半島の朝
ベーモス半島はこの大陸で最も早く朝が来る。
再びマントを被り、少女を抱えながらなんだかんだと眠ってしまったネロは消えてしまった焚き火に気付きマントから出ようとするが止めた。
ネロ自身も寒いし、何より少女が寒がり、目を覚ましてしまう事だろう。
今日は幸運だった。あの後は近くに獣の気配すらなく、夜目覚めることもなかったのは僥倖であった。
ネロは冷たいそよ風のうちにティティリアへの行程を進めたい所ではあるが少女の容態次第だなと考えた。
少女の吐息は昨日のはぁはぁという苦しそうな息から、すぅすぅと落ち着いたように感じた。
ゆっくりと何度も水を与えた結果か彼女の顔色もずいぶんよくなり、乾ききっていた唇も口紅を塗らぬ子供特有の潤いのある自然な色に戻っているようだった。
少女は夢を見ていた。
優しかった姉の夢を。
姉は誇り高きエルマンの戦士、イーリス。少女にはとても優しい姉。
森の中でとてもとても楽しそうに歌を歌っている姉に少女は話しかける。
「お姉さま、お姉さま、これは恋の歌?」
「お姉さま、お姉さま、心が暖かくなる歌ですね、お姉さま、恋をしているのですか?」
フレーズは男女の出会いを喜ぶ、女性の心が踊る歌。景色が輝いて見える歌。
少女の姉は楽しそうに少女に微笑みかけながら歌い続けるだけ。
何も答えない姉を見て、きっと姉は恋をしていたのだと少女は思った。
場面は突如切り替わる。
悲しそうな顔をする姉。
姉は悲しそうな表情の中、瞳には決意を感じさせる強い力を感じさせており、少女は不安な気持ちでいっぱいになり話しかける。
「お姉さま、お姉さま、次はどちらに行かれるのですか」
イーリスは北、サンラインのある方向を指さした。そしてリーリエに何かを語りかけた。
「――との約束だから」
あの時何と姉は言ったのか。リーリエは夢の中でもどうしても思い出す事が出来なかった。
けれどリーリエは覚えている。あの悲しそうな表情を浮かべたイーリスは北へ向かい帰らぬ人となった。でもリーリエは姉が死んだという事を信じる事が出来なかった。
いつか、帰ってくるのではないか、そう信じて数年が過ぎた。
寒い、寒い冬の日に姉は帰ってきた。
おーい、おーい、雪だるまが動いているよ
おーい、おーい、何かソリをひいてるよ
あの日、そんな声で目覚めた朝に姉は帰ってきた。
カチコチになった大きな大きな雪だるまが、姉をソリでひいてやってきた。
姉は旅立った日の衣装で、姿で、少し微笑みをたたえ帰ってきた。
氷柱のような棺の中で微笑んでいる姉。命の鼓動は感じられなかった。
姉の安らかな寝顔を見た時、リーリエの中で感情が爆発した。
「お姉さまっ!!お姉さまっ!!!」
彼女が姉への想いを口にした瞬間、彼女自身が はっと 己の声で目を覚ました。
彼女は動けない。彼女は見知らぬ男の腕の中で己の身体を預け眠っていたのだから。
「え、え、え」
混乱した彼女は自分が今どんな状況に置かれているのかを半分程理解した。
「いやっ、止めて、はなしてぇっ!」
彼女は咄嗟にネロを離そうとする、当然ネロは 抵抗せずに 彼女を離す。
彼女はネロを押しのけ、勢い良く立ち上がり、己に温もりを与えていたマントに引っかかりその場で肩から転倒した。転げターバンが落ち、髪の毛がこぼれ、美しい金色の髪が露わになる。
砂の上に転がり、顔も髪も砂だらけにしながら呆然とする少女。
「お、目覚めたのか、昨日、自分がどのような状況だったか覚えているか?」
ネロは彼女の今の状況を無視し話しかけた。
少女は周りを見る。
今は恐らく、自分が倒れた日の翌日の朝、まだ寒い時間だから6時か7時。
少女はこの場所はベーモス半島の東西の道から少し入った場所だと思った。風よけ、灯りの場所を特定されないようになるであろう岩場、恐らく己と声をかけてきた男が夜を過ごしたであろう焚き火の跡があった。
今、ここに居るのは自分と、目の前の男。
自分が倒れたのは覚えている。水を飲まずに、ここが何処かは判らないが、ここまできたのだ。
そして、恐らくは……この男に捕らえられたのだ。そう判断した。
「感謝してほしいな」
「感謝?」
「ああ、君は道中倒れていたんだ。ここから少しの場所にだ。脱水症状になっていた。」
少女は警戒を崩さず、転んだ体制をたて直しながらネロの発言を聞いていた。
逃げるのは不可能だ。魔力が戻っていないし、精霊達も積極的に近づいてきたりしない。
まずは、この人の狙いを掴まなければ。リーリエはそう判断した。
「倒れている君を救い、水を与えた。夜は寒い、そして俺の防寒具はマントのみだ。だから君は俺のマントの中で寝ていた。」
少女だとは思っていたが、少女は……エルフ。エルフだ。
金色の髪、生気の戻った美しい瞳、長い睫毛、ほっそりとした体、長く細い四肢、そして美しい声。
少女は恐らくはエルマン族の娘であろう。思わぬ出会いにネロは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
リーリエはその笑みを見て口を出す。
「私を慰み者にするためにこのような場所に引き込んだのですか」
少女はさらに続けて話していたがネロにとってはどうでもよい事であった。善意での救助であったが、少女はそれを善意として感じ取れないのだ。
ネロは自分自身の異形の姿が彼女に警戒心を持たせているのかと一瞬考えたが、そうではないと先の言葉から考え直した。
慰み者と言った。彼女は知っているのだ。若い女が一人でいる場合の命の危険以外にも危害を加えられる恐ろしさを。
ティティリアから。
逃げてきた。
少女がひとりで。
着の身着のままで。
ネロにはこの少女がここまで逃げてきた経緯、そしてどの様な人物であるか人間であった頃の人間関係から予想がついた。
何故なら先ほど少女は姉への思いを口にしたからだ。しかし、彼女の口から話して貰わねば確証が持てなかった。
どうやって、彼女の警戒を解くか。ネロはどう会話を誘導すべきか。それを思案した。
思案した結果口を出た言葉が次の言葉であった。
「それはもう少し成長してから言うんだな」
ネロは少女の身体を一瞬だけ見てそう言った。ワザと彼女の身体に不満気があるように見て、彼女に気付かせるように言った。
「し、失礼な!!!」
少女は頬を赤く染め胸を隠す。少女が着ているのは奴隷商船にて渡された薄手の身体のラインが少し出てしまうような服である。
少女はターバンを被り麻のマントを羽織っており、女性らしさを隠せていたが、今それは両方とも無く、リーリエの美しい金の髪も整った顔立ちも線の細さもすべてが露わになっていた。
「わ、私も大人になればお姉さまの様に美しく女性らしくなるんです!」
「そんな事言って良いのか?」
少女のムキになった発言にネロはニヤリと笑いながら返した。素性の判らぬ男のいやらしい笑い方に少女は次の言葉が出なくなってしまった。
目の前の男。小柄で年齢は良くわからない。髪はほぼ色が抜けたような白銀の髪だが、肌には皺が見られない。暗い黒の瞳、血の気の無いまるで灰褐色の肌の男。
少女の今までの人生経験では男の民族的特徴も出身も判断がつかなかった。ただ、瞳は少女を哀れむような感じもなく、優しそうではあった。
「俺はティティリアに向かう道中、倒れているお前を見つけた。若い女が野垂れ死に、ここいらの屍食鳥共に食わせるのも勿体無いと思っただけだ」
そして俺の名前はネロだ。と自分の名前を名乗った。
「私の名前はリーリエ。バナソニル中央大陸北部、エールバーン王国の12氏族、エルマン族の長の孫娘、リーリエです。姉はエルマンの戦士イーリス」
少女は自分の所在を明らかにした。名乗られて名乗り返さないのはおかしいと少女自身が思っている事と、信用ならない男だがリーリエ自身一人では移動するにもどうしようもない場所にいるからであった。
ここはネロに”少女らしくお願いするしかない”と感じており、続けてそのお願いの言葉を口から発した。
「ティティリアに向かうとの事ですが、お願いです。私をティティリアではなく、ここから近くの街までで結構です。送って下さいませんか?」
当然ネロは何故?と少女に問いかける。
ネロはティティリアに向かう。余程の事がなければその予定を変える事はないだろう。
「私はティティリアから逃げ出してきたんです」
少女は答えた。全てネロの予想通りであった。そしてそれはネロの予定を変えるような事ではない。
「お前、ティティリアの奴隷市場から逃げ出してきたのか」
奴隷市場という言葉をネロが口にした瞬間、少女はすこし身体を震わせた。
少女は失言してしまったと思った。
自分が逃げ出したことを目の前の男に伝えるべきではなかったのだ。
少女はあえて考えていなかったのだが、商品も持たずティティリアへと向かう男がティティリアで何をするのか。
少し考えれば少女にも判る事だ。この男はティティリアへ奴隷を買いに行く。
道中、若い娘が倒れていれば、当然助ける事だろう。
助けて自分好みであれば、己のモノにしてたっぷりと楽しめば良い。
好みでなければティティリアに連れて行き、奴隷売りのギリアムに引渡しお礼を貰えば良い。
道中邪魔であれば、それこそ屍食鳥にでも食わせてやれば、男には証拠も残らない。
リーリエは他に言いようがないのか、今からでも取り繕う事は出来ぬか考えたがネロと名乗った男は
「お姉さんを助けたくないか?糞ったれのギリアムから、お前の大好きだった姉、イーリスをだ」
リーリエが思いもよらぬ事を口にした。
少しずつ話がまとまるようにしていきたいと思います。
どこかで過去の話を記述しなければいけないのでうまく纏めなければ