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護符  作者: 橋尾 京果
9/20

009)メリ【母の面影】

[登場人物]

メリメルセゲル(メリ):書記見習い

ネフティト:アビドスから来た踊り子

サト:職人

ジェドハト:職人

パディ:盗掘人

ビント:パディの娘


ハトシェプスト女王:古代エジプト第18王朝のファラオ

「この辺りのはずなんだけど」

独り言を呟いて、メリメルセゲルはパピルスに書かれていた住所を頭に浮かべた。


ネフティトは少し離れて町を散策している。

初めて来る町が興味深く楽しいようだ。


この町はアクセサリーを作る者や服を作る者、籠を作る者などの職人が、多く暮らしていることで知られている。

パディも捕まるまでは、この町で壷や瓶を作って生計を立てていたようだ。

ざっと見渡した限りでは、壷や瓶の看板を掲げた家は見当たらなかった。


パディがあんなことになってしまったから、壷屋は廃業したのかもしれない。


メリメルセゲルは籠の看板のある家から、ちょうど出てきた男へ声をかけた。

メリメルセゲルと同じくらいの背格好の男だった。


「すみません。この辺りにビントと言う名前の娘さんが、住んでませんか?多分、私と同じくらいの年齢なんですが」


男はメリメルセゲル見た途端、ぎょっとして叫んだ。

「お前。メリじゃないか」

「君は?」

目がぎょろっとしていて厚い唇の、どこにでも居そうな顔だが、全く知らない男だった。


「俺だよ、ジェドハトだよ。分からないのか?」

「君は、俺を知ってるんだな」


自分を見つめるジェドハトの瞳の色に、怪しむ感情が混ざるのを見たメリメルセゲルは急いで言い募った。

「俺はどうやら、幼い頃の記憶を失くしてるようなんだ。俺のことを知ってるのなら、教えてくれないか。頼む」


「教えろって言われても。いったい何を」

ジェドハトはぼんやりとしたが、頭では色々なことを巡らせているようだった。


「そうだ。サトには会ったか?」

名前を聞いても戸惑うメリメルセゲルへ、ジェドハトは焦れったそうに告げた。

「お前の父ちゃんじゃないか」

「父さん?俺の父さんが、ここに居るのか?」

にわかには信じられなかった。


メリメルセゲルの父親ならサアメルセゲルと言う名前で、親族の墓地に埋葬されている。


「当たり前だろ。あそこの。ほら今、綺麗な姉ちゃんが覗いてる店。あれが、お前の育った家だ」

ジェドハトは自分の家から四、五軒先の向かいの家を指差した。

家の前に並べてあるアクセサリーに見入っている、ジェドハトの言う綺麗な姉ちゃんはネフティトだった。


「来いよ」

ジェドハトはそう言って、メリメルセゲルを引き連れるようにしてアクセサリー店へ向かった。

「サトいるか?」

店番をしている子供へ声をかけると同時に、ネフティトへ視線を投げながら、家の中へ入って行く。


入口に立つメリメルセゲルの顔を、ネフティトが心配そうに眺めた。

ネフティトには誰を捜しているとか、詳しい話はしていなかった。

「大丈夫?メリ」

メリメルセゲルは返事もできないほど緊張していた。


家の奥から、ジェドハトに引っ張られるようにして出て来た男は、メリメルセゲルの顔を見るなり、膝を折って体勢を崩した。


「メリ。メリが、帰って来た」

サトは天を仰いでから、大きく息を吐いて立ち上がると、腕を伸ばしながらメリメルセゲルに近付いて来た。


自分も知らない自分への期待感を募らせているのが、サトやジェドハトから伝わって来る。

だが、サトの顔を見ても何も思い出せない自分との温度差を感じてしまい、メリメルセゲルの足は知らぬ間に後退っていた。


ネフティトがやんわりとメリメルセゲルの腕を押さえた。

目が合うと、逃げては駄目だと言うように、ネフティトは首を振った。


サトの両手に捉えられたメリメルセゲルの身体は、引き寄せられる勢いで、サトの腕に抱き締められた。

「メリ。こんなに大きくなって。良かった。生きていてくれて」


サトが涙を流し、ジェドハトが瞳を潤ませている。

二人と同じような心の動きにならない自分を、メリメルセゲルは悔しく思った。




「何から話したらいいのか」

幼い頃の記憶が無いと聞いたサトは、そう言って、愛情の籠った瞳をメリメルセゲルへ向けた。


サトは洒落たかつらに品の良いヘッドバンドを巻いて、深みのある色合いのネックレスやブレスレットで痩せた身体を飾っている。


興奮の収まったサトは店を閉めて、メリメルセゲルを家の中へ招き入れたのだった。

メリメルセゲルとサト、そしてジェドハトとネフティトがサウトの家で腰を下ろしている。


ネフティトがメリメルセゲルの連れだと知ると、サトは急いでネフティトが座るに相応しい一番上等な椅子を用意した。

ネフティトが笑顔を見せてお礼を言うと、床に胡座を組み、ジェドハトと共に鼻を伸ばして上機嫌になっていた。


さっき店番をしていたのは隣りに住んでいる子供だそうだ。

店を閉める時に隣りへ戻っていた。


「メリの話をする前に、母ちゃんの話を聞かせてくれないか」

落ち着いた口調だったが、サトの気持ちは躍っているように見えた。

「母ちゃんも元気か?元気にしてるんだろ?」

メリメルセゲルは視線を床に落とした。


「俺は、母親を知りません。母さんはずっと、行方不明だと聞いてます」

「何だと」

サトが顔色を変えた。


「どういうことだよ。メリは、母ちゃんと一緒に暮らしてたんじゃないのかよ」

ジェドハトが口を挟んだ。


「お前は、今まで祖父母の家で暮らしてたんだろう?そうだろう?」

サトが怒りをおさえた顔で問い詰めてきた。

メリメルセゲルが頷くと、サトは悔しそうに床を叩いた。


「やっぱりだ。お前の祖父母が、母ちゃんを追い出した。きっと、そうに違いない」

「どういうことですか」

メリメルセゲルは鋭く尋ねた。

「メリだけを引き取って、母ちゃんのことは放り出したんだ。メリが生まれた時みたいに」


「あなたは、俺の祖父母を知ってるんですね。母さんが家を放り出されたって、何のことですか」

聞きたいことが多すぎて頭が付いていかない。


サトは片手で額を押さえて俯いた。

しばらく黙っていたが、決心した様子で顔を上げた。

「この町の皆が知ってることだし、お前も知ってたことだが。お前と俺に血の繋がりは無い」


分かっていた訳では無いが、メリメルセゲルはそんなに驚かなかった。


「メリの母ちゃんがお前を連れて、行き倒れてた所へ、たまたま俺が通りがかったんだ」

「行き倒れ?」


「倒れてる母親の脇で、お前が大声で泣いてた。まるで、俺を呼んでるみたいだった」

サトは遠い目をしてメリメルセゲルを眺めた。


「メリを産んだ後。お前の祖父母に取り上げられたメリを取り返してきた。追っ手が来るかもしれない。匿って欲しいと。意識が戻った母ちゃんは、必死に訴えてきたよ」

メリメルセゲルは言葉が見付からなかった。


祖父母も、メリメルセゲルにとっては大切な存在だし尊敬もしている。

そんな祖父母が自分の母親に対して、そこまで追い込むほどの仕打ちをしていたなんて信じたくなかった。


「数日経って。役人が、メリを捜しに来た。この町の者は役人が大嫌いだから。皆、口を揃えて、知らないと答えてくれた」

税を取り立てる側の役人が嫌われるのは珍しい話では無い。


「お前の実の父親との結婚を認めてもらえない内に、父親は亡くなってしまったらしい。その時には既に、メリをお腹に授かっていたんだ」

その話は祖母から聞いたことがあった。

認めてあげれば良かったと、祖母はメリメルセゲルに謝り後悔もしていた。


「お前の母ちゃん、シェリと俺は。気が合ったんだ」

そう話すサトの表情は朗らかになっていた。


初めて聞く母の名前だった。

メリメルセゲルは息をするのも忘れている自分に気付いて、深く息を吸いながら目を閉じ、母の面影を頭に思い浮かべた。


「シェリは手先が器用で、アクセサリーを作るのも上手かった。二人して、夜中まで夢中になってデザインを考えたり。まあ、そんな流れで、俺達は一緒になった」

サトの照れた瞳とメリメルセゲルの目が合った。


「メリも俺に懐いてくれて。俺は誰が何と言おうと、お前は俺の息子だと思って育てていたんだ」

メリメルセゲルは何と答えていいのか分からず、サトから視線を逸らしてしまった。


サトが自分のことを、どれほど大事に思っていてくれていたかは、再会した時の様子で身に染みている。

その気持ちに答えたいと思ったメリメルセゲルは、サトと真っ直ぐ向き直った。


「ありがとうございます。ありがとう」

父さんと、心の中では続きが言えるのに、言葉には出せなかった。


「無理するな。お前は昔から。そうやって、いい子になろうとするところがあった」

サトは口ではそう言ったが、やはり少し寂しそうだった。


「メリが五歳くらいの時だった。どこかへ出掛けてたシェリが、帰って来るなり。自分とメリは、ある場所へ戻らなければならないと言った。俺は言葉を尽くして引き留め、シェリも思い直してくれた」

淡々と語るサトだったが、時折遠くを見つめて苦しそうな表情を見せた。


「それから五日ほど経った日の夜。寝ていたメリが、突然起き出したと思ったら。火が付いたように泣き出して、手が付けられなくなった。だけど、シェリがメリの額に手を置いた途端。何か、ぼうっとした光が見えて。すっとメリが泣き止んだんだ。それを見た時のシェリの顔は、今でもはっきりと覚えてる。何かを悟ったような、諦めの混じった覚悟が見えた」

サトは大きなため息を吐いた。


「その翌朝だったよ。シェリがメリを連れて、ここを出て行ったのは。俺には、先に市場へ行くと言い残して。そのまま居なくなってしまったんだ」

サトは語り終えると、急に力が抜けてしまったのか、ぐったりとして背中を丸めた。


「サトに言われて、町中の皆で何日もメリ達を捜したって。俺の父ちゃんが言ってた」

気を利かせたジェドハトが、サトの話を引き取った。


「だけど。ハトシェプスト女王が亡くなったり、パディやビントがあんなことになったり。伝染病も流行ったから、メリ達ばかりを気にかけていられなかったって」

ジェドハトの言葉は、最後へ向かうにつれて呟きになっていた。


「俺は」

サトが掠れた声を出した。

「シェリが言ってた『ある場所』が、メリの父親の実家だろうと思った。だけど。俺はその家を知らなかったから、訪ねることもできなかった。シェリはお前と一緒に、幸せに暮らしてると思い込むことで、自分を納得させたんだ」

サトは辛そうに首を振った。


「テーベに親類縁者はいないと言ってた。多分。シェリはもう」

サトの顔が苦しみで歪んでいくのを、メリメルセゲルはただ黙って見つめた。


重く暗い雰囲気が漂った。


「メリのお母様が手掛けたアクセサリーは、残っていませんの?」

涼やかにそう言って、陰鬱な空気を凪払ったのはネフティトだった。


サトは目が覚めたような顔をした。

「ちょっと待っててくれ。裏にあるから」


裏へと姿を消したサトは、板に乗せた小物を大事そうに抱えて、すぐに戻って来た。

板の上には、イシス女神の護符とハヤブサの頭を持つホルス神の護符、耳飾り、腕輪などが置かれていた。


護符以外の装飾品はトルコ石やファイアンス製のビーズ、着色した陶器などを組み合わせて作られた物で、どれも目を惹く美しい配色をしている。


ネフティトは二つの神像へ長い間目をやっていたが、やがて、アクセサリーのほうへ手を伸ばした。


「どれも素敵ですね」

ネフティトは目を細めて、一つ一つ丁寧に手に取って眺めていった。


「全部、メリにやる。持ってってくれ。俺には、この指輪があればいい」

サトは左手の薬指に通した指輪を愛おしそうに触った。

男性にしては細くて、しなやかな指だった。


その後、サトは三人にビールとパン、焼き菓子を振る舞ってくれた。

メリの現在の様子を聞きたがったサトは、食事中、終始笑顔を見せていたのだった。

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