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護符  作者: 橋尾 京果
7/20

007)志咲里【愛おしい人】

[登場人物]

蓮池(はすいけ)志咲里(しえり)(シェリ):未来から来た旅行者

カマル:旅行会社のアテンダント、アンドロイド

サアメルセゲル:神官

メナト:元侍女

その日、志咲里は夜中に目が覚めてしまい身体を起こすと、耳の尖った大きな黒猫が、前足を揃えて床に座っているのが見えた。

ぼんやりと光っている。


ファラオの霊を見た時と同じ猫だろうかと考えていると、黒猫が入口のほうへ歩いて行き、立ち止まって振り返った。

まるで、ついて来いと言っているようだ。


別に何もやましくは無かったが、志咲里はカマルの様子を伺ってから立ち上がった。


何か聞かれたら、トイレに行くと言おう。


すたすたと廊下を歩いて行く黒猫の後を、別に何もやましくは無いはずなのに忍び足で追う。


本当は、やましい気持ちがあった。

志咲里には予感がしたのだ。

この先に誰がいるか。


黒猫は廊下から庭へ降り、人工池の周りに植えられた樹木の間を進んで行った。

ベンチ代わりの石の椅子に座っている人影が見えた時、黒猫の姿はどこかへ消えていた。


人影は志咲里の気配を察すると、こちらへ顔を向けた。

やはり、サアメルセゲルだった。

サアメルセゲルは志咲里を見て驚いていた。


「あの。眠れなくて」

それ以上言葉が見付からなかった志咲里はその場で立ち竦んだ。

サアメルセゲルも黙っている。

「お休みなさい」

そう言って志咲里は立ち去ろうとした。


「待って」

サアメルセゲルが声を上げた。

「眠れないなら、こっちへ来て。月が、綺麗だから」


ゆっくりと近付いて行く志咲里を、サアメルセゲルが熱の籠った瞳で見つめてくる。

志咲里が横へ座ると、サアメルセゲルはほっとしたように息を吐いた。


「僕も眠れなくて、ここへ来たんだ」

少し欠けている月を二人して仰いだ。

青白いが優しい光を感じた。


「僕のこと。避けてるよね?」

志咲里は曖昧に首を動かした。

「僕は君のこと、ずっと考えてた。初めて見た時から、ずっと」

志咲里は俯くことしかできなかった。


「君に婚約者がいるって聞いても。諦めきれない」

「婚約者?」

怪訝な顔でサアメルセゲルを見ると、潤んだような瞳にぶつかった。

「カマルさんが教えてくれたんだ」


カマルの奴、そんなことを言っていたのかと、心の中でカマルを『奴』呼ばわりしてしまった自分に気付いて、はっとした。

二人を引き裂くカマルの行為に対して、今自分はイラッとしたのだと思い至る。


「シェリには、里に婚約者がいるから、ちょっかいかけるなって。あの人、怖いね」

苦笑いするサアメルセゲルを見る志咲里の瞳に決意が漲った。


「婚約者なんていないわ」

「あれは、嘘なの?」

「だ、だけど。もうすぐ、私はいなくなる。宮殿を出て行くの」

「どうして?」

「決まってることだから」


「僕、会いに行くよ。シェリがどこへ行こうと。これからも会いたいんだ」

健気な瞳で、少し恥ずかしそうに言うサアメルセゲルから、志咲里は急いで顔を逸らした。


再び仰ぎ見た月が、みるみる滲んでいった。

次の新月の日には、もう自分はここにいないという運命が待っている。


「あなたが、絶対に来られない場所へ行くの」

志咲里は涙を拭って立ち上がった。


「あなたとは、もう会いません」

「どうして」

「これ以上あなたを知ってしまったら、別れが辛くなる」

さよならと言って、その場から志咲里は走り去った。


部屋に戻るとベッドへ潜り込み、静かに涙を流し続けた。


サアメルセゲルをまだよく知らなくても、もう充分、別れが辛いものになっていたことを志咲里は思い知ったのだった。




サアメルセゲルへ別れを告げた翌朝、志咲里はカマルに宮殿を出たいと申告した。


カマルはそれだけで何かを悟ったらしく、すぐに手配を済ませて、その日の内に志咲里を『T・T・T』の支店へ連れて行った。


「いずれにしても、三日後には宮殿を出る予定でしたから、少し前倒しになっただけです」

お礼を言った志咲里に対して、カマルはやはり何も聞かなかった。


「ご家族と合流する日までの二日間は、神輿の行列を見学して過ごされると良いでしょう。明日は朝からご案内しますね」


セド祭りのプレ行事は既に何ヵ月も前から始まっていて、国の各地から、町の守護神を乗せた神輿が祭りの会場へ集まって来ているのだ。


行列の見える沿道には大勢の人が詰めかけていた。

あれはどこどこの町の、何とか神の神輿だと言うカマルの説明を、志咲里は身が入らない状態で聞いていた。


「つまらなそうですね。市場のほうへ行ってみますか?」

「つまらない訳じゃないけど。市場も見てみたいわ」


市場には人が溢れかえっていた。

人混みを縫うように店を見て行くのは、気が紛れて楽しかった。


「カマルは楽しいとか、そういう気持ちになったりするの?」

人混みを抜け、開けた場所の木陰で涼みながら、志咲里はカマルに尋ねてみた。


「楽しい、ですか。そうですね。私自身にはそう言った感情はありません」

「それは。楽しみたいと思うことも無いと言うことなのね」


「志咲里様。私は人間の形はしていますが、人ではありません。ですが、私にも目標を達成するためのモチベーションは有ります」


アンドロイドから目標やモチベーションなんて言葉が聞けるとは思わなかった志咲里は、今更ながらカマルに興味を持った。

「カマルの目標って?」


「楽しいと思ったことは無くても、皆さんが楽しいと思うことについての判断や、理解はできます。私の目標は、旅行に来られた方々に楽しく過ごしていただくことです。そのモチベーションは多くの場合の、人のモチベーションと同じです」

「どういうこと?」


「人間は人の笑顔を見たいと言う欲求を内に秘めている生き物です。笑顔になるのは喜びであり、他人の笑顔を見ることもまた、人にとっての喜びだと理解しています」

「人間のモチベーションは、他人の笑顔であり、喜びってこと?」

「全てではありませんが。多くの場合、そこへ繋がっていると考えています」


「カマルのモチベーションも、人の笑顔を見ることなの?」

「そうです。意外ですか?」

驚いた志咲里に、カマルは微笑みを返してきた。

「私は、人間が造ったプログラムですし、人間の造った世界で学習してきました。私達の親は、あなた達人類なのです。子は親に似るものですから」


遠い存在に感じていたアンドロイドが、志咲里の中で急に近い存在になった。

だから、つい気を許してしまい、カマルに意見を求めてしまった。

「私。サアメルセゲルのことが好きみたい。どうしたらいいと思う?」


カマルは眉を寄せて、最大限に困った表情を見せた。

「それでも志咲里様は、彼から離れる選択をした。それが答えだと思います」

「そうだよね」

志咲里は力無く笑った。


それが正しい答えだと思うと同時に、アンドロイドである以前に、カマルの立場では、志咲里の望む回答などできる訳も無いのだと、聞いた自分を責めていた。


「カマルみたいに、人生を達観できたらいいのに」

志咲里が呟くのを見るカマルの表情は少し寂しげに見えた。




翌日。

その日はカマルと二人で過ごす最後の日だった。

明日には両親と共に戻って来るアテンダントへ引き継がれる。


「今日は『牛追い』という行事のリハーサルがあるようです。行ってみませんか?」


朝早く支店を出た二人は、祭りの会場の周囲に築かれた塀を取り囲む人々に紛れた。


ほどなくして、十数頭の牛の群れが砂ぼこりを上げながら塀に沿って現れた。

何故か、数頭のロバも混じっている。

動物の後ろを追うように、牛の持ち主と思われる者達と踊りの楽団が続いた。


「祭りの本番では、神輿を抱えた神官が後を追うはずです。塀の周りを四周すると聞いていますが、今日はどうでしょうか」


ドラのようなものが打ち鳴らされると、牛らが追い立てられてノロノロと走り始めた。

闘牛のような獰猛な走りが見られると期待していた志咲里は、拍子抜けと可愛らしさで笑っていた。


ふと、視線を感じてそちらに目を向けると、サアメルセゲルが人混みの間から志咲里を見ていた。

志咲里の行い全てを許しているような瞳だった。


志咲里は動揺をカマルに気付かれないように笑顔を作り続け、祭りを楽しんでいるふうを装った。


サアメルセゲルはかつらを着けて、神官の身分を隠しているようだった。

もう一度確認しようと視線をやったが、彼の姿はそこには無かった。


目だけでサアメルセゲルを捜したが見付からない。

見間違いだったのかと思った。

サアメルセゲルに会いたいと思っていた、自分の心が見せた幻だったのだろうかと思った。


牛らが一周して戻って来た頃には志咲里の顔から笑顔が消えていた。


「おい、姉ちゃん。さっきの支払い足りなかったぞ」

突然、体格のいい男がカマルの肩を掴んで絡んできた。

「何のことですか。人違いです」

「言い逃れはいいから。こっちへ来なよ」

そう言って、人混みの中、カマルを引き連れて行ってしまう。


「カマル」

二人を追おうとした時、志咲里の腕を掴む者があった。


まさかという思いと同時に振り返った志咲里を、サアメルセゲルはそのままカマルとは反対方向へ連れて行こうとした。

「ちょっ。ちょっと待って。カマルが」

「カマルなら、大丈夫」


その言葉で、あの男がサアメルセゲルの差し金だと確定した。

だが危険が迫っているのは、あの男のほうかもしれない。


サアメルセゲルは人混みを抜けて、日乾(ひぼし)レンガで建てられた民家の密集した町のほうへ進んで行った。


人気の無い路地で建物の間へ入ると、志咲里はサアメルセゲルに抱き寄せられた。

志咲里の胸が爆発しそうな勢いで音を奏でた。


「さっき、牛を見て笑ってたね。あの笑顔、可愛かった」

唇を指で優しく触れられ、目が合うと、サアメルセゲルの唇が志咲里の唇と重なった。


されるがままに、身を委ねていた志咲里だったが、やがて、サアメルセゲルの背中へ手を添えていった。


「どこへも行かないで。事情があるなら、聞かせて欲しい。一緒に暮らさないか」

「一緒に暮らすって」

「結婚しよう」

「そんなの、無理よ。私達。お互いのこと、まだ何も知らない」

「これから、知っていけばいい」


尚も否定の言葉を口にしようとした志咲里だったが、再び唇を塞がれていた。


どうしようと言う気持ちが高まっていくが、サアメルセゲルとずっと一緒にいたい気持ちも同じように高まっている。

どうしたらいいのか分からず、志咲里はサアメルセゲルの胸へ顔を埋めて抱き付いた。


「シェリ。愛しい人」

サアメルセゲルは志咲里の頭に片手を添えて、もう片方の手でぽんぽんと優しく背中を叩いてくれた。


霊に遭遇した後の、あの時のような安心感に包まれた。

だが、その時間はすぐに終わった。


「シェリ。許されないわよ」

幸せに浸る志咲里の気持ちを引き裂く、カマルの出現だった。

怒りを(あらわ)にした顔は、わざとだと分かっていても気分が萎縮するには充分だった。


サアメルセゲルは、カマルが二人を見付け出したことを驚いていたが、志咲里はアンクレットの存在を今更ながら思い出していた。


「シェリ。こっちへ来なさい」

近寄って来るカマルが、二人を襲ってくるような気がして怖くなった。


サアメルセゲルの手に引かれて、志咲里は建物の隙間を更に奥へ逃げた。

奥へ進むに連れて薄暗さが増してくる。


途中で、垂直に交差する隙間のほうへ進路を変えた。

その先は少し開けた空間が続いていたが暗さは増している。


暗さのせいで逃げる速度が落ちた二人とは対照的に、スピードを上げて近付いて来たカマルの両手で、志咲里の両腕は捕獲されてしまった。

「いや。離して」

捕まった、もう駄目だと思った。


「うっ」

カマルがうめき声を上げた。

振り返ると、片手を地面について片膝を付いている。

もう片方の手は志咲里の腕を捉えたままだ。


「シェ、リ。だ、だめ。志咲・・・」

カマルの瞳からエネルギーが消えた。


どうなったのかと思っていると、サアメルセゲルが息を呑むのが聞こえた。

彼の視線の先を追うとそこに、宮殿を追い出されたメナトが立っていた。


暗い中、一人でぼぅっと浮かぶように立っている。

よく見ると、手に石刃のナイフを握り締めていた。


志咲里とサアメルセゲルは寄り添い合った。


「お前は邪魔だ」

そう言うメナトの声は、あの部屋で遭遇した幽霊とそっくりだった。

背中が凍り付いた。


メナトがゆっくりと二人に近付いて来るにつれて、身体にかかる圧力が増していくのを感じた。


押さえ付けられているように動けないのは、サアメルセゲルも同じようだったが、彼が何かを呟いているのが聞こえてきた。

何かの呪文だった。


呪文の響きが徐々に大きくなると、メナトの姿が歪んで、あの暗闇の形が現れてはメナトに戻るを繰り返すようになった。

メナトの形をした何かがうめくような音を発している。


うめきが悲鳴に変わったその時、メナトの手にしたナイフが志咲里の心臓へ突き出された。


刺されたと思い、瞑った目を恐る恐る開くと、石刃はサアメルセゲルの手の中で止まっていた。


メナトはどこも見ていない瞳でナイフを抜こうともがいている。

サアメルセゲルの手から血が滴り落ちた。


サアメルセゲルは呪文を唱え続け、ナイフを掴んだ手を持ち上げた。

彼の血がナイフを伝ってメナトの手にまで流れていった。


メナトの形をしたものから苦し気な音が聞こえ、メナト自身へ戻っていく瞬間を志咲里は見た。


メナトは我に返ると、自分が握っているナイフからぱっと手を離して逃げて行った。


「大丈夫?」

持っていたハンカチで、志咲里がサアメルセゲルの手の平を包むと、すぐに血が滲んできた。


「ああ、怖かった。何なんだよ、あれ」

壁に背中を預けて、膝を崩しそうな勢いでサアメルセゲルが嘆いた。

あんなに冷静に見えたサアメルセゲルが、素直に弱音を口にする姿が愛おしく見えた。


「志、志咲、志・・・」

志咲里は目を見張った。


カマルが起動する。

きっと、霊の波動に影響を受けてダウンしていたシステムが回復するのだ。


「カマル。ごめん」

志咲里は自分の腕を掴んでいたカマルの手をそっと外した。

「志・・・」

「私。行くね」

罪悪感が宿る瞳でカマルを見下ろし、アンクレットを外すと、サアメルセゲルの手首を取って走り出した。


もう、迷いは無かった。

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