ロキとメイドとさよならと
少年が攫って……もとい、連れてきた『野良メイド』は、気を失っているようでダラリと力無く少年の小脇に抱えられている。
少年が野良メイドに何をしたのか。碌な回答が帰ってこないような気がするので、ロキはその事を頭の隅に追いやり、少年が野良メイドを街道脇の芝生の上に寝かせている傍へと近づいた。
当然と言えば当然だが、野良メイドは女性の姿をしており、耳が隠れる位のブラウンの髪の、白と黒のテンプレートなメイド服を着た美人であった。しかし、ロキは何故だか『美人なのだが印象に残らない顔立ち』だと感じられた。その事を口にすると、少年は「なかなかに的を得た感想だね」と言い、ロキの方を向く。
「主人を持たない野良メイドは全員等しくこの姿なのさ。誰かと主従契約を結んでから初めて外見に個性が生まれるんだよ。ま、普通なら他の固体と区別をつける為だけのもの何だけど……。ま、それよりも早速契約だよ。彼女の額に手を置いてくれないかな」
気を失ったままで良いのか?とロキは少年に尋ねる。片方が気を失ったままでの契約の履行が常識的に考えて成立するとは思えなかったからだ。しかし返ってきた答えは要領を得ないもので、「普通はしないけど、君の場合はこの方が好ましい」といった回答であった。
考えても時間の無駄なので、ロキは少年の言われるままに野良メイドの傍らにしゃがみ込むと、恐る恐る右の掌で野良メイドの額をそっと触れた。
それと同時に、ロキの掌に少年も同じように掌を重ね、何やら早口で呪文のような言葉を呟いたのが聞こえた。その呟きは1秒にも満たない非常に短いものであり、当然ながらロキにはその意味が掴み取れなかった。
だが変化は即座に、かつ明確に表れた。
重なり合った二人の掌が僅かに光ったかと思うと、その光はまるで吸い込まれるかのように野良メイドの額からその体の中へと入っていく。
光が完全に野良メイドの体の中に吸い込まれて行くと、野良メイドの体が、まるで電流が流れたかのように大きく一回だけビクンと跳ねた。ロキは少年に手を掴まれながら、野良メイドからその手を離す。
そして、それと同時に野良メイドの今まで閉じられていた双瞼が勢い良くカッと見開かれる。その目に光はなく、視線も焦点が定まっておらず虚ろであった。
そんな野良メイドの様子に、ロキは本当に大丈夫なのか?と少年に視線をやる。
だが、その次の瞬間変化は起こった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」」
視線を外していたロキには、一瞬それが一体『何』が発した咆哮だったのか理解できなかった。ビリビリと空気が激しく振動しているのが伝わって来る。ハッと我に返ったロキは、視線を再び野良メイドへと戻す。
咆哮は止まない。そう、『彼女』から発せられているとはまるで信じがたい、耳を劈く獣のような咆哮だ。到底、その見た目からは想像も出来ない、大きい……と言う言葉だけでは形容出来ない、まさに絶叫と言うのがピッタリなその声は一度も途切れることなく、人の肺活量の限界など鼻で笑ってしまうような長い時間続いた。
その咆哮は時間にすれば1、2分程続いたのだろう。その終わりも実に突然であり、まるで電池の切れた玩具のように前触れもなくブツリとその咆哮は途切れ、野良メイドは再びその瞳を閉じる。
変化は直ぐに訪れた。
ロキと少年の見ている目の前で、野良メイドの姿が見る間に変わり始めたのだ。
髪の色が、まるで紙に墨汁が染み込んでいくかのように、ブラウンから見事な濡羽色へと変わり、耳に掛かる程度の長さだったのが、一瞬にして腰近くにまで伸びる。
髪だけではなく顔立ちや体の骨格まで、早送りのように見る間に変化していく。骨の軋む様な音は一切聞こえず、視覚的にはハッキリとした変化なのだが、聴覚的に言えば無音に近い。まるで粘土を弄っていく様な変化だと言えるだろう。
「野良メイドっていうのはこんな姿をしてるけど、本来の姿はスライムみたいな不定形生物なのさ。だからこそ、こんなにも容易く姿を変えることができる。ま、容易くって言っても基準の姿からは大きく変えられないし、今のこの変化も主従契約に伴った基準の変化によるものだから、自由自在に姿を変えられるわけじゃないんだけどね」
少年の話を心半分に聞きながら、ロキは目の前の野良メイドの変化に目を奪われていた。恐らく、前の世界にいた時には体験したことのない、あちらの世界の常識で考えれば『ありえない光景』だ。それは、先ほど体験した世界の創造というスケールの大きい体験よりもずっと現実味があり、ここに至ってロキはようやく、ここは自身が今までいた世界とは違う世界なのだと心の底から自覚し、実際に自分がここで生きていくことになるのだと理解したのであった。
やがて野良メイドの変化に終わりが見える。
体の変化の止まった野良メイドは、まるで何かに引っ張られるようにゆっくりとその体を起こし立ち上がる。
初め見たときよりも骨格が細くなり身長も高くなっていた。肌も色素が薄れ、濡羽色の髪と相まって実際よりも白く見える。
メイド服の方にも多少の変化が現われたようで、過剰な装飾は取り払われ機能性重視のデザインに変化し、スカートの裾も多少長くなっている。
「さあロキ。あとはご主人様である君が、彼女に名前を付ければ契約は完了だよ。彼女にとっても、そして君にとっても初めての『命名』だ。よ~っく考えて良い名前をつけてやりなよ!」
少年のその言葉に、ロキは自分が器を得た時の事を思い出した。『名』を持たぬ存在は非常に虚ろな存在である。『名』を得る前の自分もそうであった。ロキはその事を『自覚』出来るからこそ、目の前の彼女の存在に対してある種の同情の念を覚えた。
しかし、ロキは自身のネーミングセンスに自信があるわけでもなかった。名を付けるということは自分だけの問題ではない。名付けられる彼女にとっては一生の問題なのだ。それこそ、この世界では『命名』と言う言葉にその名の通りの意味がついて回る。いい加減な気持ちで名付けるには余りにも重いのだ。
ロキのそんな悩む姿に、少年はどこか安心したような満足したような、そんな表情を浮かべながら何も言わずにジッと見守る。
それと同時に自分の、ロキに対する役目も終わりを迎えたのだなと思い、一抹の寂しさを感じていた。元々、少年の役目は創世者の心に『名』を付けて、存在をこの世界に固定させることである。その後にどの程度のフォローを入れるのかは、完全に少年の気分次第である。
今回、少年は自分でも少し肩入れしすぎたかなと思っていた。久しぶりの話相手だったという事も確かにあった。
しかし少年は、それ以上にロキという存在の私欲の少なさに好意を抱いたのだ。
今までの創世者達は例外なく、器を得た途端に少なからず、自身に神のそれに近しい権限が与えられた事を知ると、真っ先にその心に支配欲が芽生えた。当然のことであろう。自我を持った者が相応の力を得れば、そういった感情を抱くのは自然の摂理と言っても過言ではない。少年にはそう言った心の有り様を読み取る能力があった。
だがロキは違った。これが、ロキという存在が元々持っていた性質なのかどうかは分からない。もしかして、空白の400幾年の間に心の有り様というものに変化が起こっただけののかもしれない。
それにしてもロキには私欲が少なかった。自分のために何かをしようというのが極めて少ないと言ってもいいのかもしれない。
その精神構造だけを見るのならば、今までの創世者の中で、人々の理想とする『神』という存在に一番近しいと思われる。
それだけに少年は、ロキの行く末を見守ることができないのを殊更に残念に思った。
創世者が生まれるということは、このマナーリアの中で世界が一つ消えたという事に他ならない。約半世紀ぶりに起きたこの出来事は、少なからずこのマナーリアに動乱を呼ぶ引き金の一つであることは間違いないであろう。
自分の仕事も、もしかしたらこれから忙しくなるのかもしれない。あまり望ましくないそんな未来を思い少年は、取り敢えず今だけは目の前のこの男の行く末を思った。
そんな少年の考えも知る由もなく、ロキは野良メイドの命名に頭を悩ませていた。辛うじて残っている前の世界の知識を総動員して考えているのだが、いざ名付けるとなると本当にこれでいいのだろうか?と尻込みしてしまうのだった。
ロキは視線を目の前の野良メイドに向ける。2本の足で立ってはいるものの、その瞳は眠っている様に閉じられている。
その姿はただ立っているだけなのに絵になり、ロキもただ純粋に綺麗だと感じた。
そうして悩んでいるうちに、ロキは難しいことを考えるのを止め、素直にそう感じたことを名にしようと決めた。
こちらの世界でそう呼ぶかは分からなかったが、あちらの世界で美しい女性の事を『名花』と呼称する事がある。
少々安直な気もしたが、目の前の野良メイドを差す言葉としては十分な言葉であるとロキは思った。
名が決まった事を少年に告げると、少年はロキに先程と同じように額に手を触れながら、その名を口にし野良メイドに命名することを宣言すればいい、と教えてくれた。
ロキは一歩彼女に近づくと、右の掌でソっと額へと触れる。触れた瞬間、その一瞬だけ彼女の額……いや、その空間が水面に波紋が広がったように波打つ。
大気が震え、触れた右の掌が不可思議な熱を帯びていくのを感じる。だが、ロキに驚きや焦りは無かった。それどころか、精神がまるで自分の物ではないと思える程に冷静になっていくのを感じた。
そして、ほぼ無意識のうちに言葉を口にした。
『創世者ロキの名のもとに命名する。『メイカ』の名を持って、此処に汝の存在が在る事を受け入れよう』
それが自身から出た言葉だと俄かに信じられなかった。こんな言い回しの言葉は聞いたこともなければ、言ったこともなかった。しかし、自分の口は淀みなく、呪文めいたその言葉を紡いだ。
その言葉に応えるように、野良メイド……いや『メイカ』がゆっくりとその瞳を開く。琥珀色をした切れ長の瞳は、その美しい容姿を一層に引き立たせるものであった。
『有り難き幸せ。私『メイカ』はこの身体が朽ち果てるその時まで、創世者・ロキ様にお仕え致します』
ロキの言葉に反応し、メイカはどこか機械を思わせる様な口調で答える。
その瞬間であった。メイカの背後、何もないはずの空間から、金属がぶつかり合うかのような甲高い音が聞こえたかと思うと、何かが砕け散る大きな音が辺りに響いた。
それと同時に、今まで光を反射しない何処か虚ろだったメイカの瞳にスっと光が差した。
何が起こったのかと少年の方を振り向くロキに、反対の方……つまりメイカの方からその解答が返って来た。
「……今のは恐らく、私と本体のリンクが切断されることによって生じたもので御座います」
体は多少ふらついてはいるが、先ほどの機械的な声とはうって変わり、抑揚のある人間らしい声でメイカは言った。
「私達『野良メイド』と呼ばれる種族は、元々精霊を人工的に生み出そうとした過程で誕生した種族であり、元々の精霊と同じく個にして全、全にして個という一つの存在なので御座います。
しかし本物の精霊とは違い、野良メイドは本体である1体と我々のような無数の枝葉という構成になってるので御座います。個性があるようで、その実、全ての情報がリンクされ本体へとフィードバックされるので御座います。
しかし、今回のように枝葉の中の1体が何かしらの存在に完全に支配されてしまうと、その影響が本体へと及んでしまわぬように蜥蜴の尻尾切りのように存在ごと切り離してしまうので御座います。
……まあ、簡潔に申し上げると、ただの末端の野良メイドに過ぎなかったのが、ご主人様に『命名』を受け、ご主人様の『ぱぅわー』を与えられた結果、『メイカ』という野良メイドとしての新たな本体と成り上がった次第で御座います」
ロキにはイマイチ理解ができなかったが、取り敢えず『メイドさんが仲間になった』程度に理解した。細かいことはメイカ自身が覚えていてくれれば、必要な時に教えてくれるだろうと思ったからである。
そう思ったところで、後ろから背中をポンポンと軽く叩かれる。振り向くと、そこには少しだけ寂しそうな顔をした少年がいた。
「ロキ、名残惜しいけども僕の役目はここで終わりだよ。野良メイドは世界中の仲間たちと情報を共有してたから、リンクが切断された今でもこの世界のことに関する十分な知識がある。今後のサポートは彼女に任せて、僕は次の創世者を待つことにするよ。……メイカと言ったね?ロキの事をよろしく頼むよ」
少年のその言葉に、「恐悦至極に御座います」とメイカは深々と丁寧に頭を下げる。メイカのその態度に、今更ながらにこの少年がこの世界においてかなり高位の存在であることが伺うことができた。
「ロキ、それじゃあ君に最後に『大きな目標』を与えよう。……何、やる事がなくなったら気まぐれに思い出して欲しいんだけどね、『この世界の中心を目指して』くれないかい? 簡単な話でもないけれども、寂しい思いをしている人がいるからね……」
少年は一瞬だけ遠い目をしたかと思うと、元の明るい顔に戻して笑った。
「……それじゃあねロキ! もう会うこともないだろうけど、またどこか遠い輪廻の先でまた会おうね!」
少年はロキの言葉を待つこともなく、まるで元々そこに居なかったかのように消えてしまった。ロキが、そう言えば名前すら聞いていなかったな、と寂しげに呟くと、メイカが
「あのお方は、この世界の始まりから存在すると言われる『命名の神・リィーン』様で御座います」
と教えてくれた。
なんでも、この世界で最も顔を名前を知られている神の一人なんだという。
リィーンはああ言ったものの、ロキはあれが今生の別れとは到底思えなかった。例え神であろうとも、死んでさえいなければ、二度と会えないなんてことは絶対にないはずだ。いつの日にか、それこそ遠い未来になるかもしれないが、今日出会い、そして別れた時の事を懐かしみ語れる時が来ると、ロキはそう心の中で思った。
次回から話が動いていく……といいなぁ。