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護符  作者: 橋尾 京果
6/20

006)志咲里【開かずの間】

[登場人物]

蓮池はすいけ志咲里しえり(シェリ):未来から来た旅行者

カマル:

旅行会社のアテンダント、アンドロイド

メナト:侍女


17王朝

タア二世←―――――→ イアフヘテプ妃

     __|__

18王朝 ↓     ↓

イアフメス←―→イアフメス

=ネフェルタリ妃

      ↓

アメンヘテプ一世

  ____|_______

 ↓            ↓

王女←―→トトメス一世←―→王女

   ↓        ↓

トトメス二世 ←―→ハトシェプスト女王

   ↓

トトメス三世

現地の言葉が理解できる、この奇跡を報告しようと、志咲里の気持ちは逸っているのに、作業を終えてもカマルは戻って来る気配が無かった。


仕方無く、夕食の配膳を手伝いに行く他の侍女達について行くことにした。


調理場へ入ると、侍女達はそれぞれに料理の載ったお盆を掲げてどこかへと向かって行く。

志咲里も果物の乗ったお盆を手に取り、侍女達の後へ続いた。

壁面に歴代のファラオの王名が記された部屋へ入ると、祭壇へ料理を置いていく他の侍女達に志咲里も倣った。


祭壇の側には、志咲里と同年代に見える男が一人立っている。

かつらを乗せていない頭が綺麗に剃り上げられているから、多分神官なんだろうと志咲里は思った。

神官は常に身体を清潔に保つために、毎日体毛を剃ると聞いていたからだ。


志咲里が退室しようと祭壇から離れかかった時、神官が声を上げた。

「君。ちょっと」


侍女はまだ数人部屋に残っていたから、志咲里は自分が呼び止められたとは思わなかった。

そのまま部屋を出て行こうとした志咲里は神官に腕を掴まれた。


何ですか、とでも言いたげに振り返った志咲里の瞳は、反抗的に見えたかもしれない。

突然腕を掴まれ、志咲里も驚いたのだ。


志咲里に睨まれ、神官は少し怯んだようだった。

「あっ、えっと。君。盆を置く場所を間違えてる」


げげっと、志咲里は思った。

そう指摘されても、どこへ置くのが正解かが分からない。


黙って突っ立っていると、先ほど姉と会話していたメナトがおずおずと前へ進み出た。

「不手際をお詫びします。この子は、最近来たばかりなんです」

神妙な顔で言い、さっと盆の位置を移した。


部屋を出た志咲里はメナトへ何とかお礼を伝えたいと思い、前を歩いて行く姉妹の後を追った。

「今日のお祈りの当番は、サアメルセゲル様だったのね。良かったじゃない。メナト。話ができて」

姉が妹に話しかけているのが聞こえてくる。


「全然良く無いわよ。話しかけられたのはあの人だもの。あの人、腕も握られてたし。わざと、違う所へお盆を置いたんじゃないかしら。呼び止められるように」

「メナトも、今度やってみたら?」

「やだ、姉さん。私はそんな。あの人みたいに、卑怯な真似はしないわ。ああ、腹立たしい」


志咲里は歩みを緩めた。

古代エジプトまで来て、誰かの嫉妬の対象になるとは思っていなかったからショックを受けていた。


言葉が分かるようになったから浮かれていたのだ。

やっぱり、これからはカマルに言われたことだけをやるようにしよう。

私はただの旅行者なんだし。


志咲里は自分へ言い聞かせた。




王名表の部屋での一件以来、志咲里はあの神官を宮殿内でよく見かけるようになった。


掃除をしていて、ふと庭へ目を向けると祭具を抱えて横切って行く姿を見たり、廊下を歩いていると、擦れ違う神官の行列の中に彼がいたり。


志咲里にしてみれば、皆同じように見える古代エジプト人の中で、見知った顔に反応するといった身体の作用程度に考えていた。


あの姉妹が話してた名前は確か、サアメルセゲル。

黒目がきょろきょろと、よく動く印象があって可愛いと言えば可愛い。


あの姉妹に出世頭と言われていたセンムウト主催で開かれた宴の席では、サアメルセゲルが祝辞を披露する姿も見たが、堂々としていて、侍女達が騒ぐ気持ちが分からなくも無いと、俯瞰して見ていた。


その日は、志咲里が庭に面した柱の砂を払っている所へ、サアメルセゲルが真っ直ぐに向かって来た。

手に志咲里のアンクレットを持っている。

今朝は足首を飾っていたのを覚えてるから、掃除中にどこかで落としたらしい。


このアンクレットは人工衛星が飛び交っていない時代の旅行者にとって、命綱のような物だ。


アンクレットからアテンダントへ信号が送られるようになっていて、受信側のカマルのほうでは、アンクレットまでの距離や方角が分かるようになっている。

道に迷ったり、拉致などの事件に巻き込まれたりした場合でも発見してもらえるのだ。


「ありがとうございます」

たどたどしく言って、サアメルセゲルからアンクレットを受け取ろうとした。

ここ数日で、志咲里は簡単な言葉なら話せるようになっていた。


受け取ろうとした志咲里の手を無視して、サアメルセゲルはしゃがみこんだ。


志咲里の足首へ取り付けようとするのが分かり、志咲里は急いで足を引っ込めた。

そんな所を、あのメナトや他の侍女にでも見られたら益々ややこしいことになる。


しかし、サアメルセゲルは容赦無しにガシっと志咲里の片足を捉えて離さなかった。

「じっとしてて」

腕の力強さとは対象的に優しく微笑まれて、大人しく片足を預けることにした。


無防備な片足を見下ろしながら、これは、江戸の時代劇によくある、鼻緒が切れた時に通りすがりの男がなおしてくれる、ベタな出会いの場面みたいと、志咲里の妄想が膨らんだ。


「変わったデザインだね」

取り付け終わると、笑顔でそれだけを言って、サアメルセゲルは去って行った。

同時に、彼の笑顔のような爽やかな風が吹き抜けた。


やだ。

きゅんとしちゃったじゃない。


サアメルセゲルの後ろ姿を見送ってしまっている自分の頬を、志咲里は両手で叩いた。


旅行会社『T・T・T』からはタイムトラベルの規則として、現地の者と深く関わることが禁じられている。

歴史が変わってしまうような出来事への介入や、恋愛は最大のタブーだった。


ふと、背中に殺伐としたものを感じて振り返ると、廊下の先にメナトが立っていた。

明らかに志咲里を睨んでいる。


何事も無かったふうを装い、志咲里は掃除の続きに取りかかったのだった。




翌日は、セド祭りで女王が着用する衣装と同じ物を、歴代の王の祠へお供えするために、国中の都市や町から贈られて来た衣装の仕分け作業を手伝うことになった。

歴代のファラオの数も都市の数も多いため、かなりの量になる。


カマルの指示で、志咲里は収納庫から仕分け部屋へ衣装を運ぶ仕事を任された。

体力は使うが、単純作業は気が楽だった。


何度目かの往復で、志咲里はメナトと廊下で擦れ違った。

「ねえ、シェリさん」

メナトはニコニコと声をかけてきた。

その不自然なほどの笑顔には悪意しか感じなかった。


身構えている志咲里に向かって、メナトは困り顔を作った。

「仕分けに必要な箱が足りなくなってしまったの。分かる?箱が足りないの」

志咲里は頷いた。


「一緒に運んでちょうだい」

ついて行くのを躊躇っていると、メナトは志咲里の手首を掴んで歩き出した。

どんどん廊下を進んで行き、日当たりの悪い北側の部屋の前で止まった。

両開きの扉を開けて入って行ったメナトに続いて、志咲里も中へ入った。


「この棚の上にある箱。取ってちょうだい」

メナトが指差した箱は、背伸びをすれば何とか届きそうな高さにあった。


志咲里は頷いて見せて、箱へ手を伸ばした。

後ろでメナトの動く気配がしたと思った後、部屋の扉が勢いよく閉められた。

驚いて振り返ると、メナトの姿は無かった。


何?

閉じ込められた?


志咲里は扉を確かめた。

案の定、扉は開かなくなっていた。

腕を組んで冷静に考えてみる。


嫌がらせのつもりなのだろう。

だったら、カマルが見付けてくれるまで大人しくしていれば、彼女の気も晴れるだろうか。


アンクレットさえ着けていれば、いずれカマルが見付けてくれるという安心感のある志咲里には余裕があった。


それにしてもと、志咲里は部屋を見回した。

何に使用されているのか分からない部屋だった。


机を置いたら十人くらいがゆったり食事できそうな広さだが、家具は何も置かれていないから倉庫と思われる。

しかし、棚の上には幾つか箱が乗っているだけだった。

その箱も適当に納めてあるといった感じで、整理整頓されているようには見えない。


気が付けば、志咲里は腕を両手で擦っていた。

寒かったのだ。

古代エジプトへ来てから、これほどの寒さを感じたことは無かった。

いくら北側の部屋と言っても異常に感じる。


身体を温めようと身体を揺すり始めた時だった。

部屋の隅に、人の形が朧気に見えた。


志咲里は息を呑んだ。


目を逸らせないでいると、それははっきりと人間の形になっていった。


ちょっと待って。

あの時の侍女達の会話。

出るとか、あの部屋には入らないって言ってなかった?

この部屋のこと?


言葉が理解できると気付いた時に、周囲の侍女達がしていた会話を志咲里は思い出したのだ。

あの時は深く考えもしなかった。


やだ。

本当に出たじゃない。

しかも、怖い。

本当に怖い。


人の形は、ハトシェプスト女王が着ているようなドレスに身を包んでいた。

顔は暗くなっていてよく見えない。


志咲里はじりじりと後退り、後ろの壁へ身を寄せた。

少しでもそれから離れたかったのだ。


ゆっくりと漂うように、それが近付いて来ていると気付いてしまった時、志咲里の全身に冷や汗が流れた。


やだやだ、どうしよう。

これ、取り憑かれるパターン?

どうしよう、来る、来るし。


それは志咲里の目の前まで寄って来て、志咲里を少し上から見下ろすように止まった。

物凄い圧力を感じた。


怯えているのに、志咲里は何故かそれの顔を覗き込んでいた。

それには顔が無かった。

かつらの下は黒い闇が渦巻いているように見えた。


闇の中に口のような空間が形成されると、それがゆっくりと動いた。

「お前は邪魔だ」

そう音を発した後で、少し笑ったように見えた。

「ちょうどいい。お前の身体を寄越せ」

眼球の無い瞳が形成されると、それは更に近寄って来た。


取り憑くんじゃなくて、乗っ取りなの?

どっちも嫌よ!


闇の顔がいよいよ目前に迫ってきて、志咲里は顔を背け、喉の限りの叫び声を上げた。

その後は覚えていない。


気が付くと、サアメルセゲルの腕に抱かれていた。

「どうして」

喉が痛かった。


「大丈夫か?」

心配そうな顔で見つめられても、ドキドキする余裕すら無かった。


「私、どうなったの?」

思い出すと身体が震える。

「ここは開かずの間なんだ。皆知ってるはずなのに。わざわざ、扉が横木で押さえてあったから。変だと思っていたら、凄い悲鳴が聞こえてきて」


「開かずの間・・・」

志咲里が呟くと、サアメルセゲルは真剣な顔をした。

「見たんだね」

志咲里は自分の身体を抱き締めた。


「邪魔だって言われて」

「邪魔?」

志咲里は顎を震わせながら頷いた。

「お前の身体を寄越せって」

「声を聞いたのか?」

サアメルセゲルは驚きの声を上げた。


「私。前の私のまま?変なところ無い?」

自分で言っていても、通じる気がしなかったが、サアメルセゲルは温もりのある腕でやんわりと抱き締めてくれた。


「大丈夫。大丈夫」

背中をぽんぽんと軽く叩かれながら、呪文のように繰り返される声を聞いている内に、志咲里の緊張が解けていった。

自分は助かったと信じられた。


「シェリ。何があったの?」

カマルが戸口に現れた時、志咲里とサアメルセゲルは互いに互いの身体を抱き締め合っていた。


「シェリ」

カマルは言葉が見付からない様子だった。

カマルが搭載しているAIをもってしても、理解不能な状況だったのだ。


志咲里はカマルに向かって笑顔を見せた。

「大丈夫。大丈夫だから」


今思い返すと、何が大丈夫だったのか志咲里は分からなくなっているが、あの時はカマルを宥めることが大事な気がしたのだった。


「あの場所は、旧宮殿の一部なんですが。イアフメス王の生母イアフヘテプ王妃の部屋だったと聞いています」

自分の部屋へ戻った志咲里が、落ち着いた頃を見計らってカマルが教えてくれた。


「私がここへ来た頃には既に、あの部屋は出ると噂を聞いていました。志咲里様にもお伝えしておくべきでしたね」

「私が見たのは、そのイアフヘテプ王妃なの?」

「それは、私には分かりません」


お前は邪魔だと言われたことが、まだ耳に残っている。

そんな昔の王妃に邪魔だと言われる筋合いは無いはずだ。

負けるもんかと、強気で思ってみても怖いものは怖かった。


その日以降、サアメルセゲルは志咲里を見る度に話しかけてこようとしたり、目が合うと、そっと笑いかけてきたりするようになった。

その都度、志咲里は忙しい振りをしたり、気付かない振りをしたりして、彼を避けていた。


志咲里をあの部屋へ閉じ込めたメナトは姉共々解雇されていたので、もう嫉妬の心配は無かったが、志咲里を縛っていたのは『T・T・T』の規則だった。


志咲里以上に警戒しているカマルに気が引けていたのもある。

サアメルセゲルの姿を捕捉すると、カマルは何か用事を作って志咲里をその場から遠ざけていた。


満月の夜が過ぎ、旅行の日程も残り半月ほどになっていた。

セド祭りが始まったら、志咲里は宮殿を出て家族と一緒に『T・T・T』の現地支店に移る。


サアメルセゲルとの縁は何も始まる前に無くなるのだと思うと、志咲里は胸の端っこに少しだけ寂しさを覚えたのだった。

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