16話・それぞれの思惑1
ーリネット魔法院ー
日もまだ出ていない薄暗い時間。
煌びやかな装飾類が並ぶ部屋で、二人の男女が向かい合っている。
男の顔には小さなシワが幾つも刻んであり、手入れをされていなだろうボサボサの白髪。
一目見れば男が相応の年を取っていると感じるだろう。
対して女性の顔にはシワ一つなく、白く透明な肌には若さを感じさせる。
髪は肩の上まで切り揃えられており、緑色の髪の隙間から尖った耳が姿を覗かせる。
緑色の髪はルーラン魔法王国と国境を接する、『エルフの里=リーンの森』に住むエルフの特徴だ。
対照的な二人が鋭い視線を交わし合う。
「マティウス教育長、もう一度聞く。今の話、間違いないのだな?」
「はい、ボッサム学長。今お話ししたのがリズベルグ君に関する、課外活動の全容です」
ボッサムは瞼を閉じると、顎に蓄えた白いヒゲに手をやった。
唸り声を一つあげると、また口を開く。
「マティウス教育長、君からのこれまでの報告だとリズベルグは無能者ではなかったのかね? そんな生徒が白魔狼の主を殺し、あろうことか巣まで全滅させた? 何処かで情報が歪められていない限り、君の報告はあり得んのだよ」
ボッサムは閉じた瞼を開けると、より鋭い眼光をマティウスに向けた。
マティウスもまた目を反らすことはない。
「そう仰られても、私の調査結果は覆りませんよ。どうしても納得されないなら、ご自身が当事者からお話を聞かれては?」
繰り返される問答。
答えは変わらない。
マティウスも当初、このような馬鹿げたことを信じることなどできなかった。
報告があったのは昨日。
二回生、Bクラスを担当するカージスの使い魔が運んだ手紙でことを知った。
いつもどうでもいい内容を書き連ねるカージスにしては手紙は簡潔で短いもの。
だからこそ緊急性、真実性をより感じさせた。
マティウスは学長の許可を得て、自ら現場へ急行した。
教育長がリネット魔法院を出るということは異例中の異例だ。
リネット魔法院は学長をトップにして、魔法院以外での問題を取り仕切る、No.2の副学長。
魔法院内での問題を取り仕切るNo.3の教育長が、学長の両腕として補佐をしている。
普通ならば外出の許可は出るはずがない。
教育長はリネット魔法院の教育の要だからだ。
それでも手紙の内容をボッサムに見せれば、マティウスには許可が出るだろうことは分かっていた。
ことの主役はリズベルグ。
出ないはずがない。
この学院で最も敵が多い生徒。
学長、副学長、生徒、挙げればきりがない。
なぜ敵が多いのか?
この二ヶ月で変わった、リズベルグという存在に対する風向き。
表面上では噂になっている、クレアに対する虐待が原因。
当事者から事情を聞き、魔法院が解決すれば問題はないはずだった。
その役目は教育長である私だと自認していた。
ところがいざ調べる段階になった時、学長、副学長からこの件から手を引くように言われた。
納得できないマティウスは抗議した。
返ってきたのは脅しを含んだ命令。
教育長は学長、副学長と違い、学院内の選挙で選ばれる。
投票権は学長、副学長、学院に所属する教師、魔究会の構成員に与えられている。
但し、解任権は学長の権限となっているのだ。
細く言えば学長の解任権に対して教育長は、国家機関である魔法教育省に解任に対する異議申し立てをすることが可能だが、異議申し立てが受理されるかは副学長の意向が重要になってくる。
副学長が学長を支持すれば受理される見通しは殆どない。
というのも辺境伯領の学院に所属する副学長は、魔法教育省から派遣される学長と異なり、その地の領主である辺境伯に人事権があり、別の権力構造の中の存在となる。
領地の将来を担うであろう優秀な人材を育てる学院内での学長の暴走。
それに対抗する権限を副学長は国から認められている。
いやーールーラン魔法王国に存在する、四家の辺境伯にのみ認められていると言っていいだろう。
相反する二つの権力構造からの干渉。
リズベルグという生徒、もしくはクレアという生徒に何か裏があるのは誰だって分かる。
下手には動くことはできない。
マティウスは従順に従うフリをして真相を調べることにした。
浮かび上がる相関図。
クレアとリシャール。
背後にいる辺境伯と副学長。
リズベルグとレストン公爵家。
対抗勢力であるメルデス公爵家と学長。
リシャールがクレアに好意を抱いていたこと。
リズベルグがレストン公爵家の生まれであるということ。
レストン公爵家とメルデス公爵家は古からの犬猿の仲である。
現在のオーランド王になってからレストン家の当主は丞相に。
メルデス家の当主は今年から魔法教育省の長官に就任している。
そして八月にあった突然の学長の交代。
新学長のリズベルグに対する執着。
リズベルグという生徒を取り巻く環境は深い闇に覆われている。
迂闊に手を出せば簡単に潰されてしまう。
綿密に情報を集めて、巨大な力を動かさなければ上手くいかないだろう。
マティウスはそんな印象を持った。
そんな時に届いた手紙。
《リズベルグ、白魔狼の主を殺す。リシャール、気絶。死者不明。詳細不明。応援求む》
半信半疑ながらも現地に着いたマティウス。
その光景を見ると体の震えが止まらなかった。
教育者として、しかも生徒の前でそんな姿を見せるべきではないのは分かっていた。
それを理解した上で震えは止まらない。
原因はたった一つ。
たった一人の子供。
見た目は人形のように可愛らしい子供だが、その内包する魔力の量はマティウスでは計り知れないほど溢れている。
これまで出会ったどんな人、モンスターよりも多い。
ーー化け物。
初めに頭に浮かんだ言葉は教育者として、決して口に出すことが出来ない内容だった。
マティウスはリズベルグから事情を聞いて、白魔狼の巣の全滅を知った。
ここに来た当初のような疑念はない。
この子なら出来てしまうかもしれない。
マティウスは死傷者の確認を行い、課外活動の中止を決断した。
幸いにも死者は0。
負傷者は何人も居るが、数年に一度死者が出ることもあるこの課外活動では無事に終わった方だろう。
ただ貴族の子弟を、しかも辺境伯の息子であるリシャールを危険に晒したマスタング教授は、学院に戻り次第処分を下さなければならない。
白魔狼の巣に向かい、生きて帰ってこれる人間はこの国に一体どれだけいるだろうか?
マティウスの頭には一人しか思い浮かばない。
今回はたまたま無事だった。
たまたま奇跡が起きた。
マティウスにはそれ以外の言葉を見つけるのは難しかった。
それほど危険な場所なのだ。
そんな場所に向かわせたマスタング教授。
聞けば課外活動中のほとんどの時間、生徒たちを放任していたという。
Aクラスは特に貴族の子弟が多く、各班に一人の先生が付く予定だったはずだ。
マティウスはハラワタが煮えくり返りそうな思いを抑えて、白魔狼の巣に向かった。
付いて来させたのはリズベルグとクレアの二人だけ。
カージスはマスタング教授の監視を他の教師と一緒に受け持って貰っている。
白魔狼の巣は酷い悪臭と、目を覆いたくなるほどの光景だった。
ここで圧倒的な搾取、一方的な暴力の嵐が吹き荒れたことを、瞬時に想像させるような場所。
驚いたことにこの光景を生み出したのはマティウスが想像していた魔法の力ではない。
どれもこれも剣で切られたような痕だった。
マティウスは自身の常識が崩壊していくのを否が応にも感じさせられていた。
一ヶ月ほど前に見た時は普通の魔力量の生徒だったはずだ。
去年、今年の資料を思い出してみても、魔法適性はないが勉強の出来る下級貴族の子供、という内容だったはず。
何かがおかしい。
でも答えは見つからない。
この子の闇はもっと深いところにあるのかもしれない。
マティウスは身震いしそうな体を必死に制御すると、確認のためにクレアから話を聞いた。
虐待の噂の本人であるリズベルグの前で事情を聞くのは可笑しな話だが、クレアのリズベルグを慕う様子を見れば明らかに噂は間違いだろうと判断した。
マティウスは一応、本人の口からことの流れを聞きたかったのだ。
クレアの話の内容はマティウスが調べた情報と変わらなかった。
事故、治療費の肩代わり、軟禁状態。
生徒、教師のリシャールへの服従。
1年前まで、リシャールにここまでの力はなかった。
辺境伯側の圧力を学長と一緒に抑えていたからだが、それも学長の交代で力関係は変わった。
学院内で起こる権力の暴走。
それは長い学院の歴史で決して珍しいことではないだろう。
だが、それが自分の学院内で起こるとなれば話は別だ。
では今のマティウスに何ができるのか?
今のマティウスには知ることはできても、変える力はない。
はっきり言ってしまえば後ろ盾のないマティウスには、学院に対する影響力は殆ど残っていないのだ。
側から見れば『権力に服従する教育長』という名が相応しいだろう。
ただ、マティウスにも目指すべきものがある。
教育者になったのは権力に服従するためではない。
子供の持つ可能性を伸ばしてあげたい。
そう思い教職者を目指したはずだ。
このままでは目の前に佇む、小さな女の子の可能性を潰してしまう。
魔法院で学ぶ多くの子供たちの未来が、傲慢な権力で押し潰されてしまう。
これほどまでに自分に力があれば、と思う日々はなかった。
マティウスの目に映るのは、黙ってクレアの話を聞くリズベルグという少年。
魔力は化け物クラス。
更に魔狼を皆殺しにする剣の腕。
この問題の渦中の人物でもある。
言い方は悪いが、この子を使えば現状を打破することも可能だ。
力はあってもまだ幼い少年。
上手く道を作ってあげなければ、その力は自身を滅ぼす諸刃の剣となる。
マティウスの中に渦巻く葛藤。
子供を利用するという罪悪感。
それを覆い尽くす正当な理由付け。
「リズベルグ君、クレアさんの話を聞いて君はどうしたいと思ったかな?」
リズベルグがどいう質を持つ人間なのか。
この質問の答えで何となく分かるだろうとマティウスは考えた。
「現状、金を返して丸く収まるならそれでも良いと思ってるが……。面倒なことになるなら辺境伯ごと魔法院を潰してもいい。天秤にかけるのはどちらが面倒じゃないかだ」
明らかに危険な質を持っている答え。
マティウスの顔から血の気が引いていく。
「と、今の辺境伯ごとってのは脅しっていう面もある。そっちが面倒ごとを起こさなければ俺は大人しく魔法院生活を送るし、何かあれば……それ相応の対応をするっていうことだ」
言葉に詰まるマティウス。
マティウスにはリズベルグが冗談を言っているようには聞こえなかった。
『何かあれば辺境伯ごと潰す』
普通の子供が言えばタチの悪いただの冗談のはず。
それでも、マティウスの脳内に浮かび上がるリネット魔法院の末路。
「そっちが……っていうのは魔法院のこと? 辺境伯のこと?」
マティウスからようやく出た言葉。
耳に残った少しの引っかかりだった。
「ん? 魔法院と辺境伯は同じようなものだろ? 分ける必要があるのか?」
帰ってきた言葉は意外なものだった。
魔法院と辺境伯は違う権力構造の組織。
確かに現状のリネット魔法院は、辺境伯側に吸収されつつあるのは事実だが、それは特殊な状態だ。
授業でもそのことについては習っているはず。
マティウスに浮かんだ一つの答え。
リズベルグに対する仕打ちは幾つも報告が上がっている。
その本元が辺境伯の息子であるリシャール。
助けることをしなかった魔法院もまた、同列の存在だとみなしていても当然のことなのかもしれない。
マティウスの心を乱す自責の念。
マティウスは自分がやるべきとをしていないことに気が付いた。
マティウスは崩れるように膝をつくと、そのまま腰を曲げる。
額は地面に当たり、綺麗な緑色の髪に紫色の血が混じった土がへばり付いた。
エルフという種族に伝わる謝罪の想いを体で表現する行為。
地面を這うように頭を下げ、相手に見下される。
気位の高いエルフにとって、最上級の屈辱である。
だからこそ、真に謝罪する時にこの行為を行うのだ。
「おい、おい、一体なんだよ。いきなり土下座とか趣味が悪いぞ」
マティウスには分からなかった。
気が付いた時には自然とそうしていたからだ。
リズベルグという少年が、リネット魔法院を潰せる力があったからなのか。
己の不甲斐なさを感じてなのか。
純粋にリズベルグの心を想ってなのか。
はたまた、その全てなのか。
「この二ヶ月に及ぶ、リズベルグ君に与えれた仕打ちは私に責任があります。申し訳ありません。私にはそれしか言えません。ただ………責任を取らせるならまず私から、どうか私からお願いします」
胸の前で腕を組み、眉間にしわを寄せるリズベルグ。
「そんなこと、俺の知ったことじゃない。誰に責任を取らせるかは俺が、俺の意思で決めることだ。まあ……それと同じで恩を受けたやつにどう返すのか、それも俺の意思で決める。俺の言っていることの意味が分かるか?」
首を曲げ、見上げるマティウス。
交差する視線。
「私に何かをして欲しいと……恩を作れと……そういうこと?」
「端的に言えばな。マティウス教育長だっけか? あんたの気持ちはその土下座で分かった。だから俺もその気持ちを汲んで譲歩しているんだ。魔法院内ではそこそこ偉い人なんだろ? これからは俺の立場から動いて貰いたいってことだ」
マティウスからすれば、リズベルグやクレアのために動きたいという気持ちは強く持っていた。
ただ力がないために動けなかった。
今更そう言われても何もできることはない。
「もちろんリズベルグ君の味方になることは約束できます。ただ……私には力が、現状を変えれるほどの力はないのです」
「それは俺の状況と、あんたの言動を見てれば分かる。でも出来ることはある。あんたは俺が欲しいものを持っている」
「欲しいもの? それは?」
鋭い視線を保ちながら無言でマティウスに近づくリズベルグ。
何が起こるのか?
マティウスには分からない。
リズベルグは屈み込むと、マティウスの肩を持って上に押し上げる。
浮き上がるマティウスの上半身。
正座をしているエルフ、それを見下ろす少年。
リズベルグの両手は肩から離れ、少し下に降りていく。
両手はある二点の前で止まり、吸い寄せられるように、マティウスの胸に触れた。
少し震えた両手は、マティウスの乳房を一回、二回と揉んでいく。
「俺が欲しかったのは情報だ。魔法学院内の実際の権力関係、この国の実力者、俺の置かれた立場。それを教えて欲しい」
「……それは良いのですが……どうして…………胸を揉むのですか?……クレアさんが後ろで……いえ、言うのは止めておきましょう」
名残惜しそうに両手が胸から離れていく。
それと同時にリズベルグの背中に抱きつくクレア。
「最近は良いことがなかったからな。希望の感触ってやつを確かめておきたかっただけだ」
「リズ! 教育長に赤ちゃんみたいなことしたら駄目だよ……。なんだか分からないけど……リズがそんなことしたら胸が痛くなっちゃう」
「俺はできる限り優しく、丁寧に扱ったぞ?」
「そうじゃない……。リズのバカ……」
リズベルグの体に身を委ねながらそっぽを向くクレア。
「ぷっ、なんだか悩んでたのが馬鹿らしくなってしまいました」
マティウスが感じていたリズベルグに対する恐怖、危うさが嘘のように、今は年相応にイタズラを咎められている少年を見ているようだ。
マティウスはリズベルグの要望通り、知りうる情報を伝えていった。
そんな中、カージスの使い魔である『コクソウ鳥』が上空から急降下してきた。
三人の前に突如現れた黒と白のシマシマ模様の鳥。
翼を広げれば一メートルほどの大きさだろう。
ピクリと動いたリズベルグに、マティウスは静止を促すように手の平をつき出す。
「待って下さい。あの鳥はカージス先生の使い魔です」
マティウスは首にかけられた小さなカバンの中から、一枚の手紙を取り出した。
手紙を持ったまま立ち尽くすマティウス。
手に持った手紙が小刻みに揺れる。
《マスタング、他数名の教師、生徒、離反。向かった先、アストロ帝国方面。リシャール、行方不明。死傷者多数》
小さく揺れる争いの炎。
揺れる炎は次第に辺りを燃やしていく。
そしてーー舞う火の粉は、小さな怪物を動かそうとしていた。
「リズベルグ君、相談があります」
次話は明日、投稿の予定です。