ドリシィ・ドール(2)
さて‥‥。
若干疲れた口調で申し訳ないが、この辺で自己紹介と、訂正をひとつ、させて欲しいと思う。
俺は夢月。暦ノ上夢月。一ヶ月後、地球は北アジアエリアにある、私立星廻学園へ、補欠合格で入学予定だ。
おねーちゃんなどど、ふざけた呼び方をしたおっちゃん達がいたが、暦ノ上家長男の十五歳。『男子』だ。溌剌とした青春を送ってると云いたいところだが、今の状況に少々──正直相当ぐったりしてる。
この状況を説明するには、しかしまず、通常の俺の状況ってものを話さないといけないだろう。
繰り返すようだが長男である俺は、双子の妹•姫沙羅を筆頭に、次男夜宵、次女愛月、末っ子颯生、以上四人の面倒を、日々見る状況にある。
だって父親は、自称『気ままな宇宙探検家』で、ほとんど家にいないし、母親は、一家の家計を支えるべく、朝から晩まで働き続ける経済アドバイザー。俺が家のことをやらなくちゃ、どうにもならない状況なのだ。
ついでに、金のかかる私立校へ、俺と姫沙羅が同時入学というために訪れた経済的危機状況も、どうにかしなくてはならなかった。
俺は、「ワンピース一枚買ってやるから」という口説き文句で、家事の嫌いな姫沙羅に、家のことをなんとかまかせ、ニコニココスモ運送の、二ヶ月泊まり込みバイトにやってきた。
寂しくなった時は、これで連絡していい?という、姫沙羅の涙目にうっかり騙され、フォン@ピアスを左耳にぶらさげたままで。
するとまあ―――来るわ、来るわ。毎日、毎日。愚痴に、怒りに、不平不満。
俺が疲れて寝ていようとも、これから配達に出ようって時でも、ガンガン繋がって流れてきた。そしてこれが、バイト先のおっちゃん達に筒抜けという事態を引き起こしたのだ。
というのも、このフォン@ピアス、太陽系内でなら無料で使える、子供のおもちゃなのだ。おもちゃなんだから情報保護機能なんてついていない。その気になれば、誰でもこのピアスで交わされる会話を聞くことが出来るのだ。
ただ、そんなことよっぽど暇な奴じゃなきゃやらないだけで──いい年した大人が、見知らぬ子供の、他愛ない遊びに聞き耳立てるようなもんだ──でも、いたんだな。そんな暇な人間が、この船の中に。
俺のバイト先、ニコニココスモ運送は、太陽系内専門の配達業者である。太陽系には、荷物受け渡し専用ポートがいくつかあって、そこをぐるぐる回りながら仕事をしている。
お客さんには、ポート到着時間を前もって知らせてあり、でも互いの船を接舷して荷物を渡すというのは、大きな船同士、なかなか面倒なことなので、俺のようなバイク小僧が登場する。
それこそ子供のおもちゃみたいなプチバイクのケツに、荷物を詰め込んだバルーンの紐をいくつもくくりつけ、お客さんの船へと向かう。で、「ちわーす! ニコニココスモ運送です。ハンコお願いしまーす!」と、やるわけだ。
難しい仕事じゃないけど、俺にとっては初めてのバイト。それなりに緊張して仕事をしてる。が、航海士のおっちゃん達にとっては、この上なく暇な仕事なのだ。
おっちゃん達はもともとは遠距離航海航路をバリバリ渡ってきた人達で、そろそろ年だとか、家庭の事情だとかで、この仕事についている。おっちゃん達にとって、太陽系なんざ、研修時代に散々渡った、自分の庭みたいなものなのだ。目をつぶっても渡れると豪語し、それだけに今の仕事が暇で仕方ない。
あまりに暇で、船の回線にたまたま引っかかった、暦ノ上兄弟の会話を盗み聞きしたのだ。そしてその会話の何が面白かったのか、俺達の会話は、ヒットチューンよろしく、船内中に流れることとなり、俺の呼び名は『夢月おねーちゃん』になった。
ホント、自分で云うのもイヤなんだが、俺は母親そっくりの女顔で、体のつくりも割と華奢で、ぱっと見、女に見えないこともないらしいのだ(じっくり見ても、結構女に見えると云った親友の言葉はこの際、葬りさることにする)。
それに、長男ゆえの面倒見の良さが加わって、出来た呼び名が『夢月おねーちゃん』。この呼び方をすると俺が激怒するのがまた面白いと、おっちゃん達のからかいは、日々エスカレートする。
‥‥この状況でぐったりしない奴がいたら、教えて欲しいもんだっ!
✩
しかしまあ、おっちゃん達が暇だ暇だっていう気持ちも分からないでもないんだよなー。ポテポテポテポテ──と、至極呑気な速さでプチバイクを操縦しつつ、俺は思った。
太陽系外への惑星移住が当たり前になって五百年。その間に、太陽系は、浪漫というものを失ってしまった。人の手が物凄く入り、便利なのは認めるが、星の個性というものがまるでない。
水星に修学旅行へ行った時なんて、冷暖房完備のドームに、地球で日参しているスーパーと、レジの配置ひとつ違わぬスーパーが入っていた。特売ののぼりを見つけた時は、夕飯の買い物をしそうになったくらいだ。
おっちゃん達の中には、前人未到の宇宙航路を切り拓いてきた人だっている。彼等にとって、今の太陽系ほど退屈な場所はないだろう。俺だって、星の海を渡る航海士に憧れる男だ。本当の海に行きてえなぁと呟くおっちゃんに、胸がきゅんとしないわけじゃない(ときめいてるわけじゃない)。
「えーと、今日、最後の配達先は──ああ、あれか。あれ‥‥あ、あれかぁ?」
メットの中で、思わず間抜けな声を上げてしまった。だってまあ、これまた、こんな場所に相応しくない、豪華な客船がゆったりと、ポートに停泊していたのだ。
それは、柔らかなシルエットの美しい帆船だった。薔薇色の帆を優雅に張って、船首では航海の女神リュゼの像が、しなやかに背中を反らしていた。おそらくは、超金持ち相手の、超大型客船だ。
しかし、これだけゴージャスな船が、どうして太陽系なんかにいるんだろう。前述の理由で、太陽系は観光するのに一番面白くないと云われている。他の星系から観光客が来ることはまずないのだ(経済の中心ではあるので、人はたくさん来るけどね)。
チラッと見えたエンジンの形からして、地球製の船だと思うんだけど、遠くから帰ってきたところかな。それにしても、わざわざここで、地球からの荷物を受け取る理由が分からない。地球なんて、目と鼻の先だぜ? 金持ちの行動って、わっかんねえなあ。
ま、苦学生は仕事だ、仕事。
「ちわーっす。ニコニココスモ運送でーす。搬入用扉、オープン願いまーす」
あらかじめ受け取っていた通信番号を入力し、声をかける。と、
「あああ、はい、はいっ! むつきさ‥‥いえ、ニニニココスモ運送さんですね!」
えらくテンパった声が聞こえてきた。気のせいだろうか、十代みたいな声をしている。これだけ大きな船なら、搬入担当の係員がいてもおかしくないのに。俺みたいなバイトかな。そんな若いバイトを使う船には見えないんだけど。
それに。
今、俺の名前を口にしかけた──ように聞こえたのも、気のせいだろうか?
「今、開けますねっ!」
そんな勢い込んで云わなくてもと思った俺の目の前で、搬入用扉がメキメキと変形した。それはあっという間に、ショベルカーのアームのようになり、更に先端から、巨大な象牙色の、美しい手が静々と現れた。
「な‥‥なんだあ? いや、ちょっと待って‥‥」
その象牙色の手が、ぐわっと開いて俺に向かってきた。クレーンゲームの人形になった気持ちだ。あのゲームって、二十世からあるらしいけど、みんな好きだよなあ──なんて、暢気なこと考えている場合か! 茫然としてないで、逃げろ、俺!
が、時すでに遅し。
「うおおおおお!」
絶叫する俺を、象牙色の手は上品につまみ、かくも優雅な帆船の中へ、バイクごと連れ去っていった。
ドリシィドール(3)へ続く