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インフィルトレーション

 真鍋は暗がりの奥へ目を向けた。


「“それ”が流れ出たのは……ここからだ」


 視線の先には、錆びたパイプと、使われていない排水弁の列がある。


 篠原も歩み寄り、手元のライトで周囲を照らす。


「これ……メインの放流ラインじゃないわ。裏側の排水ルートね」


「でも、こんなルート、まともに使える状態じゃないはずだ」


 真鍋の言葉に、篠原は膝をついて排水口の縁に指を這わせる。冷たく湿った感触。かすかに黒ずんだ水の痕が残っていた。


「開けられてるわ。つい最近。工具痕が新しいもの」


 彼女はデバイスを取り出し、排水口周辺の残留物を採取する。スキャン結果を待つ間、真鍋がパイプの奥を覗き込みながら呟く。

 真鍋はパイプの奥をじっと見つめた。


「これ、何に使われてたんだ……」


 一瞬間を置いて、彼はゆっくりと顔を上げ、排水口の内壁を指先でなぞった。


「まさか、誰かが、ここを通して“何か”を流したってことか?」


 篠原は腕を組みながら視線を泳がせ、排水口の錆びた蓋に目を落とした。


「可能性はあるわ。でも……」


 彼女は軽く息を吐き、手にしたデバイスを見つめた。


「どうしてこんな古いラインを?」


 篠原の問いかけに、返答はなかった。代わりに、デバイスの読み取りが終わり、小さく通知音を鳴らした。


「水酸化反応……? でも通常の塩素とも違う」


 彼女の眉がわずかに寄る。


「有機反応も混じってる。複数の薬品が連続して投入された痕跡があるわね。単体じゃない、混合薬品……」


 真鍋が片膝をつき、篠原のデバイスを覗き込む。


「組み合わせ次第じゃ、変質反応を引き起こす。つまりこれは、処理目的じゃない……」


「意図的な反応よ。おそらく、注入された成分が“水道管内で何かと混ざる”ことを前提に作られてる」


「水そのものを変えるつもりだった……?」


 真鍋の口から出た言葉に、篠原はゆっくりと頷いた。


「ええ。でも何のために?」


 その瞬間、排水口の奥からかすかに風が吹き抜けるような音が聞こえた。真鍋が反射的にライトを向けると、濁った水がわずかに揺れているのが見えた。


「残留液体……まだ底に溜まってる。これ、かなりの量を流したってことになる」


「施設の監視記録は?」


「既に抜かれてる。ログが綺麗に消されてるの。侵入された形跡はなし。中から、ってことね」


 篠原の声に、真鍋が息を呑んだ。


「内部関係者……三宅、か?」


 返答はなかった。二人はしばし黙って、黒い水の底を見つめていた。


            *


 ゼロ隊の臨時拠点。深夜。

 報告を終えた篠原は椅子にもたれ、軽く目を閉じた。


「まだ、確定ではないけど……水に混ざっていた薬剤の一部、低濃度ながら神経系に作用する可能性がある」


「毒物じゃなくて?」


「むしろ感覚を鈍らせる系統ね。目立った症状は出にくいけど、思考や判断を緩慢にさせる。初期の報告と符合するわ」


 真鍋は眉をひそめ、机上のモニターに映った配管図を見つめる。


「じゃあ、これは拡散兵器じゃない。“沈静化”の手段だ」


「ええ、明確に“誰か”を殺すためのものじゃない。ただし……」


「制圧に近い目的だったってことか」


 沈黙が落ちた。

 篠原は立ち上がり、備え付けの冷水をコップに注いで飲む。透明な水。どこまでも普通の。


「誰が、何のために。どうしてこんな遠回しな手段を?」


「分からない。でも、拡散ルートは潰した」


 真鍋が静かに言う。

 それが唯一の成果だった。


           *


 翌日。

 廃棄施設の旧ロック倉庫跡地。

 ゼロ隊が確保した男は、黙して語らなかった。


 三宅。

 かつて施設管理を任されていた技術者で、記録上は一ヶ月前に失踪していた男。抵抗はなかった。ただ、顔を上げず、一言も発しなかった。


 誰に命じられたのか。なぜこんなことをしたのか。

 すべては闇の中だった。


(続く)


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