢も、来須も、その眼の色を変えて完全なる集中の最中に意識を置いていた。

 良明の前方で、来須が跨るアルが羽根を広げて良明の視界を塞ぎにかかる。陽は、それら良明とレインを含めた()ユニットを視界に捉えて凝視した。

(来須の後ろにもう一ユニット! 来須の竜の羽根の下を潜って、ボールを奪いに行ってる!!)


(大丈夫、言葉にしなくてもビジュアルで伝わってる!)

 良明はその手のボールを高く掲げ、同時にレインを飛翔させた。

 来須と久留米沢を眼下に眺め、良明は視線を正面へと向けたまま陽へとボールを投げる。否。投げた方向は陽よりも十メートル先である。だが、良明がボールを投げる先を見据えるまでも無く、陽はその行きつく先を彼の思考から正確に読み取っていた。彼がボールを投げるよりも五秒も前にだ。


 先程までの”良明ならこうするだろう”という予想の元での断定(・・)ではない。

(具体的な思考が、今ならはっきりと読み取れる!)

(どんな複雑な作戦でも今なら一瞬で共有できる!)

 双子の間で行われている事は、”内容の共有”ではなく”思考の共有”である。その為、通信速度は勿論の事、受信した内容を理解する作業でさえ瞬き程の時間すらかからなかった。


 ボールを受け取ろうとしている陽の方向へと眼を向けながら、良明は手元でレインに”前進”を指示する。

 良明の視界の中で陽に向かっていくサイが身を屈める。その背の上では安本が同じくボールを注視していた。サイが脚を踏み出すタイミング、安本が腕を振りかぶっている角度、その視線が見据える先。それらの情報が陽の頭の中でより明確に像を紡いでいく。


(正面からじゃ掴みにくかった相手の動きが、今なら手に取る様に解るッ!)

 陽は安本の腕を易々とかわし、アルの軸足の傍らを駆け抜けるタイミングをショウに正確に指示した。


 良明は敵陣へと先行し、ゴールリング正面へとレインを滞空させていた。

 彼等の背後ではショウが飛翔を始める。それへと追いすがるのは、安本と久留米沢の二ユニット。来須は、ゴールリング正面の良明の背後へと迫っていく。


 安本も、久留米沢も、来須も。薄石高の全生徒は、危機感や焦りよりも先にマーブル模様の様に不気味な混乱と、ショッキングピンクの様にやかましい驚愕を感じていた。それらが彼等が今感じているクオリアであり、良明や陽の中にある洗練された情報とは見るも無残なコントラストを放っていた。いかに試合に集中しようとも、襲い来る混乱に向かい合えばその混乱の元を断たない限り思考は混濁する。

 薄石高の三ユニットと、大虎高の二ユニット。彼等の間には、この時完全なる精神状態の差が存在していた。


 良明の背後へと、混乱の渦中にありながらも来須ユニットが向かっていく。その角度、速度、羽根の大きさ。全ては彼に背を向ける良明の頭の中で捉えられていた。

 その時、不意に良明の意識の中でその映像が閉ざされる。より正確に言えば、その視界いっぱいに羽根が飛び込んできたのだ。

 良明は瞬時に察して振り返る。案の定、久留米沢が乗るコウの羽根が、陽の視界を奪っていた。静かに妹達の方角を見据える良明の様子を見、来須は眉根を潜める。


 陽とショウを包囲する二ユニットの傍へと、大きな影が駆け付けた。

「先輩!」

 思わず声を上げた良明は、上空へと飛翔するけやきユニットと陽への包囲をしっかりと視界に捉えた。無論、陽にそのビジョンを送信する為である。

(包囲には隙間がある! そこにボールを通せば先輩に届く、急げ!!)


 安本が乗るサイ、久留米沢が乗るコウ。その羽根の間に、確かに隙間はあった。陽は、自分を取り囲む敵ユニットの配置が変わる前にと瞬時にボールを構えた。

 鷲の様な眼を自分へと向けてくる安本と久留米沢に対し、陽は臆する事が無かった。

(上等だよ。そうこなくっちゃ、倒し甲斐がない!)

 陽は目を細め、感覚を研ぎ澄ませた。


(狙う場所は羽根と羽根の隙間。幅で言ったら五十センチ。外せばボールを取られるし、さすがにこの二ユニット相手じゃボールを取り返すのは厳しい。絶対に、樫屋先輩に繋げる!!)

 ここにきて陽の全身に緊張が漲る。春大会からというもの、一度として感じていなかった薄石高チームとの試合に対する緊張が、今この時になって押し寄せてきた。手元を誤ればこの千載一遇の速攻が台無しになるというプレッシャーと、なんとしてもその手の中にある物を仲間へと繋ぎたいという欲望が、決して相容れない感情と知りつつも融合しようと絡み合う。


 最後に救いの手を差し伸べたのは、今、最も彼女の傍にいる存在だった。

『陽、投げなさい!!』

 陽は、意を決してその手の白球を投げた。背中を押してくれたショウの鳴き声が、陽にはこの上なく頼もしく思えた。


『けやき、来るぞ!』

「ああ、このままゴールリング前まで移動する!」

 ガイは陽達から正面の良明ユニットへと視線を移動させた。

 けやきは眼前に迫ってくるボールの軌道を見極め、同時に手綱を引いた久留米沢と安本の身のこなしから、彼等がパスを受け取ろうとしている自分とけやきの存在に気づいている事を察した。


「急げ!」

『応!!』

 ガイは、その大きな羽根をバサリという音と共に広げた。あらん限りの力で最初の一振りを仰ぎ切ると、周辺に凄まじい風が巻き起こる。気流が乱れ、砂嵐が吹き荒れる。だがサイもコウもそれに怯む様子無く、ガイへと振り返ってそのごつごつとした足で乱暴に地面を踏みしめた。


 ガイが飛翔すると、来須とアルはいよいよ身構えた。

「これを止めるという事は、大虎の総力を受け止めて退けるっていう事だ。アル、絶対に止めるぞ!」

『当然!!』


 けやきは、ガイの背の上で良明へと狙いを定める。

 そんなけやきを陽が凝視し、さらに良明がそのけやきとガイの姿勢から自分へのパスの軌道を読み切ろうとした。


 良明は傍らの来須ユニットをちらと見て、あえてこう言った。言わずにはいられなかった。

「させませんよ。……俺達は、もうあなた達には負けません」

 来須に対するその表情には、ここにきて初めて明確な感情が籠っていた。

 それまで必死で押し殺していた感情が、良明から漏れ出しているのである。


(勝った方が正しいなんて思わない。けど、この試合だけは、今度こそは、絶対に勝ってみせる! 薄石との最後の戦いだけは、絶対に!!)

 仲間が繋いできたボールが、良明の元へと吸い込まれるように飛んでくる。


 来須は、かつて心内で感情を爆発させた自分と、今の良明を見比べた。かつて自分が放った悪態と、良明から漏れ出した感情を聞き比べた。

 辛かった。

(英田良明という人間を、俺はこんなにも……。違う、彼だけじゃあない。全ての大虎高の関係者に対して、俺はあまりにも最低な事をした)


 良明の手に、白球が掴み取られた。

(けど、それでも俺はこの試合に必ず勝つ!)

 ボールを手にした良明の、ほんの一瞬の硬直。レインが向きを変えてゴールリングへと向かい合おうとするその一瞬に、来須は全てを賭けた。

 良明の背後で来須が彼の手中のボールへと手を伸ばす。


 良明は、眼を閉じていた。理由は明白。陽から届く映像に集中し、背後でボールを狙っている来須の動きを見極める為である。

(一人じゃこの来須という相手には勝てない。陽と二人束になっても勝てやしない。けど、束じゃなくて感覚を完全に一つにして研ぎ澄ませれば、動きを読み解くことは出来る!)


 良明はその両目を見開くと、来須の向かって右側をかわす様に、その手に持つボールを逸らしてレインを移動させた。

(これで、かわし切る!)

 来須の横を良明とレインがすれ違っていく。


 良明の中で最後の一点が、勝利が、確信を伴った。

 それと全くの同時だった。


『させないよ』


 良明の手中のボールに触れる者が在った。

 安本と久留米沢の両ユニットはけやきを乗せるガイの大きな羽根により進路を妨害されて、この周辺には来ていない。

 良明の手にする白球をがしりと掴んで触れたのは、アルだった。


『俺も相当な手練れなんだぜ、少年』

 アルの言っている内容が解る気がして、良明は閉じた口の中で歯を食いしばり眉間に皺を寄せた。

 良明は手綱を握る手を放し、ボールを両手で固定する。

(駄目だ、力負けする!)

 上昇するレインの背の上で、良明がその両手の中のボールがずらされていくのを感じている時だった。


「まったく――」

 良明と来須ユニットの間に割って入る影があった。

「――やっぱ、一人じゃダメだね」

 誇りと自信と仲間への思いやりに満ちた表情を浮かべた妹は、兄に向けるその顔に笑みを足した。

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