ターニングポイント(5)
「どういう事ですか? 竜の背中にあるはずの模型が無い事とガルーダイーターに、どういう関係が……」
そこまで言って、陽ははっとした。
「気づいたか。……今現在、街中で竜に跨って空を飛ぶ人が少なくなったのは、それが”竜を道具として扱う事になるから”という考えが浸透しつつあるからなんだ。だが、それを遡って調べてみると、どうもガルーダイーターによる印象操作の痕跡がある」
「じゃあ、この竜に人が乗ってないのも……」
「竜属博物館などは、真っ先に標的にされたのだろうな。”ガルーダイーターも竜属博物館も、竜と向き合う仲間である”という大義名分の元に」
けやきの口から出た大それた話に、言葉を失う双子。
反対意見を口にするのは勿論、同意の言葉を述べる事すら安易に思えた。何と発言すれば良いのか解らずに、二人揃って困った顔で像を見上げている。
「私の話を今すぐ鵜呑みにしろとは言わない。だが、英田良明、英田陽。今年、うちの竜術部はその者達が作り出した風潮の為に、廃部の危機に曝されている。開校以来連綿と襷を繋いで来た部が、今年正に無くなろうとしている事は確かなんだ」
「……竜術部が」
「無くなる……」
兄妹は言われた事を力なく、簡素に繰り返した。
けやきは話を続ける。
「端的に言うなら、現在この国では、世間の目という物が竜と人間の関わり合いを阻害しているんだ」
陽と良明は顔を見合わせる。
けやきは、より身近な具体例を挙げてみせる。
「”竜に乗る事は竜を道具として扱っている”……という考えが個人としての竜の意思を無視して人間を竜から引き剥がし、龍球は竜を道具として使っていた大昔にできた野蛮なスポーツだと決め付ける。そして竜を学校に住まわせる事は、彼らを教材として扱う事と見なされる」
「でも!」
「でも!」
ただの一度。良明も陽も、ただの一度生で観ただけだが解る。
ガイやリンは昨日の勝負の時、自分の意思で競技に集中していた。そこにあるのは人に使われているなどという単純な関係ではなく、彼らは間違いなく競技者であった。
「ああ、そうだ。だが世間はそうは思っていない。それに気づかない。それを口にした人間に、奇異や異端の者を見る眼差しを向ける」
「そんな!」
陽は、何故だか否定せずにはいられなかった。否、陽が否定せずにはいられなかったその理由は、彼女の常識人としての直感と本能が、先日までの自分や兄を偏見を持った人間であると言われたのだと認識したからである。
尤も、”反射的に”否定の語を口にしようとした陽の人格は、それを理屈として認識しているというわけでは無かった。
「仮に私から何の説明もなく、お前達が竜術部の部室に訪れる事も無く、竜に乗る人間を生で見る事も無いままに、”竜を駆って大空を飛び回ろう”と言ったらどう思う?」
兄妹は自分に問いかける。今ならば”竜を駆る”という表現を、頭の中で”竜と一緒に飛ぶ”と変換して言葉を受け取れるが、果たしてここ数日の経験が無かったならばその言葉をどう捉えただろうか?
知的生命との協力と乗り物としての扱いを、果たして区別出来ただろうか?
彼等の中の理性は、無慈悲に答を突きつける。
否。
自分達の中に忌々しい姿を現した結論を、どうにか否定する理屈を探している。兄妹は、そんな顔をしていた。
けやきは、それに気づいているのかどうなのか、どちらとも取れる口調で続けた。
「無論、解ってくれる人も世の中には居る。だがそれでも、世間は多数派に流されるものなんだ。……それが時代の流れという物であり、否定すればその者の地位もろとも淘汰される。それが世の中だ」
「…………じゃあ、じゃあ! 樫屋先輩はどうされるんですか!? このまま竜術部が静かに終わりに向かう事を受け入れた上で入部しなさいって……そういう、事なんですか」
陽は、話の理不尽さに気持ちの整理が付かないまま、思ったままの言葉をけやきにぶつけていた。
けやきはその後輩の眼光を見逃さなかったし、鋭い視線から眼を逸らす事もしなかった。
「決してそうではない。私が今日ここにお前達二人を連れてきたのは、来年私が卒業した後の竜術部を背負い、守っていく覚悟を持って貰いたかったからだ。どんな事を言われても、思われても、それでも部員だけは竜の理解者であり続けなければならない。それを解って貰いたかったからだ」
英田兄妹の疑問が炎に炙られる氷の様に解けていく。
この日、けやきに呼び出された理由。それは、廃部の危機に瀕している竜術部に入る新入部員に対し、竜術部の置かれた世間的立場をしっかりと把握させておく為だったのだ。
仮に、今日知った事情を知らずに竜術部に入ったとする。この部が廃部を持ち堪えるかどうかという瀬戸際である事と、その理由であるバーベルの様に重い話を後から知らされてはたまった物ではない。
単に廃部寸前ならば話は簡単だ。
部を存続させる為に頑張ろう。それだけだ。
だが、今けやきが説明した事が確かなら、今年の新入部員は世間体に抗って部を守り抜く事さえ大いに要求され得るのだ。
ともすれば、ガルーダイーターの促す一般的な思想に同調し、この場で入部を辞退するべきなのかもしれない。
そもそも、けやきはその口調からして、ガルーダイーターに対して良い印象を持っていない様ではあるが、果たして彼女のその思想は賛同するに値するものなのだろうか?
英田兄妹が真っ先に思い浮かべるべき疑問がそれであり、入部云々はその次に来るべき話である。
兎に角。兄妹にとっては、今はけやきのやりたい事が解ったという、それだけに過ぎない状況なのである。
だがそれにしても、あまりにも、重い話だった。兄妹が否応なしにそんな事を思っていると、けやきはさらにバーベルの重りを追加してきた。
「ガイは……いや、今現在竜術部に居る全ての竜は、もし学校が竜術部を廃部にする事になったら、住処を追われる事になる」
「!?」
「!?」
「中庭の小屋と一日三食の食事、高校龍球大会の出場権……その他、彼らに与えられている全てが白紙になる」
「そんな!」
「そんな!」
「勿論、行政は代わりの仕事を斡旋するくらいの事は当然するだろう。だが竜達にしてみれば、職場都合で仕事を辞めさせられ、強制的に生活環境をリセットさせられる事に変わりは無い」
考えてもみれば当然である。竜術部が無くなれば、竜が働く場所も同時に消滅する。シンプル極まりない理屈である。
「はっきり言おう。」
けやきは、今一度二人の顔を見据えた。
その表情は看取る様に真剣で、懇願する様に切なかった。
「私は、私の相棒のガイがそんな目に遭う事が嫌だ。私の一番の目的と行動原理は、ガイを護る事であり、彼が私を軽蔑しない範囲において、私はガイの為に手段を選ばない」
竜術部を、ではなく、竜達を、でもない。勿論それらも彼女にとって護るべき対象なのだろう。だが、けやきはあえてその表現を使わなかった。
ありのままの気持ちを述べたその理由は、けやき本人に問うに値しない事であったし、けやきが本心を口にした瞬間にそれを双子も解っていた。
”二人を困難な状況に係わらせる事への、せめてもの誠意”
けやきが包み隠さない本心を述べた事に、それ以外の理由は無かった。
ドーム状の天井の一角から差し込む外の光は、尚も鈍く不機嫌だ。
*
小学校の頃の給食で出たスパゲッティと、全く同じ味がした。
炒めたひき肉まで入っていて、食感まで給食で出た”あの”スパゲッティその物の様に感じられる。
兄妹揃って同じ物なんて頼むんじゃなかったと一瞬思ったが、さすがに先輩の目の前でメニューを半分取替えっこするのは行儀が悪過ぎる事に気づき、後悔すらやめて現状の不味くは無いが面白くも無い味に甘んじる事にした。
博物館一階のレストランには、近年の風潮を危惧してかドラゴンというものに洒落込んだネーミングのメニューが一切無かった。
【特製トマトケチャップのミートスパゲッティ】を口に運ぶ双子は、先程の話を改めて回想する。
やはり落ち着いて考えてみても、重い重い話だった。
樫屋けやきという人は、つまりはドラゴンを愛好する者の一人である。それ故に、普通の人々よりもドラゴンと深い関わりを持った。すなわちそれは竜術部での活動である。
だが、近年のドラゴンへの過剰な保護を謳う風潮により、その愛好の場・竜術部が潰されようとしている。
本末転倒とはこういう事を言うのだろうか、と双子は思った。
屋外に隣接する店の壁一面に張られたガラスの外で、雨雲が黒々と蠢いている。いい加減にそろそろ降りだしそうだ。
店内の人工光源も、鈍いオレンジの照明が各テーブルに一つずつあるだけなので明るくは無い。強いて言えば厨房から白い明かりが半端に漏れて見える程度だが、それだってレジの周辺を安っぽく照らすだけである。
空と雨と人工光は、まるでけやきに聞かされた重々しい話を演出するかのような雰囲気を醸していた。
「樫屋先輩」
何か尋ねようと、その重い空気を力いっぱいに押しのけたのは良明だった。
「なんだ」
「さっきの話……なんですけど、具体的に、竜術部はこれからどうなるんですか?」
陽は兄の質問により思い出す。
そういえば、先程自分がけやきにぶつけた問いの答は、半分しか返ってきていなかったのだ。
あの時陽が投げかけた問いは、”けやきはこの現状を受けてこれからどうするのか”と”これから竜術部が衰退していく事を受け入れて入部せよというのか”の二つ。
後者については明確な返答があったが、前者については全く触れられていなかったのである。
今しがたの兄の質問は、陽の一つ目の問いを内包していると言っていい。なぜならば、竜術部の部長は他ならぬ樫屋けやきその人だからである。
「龍球で結果を出し、ひとまず今年を切り抜ける。それが当面の目標だ」
「けどその……龍球だって、あまり良い目で見られていないんですよね?」
竜術に対する風当たりの話と総合すれば当然そうなる。良明の疑問はもっともだった。
「ああ、だがとはいえ、高校龍球というのは全国の高校生が本気で情熱を注ぎ込んで取り組むスポーツ大会だ。そう易々とは否定しきれるものでもない。そういう意味で、高校龍球は一定の市民権をなんとか維持できている」
「ん、待ってください、それって」
良明は、これまでけやきがある言葉を口にした事を一旦保留していたのだが、このタイミングでいよいよ核心に触れないではいられなくなった。けやきは、良明の考えている事を察しながらも話し続ける。
「ああ、そうだ。部活動としての龍球は、全ての竜愛好者にとっての心のより所になり得る。ガルーダイーターによる世論操作への対抗手段の一つだと言っても過言ではない」
けやきはコップの水を一口飲んで続ける。
「話を戻す。具体的な目標は県大会での優勝だ。県大会で優勝し且つ部員が一定数居る部活動を、学校側はその年限りで廃部になど持ってはいけないというのが私の考えだ」
(今、さらっと物凄い言葉が出てきた気がした)
(今、さらっと物凄い言葉が出てきた気がした)
いつもの様に双子の思考がシンクロする。
「県大会……」
「……優勝、ですか」
”龍球で結果を出し”
良明が保留していたけやきの言葉はそれであった。
「本気だ。そして不可能ではない」
けやきの眼は、本人が言う通り本気だった。
そもそもこの樫屋けやきという人は冗談なんて言うんだろうか、と双子は各々の頭の中で自問したが、今はそれどころではない。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
良明は喉につっかえそうになるスパゲッティを水で流し込んで言う。
「他の龍球をやられてる先輩方も、そういう考えなんですか?」
「いいや」
けやきの最初に発した三文字に「え」と言い掛ける双子だが、直ぐに続いた彼女の言葉にそんな意外さも一瞬で吹き飛ぶ事になる。
「竜術部で龍球をやっている生徒は、現在私だけだ」
「えええ!?」
「えええ!?」
「……そう驚く程の事ではない。龍球の人口などはそうそう多くないのは知っているだろう」
兄と
「いえいえいえいえ」
妹が突っ込む
「そこではないです」
「む」
ではなんだ?と言いたげにけやきは二人を見た。
「俺達、碌にスポーツなんてやった事なくて」
「多分そんなレベルの戦力には、なれないです」
言葉を連携してたたみかける双子に、けやきは真顔で切り返す。
「それに関しては、全力で私の持つ全てを教えてやる。練習について来さえすれば、一緒に戦えるレベルまで連れていってやる。約束する」
けやきは断言した。
”だが待ってくれ”と双子は思うのだ。仮にそんな事が可能なら、他の学校の日々練習に励んでいる諸兄姉の、諸先輩の努力は何なのだろう。自分達と彼らの間には埋め難い経験の差というモノがあるのではないだろうか。と。
それとも、この樫屋けやきという人は、その経験の差さえカバーする秘策でも持っているというのだろうか?
興味を抱くのと同時に、深淵から覗き返す様な恐怖が二人を襲う。あまりにも重い責任。今現在体験入部中の自分達が、部の存続が掛かった戦いに臨まされる事を事実上確約させられるなどというのは、いささか理不尽ではなかろうかと思う。否、むしろ、体験入部中だからこそ今のうちに拒否したい事柄である。
なにせこの二人、争う事や勝負事が大嫌いで、運動する事も同じくらい大嫌いなのほほん兄妹なのである。こんな込み入った事情に首を突っ込む程の理由はどこにもなかった。
けやきが持っているだろう秘策というものにも興味が無いわけでは無かったが、背負わされる責任の重さを考えると、到底割りには合わない。
そもそも、けやきと共に戦える様になるトレーニングとは、一体どんな地獄を意味するのだろうか?二人には予想さえ出来なかった。
ここにきて、双子の心は決まった。
「ちょっとその辺りの事はよく考えさせてください」
心は決まったのだが、念のため再考しようと良明と陽は思った。
社交辞令を嘘にしないという理由の為だけにである。




