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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
108/229

背水の挑戦者(6)

 長谷部は、不意に大きくため息をついて俯いた。

「長谷部、さん?」

「――石崎ちゃん」

「はい」

「何とかなるかもしれないよ……ウチの竜術部」

 その表情は、監督に就いてからのこの二か月間を物語るかの様に、大きな大きな心労から解放された様な顔を一瞬だけちらつかせた。


 長谷部はすぐに緊張に表情を引き締める。戒めるかのような表情の変化に石崎は気づいたが、同時に彼女はもう一つ、この時になって初めて気づいた事があった。

(この人は、今日という日までの二か月間……ううん、もっともっと前から続く今日までの日々を、ずっと憂え続けていたんだ。自分の大切な場所である竜術部への危機を、誰よりも身近に感じながら)

 それがどれ程壮絶な心持であったのか、或いは成哉や夫という存在がそのつらい心を支えていたのか。石崎はこの長谷部という婦人について様々な思考を廻らせたが、彼女について自分が易々と断定できる事など何一つなさそうに思えてならなかった。



 薄石高チームは、自コートベンチに集っていた。

 久留米沢とユニットを組むドラゴンであるコウは、同じく安本と組むサイ、来須と組むアルを見回した。

 コウだけが青い目をしており、他の二頭は塗った様に交じりっ気のない赤い目をしている。


 コウは三頭の中では最も年上の二十三歳。サイにもアルにも一目置かれている姉の様な存在である。安本や来須の行動に対して何も言わないでここまできてしまったのはサイも彼女と同じだが、自発的に来須に同調してきたアルでさえも、彼女の中に普段からある余裕の様な物の正体を見極められずにいた。


 アルは、今この時に尋ねてみたくなった。

 何故、コウはこれまで安本や来須の横暴に対して沈黙を貫いてきたのか。

 何故一言として、安本や来須を叱ろうとしなかったのか。

 スコアの上で追いつかれた今だからこそ、その冷静さの源を知りたくなったのである。


『コウ先輩』

『なに?』

『……貴女の宝珠(・・)は、なんですか?』

 コウは、くすりと微笑(わら)ってこう言った。

『私はね、何者でもないの。斜に構えているだけの、しがない高校職員だよ』

 沈黙してコウが放った言葉の意味を必死で追いかけているアルに、コウは今一度微笑んで続けた。

『大事なのは、今何をするべきか。……何をしなければ行き詰まるか、それを考えなさい』


 結局、アルが求めている答えは得られそうになかった。否、或いは彼女が言った”斜に構えている”という表現が全てなのかもしれない。

『――――』

 アルがもう一言何か言おうとしたとき、丁度安本が口を開いた。

「……この次の試合の事はもう、考えねぇ」

「使うんですね、部長」

 来須は真剣な表情を強張らせて論点を確認した。

「ああ、最後の必殺技だ。決勝の相手に見られようと知った事か。どうせこのままじゃやられるんだ。こうなった以上、出し惜しみしても仕方がねぇ」

「……結局、ここで負ければ俺とお前は無冠のまま部活生活を終える事になる」

 久留米沢が言った。


 薄石高校は強豪でこそあれ、全国大会へ進んだことはそう多くは無かった。毎回準優勝かベスト4には必ず入っているものの、こと安本や久留米沢の入学以降は一度も優勝を飾っていない。

 久留米沢には、未練がある。高校卒業後も別の場所で龍球を続けられる安本や来須が羨ましい。ここで終わりたくは、無かった。


 安本はそんな久留米沢の想いを知っている。アルが自分と来須を通じてウイングボールスクールに興味を深めているのを知っている。

 来須がかの一件以来自分に全幅の信頼を寄せている事も、サイが自分や来須にもの言いたげな視線を投げかけていた事も、コウがそんな自分達に愛想をつかして惰性で龍球に付き合ってくれていた、それでも練習や試合は全力でやってくれていた事も。緑山が、部内のいざこざに目を瞑り只管に精進している事もだ。


(ここで結果を出せなけりゃ、龍球部に入った意味なんて無えだろう)

 結果が全ての場所で競技者人生を積み重ねている彼にとって、様々な事を経て挑むこの試合は、この準々決勝は、そういう場所だった。


 ここで負けたとして、それは、”いつも通り準々決勝まで来れた”ではなく、”他校や周りに迷惑をかけた挙句に準決勝にすら進めなかった”なのだ。

 苦戦を強いている相手が、かつての姿からは想像も出来ない進化を遂げた大虎高校というのはいかにも出来過ぎた皮肉で、どこかの天才と同様に、安本はこの対戦カードに恣意的な物を感じずにはいられない。

 だが、今はそんな雲を掴む様な指摘はどうだっていい。


 部長として、主将として、部を指揮して実力に裏打ちされた確実なる勝利をその手にする。

 今の安本暦人(れくと)という少年にとって重要なのは、それだけだった。

「……今のあいつ等に古戦陣で勝ち目は無ぇ。これより、試合をひっくり返す!」

 安本は、ボールを手にしてコートへと先行した。

 その先には、勝利を信じて疑わない大虎高チームが居る。



 陽は、試合を再開するべくコートへと戻ってくる安本と来須、そしてそれ以外の薄石高選手を見てから、”最後の瞑想”を始めた。次が最後の一点。このまま一点も奪わせず、チームとして完全なる勝利を収める。陽は密かに固く心に決意した。

あの日(・・・)から続く薄石との戦いが、今日で終わる。……何度あの日の事を振り返っただろう? 何度心に勝利を決意しただろう? 何度、彼等との力の差に絶望しただろう?)

 陽は隣に構える兄を見ようと、そっと両眼を開いた。その眼光は今尚集中の彼方の世界を見つめている。


 良明は、護るべき存在――レイン――の手綱を握り締め、敵を見据えていた。その眼は陽と同様、数多の修羅場をくぐって来た戦士の様な魂を宿している。

レイン(こいつ)は今日まで俺達と一緒に戦ってきてくれた。そして俺は、誰よりもこいつの傍でコートに立ってきた……)

「なあ、レイン」

『なに?』

 良明には、未だドラゴンの言葉は解らない。陽もである。

 だが彼には、今に限っては彼女の意思を把握する必要など無いように思えてならなかったのだ。


「自分の為でもあるとはいえ、今日までありがとうな。優勝、目指そう」

『すくなくとも、薄石高校(こいつら)にだけはぜったいに負けたくない』

「最後の一点、樫屋先輩に頼らずに取れるかな?」

『そのためのユビキタスシンパシーでしょ?』

「次に試合が止まる時は、俺達が最後の一点を入れた時だ。これを、最後の会話にしよう」

『ほら……敵が来るよ』


 安本が走り出す。

 良明と陽が手綱を握る。

 レインとショウが脚と羽根を動かして、けやきが、叫んだ。


「行くぞ!! これに勝てば準決勝だ!!」


『応ッ!!』

 一同は口々に返事して前進を開始した。誰もその声は荒々しく、退く事を知らない戦場の兵士の様な色を宿していた。


 安本は、跨るサイがセンターラインを三メートル進んだ所で全体に指示を出した。

勘解由小路(かでのこうじ)!!」

 異様に長い苗字に、安本の発した号令が特異な指示である事を瞬時に悟る大虎高全選手。

「レギオン!! 安本を完全包囲しろ!!」

 すかさずけやきの指示により、彼女自身を含めた全員が安本を包囲しにかかる。

 指示を出したけやきを運び続けるガイの視界の中で、安本は彼の乗るドラゴンから飛び降りた。彼だけではない。薄石高校の全選手がドラゴンを降りる。


「むこうもレギオンか!」

「構わないよ! ボールを奪い取るだけ!!」

 良明と陽が口々に発しながら、真っ先に左右から安本の懐へと飛び込んだ。安本はその手のボールをある方向へと投げ放つ。兄妹が咄嗟に手を伸ばすが、完全に間合いの外だった。

 良明と陽は一瞬の攻防の直後に思う。

(球速が速い! まるで俺達みたいに相手の位置を予め把握してるみたいだ!!)

(でも、ボールを投げた方向には樫屋先輩が居るッ!)


 安本のボールを受け取ったのは、久留米沢の相棒ドラゴンであるコウ。斜に構えた性格はその表情から鳴りを潜め、今は試合の事だけを考えている事がその顔からうかがえる。

 コウ以外の十一選手の中で最も近くに居たけやきは、稲妻の様な反応速度で彼女の懐へと潜り込むと、到達したばかりのボールへとその手を伸ばした。


 と、コウはすかさずそれをある方向へと投げた。

「なにっ」

 パスする相手の居る方向を見てすらいない事に、けやきは違和感を覚える。

(ノールックパス自体は往々にして利用される技ではある、だがやはり妙だ。試合再開直後から見ていたが、このドラゴンは一度も周囲を確認してなどいなかった。何故パスするべき方向を正確に把握できている?)


 この時、けやきの中には仄かな予感が芽生えた。が、それは無意識のうちに即座に否定される。けやきの脳はその予感の内容も考えようとせず、瞬時に”そんなわけはない”とそれを拒絶した。

 つまり、けやきは今目の前で起ころうとしている事をこの刹那のうちに理解していたのだ。類稀なる実力を持つ彼女だからこそ、その可能性にいち早く気づき、いち早く否定した。


 だが、直後にけやきは思い知る。

 自分が予見した一手が、相手が仕掛けた最悪のシナリオへの道を切り開く一手である事を。


 会場に、歓声が沸き起こる。


 自コートの石崎と長谷部が立ち上がり、シキが驚愕に首を振り上げる。


 審判が慌てて一帯から離脱し、薄石の邪魔にならない場所に移動していく。


 けやき以外の大虎高チームの選手達だけが、全く事態に気づく様子も無く、コウのパスを受け取ったアルの方へと群れを成して疾走していた。


「いけない……」

 けやきは、焦りと驚愕が入り混じった顔を石膏像の様に硬直させた。


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