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護符  作者: 橋尾 京果
19/20

019)メリ【ホルス神】

[登場人物]

メリメルセゲル(メリ):書記見習い

カマル:書記見習い、アンドロイド

ネフティト:アビドスから来た踊り子

センネジェム:テーベの監督官


*アク:死者の形態。魂を構成する五つの要素の中で、カァとバァが結びついたもの

カマルの秘密を聞いた翌日。

夜明け前に、メリメルセゲルはセンネジェムの屋敷へ急いだ。

出勤前のセンネジェムと話をして、ネフティトに会わせてもらわなければと思ったのだ。


センネジェムの部屋へ使用人に案内されて行く間、メリメルセゲルは緊張で喉を詰まらせていた。


出かける準備をしていたセンネジェムは、部屋に一人で居た。

「遅い」

メリメルセゲルの顔を見て、開口一番でそう言った。

怒りが顔に満ちている。


「何故、昨日の内に来なかった。メリメルセゲルにとって。ネフティトは、その程度の存在なのか」


「昨日来れなかったことについては、弁解のしようがありません。だけど。ネフティトは、俺にとって大切な存在です。ネフティトと結婚させてください」


「ふざけるな」

つかつかと歩み寄って来たセンネジェムに、メリメルセゲルは顔を殴られた。


「ネフティトのことを一番に考えられない奴に、そんなことを言う資格は無い」

ネフティトのために真剣に怒っているのが伝わってくる。

殴られても憎しみが湧いてこなかった。


メリメルセゲルに選ぶ自由は無かったとしても、ネフティトよりカマルを優先したのも事実だ。


「事情があったんです。ネフティトなら、分かってくれます」


「ネフティトの気持ちも知らないで。呑気なことを」

センネジェムは落ち着き無く歩き回った。

そんな風に、心が乱れた様子のセンネジェムを見るのは初めてだった。


「ネフティトには会わせられない」

「それでも、俺は会いに行きます」


「お前との結婚を決めたネフティトは、もういない。ネフティトには、今度のオペトの大祭で、舞を踊る話が来てる。あの()が自分で引き寄せた大役だ」

「何のことですか」


「アルマントに行く前。豊穣祭で、ネフティトが踊った舞が評判になった。アメン神殿の楽団から声がかかったんだ」


ネフティトなら当然だと思った。

メリメルセゲルにとっても、誇らしく嬉しい知らせだった。


「自分の実力で、アメン神殿の舞姫になることが、ネフティトの望みだったんだ」

ネフティトにそんな願望があることすら、メリメルセゲルは知らなかった。


舞姫の話を聞いたから、ネフティトはセンネジェムとテーベに戻る気になったのだ。

寂しく想う気持ちと、センネジェムは関係無かったとほっとしている気持ちが、メリメルセゲルの心で渦巻いていた。


「ネフティトは。お前との結婚より、舞姫としての人生を選ぶと、俺に言った」


それを聞いたメリメルセゲルは覚悟を決めた。

「ネフティトが舞姫として生きたいなら、それでもいい。俺との結婚と、舞姫を両立できないと言うなら。ネフティトが、舞姫を引退するまで待ちます」


メリメルセゲルを睨み付けていたセンネジェムの瞳から、すっと力が抜けるのを感じた。

「俺には。何が、ネフティトの幸せなのか分からない。メリメルセゲル、お願いだ。ネフティトを幸せにしてやってくれ」

センネジェムの顔にも覚悟が見えた。


「ネフティトは隣りの棟にいる。ネフティト自身、まだ迷いがあるようだ。二人で、よく話し合うといい」

使用人を呼び、センネジェムはメリメルセゲルをネフティトの所へ案内するように命じた。


「ネフティトには。最後に。俺だけのために舞って欲しいと頼んで、ここへ連れて来たんだ。カマルから。ネフティトが、メリメルセゲルだけのために踊った話を聞かされていたから」

センネジェムが、部屋を出ようとしていたメリメルセゲルに向かって寂しそうに告げた。


ネフティトの元へ向かうメリメルセゲルの心の中は、逸る気持ちと不安が混ぜ合わさっていた。

部屋に入り、ネフティトの姿を見た途端、否定的な想いは消え去り、愛おしさだけが残った。


メリメルセゲルは走り寄ってネフティトを抱き締めていた。


「メリ。私」

ネフティトはメリメルセゲルの腕から身体を離そうとした。


「センネジェムから聞いたよ。アメン神殿の舞姫になるんだって」

メリメルセゲルの嬉しそうな顔を見たネフティトは、一瞬傷付いた表情になった。

期待していた言葉と違ったのかもしれない。


「ここを出て。明日から、楽団の宿舎で暮らすの。だから。メリとの結婚は」

ネフティトは瞳を伏せて、その先を言い淀んだ。


「俺、応援するよ。ネフティトの舞いを、一番好きなのは俺だから」

その言葉にも、視線を落としたままだった。


「俺に止めて欲しいのか」

言い当てられたのを驚いたように、ネフティトは顔を上げた。

瞳に、みるみる涙が溜まっていく。


「メリは。私と離れることになっても平気なの?私は、メリと離れなくない。だけど。舞姫になる夢も諦められない」

流された涙を、メリメルセゲルは指先で拭った。


「どっちか一つを選ばなければならないなんて、思い込まないで。欲張っていいんだ。どっちも諦めないでくれ。俺も。ネフティトから離れないし、結婚も諦めない。ネフティトが舞姫でいる間は見守るし。舞姫を納得するまでやり切ったら。その時、改めて結婚を申し込むから」


「本当に?」

メリメルセゲルは力強く頷いた。

「メリ、ありがとう。私を離さないで」

胸に顔を埋めてきたネフティトの額に、メリメルセゲルは優しく口付けをした。




〈増水期・第二月、十日目〉

セド祭の日から一年が過ぎた。


私の中に宿った命も日に日に育っているのを感じる。

この子の名前は愛されるという意味を持つ『メリ』にしようと、昨夜、サアメルセゲルと話し合った。

たくさんの人に愛される子になって欲しいから。


明日は夫と一緒に、出産を守護してくれるというタウエレト神が祭られている神殿へ祈祷に行く。

出産予定は半年ほど先だと言うのに、夫は待っていられないと言う。

可愛い人。


〈増水期・第二月、二十一日目〉

サアメルセゲルは死んでしまった。


夫が命をかけて救った赤子の祖母が、妊婦に良いとされる食べ物を差し入れてくれるが、何も喉を通らない。


タウエレト神の神殿になんて行かなければ良かった。

少なくとも、あの日に行かなければ、あの婦人の出産に立ち会うことも無かったのに。


でも、逃れられなかったことだと思う気持ちもある。

あの家族も、王妃の霊に襲われていた。

夫が居合わせたのも運命だと思う。


サアメルセゲルの身体が王妃の霊と一緒に消えると、赤ちゃんが無事に生まれた。

歓喜の声が上がる中、私一人だけが絶望していた。


夫の遺体は宮殿の、あの開かずの間から発見された。

年代物のドレスの切れ端を握っていたと言う。


遺体を引き取りに行った時、カマルを見た。

まだ宮殿で働いていたのだ。

遺体を引き取るのは諦めた。

ごめんなさい、あなた。


サアメルセゲルが亡くなった日から、屋敷の外でも王妃の霊は姿を現さなくなった。

夫があの日以降、王妃の霊を掴んで離さないでいてくれると信じる。


遺体を引き取りにも来なかったと、夫の祖父母には更に嫌われた。

だけど、祖父母からもたくさん食べ物が届けられている。


私はどうなっても良いが、お腹の子には栄養を送らなければと思う。

だけど、口に入れても吐いてばかり。

ごめんなさい、メリ。


〈収穫期・第一月、三日目〉

出産予定日は過ぎている。

無事に生まれてくれるか不安で仕方がない。


夫が救った女の子は、一人でお座りができるようになった。

やたら、私のお腹を気にして手を伸ばしてくる。

メリが生まれたら、きっと仲の良い友達になってくれるだろう。


夫が亡くなった当初は、あの家族を見るのも辛かったが、今では心の拠り所になっている。


占い師でもある女の子の祖母が、お腹の子は順調だと占ってくれた。

そういった、ふわっとしたことに頼るしかない現代に身を置いた自分を、今更後悔している。


今、メリが私のお腹を蹴った。

大丈夫、元気だ。

早く会いたい。


〈収穫期・第一月、十一日目〉

無事に生まれてくれた。

男の子だった。

涙が止まらなかった。


この子さえ、居てくれればいいと思える。

メリのために、私は生きるのだ。


〈収穫期・第一月、三十日目〉

母親になって気付いたことがある。

あの王妃の霊は自分のためでは無く、誰かのために、この世に恨みを残しているのではないかと。


サアメルセゲルを死に追いやった王妃を、私は今でも恨んでいる。


だけど、私はメリを授かった。

愛情を注ぎ、注がれる対象がある。


王妃を恨む気持ちよりも、メリを愛する気持ちのほうが、日々大きくなっている。


王妃には、そういう対象がいなかったのだろうか。


王妃の気持ちが報われたら、夫も安心して彼女から離れることができるかもしれないのに。


〈収穫期・第二月、二十五日目〉

信じられない。

メリが祖父母に連れて行かれてしまった。

心に穴が空いてしまったように、何も考えられない。


〈収穫期・第三月、五日目〉

明日、メリを取り返しに行く。

この屋敷には、もう戻れない。


サアメルセゲル。

どうか、メリと私を守って。




志咲里の日記はそこで終わっていた。


「メリ。誤解の無いように、先に言わせてくれ」

メリメルセゲルと一緒に、日記を読んでいたカマルが口を開いた。


「メリのお父様の遺体が、開かずの間で見つかったことは。日記を読むまで知らなかった。男性の遺体が発見された事件は、確かにあった。だけど、それがサアメルセゲルとは知らなかったんだ」

知っていたのに、また隠していたと思われたくないのだろうと、メリメルセゲルは考えた。


「信じるよ」

メリメルセゲルにしてみれば、今は、カマルの弁解をゆっくり聞いていられる余裕が無かった。

日記の内容を整理するのに必死だったのだ。


「父さんはもう、王妃の霊を掴まえてはいないはずだ」

「開かずの間は、既に取り壊されている。建物が解体された時に、王妃の霊が解き放たれたのかもしれない」


「取り壊されたのはいつ頃か、知ってるのか?」

「ハトシェプスト女王が崩御される少し前だ」

メリメルセゲルとカマルは顔を見合わせた。


「開かずの間の取り壊しで、解放されてしまったイアフヘテプ王妃の霊が、パディ達をイアフメス=ネフェルタリ王妃の封印を解くように導いた」

カマルの言葉にメリメルセゲルも頷いた。


「ネフティトの祖母が、ある時期から邪悪なモノに襲われなくなったと、話していたそうだ。俺はそれを、ひい爺様がイアフメス=ネフェルタリ王妃を封印したからだと思ってたけど。俺の父さんが、イアフヘテプ王妃の霊と戦った結果だったんだな」

メリメルセゲルは父親を誇らしく思った。


「それに。父さんは、ネフティトを救ってくれてたんだ」

「どういうことだ?」


「父さんが命をかけて救った赤ちゃんは、ネフティトだ。これは間違っていないと思う」

ネフティト自身は出産時の出来事を聞かされていないと想像した。

この先、メリメルセゲルも告げるつもりは無かった。


「俺は。父さんとは違う方法で、この戦いを終結させたい」

「何か考えがあるのか?」


「恨みは恨みしか生まない。だけど、愛情は恨みを越えることができると、母さんも日記に書いてる。王妃に愛情を思い出させるんだ。そしたら、恨みも消えるんじゃないか」

「しかし。どうやって?」


「何とかして。王妃の恨みを、子孫への愛情へ変えられないだろうか」

メリメルセゲルの言葉を即座に否定せず、カマルはしばらく考え込んでいた。


「アメン神殿の祠堂で、メリが初めてイアフメス=ネフェルタリ王妃のアクを見た時。メリに近寄って来ようとしていたというのが、ずっと引っかかっていた。アメンヘテプ王の壁画が剥がれ落ちて、解放されたなら。そのままメリを襲ってもいいのに、そうはならなかった」


「何が言いたいんだ?」

「イアフメス=ネフェルタリ王妃は、メリに、助けを求めていたとは考えられないか?」

メリメルセゲルの心に閃くものがあった。


「職人村の神殿の壁画が、ヒントをくれていたのかもしれない。あの図柄は、アメンヘテプ王をイアフメス=ネフェルタリ王妃が愛情で包んでいる様子だった。イアフメス=ネフェルタリ王妃は子孫達を愛しているけれど、母親のイアフヘテプ王妃に取り込まれてしまっているのかも」

「波動の強さを。逆に、利用されているのかもしれないね」


「娘でも、イアフヘテプ王妃の恨みを鎮められないと言うことか」

イシス女神とホルス神の護符をメリメルセゲルは無意識に触っていた。


二つともメリメルセゲルの首に下げられている。

自分よりメリメルセゲルを守ってもらいたいからと、ネフティトがどうしても受け取ろうとしなかったのだ。

ホルス神はイシス女神の息子だ。


「息子のイアフメス王なら、どうだろうか」

「何が正解か分からない以上、試してみるしかないね」


メリメルセゲルとカマルは時間をかけて、王妃の恨みを鎮めるための作戦を話し合った。

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