ドリシィ・ドール(13)
とは、云ったものの。
俺、一人では、バイクのある倉庫まで一人で歩けないんだよな。
いつどこでトラップが起動するか分からないし、それを解除するためのツールを、俺は持っていないんだから。
──なんでこんな風になっちまったんだろうなあ。
厨房を出たはいいものの、そこから一歩も動けずに、俺は扉の横に座り込んだ。廊下の向こうからは、他の客の華やかな笑い声が、微かに流れてくる。
なんでこんな風になっちまったんだろうな。
間違ったことは云っていない。でも、カッとした気持ちは、座り込んだ瞬間、すっと収まって、そうすると込み上げるのはどうしたって──後悔。
俺は間違っていない。一言一句訂正するつもりはない。だけどなんか、大事なことを、見落としてる気がして仕方ない。
ドリシィは、ずっとぐずっていた。なぜぐずるのか、そのわけを少しでも察してやれたなら、違う結末になったんじゃないか‥‥。
と、厨房の扉がすっと開いた。ミューゼルがするりと廊下へ出て来た。
「‥‥なんだよ」
ミューゼルは何も云わず、俺の前を行ったり来たりしていた。
「云いたいことあるなら、云えよ。ドリシィを泣かすな、とか」
「‥‥お前は間違ってない」
ミューゼルはボソッと云った。そしてまたウロウロ、俺の前を行ったり来たりする。
「あのなあ、ミューゼル。云いたいことがあるなら、ハッキリさ」
「──ドリシィがこの船に戻ったのは、二年前だ」
ミューゼルは、唐突に話を始めた。
「月にある学校へ、通っていたんだがな。ドリシィ曰く、『堅苦しくて意地悪で大嫌い』で、ある日突然やめてしまった。入っていた寮を出て、この船に戻ってきたんだ」
「船に? 家に、じゃなくて?」
「ドリシィは、この船で生まれ育った。ドリシィの母親は、その──物凄く仕事の忙しい人で。この船で仕事をすることが、ドリシィと一緒にいられる、唯一の手段だったんだ」
「お父さんは──」
「ドリシィは会ったことがない」
「そうか‥‥」
「母親は色々苦労した人でね。働いて家族の面倒を見ながら、研究──仕事をしてきた人なんだ。娘には、お金の苦労だけはさせたくかったんだろう。その時持っていた資産を全部注ぎ込んでね、この船を作った。多分、自分が手に入れられなかった憧れも形にしたんだろう。女の子なら一度は夢見るような、クラシックで贅沢な客船を創り上げた。‥‥でもな」
ミューゼルは少し黙り込んでから、続けた。
「それは、ドリシィから、『夢見る自由』を奪ってしまった。だってドリシィは、何も欲しがる必要がない。どんなに一人でさみしくても、何かを夢見て孤独を紛らわす、そんなことが出来なかった。
そう──結局船の中でも、ドリシィの母親は忙しかった。ドリシィはいつも、船にいる他の──なんていうか、大人達と過ごすことが多かった。でもそれは、ドリシィの孤独を埋めてはくれない。彼等は優しくて綺麗だけど、幼いドリシィのさみしさを理解することは出来なかった。
母親は意を決して、ドリシィを月の学校へ入れた。娘に必要なものは贅沢な船じゃない、同じ年頃の友達だと思ってね。けれど、さっきも云った通り、ドリシィは学校に馴染めなかった。理由はなんとなくわかるだろうが」
「まあ‥‥かなり浮世離れしてるもんな。人と違うって、女の子の間では、なかなか受け入れられないみたいだし」
「だがドリシィが戻って来た時、母親は船を出るところだった。二年の期限で、アクセンタ星系から仕事を依頼されてね。戻って来たドリシィを見て、母親は行くのをためらった。でもドリシィは、行ってらっしゃいと云った。二年くらい、一人で待てるから大丈夫とね。
もちろん、本当は大丈夫じゃなかった。でもドリシィは、母親の仕事の邪魔をしてはいけないと思った。母親の仕事は大事なものだと理解していたし、母親が働いてくれるおかげで贅沢な暮らしが出来るのも理解していたから。理解は、ね」
ふーっと、もしも人間なら煙草と共に吐き出すような溜息を、ミューゼルはついた。
俺は呟いた。
「だけどさみしい、どうしようもなくさみしんだ‥‥」
「夢月?」
「うちの兄弟がね。父親が仕事に行く時、そんな顔をする。忙しくて、あんまり家にいない人だからね。本当はもっとそばにいて欲しいんだ。でも我慢する。俺、あの顔見るのが、心底苦手で──俺の服の裾掴むドリシィの手、ほどけなかった」
「初めてだったんだよ。ドリシィが誰かに『行かないで』って意志表示するのは」
「‥‥」
「ましてや、その意志が受け入れられるとは、想像もしていなかった。だけど、夢月は残ってくれた。面倒見が良くて、綺麗で、ハキハキしてて、こんな姉がいたらどんなにいいだろうと、ドリシィに熱望させた夢月が。
何でも持っているドリシィが唯一欲しいと願った、家族との時間。夢月がドリシィにあげたのは、それだ。些細なことがおかしくて、つまらないことで拗ねてみせ、わがままは遠慮なく口にして、時には素直に泣きじゃくる。まあ、夢月は大変だったろうがな。俺は、こんなに感情豊かなドリシィを見るのは初めてだと思ったよ。
俺はドリシィを、生まれた時から知っている。出来る限り見守っているつもりだったけど──本当に見ているだけで、何もしてやれてなかったんだと。お前が来てから分かったよ」
「そんなことないって」
責任感の強いアニマロイドの頭を、そっと撫でてやった。
この頭の中のメモリには、生まれてから今までのドリシィの記録がすべて入っているんだろう。ドリシィを見守る、というプログラムと共に。
そう思うと、なんだか健気で、撫でてやらずにいられない。
「あと48Hだけ、付き合ってやってくれないか」
ミューゼルは云った。
「明日は、ドリシィの誕生日なんだ。月から戻って、この船で誕生日を迎えるのは、三回目だ。今までの二回は、ひとりぼっちで誕生日を祝ってきた。二年で帰ると云った母親は、いつ帰れるのか──今では分からない。明日だけは、ドリシィを一人にしないでやってくれないか」
俺は思わず立ち上がった。
「誕生日なんて、そんなこと俺、一言も聞いてない」
「‥‥誕生日の話はしたくなかったんだろ」
「どうして。云ってくれたら、ご馳走だって、ケーキだって、色々準備してあげるのに」
「そしてパーティが終われば、一人に戻る」
ミューゼルの返事に、返す言葉が見つからなかった。
「だって‥‥学校があるから‥‥滞在を伸ばすことは出来ないし‥‥」
「そんなことは、ドリシィだって分かっている。でも、誕生日をお祝いしてもらって、幸せの絶頂で──目覚めればまた一人、なんて。嫌だったんだろ、そんなのは」
「‥‥わかんねえよ」
俺は、うめいた。だって、俺は違うんだ。だから分からない、ドリシィのさみしさが。
誕生日は、特別で楽しくて、大騒ぎするもの。翌日は、やかましいけどさみしくない、いつもの暦ノ上家の生活に戻るもの。それが俺の当たり前で。でもドリシィは──
「ドリシィ!」
俺は厨房の扉を開けようとした。が、開かない。もう一度名前を呼んで、扉を叩いた。扉はびくともしない。後悔が、胸いっぱいに押し寄せた。
どうして気付かなかったんだろう。この船で過ごす時間が、終わってしまうことに。それはドリシィにとって、孤独に帰るということだと。帰りたくないと、言葉に出来ずに訴えていたんだと。
──夢月さん、ピクニックの時に食べた卵焼きの作り方、教えて下さい。
ドリシィは甘えるように頼んだ。
──塩おにぎり、甘い卵焼き、夢月さん自慢の鷄の唐揚げ。バスケットに詰めて、またピクニック、したいんです。
俺はいなくなる。だからドリシィは、自分で作るしかない。シェフにレシピを渡して作ってもらうんじゃない。自分で、作りたかったんだ。楽しかった思い出を辿るために。
──夢月さん。今日は、鷄の唐揚げを教えて下さい。ピクニックの時に食べたのと、同じもの。
そう云った時の、ドリシィの思い詰めた瞳に、どうして気付かなかった。
‥‥なあ、ドリシィ。どうするつもりだった?
バスケットにご馳走詰めて。黒いリボンをくるりと巻いたストローハット、被って。一人で、甲板で、宇宙を見上げて。流れる星に、何を願うつもりだった?
「ドリシィ!」
「ごめんな‥‥さい」
厨房の扉がスーッと開いて、ドリシィが現れた。涙で顔はぐしゃぐしゃだった。
「いただきますのお話‥‥夢月さんが月薫さんに教えてもらった‥‥大切なお話だって、分かっていたのに。夢月さんがせっかく教えてくれたのに‥‥ひどいことして、ごめんさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ‥‥」
しゃくりをあげるドリシィを、力いっぱい抱きしめた。
小さい頃、食べ物で遊んでしまった俺を、月薫さんはひどく叱った。そして、いただきますの話を教えてくれた。
俺がわんわん泣いて謝ると、鬼のような顔をしていた月薫さんは、ようやくいつもの月薫さんに戻って、俺をしっかりと抱きしめてくれた。お洒落な月薫さんが好んで着ていた、カシミアのセーターの柔らかさを、今も良く覚えている。
それは、幸せな記憶。
その記憶を少しでも、ドリシィに分けてあげたくて、俺はドリシィを抱きしめた。
「夢月さーん‥‥」
ドリシィが俺の胸で泣いた。俺が着ているのは、安物のコットンシャツだけど。クタクタになったその生地の感触が、ドリシィにとって忘れられないものになりますように。
──自分は誰かに、ちゃんと愛されている。独りじゃない。
そのことを、いつだって、自在に思い出すための記憶になりますように。
ドリシィドール(14)へ続く




