変わらぬ想いはあるがまま(1)
「全員、騎乗して即座に戻れェえ!!」
良明と陽は、その指示の意味するところを理解できなかった。が、本能的に察する。それはけやきによる必要不可欠な指示であり、その声音からしても極めて重大な事象が発生したのである。
ボールを持つアルは、そんな双子を意に介す事もなくさらに来須へとパスを出した。やはり、そのモーションに迷いは無い。
さらに、そのボールが極めて高速で投げられている事に良明は気づく。
(十メートル以上のロングパス。……そういえば、さっきから逐一全員がああやって遠くの選手にパスを出している気がする)
「周囲を! 相手選手の位置を確認しろ!!」
けやきの指示を脳で受け止めると、全大虎高選手は自コートへと戻りながら、視界に映るすべてを網膜に焼き付ける様に記憶しようとした。大虎高の全選手はそれで初めて悟る事になる。
薄石高が展開している陣形が、レギオンフォーメーションではないという事を。
薄石高の選手のうち五名が夫々五角形の頂点に位置する場所へと散会し、残りの一名である安本がその五角形の中央で今、アルからのパスを受け取ろうとしていた。
「……え?」
陽は、脚は止めずともその表情を驚愕の色に染めた。
散会していると言っても、その距離が異常であった。安本の真正面に位置する来須から時計回りに、アル、久留米沢、コウ、サイが五角形を展開しているのだが、その五角形の左右の頂点に位置するアルとサイの距離は約二十メートル。
いつだったか、陽が本で見た龍球用コートのサイズが頭の中にフラッシュバックする。
(――2133.6cm*36576.cm)
アルとサイの間の距離は、コートのセンターラインの長さとほぼ同じであった。
コートの横幅ギリギリにまで広がった五角形の中でボールが行きかいながら、陣の形を維持したまま大虎高コートへと歩くような速さで押し寄せる薄石高選手達。街を行く怪獣の様に、じわじわと、だが何物にも妨げられないままに確実に。
「ウェブフォーメーション。私が知る限り、高校龍球で過去にこれが使われた試合は一つも無い」
長谷部の声音から、いまやその冷静さが作り物である事は容易に読み取れた。
長谷部と石崎は、思わずベンチから立ち上がっていた。
「あんな距離のパスを、容易に繋げながら進んでくるって……」
石崎の呟きに長谷部は首を横に振る。
「容易なんかじゃないぞ……そんなに重さの無い、野球ボールほどサイズも小さくない龍球用のボールを、最大で約二十メートル程も繋ぐんだ。それも絶え間なく。肩への負担は凄まじいし、そもそもあの距離のパスを安定して届かせる事自体、血の滲むようなトレーニングが必要だったはず」
「で、でもけやき達なら!」
長谷部は口を覆って声を籠らせながら言った。
「何より一番恐ろしいのは……さっきも言ったけど、そもそも彼等の一人一人がかなりの高いスキルを持っているという事。樫屋やガイ、あとは頑張ってショウもか……彼等なら兎も角、他のメンバーは薄石のメンバーに一対一じゃ敵わない。これが何を意味するか、わかる?」
石崎はコート上を見てはっとした。
「レギオンじゃあ……対応出来ない」
「そう。あの巨大な五角形の一点を人数を割いて集中的にマークしたところで、中央の安本を含めた他の五人が攻め上がる。かといって一人一人にマークを付けても、ウチのチームは実力で競り負ける。意とも容易くパスを繋がれながら侵攻を許してしまう」
「そんな! それが本当なら、じゃあ今までなんであいつ等……いや、他のチームも含めて、そのウェブフォーメーションってのを使わなかったんですか!?」
「石崎、聞いてなかったか?」
長谷部は、口元に寄せた手を下ろした。その眼には、幾許かの涙を湛えている。
「……え?」
「言ったはず。あんな芸当、並のチームが並のトレーニングを続けたところでマトモに出来る事じゃない。まして、肩への負担は凄まじい。練習にかける時間と身体へのリスクを考えると、とても割にあわないんだよ」
「……そ、れって……」
「うん、そうだ。あいつらは、そういう代物を、この試合にぶつけて来たんだ! とっておき中のとっておき。これが通用しなければもう如何しようも無いし、通用したとして、使えば使うほど肩に負担をかけていく。そういう、正真正銘、捨て身の全力をね」
「で、でも……それでも! けやきなら、あの双子の新技なら!!」
「――だと、いいけど……」
長谷部はベンチにぺたりと座り込み、必死で策を考え始める。
良明と陽が出来る事。けやきとガイが出来る事。現状のショウとレインの機動力。様々な要素を加味して演算を繰り返す。
その表情は、悍ましい怪物を目の当たりにした軍隊の指令の様だった。
「良明、陽! 来須をマークしろ!!」
レインとショウがあらん限りの力で羽ばたき、迫ってくる陣形の先頭に位置する来須へと向かっていく。
けやきが咄嗟に思いついた対抗手段は、人員を割いてでも先頭の来須をマークする事で陣形を歪める事だった。
「この陣形は、ほぼ正五角形の配置あってこそロングパスの威力を発揮する! 逆を言えば、その形を崩してしまえば少なくとも陣形の一角を切り崩すことが出来る筈だ!! 来須、すなわち五角形の上部の頂点を凹ませて、中央の安本と変わらないような位置に移動させれば、五角形をアルファベットの’M’にする事くらいは可能だ」
’M’の中央の折り返しに来須と安本をまとめる事で、パスが行き交う頂点を一つ減らす。言った本人であるけやき自身気が遠くなるような遠回りだったが、それ以外に現実的な対応が思い浮かばなかった。
安本は、陣形がパスを繋ぎながら侵攻を実現出来ている事で、ある確信を得た。
(やっぱりな。こいつら二人が出来る事は、あくまで”妹や兄の行動を予測する事”だ。決して、他人の動きまでもを正確に読んでるワケじゃねえ。例えば、俺達が誰にパスを出す、だとかが把握できるって事じゃねえんだ)
巡り巡って久留米沢から至ったパスを、コウへと投げて安本は指示した。
「コウ、飛べ!」
「グァエッ!!」
けやきは歯噛みし、眉間に深刻そうなしわを寄せた。
ベンチの石崎が即座にそれが意味するところを把握する。
「陣形が、立体化したッ――!?」
来須へと到達する兄妹を見ながら、けやきはガイへの指示をあぐねていた。
(ソリッドウェブフォーメーション……ウェブフォーメーションを立体化することで、相手チームが頂点へと追いすがる事すらにも時間をかけさせて抑制する……本の欄外でしか見た事が無い技を、今このタイミングで使ってくるか)
「ガイ」
『どうする』
「……こちらの戦力を、最大限に活かすまでだ」
そう言ったけやきは、他の四名へと声を張り上げた。
「レギオン! 以後、お前達は地上の相手を遊撃しろ! マークでもボールを奪いに行くのでも構わん!!」
安本は来須の周辺で騎乗状態を解く双子と離れたところに居るけやきを視界に捉え、思ったままを口から零した。
「苦し紛れ、だな。だが確かにそうするしか無いだろう。こっちの竜が上空で移動を開始した以上、もはや地上で陣形を歪めにかかったところで俺達は上から攻めさせればいいだけの話だからな」
唯一、けやきだけは騎乗状態を解かなかった。ガイの手綱を引っ張って、上空のドラゴン達へと向かっていく。
「ガイ、いいか」
『ああ』
「上空の竜三頭は、私とお前で対応しよう。相手が警戒してくるだけの実力を持つ私とお前がそれをすれば、少なくとも相手への牽制にはなる」
『パス回しが地上に限定されるかもしれない、という事か』
「……ああ。そこから先は……双子次第だ………………」
『けやき、どうした?』
「私は、結局彼等の実力に頼ってしまった。具体的に彼等に指示を出して敵へと差し向けるのなら兎も角、どう攻めるかを彼等に託し、この局面を切り抜けるという重責を彼等に――」
『上出来な判断じゃあないか』
「……え」
『この状況で、落ち着いて対抗手段を捻り出しただけでも誇っていい。そう自分を責めるな、けやき』
「ガイ……」
『それに、彼等をスカウトしたのだってお前の判断だ。総じて、今この場でこのメンバーで戦っている事自体、お前が差し向けた事だろう?』
眼前に、ボールを手にしているコウが迫る。
「すまない、行こう!」
『ああ!』
双子は、地上に残された安本、久留米沢、来須のうち、良明が安本へ陽が来須へと分散した。この状況で二人固まって動く事にさしたメリットは無かったし、なんなら一度先程手の内を明かしてしまった相手の警戒を誘うだけだと思われた。
残る久留米沢には、ショウとレインが飛んでいく。
二頭は、到達するまでの間にほんの一言二言をかわす。
『悔しいけど、この状況で頼れるのはアキと陽かもね』
とレインが言うと、ショウはこう答える。
『とはいえ私達にだって出来る事が無いわけじゃあない。解ってるね?』
『もちろん!』
レインとショウは、久留米沢の視界を覆う様にその羽根を広げた。彼女等の羽根はガイ程の広さを持っていなかったが、久留米沢のボールのやり取りを阻害するには十分だった。
大虎高ゴールリングまで、あと十メートル。
体力の温存とパスの精度を上げる為に歩いているとはいえ、薄石高のソリッドウェブは着々と侵攻を続けていた。
上空にはけやきとガイによるユニット。地表では久留米沢のユニットがドラゴン二頭により視界を奪われている。
良明と陽がここからどう動くかは彼等次第。その点に関しては、勿論薄石高チームとしても確かな予想は立てられない。




