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護符  作者: 橋尾 京果
14/20

014)ネフティト【あの日からずっと】

[登場人物]

ネフティト:アビドスから来た踊り子

メリメルセゲル(メリ):書記見習い

センムウト:ハトシェプスト女王統治時代の高官


17王朝

タア二世←―――――→ イアフヘテプ妃

     __|__

第18王 ↓     ↓

イアフメス←―→イアフメス

=ネフェルタリ妃

      ↓

アメンヘテプ一世

  ____|_______

 ↓            ↓

王女←―→トトメス一世←―→王女

   ↓        ↓

トトメス二世 ←―→ハトシェプスト女王

   ↓

トトメス三世

落ち着きを取り戻したネフティトはメンチュ神殿を出て、センムウトの屋敷へ向かうことにした。


横に並んだメリメルセゲルが、ネフティトの手をごく自然に繋いできた。

戦いの後で抱き締め合ってから、お互いの気持ちが繋がったような気がしているが、胸は早鐘を打った。

今まで偶然手を繋いだことはあるけど、意思を持って繋がれたのは初めてだった。


そっと、メリメルセゲルのほうへ目をやると、照れたように下を向いている。

ネフティトもメリメルセゲルから視線を逸らして、優しく握り返した。

手を繋ぐぐらい許されるだろうと、誰にでもなく言い訳をしている自分がいた。


「どなたのお見舞い?」

「センムウト様って言うお方で。お婆様と父の友人なの。私達家族は昔、この町で暮らしていたの」


「センムウト様って、もしかして。ハトシェプスト女王に支えてた、あの人?」

「そうよ。メリ、知ってるの?」

「有名な方だからね。俺が生命の家を卒業して、書記見習いになった頃には、既に引退されてたから。直接お会いしたことは無いけど」


「昔。女王の前で、舞いを踊ったことがあるの。アビドスの舞姫へ取り立ててもらえる切っ掛けになった舞いよ。その場をお膳立てしてくれたのが、センムウト様なの」


センムウトの屋敷へ着いた二人は、床に臥している老人の部屋に案内された。


老人の顔は痩せ衰えていたが、ネフティトの記憶にある面影は見て取れた。

どこか一点を見つめているセンムウトは、意識があるのか無いのか判断しかねる状態たった。


「センムウト様。ネフティトです。ご無沙汰しております」

声をかけると、センムウトは僅かに瞳を動かし、何かを訴えるように呻いた。


世話をしている男がセンムウトの口元へ耳を寄せた。

南の国の者と分かる肌色と顔立ちのその男は、言葉を聞き取った後、奥の部屋から一枚のパピルスを持って来た。


「これを。あなたにお渡しするようにと。本当は。もっと前に、あなたのお婆様へお見せしたかったのだと思います」

「あなたは?」


「私はピエ。奴隷の身分から、義父(ちち)の養子にしてもらいました」

ピエは穏やかな雰囲気の男だった。


「義父は。あなたのお婆様の占いのお陰で出世できたと、事ある毎に申しておりましたし。お父様との思い出も、よく語っておりましたよ。本当の弟のように可愛がっていたと」

親しげに微笑まれ、ネフティトも笑顔を返した。


パピルスを広げると、一面、神官文字でびっしりと埋め尽くされていた。


「私は文字が読めませんが。義父によると。ハトシェプスト女王が、父王のトトメス一世から聞いた話を、書き留めたメモだそうです。それを。義父がこっそり写し持っていたようです」


神殿に勤めていたネフティトは、神々や王の名前の刻まれたヒエログリフは多少読めるが、神官文字は全く読めなかった。

神官文字は、神官や書記などの教育を受けた者が使用する文字だ。


「見せてくれないか」

メリメルセゲルが申し出てくれた。


黙読を始めたメリメルセゲルの顔は、読み進んでいく内に険しくなっていった。

「どうして、これを。ネフティトのお婆様へ見せようとされていたんですか」

問いかけは、センムウトへ向けられていた。


「義父は長い間。あなたのお婆様が、邪悪なモノに狙われていることを気にしておりましたから。それに関することだと思います」

センムウトの代わりに義息子(むすこ)が答えた。


「何が書かれてあるの?」

「王家の歴史に関することだ。要約すると。イアフメス王の父王タア二世が、トトメス一世王の父親の(はかりごと)で敵に捕まり、命を落としたと書いてある。これが本当だとしたら。タア二世王は、味方に裏切られてたってことになるし。背信を犯した者の息子が、ファラオの地位を得たことになる」


「義父はそのパピルスが、長年の疑問に終止符を打つだろうと、申しておりました」

センムウトを見ると瞼を閉じている。

寝てしまったようだった。


センムウトはこのパピルスの内容を知りながら、今まで口を閉ざしていたのだ。

祖母の身を案じながらも。

ハトシェプスト女王への忠義に重きを置いてきた男の人生が垣間見える。

死が間近に迫り、真実を伝えようと思ったのだろう。


長年の疑問。

それは、邪悪なモノの正体だった。


パピルスに記載された内容は、邪悪なモノの朧気な輪郭を、ネフティトに示している。

答えに、もうすぐ辿り着ける気がした。




センムウトの屋敷を出た時には、既に日が暮れかかっていた。

ヘベヌトの屋敷まで送ってくれると言うメリメルセゲルと一緒に、一番星が東の空に浮かぶ空の下を歩いた。


「邪悪なモノの正体について。ネフティトはどの程度知ってるんだ?」

「分からない。その答えをずっと探してる。邪悪なモノは。さっき、ビントの姿をしていたけど」


「俺は。ビントはただ、邪悪なモノに身体を使われているだけだと思う」

「私も同じ意見だわ」


「ネフティトが、邪悪なモノと戦う理由が何なのか。ずっと、考えてても分からなくて、聞きたかったんだ。でも、さっきの話の中で。君のお婆様も、邪悪なモノに狙われてると言ってたね」


「お婆様はトトメス一世王の娘なの」

「それは考えなかった」

メリメルセゲルは心底驚いていた。


「と言うことは、ネフティトはファラオの血を引いてるってこと?」


「少し違うわ。トトメス一世王は、ファラオになると決まっていたお生まれでは無いの。お婆様は、トトメス一世王がファラオになる前に、王族以外の女性との間に授かった人。トトメス一世の娘ではあるけど、ファラオの血では無いわ」


しばらく難しい顔で考え込んでいたメリメルセゲルは、心配そうにネフティトを見つめてきた。

「ネフティトのご両親は健在なの?」

ネフティトが何故、邪悪なモノと戦う宿命なのか、メリメルセゲルは気が付いたのだ。


「少し前から。二人共、病に臥してる」

「両親二人共、具合が悪いなんて」

「お父様のほうが、お婆様の血を引いてるんだけど。お母様は元々、そう言うことに敏感な人なの」


「少し前って、いつから?」

「収穫季に入って、二ヶ月くらい経った頃。突然だった」


今からだいたい三ヶ月くらい前だ。

センネジェムがテーベに赴任した頃になる。


「邪悪なモノが、ネフティト達を襲ってくるのは。あのパピルスに書かれてたことが原因ってことか」

「私もそう思う。タア二世王を裏切ったトトメス一世王の父親への恨みが、トトメス一世の孫子の代まで続いているんだわ」


「だったら。邪悪なモノの正体は、タア二世の邪念だろうか。俺には。そんな単純な構図には思えない」

「お婆様は、見えないモノが見える人なんだけど。そのお婆様が見た邪悪なモノは、女性だったと言ってるわ」


「邪悪なモノの正体は、王妃じゃないかと。俺は思ってる」

「王妃?タア二世の?」

「かもしれないし。イアフメス=ネフェルタリ王妃かもしれない」

「どうして?」


「さっきも、イアフメス=ネフェルタリ王妃の祠があったし。アメン神殿の祠でも、俺は何かを見てる。イアフメス=ネフェルタリ王妃が関係してることは、確かだと考えてる。けど、俺は。戦う相手は一人じゃないって思ってるんだ」


「メリに聞きたかったこと。メリはトトメス一世の血筋では無いでしょ」

「違う」


「昔。お婆様は邪悪なモノに、執拗に襲われてたの。なのにある時、ぱたりと邪悪なモノに襲われなくなったそうよ。その時に誰かが、邪悪なモノを祓ったんじゃないかって。お婆様が言ってた」

メリメルセゲルが頷いた。


「俺の、ひい爺様なんだ。最近聞かされたんだけど。正確には、祓ったんじゃなくて封印したらしい」

「封印したのにどうして。邪悪なモノが復活してるの?」


「それは」

口を開きかけたメリメルセゲルが、息を呑んで周りに目を向けた。

同時に、ネフティトは肩を抱き寄せられていた。


周囲へ注意を向けると、既に日が暮れて薄暗い中、大勢の人影がふらふらと二人に近付いて来るのが目に入った。

よく見ると、人々はそれぞれに黒いモヤを纏っている。


メリメルセゲルの肩越しに振り返ると、後ろにも大勢の人影があり、ゆっくりと二人との間合いを詰めてきていた。

誰も皆、目が虚ろでどこも見ていない。


ネフティトの肩を抱いたまま、メリメルセゲルは人影が一番密集していない所を選んで走り出した。

すれ違いざまに掴みかかろうとしてくる人影には、何かの呪文をぶつけて、相手が怯んだ隙にやり過ごしていった。


モヤを纏った人影は二人の進みに合わせて、町の至る所から湧き出てきた。

人影の正体は町の住人のようだ。

邪悪なモノが住人達を操っているに違いなかった。


メリメルセゲルは町の中央付近の屋敷へ飛び込むと、大声で叫んだ。

「ジフ。無事か!」

跳ぶように、使用人らしき小柄な男が姿を現した。


「急いで門を固めろ。誰も入れるな」

そう言って、ネフティトを入口や窓から離れた壁際へ誘い、自らも戸締りに奔走しに行った。


人々の呻き声が屋敷の外から聞こえてくるのは、気持ちのいいものでは無かった。


ネフティトは膝を抱えて座り込んだ。

何かがぶつかったり、一際大きい唸り声が上がったりして、段々不安になってくる。

メリメルセゲルが戸締りを終えて戻って来た頃には、ネフティトは泣き出していた。


「もう、大丈夫だよ」

メリメルセゲルがネフティトの隣りへ座り、両腕で優しく肩を包み込んでくれた。

「ずっと、横にいるから」


安心感を得たい気持ちと、メリメルセゲルを愛おしく思う気持ちが高まり、ネフティトはメリメルセゲルの肩へおでこを預けた。


メリメルセゲルもネフティトの頭へ顔を寄せてきた。

ネフティトの耳飾りに伸ばされたメリメルセゲルの指先が耳たぶを撫でる。


おでこを上げ、流した涙に、メリメルセゲルが唇で触れるのを許した。

メリメルセゲルの瞳を間近で見た瞬間、もう気持ちは隠せ無いことを悟った。

ネフティトはメリメルセゲルと口付けを交わし合った。


ねえ、メリ。

あなたは知らないことだけど、溺れた私を救おうとして、隣りを泳いでいるメリの姿は、胸の中で大切に保管されてる。

メリはいつも私の横にいてくれてた。

あの日からずっと。


ひとしきり、互いの唇を確かめ合った後、ネフティトはメリメルセゲルの肩へ頭を預けてぼんやりとしていた。

まだ呻き声は届いてくるが、この満ち足りた時間をいつまでも感じていたかった。


「ネフティト。夜が明けたら、君はテーベに戻ったほうがいい」

「メリは?」

「俺はまだ、こっちで調べたいことがある」

「調べたいことって?」


「俺の父さんは、亡くなる前に邪悪なモノと戦ってたらしいんだ。その手掛かりが残ってないかと、こっちへ来てから探してるんだけど。今日使った呪文の記述しか、まだ見付かってないんだ」


メリメルセゲルからは父親が生前、所有していた別荘に来ていると聞いていた。

この屋敷がそうなのだろう。


「じゃあ。探すのを、私にも手伝わせて」

「いや、駄目だ。また襲われるかもしれないし。町の人だって、どうなるか分からない」


「テーベにいたって、安全とは限らないわ。それに。この護符は、二つ一緒じゃないと効果が無いのかも」

イシス女神の護符を包んだネフティトの手を、メリメルセゲルが見下ろした。


「怖くないの?」

「メリと離れるほうが怖い」


「センネジェムのことは」

メリメルセゲルが緊張した声を出した。

「どう思ってるの?」

真剣な表情で見つめてくる。


さっきの口付けが、無かったことにされてしまった気がした。

自分の気持ちは充分示したつもりだったのにと、温かく感じていたものが急に無くなった気がして、ネフティトはメリメルセゲルの身体から離れていた。


「あの人には。感謝してる。私の窮地を、救ってくれたから。だけど。彼には、ときめかない」

ちゃんと、伝えようと思えば思うほど、たどたどしくなってしまう。


「いつまでこっちにいるって言ってあるの?」

ネフティトを更に現実へ引き戻す言葉だった。

「五日くらい」

顔を背けて力無く答える。


「じゃあ。 あと三日か」

あと三日しか、一緒にいてくれるつもりは無いのかと、ネフティトは不安になった。


惨めな気分になっていたネフティトの背中を引き寄せるようにして、メリメルセゲルが強く抱き締めてきた。


「三日後。一緒にテーベに戻ろう。センネジェムには、俺から話をする。君は彼の家を出るんだ」

「でも私。行く所が無い」


「結婚してくれないか」

振り返ったネフティトは、メリメルセゲルの真摯な瞳と向き合った。


「俺。今はまだ見習いの身分で、頼りなく見えるかもしれないけど。いつかきっと、出世してみせるから」


メリメルセゲルの申し出を嬉しく思うと同時に、自分はまた、誰かの庇護の元で生きていくことになるのかという考えが、不意に持ち上がる。


だが、口を衝いて出た言葉は結婚を受け入れるものだった。

「出世よりも。メリが私の側で生きていてくれれば、それでいい」

二人は再び唇を重ね合わせた。


メリメルセゲルと共に生きていきたいと言う気持ちも、ネフティトにとって紛れも無く本当の気持ちだった。

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