婚約継続は構いませんが、今さら私を信じると言われても誓いの制約がありますので、もう遅いです
私、マリサ・キリサキは自分では普通の子爵令嬢だと思っている。
貴族学園に通い、幼い頃から婚約者である侯爵家子息のデイビット様を支えてきた。
私はどうやら人に気を使ってしまう性格らしい。いま、生徒会室で作業をしているけど、みんなの動きを見て、勝手に気を使ってしまう。
それが私の当たり前だった。
婚約者を支えること。人前で恥をかかせないこと。困る前に全部終わらせておくこと。
私が先に気づいて、私が先に動くこと。
それが私の役目だと思っていたし、子爵令嬢として当然のことだとも思っていた。
デイビット様は優秀な方だ。
容姿が整っており、成績もよくて、生徒会長としても信頼されている。だから、学園の中で彼を慕う人は多かった。
……正直、私はデイビット様のことが苦手だった。正義感が強い、そう言ってしまえば聞こえはいいけど……、独善的であり……、可愛らしい女の子が好きな人だった。
放課後の生徒会室。
「マリサ、悪いけどこれ作っておいてほしい。……ほら、君が作ると反応がいいんだよ」
悪びれもせず、私に書類を渡してくるデイビット様。……その瞳には、私に対する『愛情』というものは感じられなかった。なんというか……ただの都合の良い便利な婚約者、そうとしか見られていない。
多分、間違っていない。だって……私はいままで、三回、デイビット様の『浮気』を許してきた。
『ごめん、どうしても好きな人ができたんだ!』
『俺が間違っていた。真実の愛なんてなかった!』
『許してくれ! 俺はマリサだけを愛している』
言葉が軽い。信用は地の底まで落ちていた。けれど……、家の繁栄のためにデイビット様との婚約は必要だった。
私はデイビット様に愛されたいわけじゃなかった。
ただ、婚約者として最低限、信じてもらいたかっただけだ。
「……はぁ」
私はため息を吐きながら、書類をチェックする。
創立祭の招待客の並び。開会式の挨拶の言葉選び。どの家のご令嬢同士を隣にしない方がいいか。誰に先に挨拶すれば角が立たないか。演出の魔道具の手配。各部活、委員会の最終チェック。外部の貴族の防犯対策。
生徒会長デイビット。でもその彼の仕事をするのはいつも私だった。
「……書類、こちらで用意してあります。これを使ってください」
「助かるよ〜。やっぱり君がいると違うな! ははっ、流石、俺の婚約者だね」
その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。
嬉しい、という感情は皆無だった。ただ、単純に『生徒会』のために役に立てた、と思った。
今はそれでよかったのだと思う。でも、これから先、私はデイビット様と結婚したら……、そう思うと、なんだか胸がモヤモヤする。
生徒会の委員たちのざわめきが聞こえてきた。
「さすがマリサ様ですわ。デイビット様の婚約者に相応しい方ですもの」
「ふふ、慈愛のマリサ様ですわ。もう尊敬の的です」
「イケメンのデイビット様とお似合いですわ」
私は微笑んだ。社交辞令でも微笑みは大事だ。心を隠す。この貴族社会では重要なスキル。
……本当なら、私は好きな魔道具をずっといじっていたいのに……。
それに、この子たちは私を褒めているわけじゃない。
あの言葉は、私個人に向けられたものではなく、デイビット様が婚約者の選択を間違っていないという、デイビット様を遠回しに褒めているんだ。
だって、陰で言っていたのを聞いたから知っているの。
「……ちょっと、私は先に帰りますね」
「ああ、俺はもう少し残るよ」
……この時間だと、妹のフィオナが美術部で絵を描いている。きっとそちらに行くんだろう。私はまたため息を吐いた……。
***
その日の帰り、私は創立祭の装花の確認のため温室へ向かった。様々な魔道具の力によって、元気の良い花々が咲き乱れる温室。私が学園で一番好きな場所なんだ。
ふと、温室の花を見ていたら、妹のフィオナがキャンバスを持って温室をウロウロしていた。
「フィオナ? どうしてここにいるの? 美術室じゃなかったの?」
フィオナは薔薇の花に手を伸ばしながら、振り向いて笑った。その微笑みは自分に絶対的な自信を持っており、計算された笑顔だった。
「だって、ここのお花綺麗でしょ? わたし、描きたかったんだ。ねえ、なんでお姉様がそれを咎めるの?」
私は少しだけ眉を寄せた。
フィオナは体が弱い。無理して歩き回ると体調が悪くなる。……でも、それが本当かどうか、わからないんだ。だって、医者は身体が正常だって言ってるけど……、フィオナは苦しいといって……。
「だめよ。今日は冷えるわ。戻りましょう」
「これくらい平気よ」
「平気ではありません。顔色もよくないわ」
私がそう言うと、フィオナは不満そうに唇を尖らせた。
「……あ〜あ、あんなに素敵な婚約者様がいるのに。お姉様はつまらない令嬢ですわね」
フィオナの顔は笑っていない。でも、目が笑っている。
気がついたら、私は手に力を込めていた。……我慢しないと。私はお姉ちゃんなんだから。
妹は、まだ……子どもなんだから……。
「お姉様は本当にわがままで意地悪ですわ。ここはみんなが心を休める場所です。なのに、私を追い出そうとして……私のことがお嫌いなんですか?」
「何を言っているの。そうではないわ。あなたの身体が――」
私が喋ろうとしてもフィオナが言葉を被せてくる。まただ、イライラを深呼吸して鎮める……。
「だって最近もそうですもの。デイビット様とお話ししていても、すぐに私を帰らせようとなさる」
私は唇を噛んだ。私は妹を信じている。デイビット様も……ちゃんと謝って過去を清算してくれた。
だから、私はまだ――
「それは、あなたの体調を気にして――」
そこまで言った時だった。
フィオナが一歩下がった。床が少し湿っていたせいか、足元がもつれたのだと思う。
「きゃっ……!」
「フィオナ! 危ない!」
フィオナの身体がぐらつく。薔薇の支柱に手首をぶつけた。地面に頭から倒れそうになったけど、私は身体を支えた。そのまま崩れ落ちて、私は自分の手で、フィオナの頭を庇った。
「……っ」
左手に激痛が走った。フィオナは? ……不思議そうな顔で私を見つめていた。なんで、自分を庇っているの? と言いたそうな顔だった。
その時だった。
「フィオナ!」
温室の入口から声がした。
デイビット様だった。何人かの級友も一緒だった。
泣きそうなフィオナ。赤くなった手首と泥だらけの制服。
ざわつくデイビット様の取り巻きたち。
「まさか……マリサ様が?」
「フィオナ様、大丈夫ですの?」
「もしかして、嫉妬……」
私は何か言うべきだった。違う、何もしていない! 勝手に転んで私が助けただけって。
「まさか、聡明な君がこんないじめをしているとは思わなかったよ。……俺は君を愛してはいないが、愛そうと努力をしていた。……でもさ……いくらなんでもフィオナに当たるのは違うだろ? それは正義じゃない」
今すぐ否定の言葉を言うべきだった。
でも、言葉が出なかった。
フィオナは涙を浮かべていた。そして、デイビット様がフィオナを抱きしめて、慰めていた。
身体の隙間からフィオナと目が合った。胡乱な瞳だった。困惑、迷い、ためらい……いろんな感情が入り混じっていた。
だから、余計につらかった。
……私は深呼吸をして、この場の説明をしようとした。じゃないと、取り返しのつかないことになる。――私の心が。
「デイビット様。まずこの状況を説――」
「言い訳は必要ない。今はフィオナを休ませるのが先だ。言い訳は後で聞く。どけ」
口の中で血の味がした。知らぬ間に歯を強く噛み締めていたんだ。
デイビットの言葉で、私はわかった。
この人は私を信じてもくれないのだ。私は、三度裏切られても、なんとか信じようと努力したのに――
その瞬間、身体の温度が下がった。見える景色が変わった。悲しみが全身を襲う。それは内部まで染み込み……心の中を壊そうとする。
愛情なんていらなかった。妹が好きでもどうでも良かった。
たった一言でよかった。
君を信じる。
その一言だけが欲しかったの。
「あ、あの違うの、わ、私――」
「フィオナ、君は身体が弱い。すぐに医務室へ行って回復魔法をかけてもらう。さあ」
と言って、デイビット様はフィオナをお姫様抱っこで抱え、校舎へと向かった。
私は温室で一人取り残された。
なんだろう、寂しいっていう気持ちは一切無かった。ただ、人はわかりあえないんだっていうことが、身体の芯から理解できた。
多分、この時だと思う。私の心の奥底に『氷』が出来たのは。
私は、制服についた泥を払い、帰路につくのであった。
手が痛い…、でも心はもう痛くなかった。
***
「こ、婚約破棄でございますか……?」
父が汗を拭きながら、デイビット様と向かい合っていた。
その日のうちに、両家を交えた話し合いの場が設けられた。端的に言うと、デイビット様はもう私を婚約者にしたくない。フィオナとなら婚約できる、と。
そして、両親も私も反対はしなかった。父は安堵のため息を吐いてデイビット様と話を続ける。
一つ、問題があった。創立祭は目前だった。
開会式の並びも、夜会も、婚約者同伴を前提に組まれている。今ここで婚約を解消すれば、余計な混乱が起こる。
噂も広がるし、学園としても困る。
「創立祭までは、今まで通り婚約者として振る舞ってほしい」
そう言ったのはデイビット様だった。
「構いません」
私がそう答えると、場の空気が少しだけ緩んだ。でも、私は続けた。
「ただし、条件がございます」
「条件?」
「創立祭が終わるまでは婚約者として必要最低限の体裁を守ります。ですが、婚約破棄は今、この場で受け取ったものとして、今後は私的なお付き合いは一切いたしません。生徒会の裏方も、これまで私がしていた調整も、今後はいたしません」
「マリサ、それは――」
「いいえ、あなたは私のことを信用していません。先ほど、温室で起こった事件の仔細を客観的に話しても、状況証拠と、フィオナの話を信じました。ですので、もう結構です」
「だ、だが、それとこれとは……。くっ、フィオナは怪我のショックで頭が混乱しているんだ! だが、状況証拠があるんだ。嫉妬した君がフィオナに暴力を振るったに決まっている」
決めつけは行き過ぎた正義だ。この帝都でも冤罪が様々な場所で起こり得る。
「……では、体裁も気にせず、いまこの場で婚約破棄を発表しましょう」
「い、いや、それは……くっ、仕方ない。別に君がいなくても問題ない」
「創立祭の夜が終わった時点で、私たちはもうこれ以上関わり合いません」
「わかったわかった」
デイビット様の面倒臭そうな返事。顔をキョロキョロさせている。この場にいないフィオナを探しているみたいだ。
もうこの会談に飽きてしまったんだ。
「それから」
もう一つだけ、言っておきたいことがあった。私は、学園から持ってきた魔道具をテーブルに広げる。
「……誓いの制約?」
「はい、婚約破棄の制約、私的な付き合いの終了、そして、結果を覆さないことへの制約です。この魔道具で制約をしてもよろしいですか? よろしいならここにサインを」
デイビット様はめんどくさそうに誓いの制約をちらっと見てサインをした。文字なんて全然見ていなかった。
「それではこれで話し合いは終わります」
私は息を吸って、はっきり告げた。
「今後は何があっても、弁明はいたしません」
あの場で信じてもらえなかった時点で、もう遅かった。
今さら何を説明しても、失ったものは戻らないからだ。
***
人は、失ってから気づくことがある。
私はそれをどこか他人事のように思っていた。
学園の教室、デイビットが慌ただしく生徒たちとやり取りを行っていた。
「くっ、なぜこんなに忙しいんだ……。すまない、マリサ、生徒会の仕事が終わらん。手伝ってくれ」
「大変申し訳ございません。私はもう生徒会の人間ではございません」
「しかし――」
「誓いの制約があります」
1週間前とは態度が大違いだった。あの制約の後、デイビットは自信満々の態度だった。
『婚約者の一人がいなくて特に何か変わることはない。ふっ、優秀な俺なら何でもできる』
デイビット様は本当にわかっていなかった。私はデイビット様の生徒会だけではなく、私生活、貴族同士の付き合い諸々、彼が生活しやすいように気を使っていたんだ。
それでも私は約束通り、手を引いた。
彼の私生活の世話も、公的にも、生徒会の準備も、招待客への配慮も、創立祭に必要な細かな調整も、もう自分からはしない。
生徒会所属の生徒が昼休みにまで押しかけてくる。私の方をちらりと見ているけど、話しかけてこようとはしなかった。
「デイビット様、来賓の貴族たちへの手紙の送付が遅れてます! あの、書面はこれでいいですか……?」
「飲食系を行う仮設店舗の保健所への届け出ができていません! あ、あの、申請はどうすればいいですか?」
「模擬ダンジョンの解放って、設定レベルとかはどうすればいいんですか?」
「何をしていいか分かりません……。指示を、指示をお願いします!」
私は席を立つ。あまり聞きたくない話だった。私的な関わりはしない。それよりも、私は行きたいところがあった。
魔道具研究部だ。
本当はずっとこの部活に入りたかった。でも、いままでは生徒会の世話があり無理だった。……しかも、私、生徒会の役員でもなかったし。デイビット様が手伝えっていって、そのままなす崩しに……。
「去年はどうしていたんだ!」
苛立ちを抑えているのがわかる声だった。
「去年はラインハルト様が全部一人で……資料はありません! こ、今年は、外部のマリサ様が……」
一瞬、教室が静かになった。生徒たちの視線が私に集まった。
私は知っている。今まで誰も私を見ていなかったのだ。ただ、デイビット様のよこにいる便利な令嬢と思われていただけ。
私が今までずっと何をしていたのかも、誰も知らない。
私は教室を出た。
「てっきりデイビット様なら全部把握していると思っていて……」
背中から聞こえてきた声。
「う、うるさい! 俺だって忙しいんだ! 各自判断して今日中に終わらせろ。俺はフィオナを迎えに行かなきゃならないんだ」
廊下を歩きながら胸に手を当てる。心は何も動かない。あの日、私の心は死んでしまった。
人は変わらない。人は変われない。
ううん、私はこれから変わろう。たとえ、心が死んだとしても、やりたいことをして人生を楽しむんだ。
***
「ここが……魔道具研究部」
デイビット様とは、創立祭まで婚約者の役割を事務的にこなせばいい。
直近の数件の夜会、それに大貴族との昼食会、最後に創立祭の夜会だ。その時だけ、私は婚約者として振る舞う。
今までデイビット様のために使っていた時間が、少しだけ自分のものとして残る。
私は魔道具研究部の部室前に立っていた。小さな部室からなにやら異様な魔力を感じる。
ノックをしても返事がない。私はもう一度だけノックをして扉を開けた。
「わっ!?」
一人の男子生徒が何やら魔法を使って、人形の魔道具を抑えていた。緊迫した空気だった。
「き、君、悪いが……、手伝ってくれないか? ……自立型魔導人形13号が暴走して……、もう限界が……」
これが私と、魔道具研究部部長ユウト・アルバトロス様との出会いだった――
ユウト様は少し変わったお人だった。魔道具をこよなく愛し、人には興味を一切持たなかった。
デイビット様の婚約者である私は、学園でもある程度の認知度があると思っていたけど……。
『助けてくれてありがとう。俺はユウト。君の名は? そうかっ、魔道具が好きなんですね』
私は、久しぶりに子どもの頃みたいに、自分を知らなくて、何もしがらみがない人と出会った。
そして、私は魔道具研究部に所属することとなった。若干、数名の弱小部活。ユウト様以外は、私が入部することに驚いていたけど、拍手で歓迎してくれた。
「これらの魔道具に必要な材料をダンジョンで取ってきました。これで、魔導ビジョンが作れますね。試作型を作ってきました」
「……液晶水晶が採れるのって、高位ダンジョンですね……」
「こ、これってどんな魔力構築をしているんだろう。すごく配列が綺麗」
「あっ、マリサさん! 創立祭に展示する魔道具はこんな感じでいいですか!」
忙しいけど充実した日々だった。その中でも、私はユウト様との魔導談義が一番楽しかった。
「マリサもあの原初の魔道具を知っているんですね。帝都の博物館にあるやつですよ」
「ええ、偉大な魔道具師様が作った魔導灯は今では普通だけど、その当時はとても革新的で――」
ユウト様は魔道具の話になると子どもみたいに目を輝かせる。でも、一歩部室を出ると、落ち着いていて、必要以上のことを言わない無口な人だった。
ある日、美人で有名な王女様に話しかけられているユウト様を学園で見かけた。ユウト様は一瞥しただけで、王女様を袖にしているのを見てしまった。
「――マリサはすごい。こんなに知識と経験がある人は初めてです」
私は変な気持ちになった。
褒められることが珍しいわけではない。でも、それは大抵、子爵令嬢としてとか、婚約者としてとか、そういう意味だった。
「……あ、ありがとうございます」
「ははっ、これからもよろしくお願いします」
その言葉は不思議なくらい胸に残った。なんだか無性に照れてしまった。
そういえば、ユウト様は温室の件について何も聞かなかった。
噂を知らないはずがないのに、あえて触れないのだとわかった。事情を探ることもなく、ただ私を一人の部員として扱ってくれる。
その距離感がありがたかった。
……もしかして本当に知らないのかもね。
***
「あ――、そ、その……」
「あら、おはよう」
フィオナの様子がおかしかった。
学園の廊下ですれ違った時も、何か言いたそうに私を見て、結局うつむく。
以前なら、デイビット様がそんなフィオナに優しく声をかけていた。
でも最近は違った。彼はずっと疲れた顔をしていて、フィオナを見る時の表情も前とは違っていた。
フィオナも顔が暗かった。
私はそれを見ても、何も言わなかった。
……あの二人は一緒になって幸せになるのに? どうしたんだろう?
昼休みの教室。デイビット様の侍女が教室へと入ってきた。少し息を切らしている。
「――あの温室の件は事故であり、マリサ様がフィオナ様を助けた行為だと判明しました」
「な、に?」
「こちらの防犯魔道具の映像を見てください」
温室の件で誰かが動いたんだ。私はもう過去の記憶にしていたから全然忘れていた。
面倒な事態になりそうだから、私は教室を出ようとしたら、フィオナがやってきた。
「お姉様、それにデイビット様! お、お話があります。あっ――」
そして遅れて届いた真実は、壊れたものを元には戻してくれない。
デイビット様の身体が震えていた。
「……なんだ、これは? なぜ真実を言ってくれなかったフィオナ。……俺は正義感が強い男だ。マリサは君を助けただけじゃないか」
「す、すみません……、わ、私、それでデイビット様が振り向いてくれるならと思って……、でも、私は罪悪感で押しつぶされそうで……、それに真実を伝えてもデイビット様は全然話を聞いてくれなくて」
「なんだと? 俺のせいだと言うのか? 俺は君を信じていた。だから、そんなものは嘘だと思っていたんだ。くっ、君は生徒会の仕事も手伝ってくれない。それに、俺の学園生活のフォローを一切せず遊び呆けて――」
フィオナが私の腕を取り、涙目で頭を下げた。
「お、お姉様、ごめんなさい。わ、私、あの時はどうしてもデイビット様が好きで……つい、出来心で……。それに、怖くて何も言えなくて――」
なんだろう、きっと心が透けて見えるっていうのはこういうことなんだろう。
「あの……もうあなたたちのことは信用していません。ですので、許す許さないなんてどうでもいいです」
私はフィオナだけじゃなく、デイビット様に向けて言い放った。
フィオナが泣きながら反論をする。
「少し困らせれば……皆が、デイビット様が私の方だけを見てくださると思ったの。お姉様なら最後には許してくださるって……」
ただ甘えていたのだ。自分が泣けば、皆が守ってくれると思っていた。私なら最後には折れると思っていた。
私はあの日、心が壊れてしまった――
デイビット様が駆け寄ってきた。
「マリサ、話をさせてくれ、お願いだ!」
その顔を見た瞬間、わかった。この人は本当に自分本位で身勝手だ。
私の心は氷のまま、心が動くことはなかった。
「創立祭が終わるまでは、約束通り婚約者でおります。それ以外は特に話をする必要もございません」
私は気まずい空気の教室を後にした。デイビット様とフィオナの言い争う声が廊下にまで聞こえるのであった。
***
創立祭当日。
私はいつも通りに身支度をした。鏡の前で髪を整えて、淡い色のドレスに袖を通す。
デイビット様との婚約がこれが最後なのだと思うと、不思議と気持ちは静かだった。
悲しくないわけじゃない。ううん、むしろ清々しい気持ちになれる。
ようやく終わるのだという安堵の方が近かった。
会場に着くと、いつも通り視線が集まった。
子爵令嬢として。
そして、生徒会長の婚約者(元)として。
「まあ、マリサ様。本当にお美しいこと」
「やはりお二人はお似合いですわね」
そんな声が聞こえる。私はいつも通り微笑んだ。
最後くらいは見苦しく終わりたくなかった。
だから、婚約者としての役目だけは完璧に果たすつもりだった。
隣に立つデイビット様は、以前よりずっと口数が少なかった。
開会式の前、彼が小さく声をかけてくる。
「……マリサ、今日は」
何かを言いたかったのだろう。
でも、私は先に言った。
「本日は婚約者としての務めを果たします。それだけです」
以前なら、こんなふうに突き放すだけで胸が痛んだだろう。でも今の私は、何も感じない。
開会式は滞りなく進んだように見えたが、創立祭はトラブルが続いた。
夜会はどうにか混乱なく進んでいく。もちろん、以前よりはぎこちないところもあった。でも、それでも十分だと思う。
私は最初の一曲を、約束通りデイビット様と踊った。
音楽に合わせて足を進めながら、昔ならこの距離が当たり前だったのだと思う。
幼い頃から何度も隣に立って、何度も手を取られてきた。
そうしていずれ夫婦になるのだと、疑ったこともなかった。
夜会の終わりが近づいた頃だった。
私はバルコニーで休もうとしたら、ワイングラスを持ったデイビット様に呼び止められた。
「マリサ、強情を張るのはもうやめろ」
「……は?」
私は足を止めて彼の顔を見た。ほんのりと赤い顔だ。
「もう謝っただろ? なら、俺のところへ戻ってこい」
私は息を吐いた。逃げるつもりはなかった。ここで終わらせると、最初から決めていたからだ。
「いつ、あなたが謝ったんですか?」
デイビット様が頭をかしげる。
「教室で俺が頭を下げただろ? なんだ、言葉が欲しかったのか? 疑った俺が悪かった。謝罪する。……ほら、これで元通りだ。機嫌直して、明日から普通にしてくれよ。俺は『君を信じていたよ』」
確かにその言葉は、ずっと聞きたかった言葉のはずだった。
でも、今じゃないんだ。それは、あの時、あの場所で聞きたかった言葉だ。
「君を責めなかったつもりでいた。もちろん、心の中では信じていたんだ」
デイビット様は自分に酔っているように続ける。
「君がどれほど俺を支えてくれていたのかも、何一つ見えていなかった。全部、当たり前のように受け取っていたんだ。きっとそれは……愛だったんだろう」
私は静かに首を横に振った。駄目だった。彼は私を見ていなかった。
「フィオナのことも、俺がもっと早く気づくべきだった。君にあんな思いをさせておいて、今さらだというのはわかっている。だが、それでも――婚約者としてよりを戻そうじゃないか」
手を差し伸べた。
私は反応が出来なかった。怒りはない。哀れみさえも感じられる。
「――失礼します。夜会は終了しました。私たちの制約はこれにて発動します」
私は胸元につけていた婚約の印のブローチを外した。
小さな青石のついたブローチだった。幼い頃、両家の約束の証として贈られたものだ。
私はそれを彼の手に置いた。
「わたくしが欲しかったのは、真実がわかったあとの謝罪ではありません」
デイビット様が息を呑む。私は続けた。感情を乗せずに、ただ、淡々と。
「あの日ただ一度、貴方がわたくしを信じてくださることでした」
たったそれだけだった。
誰より立派な謝罪も、後からの後悔もいらなかった。
あの場で、君はそんなことをしない、と。
その一言だけでよかったのだ。
「今さら信じると言われても、もう遅いです」
デイビット様はブローチを握ったまま、何も言えなかった。それもそのはずだ。『誓いの制約』の効力が発揮する。
私と彼の間には制約がある。婚約者じゃない。絶対に戻れない。
もしも、無理に戻ろうとすると……、制約破りになり、制約通り、貴族としての全てを失うことになる。
引き止められないのだと、彼自身がわかっているのだと思った。
呆然と私を見つめるデイビット様。ワイングラスを床にこぼす。
「お、俺は……、なんで、間違えて……、俺は……」
崩れ落ちる彼を置いて、私はその場を立ち去った――
***
「なんだか疲れちゃった……」
私は一人で会場を出た。
少し風が冷たい。肩が震える。泣きたいわけではない。ただ、長く張っていたものが抜けていくようで、うまく息ができなかった。
その時、足音がした。
振り向くと、ユウト様が立っていた。
「……誤解は解けなかったのですか?」
彼はそう言って、自分の上着を私の肩にかけた。防犯魔道具の件、きっとユウト様の公爵家の家柄が関係しているのかもしれない。
でも私にはわからない。
「ええ、婚約破棄ですね」
「……魔道具、作りますか?」
「ぷっ、慰めているのですか?」
「いえ、あなたなら、きっと賛同すると思って」
ユウト様は深い事情を聞くでもない。ただ、私に必要なものを差し出してくる。
そのさりげなさが、今の私にはありがたかった。
「……ありがとうございます」
小さく頷いて私の言葉に答えるユウト様。
受け取った上着は、思ったより温かかった。
ユウト様は私の顔をじっと見ることもなく、いつも通りの声で続けた。
「部員のみんなも喜んでいましたよ。部室で君を待っています。行こう」
たぶん、その笑みは今夜初めて無理をしていないものだったと思う。
それはきっと気遣いなのだろう。
一人でいたくないならそばにいられるように。
でも同情だとは思わせないように。
そんな距離の取り方ができる人なのだと、私は改めて思った。
私は迷いなく頷いた。
「はいっ」
その一言を口にした時、ようやく気づいた。
私はまだ、完全に心が壊れていない。誰かの心を信用したい、と思っているんだ。
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