背水の挑戦者(4)
瞬間、双子は思わず考えた。
通常、相手チームの選手の名前を全て覚えるという習慣は彼等には無い。本来ならばそれも含めて相手の戦い方までリサーチして試合に臨むべきところなのだろうが、そこまでの時間的余裕を確保する事出来ないのである。
ただし、それは相手が薄石高校以外の時の話である。
薄石高校の選手の名前に関しては、良明、陽、レイン、そしてそれ以外の選手全員が把握している。
即ち安本、久留米沢、来須の三人と、ベンチに控える緑山。ドラゴンの名は確かサイ、コウ、アルの三頭だったはずである。
薄石高チームを構成するメンバーは、それで全ての筈だった。
(…………? ベンチに控えているあの選手の名前は、緑山だったはず)
(隣のコートから聞こえてきた声? ううん違う。今の声は、忘れもしないあの安本の声で間違いなかった)
良明と陽は動揺の中でも体の動きを継続させる。
レインによって一度は弾かれたボールを、大虎高選手達の動揺により生じた隙を利用し来須はその手に再び確保した。そして、その場の双子達が言葉の意味を把握できないでいる間に後方へと投げ放つ。
ボールを受け取った安本が、視線の先の大虎高ゴールリングを見据えて今度はこう叫んだ。
「澤!!」
直後、薄石の全ユニットが全力の前進を開始する。
双子は漸く理解する。
「アキ!」
「暗号だ!」
けやきは遠くに選手とボールを見ながら、頷く様な声でのどを鳴らした。前方には後輩達のユニットを潜り抜けて攻め上がってくる来須とアルの姿。
(改良型の暗号、か。成程、これならば手信号の練習の必要すら無い)
けやきの想像はこうだった。
(恐らく、暗号に使っている名前は学校のクラスメイトか何か。兎に角実在する人物の名前で、その性別か何かで何らかの指示を出している。身内しか知らない独自の解読キーを使っている為に相手チームに解読される事もなく、最悪、名前が生徒か教員かの別によってさらに多様な指示を用意している事さえ――)
「渡部!」
安本の号令で、薄石高チームがフォウンテンフォーメーションを形成した。
「英田兄妹!!」
けやきは全選手の配置を確認して双子に指示を出す。
「安本にボールが渡ったタイミングで侵攻を止めろ! それだけ考えて動け!!」
直線状に三ユニットが陣形を組み、次々にボールをパスして相手を翻弄する陣形。フォウンテンフォーメーションの一連のボールの流れにて、安本にボールが渡ったタイミングで侵攻を阻止せよという意味である。
けやきが発したその後輩達への指示は、相手チームへのけん制でもあった。
こう叫べば、当然安本は早々に他のメンバーへとパスを出そうとする。相手の焦りを誘発できたならば、実行に繊細な技術を要するフォウンテンフォーメーションを崩壊させる事も可能だと考えたのだ。
「ガイ、私達も出るぞ。絶対防衛線はその瞬間の相手の先頭だと思え!」
「グァ!」
ガイは薄石高チームの群れへ挑むべく羽ばたき、その自動車の様な巨体を飛翔させた。
安本は注意深く良明と陽の位置を確認してボールを構え直した。
(さぁ来い! 同時にボールを奪いに来てくれればしめたもんだ。その時は俺の指示でフォウンテンからレギオンに移行して、一気に攻めきる!!)
けやきから双子に対して同時に与えられた”安本で止めろ”という指示。それに関して重要であるのは、内容では無かった。二ユニットに対して同時に同じ指示を飛ばす。それこそがけやきが意図して取った行動であり、瞬時に彼女が思いついた”暗号”であった。
同時に同じ目的を指示された彼等が何をするのか。否、どうやってそれを達成するのかは、大虎高のメンバーしか知らない事なのである。
安本の視界の正面で、陽がショウの背から飛び降りた。
(何をするつもりか知らないが、それならそれですぐさまパスを出すまでだ)
と、安本がボールを前方の久留米沢へと投げようとした時だった。
陽が背から降りて単独行動が可能となったショウは、突如として一メートル上空へと飛翔し、そして激しく羽ばたき始めた。羽ばたきにより安本の元へと強風が吹き荒れる。この状態でパスを出そうとすれば、ボールはたちまちのうちに無関係な方向へと飛ばされていくだろう。
「あーそうかよ、だがな!」
安本はボールを両手に持って自力で前進しようとその脚を踏み出す。
(この思いつきで無茶してきた英田陽一人なら余裕で突破できる。その後に落ち着いてこいつの兄貴のユニットを抜けば問題無――)
安本は状況を確認しようと良明を見ようとし、その動きを止めた。
「なっ……に?」
良明もまたレインの背を降り、安本へと向かって来ていた。そして、レインはそんな彼の背後でショウと同様に凄まじい風を送っている。
(待て、おかしい。樫屋からこの二人に与えられた指示は”安本で止めろ”だった筈。レギオンの発動や、ましてドラゴンに風を起こさせて俺の行動を制限しろなんて事は言ってなかっただろうが! どうして普通にとっととボールを奪いに来ねえ!?)
「ボールは貰う!」
「ここまでだよ!」
良明と陽が同時に地を蹴った。
(今、どうやって意思疎通した? いつ二人ともが竜から降りる事を決めた? 竜を羽ばたかせるっつう指示は誰がいつ出した?)
砂嵐の中で、安本の両手の中のボールへと二人分の力が加えられる。
良明と陽はボールに触れた掌にあらん限りの力を籠め、押し出すように全体重をかけた。
「何が……起こってる?」
自身の手からもぎ取られたボールを、安本は吹き荒れる風の中で呆然と見つめた。が、それも一瞬。彼はすぐに自らの主将としての立場を思い出し、冷静さを取り戻す。
「全員戻れ! その後一気に伊崎でボールを奪い返す!!」
口々に返事した薄石高選手達は、意とも容易く良明と陽に追いつき、完全に二人を包囲した。
同時に薄石高チームはレギオンフォーメーションを展開。双子を取り囲むように散会する。訓練に訓練を重ねた特殊部隊の様な動き。双子がこのレギオンフォーメーションの包囲から逃れる事は不可能だった。
レインとショウが彼等二人を拾おうとする事は無く、彼女等ドラゴン達は相手チームのドラゴンのマークについた。コウとサイ、薄石高のドラゴン二頭が他の選手達からはぐれる形となる。
けやきとガイは包囲された双子達を迂回し、相手チームのゴールリングへと迫っていく。
良明と陽は、周囲を見回して状況を分析してみる。
自分達二人に対して薄石高の選手は人間三人とドラゴン一頭。通常であれば絶対に突破出来ない包囲網である。
だが、兄と妹には確信があった。二人の脳裏に同時に浮かび上がった、”絶対にいける”という言葉が彼等を鼓舞し、その行動を促したのである。
ボールを手にする良明に対し、来須、安本、久留米沢、そして来須の相棒ドラゴンであるアルが一斉に包囲を狭める。
迫りくる四名を前に、良明は、視線をある一方向へと向けた。
その行動に特に意味は無い。ゴールリングはまだ遠く、周囲は圧倒的な数の敵の群れ。何を注視しようにもまず相手チームが視界に割り込んでくるし、その中の誰かを注視するつもりも彼には無かった。
そもそも、この状況で相手の誰かを見据える事に何のメリットがあるだろう。その行動は悪戯に自らの隙を作り、他の選手達からボールを奪われる危険性を一気に高める筈である。
良明はゆっくりと流れていく走馬灯の様な時の中で、集中の糸を千切れんばかりに張りきった。
安本と偶然眼が合う。
瞬間、良明の理性は吹き飛び、代わりに感情の虚無が彼の脳を満たしていく。
(……俺、この相手に対して抱かなければいけない感情があったはずだよな)
無感情のを湛える彼の中に浮かび上がった疑問に対し、答える者など居はしなかった。
ここ一番の局面で、眼前にその身一つ同士で正対した仇敵。穏やかさを取り戻し、それでも尚かつての悪行を謝罪しない安本に対す感情は、良明や陽にとってとても複雑な物だった。
今や敵意の無い相手を攻めたところで生産性など無いだろう。自分達があの練習試合の日の事を忘れれば、恐らく一生この件で嫌な思いを蒸し返す事は無い筈だ。
だが、それは裏を返せば一生この件に関して正常な解決を見ないという事でもある。
あれ程の精神の苦痛を受けたままあの日の事を忘れる事は、彼等にとっては”敗北”に等しかった。右も左も解らないところから半年間もの間必死に前だけを見、もがき進んできた彼等には、眼前の’敵’からかつて向けられた敵意を今になっておおらかに受け流す余裕などありはしなかった。それ程までに必死に龍球の事を考えて日々を過ごさなければ今の彼等はここに無く、ひいてはレインも竜術部も守ろうとする事すらできなかったのだ。
だから、良明は安本の顔を見て一言だけその脳裏に言葉を浮かび上がらせた。
それは深い深い深海の中でわずかに発生した気泡の如く、思考という大海の中では一瞬で見失ってしまいそうな、ささやかな感情の具現化。
意味など、さして存在しない言葉であった。
(これが、今の俺達だ)
良明の後方、アルと来須の間にちらと陽が姿を覗かせた。彼女は、良明のパスを受け取るべく長らく移動を続けている。
安本の横で良明に相対する久留米沢は、眼前の龍球歴半年の少年の動きを正確に把握していた。
(英田良明は必ずパスを出す。今の彼等にしてみれば、この状況を打開するにはそれしか方法が無い筈だ。樫屋ユニットがウチのゴールリング付近で待機しているこの状況……俺達の包囲のすぐ外で待機いしている英田陽さえマークしておけば、いずれ安本と来須が英田良明からボールを奪い取ってこのシーケンスは終わりだ)
その通りだった。ショウもレインもこの場にはおらず、相変わらず薄石のドラゴンがこの攻防に参加しない様にマークし続けている。薄石高チームの三人が良明から陽へのパスさえ阻止出来たなら、それだけでボールを奪い返せる事に間違いは無かった。




