表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

サイレント・スプレッド

 水道局中央処理施設の警備室で、真鍋と篠原は現場責任者の瀬口から話を聞いていた。


「異変が確認されたのは、三日前の深夜でした。水質検査で通常では出ない化学反応が確認されて……それで本庁から応援が来たと」


「それ以前に異常は?」


「目立った報告はありません。ただ、臨時の点検作業員が数名、入ってました。都の委託業者からの派遣で」


 瀬口はやや言いにくそうに視線を落とした。


「申し訳ありません。名簿の確認がまだ済んでおらず……外部業者との情報共有に時間がかかっていて」


「構わない。その名簿を、確認させてもらえますか」


 真鍋の声は冷静だったが、眼差しは明らかに緊張を孕んでいた。

 篠原は隣で手帳を開き、会話の端々にメモを走らせる。


「……対象区域の処理は止めてる?」


「ええ、緊急遮断をかけて、上水への供給ラインはすべて切っています。ただ、住民からは『水が濁っていた』とか、『異臭がした』という通報が、すでに十数件ほど……」


「遅いな」


 篠原がぽつりとこぼした。


「水って、普段あまり意識されない。だから異変があっても、通報されるまでに時間がかかる。つまり、初動が遅れる」


「影響が出ている可能性がある区域は?」


「北東ブロックの一部。人口密度はそれほど高くないけれど……工業系の研究施設が多いエリアです」


 ふたりの表情がわずかに引き締まった。

 対象が生活インフラにとどまらない可能性を意味していた。


           *

 

 処理施設の見取り図を見ながら、真鍋は無言で歩を進めた。

 篠原はその横で、時折振り返りながら、施設内の空気を確かめるように歩いている。


「……この匂い、ちょっと気にならない?」


「薬剤の残留臭かもな。塩素だけじゃない、何か別の処理が施された形跡がある」


 廊下の奥、薬品保管室の扉は重々しく閉ざされていた。

 瀬口が持っていた鍵で開けると、中には金属棚が並び、整然と薬剤の容器が積まれていた。

 あまりにも整頓されすぎた空間に、二人は無言で視線を交わす。


「妙にきれいだな。まるで“見せるために”片づけたみたいだ」


「……誰かが慌てて整理したか、何かを隠そうとしたか」


 篠原は奥のロッカーに目を向けた。一つひとつ丁寧に確認しながら開けていく。

 三つ目の扉を開けた瞬間、彼女は動きを止めた。

 棚の奥に、使用記録ノートが立てかけられていたのだ。


「これ……」


 彼女がページをめくると、化学薬品の使用履歴が詳細に記されていた。

 だが、ある日付を境に、記録が唐突に途切れていた。


「三日前を最後に、記入が止まってる」


「異変が始まった日と一致するな。偶然とは思えない」


 真鍋の目が、記録用紙のインクの擦れ具合をじっと見つめる。

 誰かが慌てて閉じたような跡が残っていた。


 小さな不整合の積み重ねが、二人の間に沈黙を生んだ。

 どこかに、答えがある。けれど、それは今も手のひらからすり抜けていく。


 その時、廊下の奥から急ぎ足の気配がした。瀬口が、肩で息をしながら資料を携えて現れた。


「……ありました。臨時の点検作業員について、先ほど照会したところ——この名簿の中に、身元の確認が取れない人物が一人います」


 真鍋が手渡された紙面に目を走らせる。


「“三宅将人”。身分証は提示済み、だが業者の登録データには存在しない……」


「彼が、何かを混入させた可能性が高いな」


「防犯カメラの映像は?」


「記録サーバーが……三日前に“システム不具合”で一度ダウンしてまして」


「偶然じゃない。仕組まれた可能性が高い」


 篠原がそっと息を吐いた。

 監視が途切れたタイミング、記録の欠落、不自然な清掃。

 点と点が、見えない線でつながっていく。


「都市の水に、異物を溶かして。足跡を消して、姿を消す」


「それが狙いなら、もう次の場所に向かってるかもしれない」


 二人の視線が重なった。

 この“汚染”は、局地的な事故ではない。

 誰かの意志によって仕掛けられた、都市への静かな攻撃——。


「この化合物、本当に自然由来じゃないとしたら……どこで手に入れたんだ?」


「答えはまだ見えない。でも、作為の痕跡はある。問題は、この一件がどこまで拡がるか」


 篠原は廊下の窓から外を見た。

 濁った曇天の下、処理施設のタンク群が並ぶ。

 それらが、都市全体の血管のように水を送り出していると思うと、胸に冷たいものが走った。


「……これ、拡散してる……?」


 そのつぶやきは、空気の奥に溶けていった。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ