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大虎高龍球部のカナタ  作者: 紫空一
1.兄妹と龍球
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雲の向こうに在るのは(1)

 基本的に日刊で更新していく所存です。

 投稿後のフィードバックの量がどうあれ、組んだプロットを裏切らずに最後まで書ききるつもりですので何卒宜しくお願い致します。


 長編連載になる予定ですが、一部分だけ読まれた方の感想も大歓迎です。

 書き逃げ&短文の感想も是非!


(2016/09/30 活動報告より転載)

 ”出血大特価!春野菜を食べようキャンペーン!!”

 ポップ字体フォントで大きくそう書かれたチラシが、スーパーマーケットのロゴが印刷された白いビニル袋の向こうに透けている。

 強風の所為で踊らされる様にバタバタと波打つ袋。その中では、まんまと買い取られた過剰在庫の春野菜が、窮屈そうに押しくら饅頭していた。

 地面にへばりつく大量の葉。つつじの植え込みに引っかかる朽ちた枝の数々。バケツをひっくり返した様な豪雨も相まって、辺りは夏の終わりに来る筈の台風が、カレンダーを読み間違えたのかと思う様な惨状である。


 アベックは、そんな悪天候の中で川沿いのプロムナードを行く。二人が歩く場所から水面までの高低差はかなりあるので差し迫った危険は無さそうだが、それでも川はかなり荒れていた。

 道の反対側にはつつじの植え込みを挟んで片側一車線の県道。所々に水たまりがある以外は、実に単調に続いている。


 二人は暴風雨が怒り狂う中、夫々の手に買い物袋をぶら下げて、先程までの友人との映画鑑賞について感想を述べ合っていた。

「藤君さぁ、寝てなかった?」

 ”映画鑑賞について感想を述べ合っていた”というのは、いささか正確性を欠く表現かもしれない。

 彼等は通常、共に映画を観に行った時にはその映画の感想を話さない。代わりに、”前の方の席に携帯電話を開いている人が居た”だとか、”ポップコーンを左に置く人と右に置く人に挟まれてしまっていた”だとか、そんなしょうもない話をするのである。

 その理由は明快で、正味二時間を超える映画鑑賞の中でお互いが注目しようとする箇所が、ほぼ百パーセント一致するからというのがそれである。また、その箇所に対して抱く感想は”ほぼ”を取って百パーセント一致し、しかもその注目する部分というのが、毎度毎度普通は聞き流す様な、とてつもなくどうでも良いような所なのである。

 お互い話していて、実にウンザリする。

 否。ウンザリするを通り越して、映画の感想を言い合う事自体に空虚さえ感じるのである。


 ”何を話したところで、どうせお前もそう考えてるんでしょ”


 映画自体の話をしたところで、何の発見にも、意見交換にもなりゃあしない。つまらないのである。


(せめてその相手がカレシとかだったらなぁ……)

 少女は、隣を歩く少年を見ながら頭の中でぼやいた。

「陽、口に出てるぞ」

 少年は、「俺だってそう思いながらも、悲しくなるから言葉には出さないでいるのに」と言いたげな表情で妹の顔を見た――念の為補足するが、彼女の発言の”カレシ”の部分は”カノジョ”に置換したうえで、である――。


「アキも口に出てるじゃん」

「出てるんじゃなくて、出してるんだよ」

「……さいですか」


 アキと呼ばれた少年・良明は、天を仰ぎ見た。傘からその丸い顔が覗く。

 眼がくりっとした、世の中の辛さのなんたるかについて考えた事も無さそうな、あどけなさが残る顔である。伸びかけた前髪が暴風に吹かれ、絶え間なく向きを変えている。悪い事に、普段から横に跳ねている襟足もさほど短くは無く、なんだかもう漫画のキャラクターの様に頭髪全体が強風の所為で荒れ狂ってしまっていた。


「しっかし凄い雨だよなぁ……ふっさんが帰った時からこんなだったのかな?」

 ふっさん。とは、良明と陽と呼ばれた少女が映画を共に観に行った、二人と仲が良い友人の愛称である。

「ほら、地面とか葉っぱがへばり付いて物凄いよ? たぶん、何時間も前からこんなだったんじゃね?」

 と、陽。彼女が傘をくいっと上げて隣を覗き見ると、良明の視界にも見慣れた顔が現れた。物腰が柔らかそうな人柄を見て取れる大きな眼と、あどけなさが残る雰囲気。


 妹の人相は、彼女の横を行く双子の兄とよく似ていた。


 彼女もまた、やたらと長い鬢と背首にぎりぎりかからないくらいの後ろ髪を容赦のない暴風に翻弄されており、そんな状態の同じ背丈の二人が並んで歩く様は、はたから見ると妙な笑いが込み上げてくる様なシュールさがあった。

 そんな自分達の姿を気にする風もなく、良明は陽の視線を追って辺りの地面を見回してみた。

「あー、ほんとだ」

 良明は、そう言って辺りの木々にも視線を巡らせてみる。

 成程確かに、陽の言う通りである。荒れた道の各所を見るに、随分前から風と雨にいじめられている様にも見て取れた。


 現在時刻は午後四時五十分。

 左手の県道では、早くもヘッドライトを点灯させたトラックが走っている。世間では学生は春休み、かつてはこのトラックの運転手も春夏冬と長期に亘る休みがある少年――もしくは少女――時代があったのだろうが、今となっては大多数の社会人と同様に、汗水たらして働く日々である。この暴風雨の中、ご苦労な事である。

 会話に夢中になっている兄妹は、そのどこかの運送会社の車両の事など、殆ど意識に留めない。


 良明は、親しい友人の事を想って今一度空を仰ぎ見る。

「ふっさん、傘持って来て――」

 バシャァア。

「――なかったよな? びしょびしょになってなきゃいいけど……」

 陽は、一瞬にしてずぶ濡れになった車道側を歩いていた兄を見て、しばし沈黙した。

「……いやー、さすがに折り畳み傘は持ってきてたんじゃない?」

「まぁそうだよな。行きの時だって雲行き怪しかったし」

「ほら、最悪さ、一階か二階でも売ってた筈だよ。傘」

「ああ、まぁそれもそうだな、大丈――」


 妹は、自分が突っ込まなければこのやり取りにオチが訪れない事を悟る。

「アキ! リアクションしようよ!! アキが大丈夫くないよ!!」

 トラックに浴びせられた水によりTシャツやらジーンズやら身に着けている全てが体中にへばり付いている少年は、漸く立ち止まって己の服の惨状を見下ろした。

「あーもう、マジかー!」

 良明は、既に百メートル程先へと走り去ったトラックの後ろ姿を恨めしそうに睨めつけた。トラックは遠くの角を曲がって、丁度二人の視界から姿を消すところだった。


 しばしの、虚しさに満ちた沈黙。


「うぇいっ。ぅぇいっ」

 陽は、徐に雨粒に濡れた買い物袋を肩のあたりに持ち上げると、良明に向かって指で弾いた。水滴が、ちらちらと良明の顔へと飛んでいく。なんと可愛らしい悪ふざけか。


 いらっ。


 否、良明も、彼女に悪気が無いのは解っているのだ。

 嫌な出来事を面白おかしくしてくれようとしているのだと、映画の感想を言い合わないのと大体同じ理由で確信してはいるのである。このくらいで激怒するような事をお兄ちゃんはしないのだ。

 良明は、ゆっくりと傘を下げ、閉じた。

 もちろん彼の元には大量の雨が降り注ぐのだが、良明がそれを気にする様子は無い。

 手元でパチンと音がするまで傘を畳むと、静かに陽から二歩離れ、これまたゆっくりと傘を妹へと向ける。


「……え?」

 良明は、皮膚に食い込む傘のボタンを、その親指でぐっと押し込んだ。

『あのボタン、”上はじき”って言うんだってな』

 いつの日か父が教えてくれたトリビアが、陽の脳裏に走馬灯の様に広がっていく。



 兄妹の戦いの行く末は、どちらからともなく傘を畳んだ事で終息した。

 ずぶ濡れになった二人は、息を上げながらも謎の握手を交わす。人類は、戦争により滅びる程愚かではないのかもしれない。


 それにしても、本当に、二人とも全身ずぶ濡れもいいところである。今年で高校一年生にもなる奴等がする事ではないのは間違いなかった。

 とはいえ、良明の謎のノリから始まった下らない事この上ないやり取りの応酬は、二人にとっては別段珍しい事ではない。英田家の兄妹は、こうして突然意味のないコントモドキを始める事があるのだ。

 大抵の場合オチなど無く、まして何の生産性も無い取り組みなのだが、父母が冷たい視線を投げかけても、薄々自分達のアホさに気づきつつあっても、一向に彼等がこのコントモドキに飽きる気配は無い。

 なんにせよ、兄妹仲が良い事はきっと悪い事ではないのである。


 しばらく道を歩いていると、不意に妹はその表情を驚愕の色に染めた。

「アキ、あれ!!」

 彼女に指差された先では、すっかり泥の色に染まった川が激流となって波打っていた。

 だが、陽が指差したのはその中でもさらに限られた一角。コントの完成度を自分の中で振り返りながら歩いていた良明は、妹と同じく眼を見開いた。


 誰かが溺れている。


 見れば、ちょうど自分達と同じくらいの年齢のその少年は、川の中程に埋まっている岩に辛うじて掴まっている状態だ。遠目にも顔面を蒼白に染めて、必死に辺りの人間の気配を探している様に見て取れた。


「陽、何かロープ的なモン持ってない!?」

「あるわけ無いじゃんそんなの!」

 陽は、何か悪い事をしてそれを取り繕おうとしている子供の様な動きで辺りを見回してみる。

 川幅は二十五メートル程はあり、少年が居る場所は、川の中程。橋が架かっている場所の近くではあったが、彼が掴まれる様な物を陽や良明が見つけたとして、それなりの長さが求められるのが目に見えて解った。

 が、そもそも激流の中に取り残されたその少年が居る地点から下らないコントを繰り広げた二人までの距離が、百メートル前後はある。

「兎に角行こう!」

 二人はそれ以上言葉を発するより先に、手荷物を全てその場に投げ捨てて駆け出していた。


 普段運動なんて碌にしない事が、こういう形で跳ね返ってくるとは思いもしなかった。

 兄妹は、二十メートル、三十メートルと走っていくうちに凄まじい疲労感に襲われていく。そんな中にあって、妹は遠くの少年の着ている服を見て絶望した。

「ちょ、ちょい、アキ!」

「なに!? きついんだから喋らすなって!」

「あれ! あの人! 藤君じゃない!?」

 藤。通称ふっさんの本名である。


 良明は、ロープ代わりに陽と自分の上着を繋いだ物をその小脇に抱えながら、川の中の少年を見た。

 濁流の中でも解る、ポストの様に赤いシャツ。確かに先程まで共に行動していた藤が身に着けていた服と同じ色をしている。いや、現実逃避は止めるべきである。

 それは、藤という彼等の友人で間違いなかった。


「ふっさん! なんであんなトコに!」

 焦った表情を隠さず、良明は自分の頭の中にある最善の案を妹に提案する。

「兎に角さ、人、人呼ぼう。その辺の家に駆け込んで事情説明して――」

 そこまで言葉にしたところで、兄妹は漸く現場近くの橋の一端までたどり着いた。


 体力なんてタカが知れているクセして、喋りながらの全力疾走だった為、二人とも既に息も絶え絶えの状態だ。にも拘らず、その現場を目の当たりにしたとき、良明は激しさを増す呼吸を思わず止めて言葉を詰まらせた。

 遠くからでははっきりとは見えなかったが、藤は岩に対して片手で漸く掴まっている状態で、既に身体を流れの気まぐれのままに揺らせていた。

 掴まっている岩に自力で身体を乗り上げる事すら到底出来ない程にまで衰弱しているそのさまを見て、良明は先程自分が口にしようとしていた”人に助けを求める”という案が、雨上がりまで川が鎮まるのを待つのと同じくらいに悠長に思えてきた。


 どうするべきか。二次災害覚悟で川に入っていく選択すら脳裏を過ぎる。

 兄はふと、妹の顔を見た。

 直感的に察する。彼女も全く同じ事を考えている。もし自分がやれば、陽も確実について来ると、普段の付き合いから良明は確信した。

 因みに、その良明の思考はまるまる陽のそれと同様の物である。


 お互いの表情からお互いの思考を察するまでに約三秒。全くの無駄となったその三秒を惜しみつつ、二人は言葉も無く同時にすぐ傍の民家へと駆け込もうとした。


兄と妹は夫々思う。

(せめて、さっき馬鹿やってる間こっちに歩き続けてたら……)

(これで藤君が命を落としたりなんてしたら、シャレになんないよ!!)

 事が起こったのは、まさに彼らが同時に踏み出した最初の一歩が地面に触れる、その瞬間であった。


 その後の何が起こるよりもまず、辺りが一際暗くなった。

 憎たらしいほど分厚い雨雲が立ち込めている上に夕時であった為、元々暗くはあった。だが、それだけでは説明がつかない程の暗さ。まるで兄妹が立っている橋の、橋げたの下に居る様な薄暗さが、二人の居る周辺だけを包囲するかの様に覆ったのだ。


 次に、一瞬遅れてくる強風。

 こちらもただの強風にしては妙だった。まるで、巨大な団扇で扇がれた様に、ほんの一瞬だけ強い風圧を感じたのだ。


 異変の三つめ。強風とほぼ同じタイミングで、妙な音――或いは声――が良明と陽の耳に飛び込んできた。

 文字に置き換えるならば’オ’。

 ’オ’の発音とほぼ同等の音が、質の悪いスピーカーの如く二人の鼓膜を乱暴に振動させたのだ。

 それは連続してオオオと唸り、地下鉄の構内にこだまする様な篭った音の、平均的な男声の様な沈んだ低い音の、雨と強風の中でも耳に届く叫び声へと変容した。


 その声が途切れるのと同時に、今度はクリアな高音が聞こえてきた。

「こっちだ!!」

 凛とした女声が、良明と陽を橋の欄干へと駆け寄らせた。が、その声は二人に対しての物ではなかった。それは、川の中程の岩に片手でしがみ付き、今にも激流に飲み込まれようとしている少年に向けられたもの。

 声の主の女性は、自分の背丈程もある細く長い後ろ髪をばたばたと強風に靡かせながら、十メートルは下らない輪郭(・・)から身を乗り出し、手を伸ばしていた。まるで状況にフィットしないベージュのワンピースと白い上着のシャツが、女性の姿を殺伐とした風景から嘘臭いくらいに浮かせている。


 女性のシルエットを遮る巨大な輪郭は、勢いを殺さずに凄まじい勢いで下降してくる。

 ほぼ一定の間隔で繰り返される風圧の波。

 変形し躍動する輪郭。

 機械的では無い唸り声。

 良明と陽が目と耳の感覚を研ぎ澄ませてみるに、どうやらそれは巨大な生物の様だった。


 生物との最接近の瞬間、兄と妹はそのディテールをハッキリとその眼に焼き付けた。

 ごつごつとした深い深い緑色の皮膚を雨粒が打ち、次々と流れ落ちていく。

 頭部に生える二本の角は象牙の様に美しく、それでいて荒々しい。

 ぎょろりと藤を見据える大きな眼は炎の様に鮮やかな赤を湛え、そして蝙蝠の様に膜を張った巨大な一対の翼は、その雄々しい胴体よりも遥かに大きかった。

 長い指の先にはギラリと光るように鋭い爪。枯れ木の一つや二つ苦も無くなぎ倒せそうな立派な尻尾。鱗はプラモデルの様に一枚一枚洗練された美しいフォルムで構成されている。

 他にも上げればキリがない。兄妹が確証を得るにはもう十分である。


 圧倒的な存在感を放つその姿を、人々は”(ドラゴン)”と呼ぶ。


 橋を潜り川面へと降り、そのままの勢いで飛翔する巨大なドラゴンのシルエット。欄干に乗り出す兄妹からは、藤がどうなったのかよく見えない。

 良明は、足元に当たるものがある事に気づいて下を見た。

”出血大特化! 春野菜を食べようキャンペーン!!”

 ポップ字体フォントで書かれたチラシと、見慣れない鶯色の財布が、スーパーマーケットのロゴが入った白いビニル袋の向こうに透けていた。


 ぶわりと今一度風に煽られながら、良明は上空で体勢を整えるドラゴンに対し声も無く釘付けになった。先程の風も含め、団扇で扇がれた様なこの突風はどうやらこのドラゴンの羽ばたきから生まれたものらしい。

 ドラゴンは、大きく羽ばたき徐々に徐々に高度を下げてくる。

 殆ど落下速度を殺した状態で着地を完了させると、彼――或いは彼女――は両の羽根を広げ、その後鳥のように折り曲げて畳んだ。

 ぐったりと力無くうなだれる藤とこちらへと視線を向ける女性の姿。ドラゴンの首の向こうにそれらを認めた陽はいち早く駆け寄った。一方の良明はあっけに取られる方が先に来たらしく、しばし呼吸すら忘れて二人と一頭の姿を見ていたが、はっと我に返って陽に続いた。


「ここから一番近い病院は大虎病院だな?」

 見事藤を救出した女性は、しばし前に水を掛け合って戯れていた二人のどちらにとも無くドラゴンの背の上から問うた。

「は、はい」

「は、はい」

 意図せず声を合わせて答える陽と良明。

 巨大な龍と凛とした女性、そしてぐったりと力無く龍の首にもたれ掛かる藤の姿は、女性の「そうか、ありがとう」という一言を残してすぐさま空へと消え去ってしまった。


 今にも飛ばされていきそうな、財布入りの買い物袋を見つめる兄と妹は、あっけに取られた表情でしばらくその場に立ち尽くしていた。

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