6話・クレア
「悔しかったら何か言ってみろよ! このクズ野郎がッ」
「…………」
少年は憎しみの視線を向けながら、なおも声を荒げていく。
「そうだよな! お前は無能だから何も手に入れられないし、これから先もそうやって這いつくばって生きていくんだよ!」
「…………」
「顔が良いだけの無能者が調子にのってんじゃねーよ。もうクレアには近づくなよ!? 次、付きまとってきたらその顔を焼いてやる!!」
少年は地面に這いつくばった裸の子供に蹴りを入れると、肩下まで伸びた赤い髪を揺らしてその場を去って行った。
少年が立ち去った数分後、体をよろめかせながら裸の子供が立ち上がる。
体には無数の傷と痣が浮かんでおり、顔もたった今殴られたせいで赤く腫れている。
裸の子供は表情を変えることなく、ボロボロになった衣服を纏っていく。
この衣服は約二年前、マルセン家からリネット魔法院に入学する際に渡された物だ。
リズベルグはマルセン家に養子として出された後、一年半の間マルセン家の領地であるメリーズ村で過ごした。
マルセン家は男爵という爵位を四代、三百年という時に渡って継承しており、小さいながらも領地を授かっている。
だがその長い歴史にも危機が訪れようとしていた。
マルセン家の領主セシルと、その夫であるファーレルの間には子供ができなかったのだ。
二人は養子を取ることを選択肢の一つとして、後継問題の処理を担当している貴族院に相談を持ちかける。
そこで養子の候補として上がったのがリズベルグだった。
貴族院からの強い勧めと、父親がハーフエルであるオルグ=レストン公爵ということが、二人をリズベルグへと導くことになる。
セシルとファーレルはリズベルグと初めて出会った時、その愛らしい顔立ちと終始変わらない無表情さに驚きを隠せなかった。
瞳には精気というものが感じられず、ガリガリの体に、開くことのない口。
この夫婦には強い風が吹くだけで飛び散って行きそうなほど、脆く危うい子供に見えた。
子育ての経験がなかった夫婦は最初の内、どう接すれば良いか分からなかったが、拙いながらも自分たちの子供として愛情を注ぐ日々を過ごした。
リズベルグもそんな二人に少しずつ心を開いていき、言葉を話し出すようになる。
リズベルグが初めて喋った言葉は『いつもありがとう』だった。
短い言葉だったが、確かにリズベルグの想いが込められた言葉だった。
その言葉を聞いた時、二人はリズベルグを抱きしめて涙した。
リズベルグにとってセシルとファーレルは、カナリラの次に世界を教えてくれた人になった。
リズベルグの生活の中心は本を読むことだった。
特に魔法系の書籍は紙が擦り切れるほど何度も目を通した。
その理由はただ一つ、もう一度カナリラに会ってどうして自分を捨てたのか聞きたかったからだ。
リズベルグが知っている母に繋がる情報は、母と過ごした場所が『王都シャーレ』だったということ程度だ。
そしてこの場所が王都から最も遠い、辺境の地だということも幼いながらに理解していた。
リズベルグは、王都に行くためにどうすれば良いのかをセシルに聞いてみた。
リズベルグの話を聞いたセシルは少し悲しい顔をした。
リズベルグはセシルの悲しそうな顔を見た時、胸の奥が苦しくなったが、それでも王都に行くことを考え直すことはなかった。
セシルはまずこの国の制度をリズベルグに教えた。
ルーラン魔法王国はこの世界で最も教育に力を入れている国で、約六割の国民が八歳から十三歳まで教育機関に通うことになる。
そこでは主に魔法に関する授業が行われているが、算数、歴史、世界情勢など、魔法に関すること以外の授業も行われている。
貴族階級を親に持つ子供や、魔法試験を通った者以外は基本的に『魔法園』という小さな学校に通うことになる。
才能のある者や貴族の子息は、より高度な施設が完備された教育機関である『魔法院』に通うことになる。
『魔法院』は全国で五十八校存在しており、更に王都にあるルーラン魔法大学が全ての教育機関の頂点に君臨している。
リズベルグはその話を聞いて以来、ルーラン魔法大学に入学するために勉強に励んできたのだった。
リズベルグにもいつしか友達が出来た。
マルセン家の従者の娘である同い年のクレアだ。
クレアは母親に似て整った目鼻立ちをしており、髪の色は父親と同じで金色に輝いている。
人見知りをしない性格で、誰にでも分け隔てなく接しているため、村人の間でも評判が良い。
クレアはその天真爛漫な性格で、人と接しようとしないリズベルグとの距離を少しづつ縮めていった。
時の流れとともにリズベルグはクレアに対しても言葉を話し出すようになる。
そんなクレアもリズベルクと初めて会う直前まで緊張でガチガチだった。
『これから会う人が、生涯クレアが仕える人』と、母から聞かされていたからだ。
子供だとは聞いていたけど、どれくらいの年の子なのかも知らない。
嫌な子供だったらどうしよう?
そんな緊張と不安は、実際にリズベルグと対面した時に吹っ飛んでしまった。
(すっごく可愛い子!!)
(女の子だし、やったーー!!)
普段はそういう風な態度を見せないが、幼くして父を亡くしたクレアは男性と接することに対して苦手意識があったため、生涯仕えるべき人が女性という事実はクレアの心を震わせるほど嬉しい出来事だった。
リズベルグは半年もの長旅の間、髪を一度も切ることがなく肩下まで伸びていた。
そしてまだ幼い年齢と中性的な顔立ちが相まって、クレアには女の子にしか見えなかったのだ。
(私が磨いてみせる!!)
リズベルグと対面中のクレアの顔は鼻息荒く終始ニヤケており、時折リズベルを獲物を狙うような目で見つめるなど、危ない表情になっていた。
(この子を魔法王国で一番の少女にしてみせる!!)
クレアは対面後、決意を形にするために、主従の関係を忘れてリズベルグを一番にするための活動を始める。
笑顔の練習に始まり、メイクの仕方、服の選び方など、"クレアにとって"やるべきことは多かった。
これに対してリズベルグはされるがままだった。
この子には逆らってはいけないという恐怖心が、出会いの時からリズベルグの魂に刻み込まれていたからだ。
クレアがリズベルグの性別に気付いたのは出会ってから三ヶ月後、一緒にお風呂に入った時だった。
クレアは数日の間寝込んでしまい、リズベルグとのこれまでの関係、この先の未来をベットの上で考えていた。
(リズベルグはリズベルグ! それは今までも、これから先も変わらない! ずっと、ずっと一緒に生きていくんだから)
リズベルグに対する思いを再確認したクレアはいつも通り元気な姿を見せた。
リズベルグが男だったという事実はクレアの意識を大きく変えていくことになる。
頼りないリズベルグを自分が支えていかないと、という気持ちが芽生えてきたのだ。
リズベルグが王都にあるルーラン魔法大学を目指していると聞いてからは、リズベルグの隣で本を読むことが習慣となった。
リズベルグの隣でどんな時も支えていく、それが幼いクレアが目指した道だった。
クレアは七歳の夏の時期、魔法を発現させることに成功した。
クレア自身は知らなかったが、独学で、しかも小さな子供が魔法を発動させることなど歴史的快挙に近かった。
魔法を発現させるには幾つかの過程を踏まなければならない。
一、世界に溢れているというマナを体に溜め込むこと。
二、マナを自身が活用できる魔力に変換すること。
三、魔力を体内で自由に動かせるようになること。
四、魔法詠唱を行うこと。
五、魔法詠唱時、どこに、誰に、どのような現象を発現するかを想像すること。
六、発現させる魔法属性に適性があること。
魔法園では三の項目までを四年間かけて教え、魔法院では六の項目まで教えることになる。
魔法の発現はクレアが魔法院の入学試験に通ることを意味していた。
リズベルグもクレアと同じように本を読むだけではなく、実践的な練習を行っていた。
クレアほどの習得スピードはなかったが、それでもリネット魔法院に入学する前には、体内にあるマナの一部を魔力変換できるようになっていた。
ルーラ王歴851年3月10日。
リズベルグとクレアは、リネット魔法院のあるマスカル城塞都市へと旅立った。
4月25日にある入学試験と、5月10日にある入学式に向けてだ。
クレアの手には、魔法園で受け取った入学試験の推薦状が大事そうに握られていた。