エルマンの戦士
悍ましき日の記憶です。
私は姉のお墓に花を飾りに向かいました。
先の戦争で行方不明になっていた姉の遺体。
やっと故郷に帰ってきた姉に、姉が好きだったエルハの森の花を見せてあげたくて、私は森の墓所へと向かっていました。
姉は誇り高きエルマンの戦士、イーリス。木々の精霊に愛され、弓に愛された戦士でした。
姉はサンラインで命を落とした後、その遺体は見つからなかったのですが、つい先日思わぬ形で姉は故郷へ戻ってきたのです。
森の奥、エルハの一番深い、一番大きな木の根本、小さな小さな滝の近く、涼しげな木陰に姉が好きだった可愛い花が朝日を浴びて咲く場所。
姉の亡骸は美しい氷の棺に納棺され、姉の周りは美しい虹色の氷花で飾られていました。
姉の顔は安らかで何かをやり遂げたかのように満ち足りた笑顔だったのです。
溶ける事の無い永年氷、枯れる事の無い花、いつまでも美しいお姉さまのように私も戦士になりたい。
そう、やっと故郷に帰ってきたお姉さまのお墓に花を飾りながら私は心に誓うのです。
「お姉さま、見ていてください。私はいつかお姉さまのような誇り高き戦士になります!」
ですが、現実は甘くありませんでした。
私は怯え、泣き、絶望し、震え、動く事ができませんでした。武器を手にすることも出来ませんでした。
森は焼け
家族は傷つき
今までの生活が壊されてゆく中
盟約を違い、森の結界を破った裏切り者の煽動より、オークの軍勢は森の里に溢れかえり、エルマンの民は抵抗する者は殺され、力の無い民は捕えられました。
私は、その時、とてもとても大きなオークに睨まれただけで動くことも出来ず、精霊を呼び出すことも出来なかったのです。
そして、私は、私達は、荷馬車に詰め込まれ森から、連れ出されたのです。
私はあの時、何を願ったでしょうか。
夢なら醒めてほしい
夢ならば、これが現実であってはいけない
夢であって……
少女はゆっくりと目を開ける。
初めて森の外に出され、最初の馬車では気持ち悪くて、恐ろしくて眠ることすらできなかったというのに、ついに、この檻の中で眠ってしまった。慣れとは恐ろしいと少女は思った。
ガタゴトと揺れていた馬車とは違う。
ここは船の下層、檻の中、手錠、足枷、少女と、もう数人の少女、女性達。
眠る前の最後の記憶。少女よりも年上の大人の女であろう……男たちに連れられて行った。
何をされているのかは数日前に、連れられて行った女性が順番にどんな目にあったか、ここにいる少女全員が理解してしまっていた。
少女ともう一人のヒューマンは「価値のある商品」だから手を出さないと言われていた。
たった今目を覚ました少女、「リーリエ」は自分がエルマン族だから価値があるという事を初めて知った。
エルマン族はエルフという種族に属していた。エルフ族という亜人種は、ヒューマンと呼ばれるこの世界で一般的な人種よりも長寿と言われる。
特に北方、エールバーン王国のエルフ、エルマン族に代表されるエルフの女性は肌が滑らかで白く美しく、整った顔立ちにエルマンのような睫、エルマンのような瞳と揶揄される程に女性達が憧れる目元が特徴で、その美しい瞳に魅了される大富豪、権力者、王族がこぞって我が妻、妾にしようとしていたのである。
ただ、エルマン族は気位が高いと言われており、所謂、閉鎖的な民族であり、街の人間に心を開かず、ひっそりと森の中の村で暮らす事が多かった。そのため、エルマン族の評判、特に美しさに関しては主にリーリエの姉イーリスを評して作られたものではあった。
とはいえ、リーリエに十分以上の価値をこの船の奴隷商の男たちは感じ取っていたのである。
「お前とこいつには手はださねぇ、価値が落ちたらオレ達が殺されちまうからな」
この奴隷船の船長がリーリエに向かい言い放ったその言葉よりも、その時の他の少女たちの目が怖くて、リーリエは眠る事が出来なかった。薄暗い闇の中で周りが全て敵のような気がしていたからである。
だが、リーリエがついに眠れたのはずっと傍にいてくれたもう一人の「価値のある商品」のおかげであった。
何とは言わず、お互いがお互いを守るため、交代で休もうとした結果、ようやく眠れる事が出来た。
ギィ、ギィと船体が軋む音だけが響く。
だれも喋らない。
リーリエの座る位置、檻の隙間から見知らぬ星座が見えた。
ここはエルハの森ではない……
一年を通じて見ることの出来る狩人座を見つけられれば、私はエルハの森に帰ることができるのにと少女は思った。
「昔なら」耳を疑ったのかもしれない。
ゴブリンは洗いざらいを魔族に伝えた。
何故、エルマン族の村を襲ったのか、クライアントの名前、オーク達の理由、そして裏切り者の名前――
ゴブリンは全てを語り終えたあと、お決まりの命乞いを始めた。
「命令されてやった事だ」
「エルマン族の抵抗に遭い、何人か殺してしまったが本意ではなかった」
「許してくれ、もうしない」
「ワシは一人も殺っていない」
お決まりの言い訳を聞きながら魔族は黒鎖をゴブリンの首に巻きつけた。
ゴブリンの顔が引き攣る。先程己の首よりはるかに太いオークの腕がこの鎖によって削り切断されたばかりなのだ。
「よく見ておけ」
そう言うと魔族はゴブリンを引き連れ眠っているオークの目の前に行く。
オークの頭を踏みつける。
オークの頭上に積層魔方陣が描かれ、魔方陣のラインがぼんやりと輝いたかと思うと、魔族はオークの頭から足を離し、ゴブリンの首根をつかみ、オークに向け自分の前に立たせた。
「見ておけ」
それだけを魔族はゴブリンに言うと
オークの頭がメリメリメリメリと音を立てる、魔術によって作られた何かによってオークの頭は押さえつけられているのだ。そしてその圧力によって耐えられなくなったオークの頭がひしゃげ
ぷしゃりと
叩き潰された。
ゴブリンは血飛沫の盾にされ、顔にオークの血が付いた。
鼻孔にオーク特有の獣の血の匂いが充満した。
「ひぃ!!ひぃっ!!!」
「お前も、ああなりたいか?」
「いえっ!いえっ!!許して下さい、お願いしますゆるしてぇ」
「 嫌 だ 」
そういうと、次の眠っているオークの所に向かい、同じ魔方陣でオークを叩き潰した。
「ひぃいいいいい!」
ぷしゃり
「ひぃいいいいいいいい!!」
ぷしゃり
「ひぃいいいいいいいいいいいい!!!!!」
ぷしゃりと次々とゴブリンの前でオーク達が殺されてゆく。
睡眠の魔術で、深い眠りのまま死ねるオーク達はまだ幸せなのかもしれない。
だが、それを目の当たりにするゴブリンはおびえるしかなかった。
何やら先ほどからオークの頭を叩き潰している魔方陣と同じものが自分の視界の上の方、頭上にほんのりと描かれているのだ。
いつ発動するのやら気が気でない。
「お前の頭上の魔方陣に気付いたか?」
ゴブリンは掻き消そうと手でパタパタともがいてはみたものの霧散したかと思うと、いつの間にか曇天になった時の雲のようにゴブリンの頭上を覆ってしまう。
「はっ、はいぃ、たすけ、たすけてください」
「嫌だが……そうだな、俺が今から言う事を、お前が出来たならコレで死なずに済むようにしてやろう」
「出来なかったら、その場でお前は死ぬ」
「は、ハヒぃ」
魔族が伝えた事は実にシンプルであった。
【ベチアーレの闇市に流された】エルマンの民を買い戻せ。解放しろ。
「お前たち、ゴブリンは守銭奴だが、命の為には金を湯水のように使うだろう?」
エルマンの民を買い戻す等不可能だ。数か国がひっくり返るような金額になるのだ。
つまり、ベチアーレの闇市を潰せと暗に言っており、ゴブリンは頷く事しか出来なかった。
そして、それは別のルートにはこの魔族が向かうということを示しているのだと理解した。
「そ、それではエルマンの民の解放が終わり次第、あ、貴方様に連絡いたします、ど、どうすれば宜しいのでしょうか、お名前をお教え頂ければ知り合いの魔族伝手にて報告致しますので」
「俺の名前か、こっちにいる魔族に言ってもな……そうだな、やはりネロ、ネロでいい」
「は、はいネロ様に必ず報告致しますので何卒こちらの解呪を」
「今すぐ発動してやろうか?」
「い、いえ、頑張ります……」
ゴブリンは解放されるとすぐさま駆け出した。先ほどまで仲間であったはずのオークの死体に躓き、転びながら必死に走った。すぐに逃げ出さないと殺される。
本来であれば情報と金を重んじるゴブリン族からすれば、魔族の目的の一つも聞いておくべきだったのだろうが、深入りするなと、詳しく聞くなと鼻がビンビンしていたので、ゴブリンの軍師は何も聞かずにベチアーレに向かい逃げた。
エールバーンの偵察隊がエルハの森に訪れた時には既にオークの賊一党は全て事切れていた。
抵抗の跡があったのは特別に体の大きいオーク一個体のみで
他のオーク数百体は抵抗する事もなくただオマケのように殺されていた。
「恐らくは、睡眠の魔法か何かを使い、殺したのですな」
「サンラインを抜けてきた魔族が?」
「恐らく……我々でここまでの範囲の睡眠魔術を使える者は世界にもおりません。」
いるとしても、エールバーンにはいないだろう、エールバーンは騎士国である。
エールバーンは魔術より剣術、戦術を重視しているため、絶対数も教育機関の数も少なかった。
「何故だ、先の戦争ではオーク共は魔族と共闘し我々を苦しめたというのに」
「あの時は同盟のようなものだったのでしょうが、今回はオークの独断だったのではないでしょうか?」
「そしてそれが魔族にとっては非常に不都合があるものだったと」
焼け残った家の中を捜索していた兵士が駆け寄ってくる。
「生存者いました!!!!」
「何っ!?エルマン族がいたか?」
「いえ……!近隣の駐在部隊の一人です、女性だったので助かった模様です」
「連れてこれるか?」
「はっ、暫く前まで同じ睡眠の魔術にて眠らされていたようです」
そういうと兵士は家の中から女性兵士を連れてくる。
女性兵士は駆け足でやってくると偵察隊の隊長に向かって、エールバーン王国軍隊式敬礼――右腕肘を真っ直ぐ前方に突出し右コブシを左鎖骨へ添える――を行う。
「自分はエルハの森近辺の街道守護担当のアダルジーザです!この度は……」
喋りかけた女兵士の言葉を遮り、偵察隊隊長は女兵士に問いかけた。
「いい、いい、早く話が聞きたい、兵士アダルジーザよ、まず、順序立てて君が捕えられるまでの事を話してくれ」
「はっ!では私はエルハの森の異変に気付いたのは……」
場面毎に本当ならちゃんと読める分量の文章を割り当てられたらいいのですが
説明不足にならず、かつ冗長しないように書きたいです・・・