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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
4.真夏の暁光
103/229

背水の挑戦者(1)

 マイクロバス最後部の座席に無造作に置かれたダッフルバッグを漁り、石崎は首を傾げた。

「っかしいなー……」

 吐いた言葉のイントネーションから解るが、取り乱してはいない。

 ただ純粋に、そのバッグの中にある筈の何かがなかなか見つからず、困惑しているといった様子である。


 その背後。運転席に向かって単調に並んでいる座席は、その全てが雨でも降りだしそうな灰色をしていた。

 後ろから二番目の座席に通路を挟んで腰かけているのは良明と陽の兄妹で、二人とも右足の靴下を足首まで下ろし、その脚をまっすぐに伸ばしていた。


 良明の足を診終わった長谷部は呟く様に報告する。

「疲労骨折の類ではないと思います……けど、どうだろうなこれ」

 口調が穏やかな方のそれに戻っているのはすぐ傍らにまだ小さい成哉が居るからだろう。だが、誰もそこには突っ込まない。今はそれどころではないという空気が、試合終了時からチームの関係者の間には満ち満ちて今に至る。


「長谷部さん、自覚症状はこれまでと同じです。別にそこまで痛いわけでもないですし、ちょっと……そう、そのいわゆる違和感っていうか」

 陽は取り繕う様な口ぶりで長谷部にそう訴えかけた。

「陽ちゃん、あのね。私だって元は龍球競技者。だから、気持ちは良く解るんです。けど、私はあなた達の身を預かる大人の一人として、ノーと言うべき時にはノーと言うしかない」


 兄妹の右脚脹脛の痛みは、今に始まった事ではない。痛みを感じ始めた当初から、勿論けやきや長谷部や寺川にも正直に伝えてきた。

 春大会の後、半月後くらいから継続するごくわずかな痛みはその度合いの小ささから当初、兄妹本人達でさえさほど意識はしていなかった。そもそも身体の痛みなどはもうとっくに慣れっこで、逐一意識するのも面倒な状態だったのだ。


 まともに運動を初めたのがこの春という事が、ここにきて彼等の身体にとっての警戒すべき負荷となりつつあった。付け焼刃の半年間に対する代償は、あまりにも根本的な部分に求められたのである。

 今となっては違和感しかない長谷部の敬語にも今この時ばかりは笑いも込み上げない良明。彼は、必死の口調で訴えかける。

「俺達の目的は、大会で勝って部を、レインを守る事です! ここで無理をしないで身体を護ったって、一生後悔するだけです!!」

 陽も、兄の言葉を遮る様にして重ねるように頷いた。

「私もです!」


 長谷部は陽の脹脛を持ち上げて沈黙する。沈黙して、考え込んでいる様子だった。

 と、その時。

「ああ、いいカナ?」

 出入り口付近から声がした。

「あら、寺川センセ」

 長谷部が振り向くと、寺川は手に白いビニル袋を掲げて息を整えている様子だった。

「いやぁ、皆どこにいったのかと思って。バス(ここ)に戻っていたのか」


 石崎が名残惜しそうにダッフルバッグから顔を上げ、寺川を見る。と、

「ああーーーー!!」

 と言って彼のその手に下げられていたビニル袋を指差した。

「ん?」

「寺川……先生、それ! それください!!」


 寺川は「ああ、申し訳ない」と言って手に持っているそれを石崎へと手渡した。石崎は袋の中身を取り出し、煩わしい包装を乱雑に破っていく。

 中身を取り出して、長谷部に尋ねた。

「とにかく、これでテーピングして様子見るわけにはいきませんか? あと三試合。なんとかこれで……」

 その手には、キネシオロジーテープと呼ばれるテーピングに使われるテープが握られていた。


 その石崎の口調で長谷部は察する。

(この子も、英田兄妹と同じ側の感覚で物を言っている)

 大虎高校OGであり、元竜術部であり、この場の誰よりも龍球という物を愛する彼女は、静まり返った車内で自分に問いかける。


(じゃあ私は、どっち側の人間なの?)


 床の一点を見つめ、尚も考える。

(無理を押し通してこの子達に何かあったら? 一生引きずる様な怪我でもさせたら?)

 誰も気づかないくらいわずかに、首を横に振った。

(違うそうじゃない。反対に、ここでやめさせたらどうなる? それこそ一生引きずる心の傷を与える事になりはしないの?)

 長谷部はこの時、初めて英田兄妹という存在の本質を見据えた気がした。

 彼女は今日という日に至るまで、一度として彼等と自分の間にある”感覚の違い”に眼を向けた事は無かったが、二人の必死の表情を見て、そこには自分には決して無かったある種の割り切りがある事に気づいたのである。


(乱暴な言い方をしてしまえばこの二人、どちらも龍球を特別に愛しているわけじゃあない。よくある漫画の主人公の様に、競技が好きで好きで仕方がなくて、どんな苦境に立たされても競技への愛でそれを乗り越える……なんて感覚は、この子達には存在していないんだ。レインや竜術部を守れればそれでいい。その過程で薄石に勝てれば尚嬉しい。この子達にとって、この大会はそういう場所……目的ではなく、あくまで手段なんだ。この先競技に取り組み続ける事は、この子達にとってのやりたい事じゃあ、ない)


 長谷部の心の中で、龍球に相対(あいたい)する魂がちくちくと挑発されているかのように疼く。あまりにも自分とはかけ離れた感覚。目的意識。それは不純なものでさえあると、彼女の魂は訴えかけている。


 だが、少なくとも悪ではない。


 そう痛感するからこそ、長谷部の心は揺れ動いた。

(そうじゃないでしょう、私)

 長谷部は沈黙の中で滾り、そして自制した。

(この子達は、純粋にドラゴンと部を護ろうとしている。それだけで十分でしょう。私は元龍球競技者であると同時に、ドラゴンを愛する人間の一人。私だって、”どラ部”の一人だったはずでしょう? なら、だったら……)


「一つだけ解っておいてください」

 長谷部は兄と妹のすがるような眼を順に見て、そう言った。

 その口調は諭すというよりもむしろ彼女の方からすがる様で、この沈黙に包まれたマイクロバスの車内の、陰鬱とした色合いに同調する様でもあった。

「もしここで、あなた達の脚に重大な症状が生じたら、傷つくのは貴方達だけじゃない。むしろ、あなた達が護ろうとしたレインが、負い目を感じることになる。まして、そこであなた達の心が折れたりしたなら、彼女は一生消えない心の傷を負うでしょう」


 良明。陽。

 二人は沈黙し、俯いた。

 この半年間に裏打ちされた矜持も、事実を敷衍させて言い訳しようとする気配も、その表情には無かった。

 ただただ真剣に。監督長谷部の言葉を受け止め、個ではなく、双子二人としての覚悟を論理と直観で精査する。


 それでも良明と陽が口にした答えは、彼等がこの一連の会話を繰り広げなかった場合の返答と比べ、何ら変わる物では無かった。

「それでも、やらせてください」

「それでも、やらせてください」

 長谷部は後悔とも決意とも取れる沈黙の後、石崎に「ください、それ」と言って手を差し出した。

 双子が決意の言葉を口にして尚、マイクロバスの車内は時間が止まった様に静まり返り、それ以上誰も口を開こうとはしなかった。

 成哉は不思議そうに皆を見回すのみだった。



 公式な名称を全国高等学校龍球選手権大会夏季地方予選と呼ぶこの大会も、三回戦――すなわち準々決勝――に差し掛かろうとしていた。ここまで勝ち進んで来た各校チームにとっては、これを勝てばあと二勝で優勝というところまで来た事になる。


 吹きさらしの通路に印刷して張り出されたトーナメント表の一角には、ここまで勝ち進んできた学校の名前が列挙されていた。

「才進学園高校、岐前(ぎぜん)高校、名礼(めいらい)木山(きやま)高校、薄石高校……」

 それらの名前は大会上位の常連校で、所謂強豪校と呼ばれる物にカテゴライズされる者達の名である。


「あ、あったあった」

 掲示板を興味深そうに見ている男性が一人。行きかう老若男女の中に混ざっていた。

「大虎高校に……竜王高校。うん」

 飾り気のない通路に、人々は溢れ返っている。にもかかわらずその男は涼しい顔をしており、行きかう人々に対して一瞥くれてやる様子もない。

 人々も人々で、そんな男に対して全く無遠慮で、歩みを緩める様子すらない。


 男は雑踏を意とも容易く脱してきて、同居人の少女に興奮気味に言うのである。

「ありましたありました、大虎高の皆さん、勝ち進んでますよ!」

「おーマジか、良かった良かった」

 三池はけらけらと笑顔になって、幽霊で同居人で人の良いトオルに礼を言った。

「あんがとよ。お前やっぱこういう時に凄ぇ便利だよな」

「もー、このくらいボクじゃなくて三池さんが行けば良いじゃないですか。三池さんだって小さすぎて誰も存在を気づきませんって」

「うっせーよほっとけ」


 三池は行きかう人間が比較的少ない通路の端の方へと歩いて行きながら、「んで」と続ける。

「大虎の奴等、次の相手は?」

「あー、うすいし……? 薄石(うすいし)高校っていうところでしたね」

「まじかー薄石(うすいし)って結構強ぇとこじゃねーか。大丈夫かよあの新しいメンバーで」

「ほらほら三池さん、後輩さん達待たせてるんでしょ? 戻らないと」


 言われ、三池は今思い出したと言う事を隠しもせずにこう言った。

「あーそうだった、俺戻るわ。(かどなし)共に応援サンキュって伝えといてくれ」

「はいー」

 三池は先程買ったジュースをぐびっと一口、階段を下りて何処かへと去っていった。

 一方のトオルは、思い邪なしといった表情で青春を謳歌する女子高生を見送った。



 八月三日日曜日。時刻は、午前十一時を少し過ぎた。

 去年の英田兄妹ならば、夫々が友人と連れ立って遊びにでも行っていた頃合いである。毎日毎日、食っちゃ遊びたまに昼寝をしてはくだらない雑談を兄妹として過ごす。それが去年までの彼等の夏休みの過ごし方であり、野球やら龍球やら、スポーツ関係の中継など、興味すら抱いてはいなかった。

 それはそれで、楽しかった。

 むしろ、楽しさならば負の感情が伴わない分当時の方が上だった気さえする。


 準々決勝第三試合が行われるCコートでは、各校の選手が今や遅しと準備に取り掛かる。

 右のつま先をトントンと地面に打ち付け、陽は「うん」と言って頷いた。

「大丈夫そうです」

「大丈夫そうです」

 右足のかすかな痛みは長谷部によるテーピングでほぼ感じなくなっていた。どちらかといえば、テーピングにより皮膚が引っ張られる感覚の方がよほど気になったが、それももう慣れた。


「なぁなぁ陽」

 コート脇のベンチに座ってスポーツドリンクを口に含む陽に向かって、良明は粛々と竜具の最終チェックをしながら問いかける。

 陽は、一口をごくりと飲み干してから、「なに?」と返した。

「……名前、どうしようか?」

 陽は、「なんの?」と言いかけて、すぐに思い至る。どうやら良明が言っているのは、例の戦法の名称の話の様だった。


「ていうかさー、なんで事ここに至るまで決めてなかったんだろうね、名前。私もちょいちょい考えてるんだけどさぁ、恥ずかしい名前ばっかり思い浮かんできて全然良い案が浮かばないんだよねー」

 石崎はキネシオロジーテープのストックを確認しながら問う。

「恥ずかしい名前って?」

 双子は、恥ずかしいとかなんとか言っときながら声を揃えて列挙し始めるのである。


「ツインドラゴンアタック」

「ツインドラゴンアタック」

「お前等ドラゴンだったのか」


「ブラザーズトラスト」

「ブラザーズトラスト」

「よっちゃんが弟みたいになってる」


「パートナーズbond(ボンド)

「パートナーズbond(ボンド)

「難しい単語知ってんな」


「ユビキタスシンパシー」

「ユビキタスシンパシー」

「…………」


 石崎がツッコミを放棄したところでさすがにやめた陽と良明は、口々にそれらの技名を批判する。

「なんだろう、気色悪いよね。殊更に兄妹っていうのを強調してたりとかさ」

「そうそうそう、こう、(ボンド)だとかシンパシーだとか繋がりを主軸にしたカンジっていうかさ」

「うんうん」

 意識せず意見を同調させる二人を見て、石崎は内心で思うのだ。

(いや、実際息ぴったりじゃねーか君達)


 良明は、そんな石崎の感想を知ってか知らずか、ふと真面目な表情を作って独り言の様に違った切り口の言葉を呟く。

「なんか……未完成な気がするんです」

「あ、わかる」

 と陽。


(やっぱり息ぴったりじゃん……)

 石崎の呆れ顔を横目に、けやきは兄妹のその言葉に興味を示した。

「未完成、とは?」

 陽はけやきを見上げて答える。

「お互いの考えている事を想像して、相手の動きに合わせて自分も行動する……それはいいんですけど、なんか、もっとこう……まだまだ推し進めらる気がするっていうか」


「…………?」

「自分でもうまく言葉に出来ないんですけど、もっと凄い事が出来そうな、そんなカンジがするんです」

 陽の言っている事があまりにも抽象的で、さすがのけやきもコメントに困っている様子だ。

 長谷部は、それでも話の流れを汲み取って陽に対して尋ねる。

「つまり、まだ未完成だから名前をつける気にならない……的を射た名前がつけられないって、いう事か?」


「そうです」

「そうです」


 長谷部はふむんと言って腕を組むと、サンバイザーの向きをくいと調整した。そして、誰もが”もっともだ”という感想を抱く言葉で会話を纏めにかかる。

「まぁ、無理はするな。私だってその”完成形”に期待を抱かないわけじゃないけども、変に意識しすぎて今ある戦術を疎かにしない様に」

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