15話・私の道
ークレア視点ー
どうして?
わからない。
まちがえた?
わからない。
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない! わからない! わからない! わからない!! わからない!!
たった二ヶ月前はもっと輝いてた。
はっきりとした未来があった。
今はもう……わからない……。
「クレア! 無事だったか!?」
どうしてあなたなの?
「クレア、気絶、してる、だけ。無事」
「プジャ! よくやった! お手柄だぞ」
聞きたくない!
もうその声は聞きたくない!
「俺、やること、やった、だけ」
「木偶の坊だと思ってたが、やる時はやるんだな! それにしてもあのクソ教授、どこ行きやがった!? 何が魔狼の巣程度、お前の力なら容易いだろう、だ! あんな化け物が居るなんて聞いてねーぞ!」
まろ……う?
しろい……おおきな……!?
リズ!?
「リズ!!」
「クレア、目が覚めたのか? 無事でよかったぜ。けど、その名前をお前の口から聞くのは感心しないな。今の主人は俺なんだぞ? 分かってるのか?」
「リズは……リズはどこ!?」
「チッ、聞いてるのかクレア!? お前を助けてやったのは俺なんだぞ!? どうしていつまでも役に立たない、あいつの名前を出すんだ!?」
リズ!!
リズ!!
行かなきゃ!!
「プジャ、私を下ろして!!」
「駄目だプジャ。そのままマリアンたちの所に連れて行け」
「プジャ!! お願い!」
「俺、リシャール、様、優先」
私を抱えたまま歩き出すプジャ。
いつもそう。
そうやって私を拘束しようとする。
前はみんな友達だったのに。
今は私を捕らえる牢獄。
一切の自由を許されない。
友達だった?
違うのかもしれない。
私だけがそう思ってた……だけなのかも。
いまさらだけど気がついた。
だってみんな、リシャールの顔しか見てないから。
学院に入った頃は何でもできる気がした。
隣にリズがいた。
毎日成長していた。
夢が近づいていた。
私には守らないといけない大切な人がいたから。
でも……今はちっぽけな存在。
何も出来ない。
情けない。
従うしかない。
逆らうことは許されない。
リシャールが肩代わりしてくれたお金は白金貨一枚。
五千万ルーラという途方もない額。
子爵家の息子を重体にしたのだから当たり前の金額だと、マスタング教授は言っていた。
下級貴族の従者が手にする給金は年に七万ルーラくらい。
一生かけても返せない。
「クレア! いつも言ってるよな? 嫌なら辞めてもいいんだぞ? 俺は人を無理やりどうこうするのは嫌いだからな。ただ……その時は元主人である、リズベルグに責任がいくだろうがな」
それだけは駄目。
リズを巻き込むわけにいかない。
「まあ、あの貧乏男爵家に払える額じゃないか。プジャ、さっさと連れて行け!」
でも……今はもう……。
「クレア、暴れる。俺、痛い」
「私はまたここに帰ってくる! だから……今は行かせて!」
「さっきからどこに行こうとしている? あいつはお前を放って、どこかに走り去ったそうじゃないか?」
確かに……リズは違った。
私の知っているリズと姿は同じでも、それ以外は全てが違った。
リズはあんな乱暴な声は出さない。
リズはあんな崩れた表情をしない。
リズは………あんな……私を赤の他人を見るような目で見ない。
話したいことはいっぱいあった。
でも、声が出なかった。
リズが走り去った後、怖かった。
全てが、世界が、壊れたと思った。
もう楽しかった日々は戻らないって、あの時感じた。
ずっと後悔してた。
どうしてあの時、水槍を打ったんだろう?
どうしてリズに一言、相談しなかったんだろう?
どうして走り去るリズに声をかけられなかったんだろう?
全てが間違いだったのかな?
どれか一つでも違っていたら、あの日々は帰ってきてたのかな?
答えは見つからなかった。
見つける意味も、もうなくなってた。
リズはもう居ないから。
空から降ってくるかたまりを見て、ここで終わるんだろうなって直感した。
体は避けようとするけど、心は動かなかった。
もう、終わって良かったのかもしれない。
でも、リズは来てくれた。
相変わらず私の知らないリズ。
乱暴で、私を知らない人のことのように言う。
でも、助けてくれた。
生きろって言ってくれた。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
でも……一緒に戦って欲しいって、言って欲しかった。
一緒に死んで欲しいって、言って欲しかった。
リズがいないのに生きていてもしょうがないよ。
きっともう戻れない。
死んだ後、借金がどうなるかも分からない。
でも行かないと。
「痛い。俺、痛いの、嫌」
「おい! プジャ!! 勝手に降ろすんじゃねーよ!! やっぱり木偶の坊かよ! 待て、クレア!」
リシャールが私の腕を力一杯掴む。
振り払おうとするけど、リシャールの方が力は強い。
「おいっ!! 全員こっちに集まれっ!! 早く来い!! 命令だ!!」
マリアンを筆頭に次々とクラスメイトが集まってくる。
騒ぎを聞きつけた休息地点にいる生徒、先生も集まってきた。
他の生徒、先生に助けを求めることはしない。
意味がないから。
権力の前では誰もがひざまずいてしまう。
この二ヶ月、嫌というほど見せられた。
味方はいない。
誰一人。
「クレアさん。貴女には再教育が必要ですね!」
助けは来ない。
「プジャ、本当か!? プッ…ハッハッハッ。あいつ、あの化け物と戦うだって? 馬鹿すぎるだろ。もう喰われて死んでるな、こりゃ」
「僕たちが逃げる為のいい餌になってくれたわけだ。リズベルグ様様だ」
「俺、でも、あいつ、好き。生きてる、多分」
「あ? 何言ってんだ。しばくぞ?」
「リシャール様、何か変な音が聞こえませんか?」
でも、一人でも戦える。
いまいくか……………………………ら……………………え?
「え?」
「は?」
騒々しかった場が静かになった。
リシャールが唾を飲み込む音さえ聞こえてくる。
空気がピーンと張り詰めてる。
みんなが見ている先は一緒。
大きなかたまり。
見たことがある。
忘れるわけがない。
でもあの時と違う。
動いているのは頭だけ。
あの大きかった体はなくなってる。
もう死んでると、一目見ればわかる。
だから誰もこの場から逃げ出そうとしない。
地面をはうようにして動く、おおきな薄汚れた頭。
異様な光景。
わかってる。
言葉にしなくてもわかる。
目をそらしても消えるはずがない。
確かにそこにいる。
でも、そらせない。
声を出さずにはいられない。
身体中に熱い何かがかけめぐった。
「リズ!!」
ぴくりッと反応して私の方を見る。
表情は変わらない。
でも、足先はこっちに向かった。
私とリズの間を線で結ぶように、人が道を作っていく。
とても静かな時間。
聞こえてくるのは小さな足音と、地面をこする音だけ。
魔物の血を全身にあびたリズは、助けてくれたあの時とまた少し違ったように見える。
もっと遠くの存在になってしまったよう……分からないけど、そんな気がした。
リズは私の前で止まると、大きな頭から手を離した。
「無事で何より。何かあれば俺の明るい将来に支障をきたすからな」
リズの口から出た言葉はうまく理解できなかった。
何を意味してるんだろう?
「プジャ、ありがとな」
「俺、やること、やった、だけ」
「これは返す。その代わり、預かってもらった分は返してもらうぞ?」
リズが左手に持ったショートソードをプジャの前に突き出した。
「俺、もう、それ、あげた。汚いし、いらない。クレア、俺の手、離れた。俺、関係、ない」
「あっ、わるい。今度新品にして返すから。じゃあこっちは勝手に返してもらうわ」
リズが腰にショートソードを付ける。
「待たせたな。さあ、行くぞ? 聞きたいことは山ほどあるんだからな」
私の手を握ると引っ張って行こうとする。
久しぶりに握ったリズの手はベタベタしていた。
多分魔物の血だと思う。
リズの力に負けないように私も強く、強く、握り返した。
「ま、待てぇ! クレアは俺の従者だぞ? 勝手に連れて行く……な」
リシャールの声に振り向くリズ。
その目は凄く冷たくて、背筋を凍らせる。
「あー、もうそういう縛りを守る必要もないが、一番重要なのはクレアの気持ちか。クレアがいま幸せだっていうんだったら、あいつも納得するだろうし」
「な……何を訳わからないことを言ってやがる」
「クレア! お前が決めろ! 俺と一緒に来るか、ここに残るのか」
固く結んだ手と手が離れる。
私が決める?
「そ、そうだクレア。クレアが俺を選んだんだ! いまさら借金を返せるアテがあるのか? 俺以外に頼れる奴がいるのか?」
私は……私は……。
付いて行きたい。
心の底からそう思える。
何もかも忘れて、ただ隣にいられたら。
リズ……なにが正解なの?
「クレア、深く考えなくて良い。お前は、お前の幸せだけを考えて答えを出せ。どんな事情があっても、お前が選んだ答えなら俺が支えてやる」
私の幸せ?
考えたこともなかった。
考える必要もなかったのかもしれない。
今考えればいつもそうだったから。
「さっき言ったよな? お前にとってのリズベルグは、背中も任せられない程度の男なのかと。俺は一つの答えを出したぞ」
横たわる大きな首。
リズがあんな化け物を倒すなんて考えられなかった。
私の知らない間に変わったリズ。
遠い昔を思い出す。
リズと初めて出会った頃。
ずっと女の子だと思ってたリズが実は違った。
何かが壊れた音がした。
壊れたのはリズ?
違う。
壊れたのは私がリズに抱いていた幻想。
リズは、リズ。
何も変わっていなかった。
今もまた私がリズに幻想を抱いてたのかもしれない。
弱々しくて、優しくて、あったかい。
守らないといけない存在。
この先もずっとそうだと思ってた。
リズ?
信じてもいい?
こんなダメな私だけど、もう一度だけ隣にいさせてくれる?
「俺から離れるなら許さないぞ!」
声を荒げるリシャール。
もう、遅い。
どんな脅しにも屈さない。
決めたから。
「俺はお前を敵とみなすぞ!? クレア!! 」
「黙れ……口を閉じてろ!!」
世界を凍らすような殺気。
目を見開き口を閉ざしたリシャール。
数人がばたりと倒れた。
「リズ!」
リズは私の瞳を一点に見据えると、小さく頷いた。
リズの顔を見て答えたかった。
答えないといけなかった。
「私はリズと、一緒に行く! 今までも、これからも。それが私の道だから! 私の幸せそのものだから!」
「そっか、それがクレアの決めた答えか……。後は俺に任せとけばいい」
私の手をもう一度握るリズ。
「お前ら、許さない……許さないぞ。こんなこと許されるはずがない。俺は次期辺境伯だぞ?」
こっちを見つめてリシャールは声を振り絞るように呟く。
また振り返るリズ。
「リーシャルって言ったか? 雑魚すぎて名前がピンとこないが、まあいい。お前……俺の家族……大切にしてる人、物に手を出してみろ? 俺がお前を敵とみなす。お前の手下、親、兄弟、お前が関わる人、誰がやってもお前がやったこととみなす。辺境伯の親父だろうが、この国だろうが、誰がお前の味方でも俺には関係ない。手を出した奴は全て、確実に、塵になるまで、必ず追い詰めてやる。チャンスは二度ないということを覚えておけ」
腰が砕けたように座り込むリシャール。
股の辺りからシミが出来て、広がっていく。
次々と生徒が倒れていった。
リズの言葉、殺気、凄すぎて声が出ない。
でも怖さはない。
きっと大丈夫。
握った手の暖かさが肌を通して私の心を包み込んでくれてるから。
この先にどんな未来が待っていても。