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護符  作者: 橋尾 京果
10/20

010)メリ【同じ宿命】

[登場人物]

メリメルセゲル(メリ):書記見習い

ネフティト:アビドスから来た踊り子

ジェドハト:メリの幼馴染み

ビント:メリの幼馴染み

カマル:書記見習い、アンドロイド

センネジェム:テーベの監督官

メリメルセゲルとジェドハト、ネフティトはサトの家を出て、ナイル川のほうへ向かって歩いていた。


ジェドハトがビントのいる場所へ案内すると言って、メリメルセゲルを連れ出してくれなければ、サトを置いてあの家を去るのは難しかった。


「子供の頃、メリに。サトが本当の父ちゃんじゃないって伝えたのは、俺なんだ」

ジェドハトは恥ずかしそうに打ち明けた。

「喧嘩して。父ちゃんと母ちゃんが話してたこと。つい、口走ってしまったんだ。ごめん」


「今更そんなこと」

メリメルセゲルは軽く笑って見せた。

「その笑顔。変わらないな。俺達、いつも一緒に遊んでたんだぞ。ビントも」

ジェドハトは寂しそうな顔になった。


「俺達三人で仲が良かったと言うより。俺もビントも、メリと一緒にいたかったから、三人でいることが多かったって感じだったな」


ナイル川を見渡せる川岸へ着くと、ジェドハトが船着き場の方向を指差した。

船着き場には渡し守と見られる老人が一人でポツンと佇んでいる。

「あの辺りにビントがいる」

ジェドハトに言われて、メリメルセゲルが解せないといった表情を見せた。


「あの辺りでビントは溺れて、未だに見付かって無いんだ」

「えっ」

メリメルセゲルが声を上げ、ネフティトが息を飲んだ。


「渡し守の話によると。墓職人の暮らす村へ行った後で、ビントが帰りの舟に乗っていた時だったそうだ」


ビントは職人村へ行ったのだ。

パディの言い付けを守ったビントが健気に思えて、同時に胸が痛んだ。


「何でそんな所へ、一人で行ったのか。ビントの家族にも分からなかった。パディは死刑になった後だったし」


「どうして溺れたんだ。渡し守はいたんだろ」

メリメルセゲルは声を荒らげた。


「それが。渡し守にも突然のことだったらしい。船が揺れたと思ったら。船底が突き上げられて、ビントが川へ落ちてしまったんだ。すぐに助けに飛び込んだけど、ビントを見付けられなかったって。悔やんでた」


自分を頼ろうとしていた幼い女の子の姿を脳裏に思い浮かべる。

自分が一緒にいたところで何が変わる訳でも無かったかもしれないが、やるせなさで胸が押し潰されそうだった。


「船が揺れる前、急に激しい雨が降ってきたらしくて、川の流れも早かったんだ」

メリメルセゲルとネフティトは自然にお互いの目を合わせた。


ネフティトが溺れた状況と似過ぎている。

ネフティトは両腕で自分の身体を抱き締めていた。


メリメルセゲルは早い内に、ケルエフトトを訪ねなければならないと思った。




「たまには、サトに会いに来いよ。俺にも」

ジェドハトは別れ際にそう言って二人を見送ってくれた。

日暮れが近くなっていた。


メリメルセゲルとネフティトは黙々と、ナイル川沿いの道をセンネジェムの屋敷方向へ進んだ。


あんな話を聞かされた後で無かったら、夕焼けの滲んだ美しい川面の色をネフティトと眺め、綺麗だねと共感を求めていたことだろう。

メリメルセゲルに、そんな心のゆとりは無かった。


母の話はメリメルセゲルが思い描いていたものとは掛け離れていた。

サトの言うように、祖父母が自分だけを引き取り、母を追い払ったとは思いたくないが、それ以外の可能性を考えてみても思い付かなかった。


サトが語った、自分が夜に泣きじゃくったという話。

あれは、パディの体験を夢で見てしまった幼い自分が、恐怖で泣き喚いたのではないだろうか。

その時、母が何を感じ、何を諦めたのか検討も付かないが、母は自分を祖父母の所へ戻す決心を固めたのだ。


自分を連れた母と祖父母の間にどんなやり取りがあったかは、祖父母に聞くしかない。

聞けるだろうか。

年老いたあの人達に、おそらく罪を認めさせなければならないような質問を、自分はできるだろうか。


気が付くと、日が落ちて辺りは暗くなり始めていた。


「メリ」

後ろを歩いていたネフティトが立ち止まって声を上げた。

振り向くと、少し青ざめているように見える。

「どうした」

ネフティトは黙って、ナイル川のほうへ指を向けた。


少し眼下を差すネフティトの指の先へ視線を投げると、薄暗い川原に少女が一人で立っているのが見えた。

五、六歳くらいのその少女は、今にも泣き出しそうな表情で二人を見つめている。


「あれは。ビント?」

夢の中で見た女の子と似ている。


二人が注目していると、少女は表情を消し、モヤモヤとした黒い煙のようなものを纏い始めた。


あのモヤは、アメン神殿の祠堂で感じたものと同じだと、メリメルセゲルは思った。

あの時は感じただけだったが、今ははっきりと見える。


少女は歩いている様子も無いのに、するすると近付いてきた。

近くに来た少女は、夢で見たビントの顔そのままだった。


だが、ビントが生きていたなら、ビントが女の子の姿のままであるはずが無い。

それに、少女の醸し出しているものが人では無いと二人に告げていた。


メリメルセゲルはネフティトの前に出て後退り、ゆっくりと少女から離れた。


「待ってたの。ずっと、待ってたの」

少女は俯きがちに呟いた。

夢で聞いたビントの声だった。


黒いモヤの動きが激しくなった。

同時に、少女の身体が浮き上がり、少女の顔がメリメルセゲルの視線の高さを少し越えた辺りで止まった。


口元が笑ったように見えた瞬間、少女の瞳がガっと見開かれた。

「待ち兼ねたぞ」

人では無い何かの、おぞましい表情と背筋がぞっとする声だった。


メリメルセゲルとネフティトは一瞬で黒い煙に取り巻かれた。

軽く舞っているように見える煙だったが、身体にのしかかってくるように重い。


「二人、同時に現れるとは。これは、愉快だ」

その何かはそう言って、楽しくて仕方ないといった感じで高らかに笑い声を発している。


煙に取り巻かれた二人の足元に黒い闇が広がった。

また夢を見ているのかと、メリメルセゲルは錯覚したが、ぞっとする感触と痺れるほどに漂ってくる冷気は、夢の中では無かった感覚だった。


闇は二人の足首に絡み付き、徐々に上ってくる。


このままでは二人とも闇に呑み込まれてしまう。


そう思った時、サトから託された包みが光を放った。

母が作ったアクセサリーが入った包みだった。


放たれた光は二人を取り巻いている煙を瞬時に吹き飛ばし、膝まで這い上がってきていた闇の勢いを止めた。


「包みを開けてみて」

ネフティトが後ろで叫んだ。


メリメルセゲルが急いで包みの結び目をほどくと、ほどいた勢いで、護符とアクセサリーが四方へ散らばって闇の中へ落ちていった。


凄まじい叫び声が上がった。

瞬く間に、少女の姿をしたものと闇が消えて無くなり、辺りは静寂に包まれた。


メリメルセゲルは力が抜けて座り込み、呆然となってしまった。

我に返ると、ネフティトが地面に転がったアクセサリーや護符を拾い集めているのが見えた。


「ネフティトは何を知ってるんだ?」

この世のものではない存在と対峙したのに、落ち着いているネフティトの有り様は、少なくとも自分より、この状況の背景を把握しているはずだ。


ネフティトは深く沈んだ瞳でメリメルセゲルを見つめると、護符とアクセサリーを包みの上に並べた。

「私達は、同じ宿命を背負っているのね」


「宿命?」

ネフティトはメリメルセゲルと向き合って座り込んだ。

「邪悪なモノと戦う宿命」

「戦う?あれと?」


「そう。メリのお母様はご存知だったんじゃないかな。この護符。見た時から強い意志を感じたの」

「光を放ってたのは、この護符なのか?」

「多分」


「さっきの、あれはどうなったんだ?俺達は勝ったのか?」

「この場から消えただけ。きっと近い内に、また現れる。私達の前に」


メリメルセゲルはイシス女神の護符を手に取り、ネフティトの首にかけた。

その後でホルス神の護符を自分の首に下げた。

「女神の護符はネフティトが持ってて。あと、この耳飾りも」

耳飾りを差し出すと、ネフティトはありがとうと言って、すぐに耳の穴へ通して見せた。


耳飾りを見た時からネフティトに似合いそうだと思っていたのだ。

予想通り、よく似合っていた。


ネフティトの耳の下で揺れる石へ、メリメルセゲルの指が伸びた。

無意識だった。


指が石に触れたかどうかという、その時。

「ネフティト。こんな所に居たのか」

二人は息を呑んで、声のしたほうへ顔を向けた。


センネジェムが立っていた。

後ろにはカマルの姿もあった。


「お前は、メリメルセゲル。何をしているんだ。何故。ネフティトとお前が一緒に居るんだ」

驚いた後で、センネジェムは険しい表情を見せた。


「カマル、お前。メリメルセゲルは今日、体調が悪いと言ってなかったか?」

「いえ、本当は。ご親族の方のお見舞いへ行くと言っていたのを、私が体調不良とお伝えしました。申し訳ありません」

カマルは顔色も変えずに答えた。


センネジェムは黙って二人を睨んでいた。

その瞳に、仕事中には見たことの無い嫉妬の感情が含まれているのを、メリメルセゲルは読み取った。


センネジェムは近寄って来ると、ネフティトの腕を掴んで立ち上がらせた。

「ネフティト。帰るぞ」

乱暴にするのでは無く、静かな動きだった。


ネフティトは抵抗する素振りを見せなかったし、連れ去られて行く後ろ姿を見送るメリメルセゲルのほうへ、一度も振り返らなかった。

ネフティトのその態度がメリメルセゲルを深く傷付けていた。


「センネジェムの家の者が、ネフティトが市場へ行ったっきり帰って来ないと、使いを寄越した。夕方から、彼はずっと、ネフティトを捜していたんだ」

座ったまま気落ちしているメリメルセゲルへ、カマルが語った。


「ネフティトのことは、諦めたほうがいい」

カマルの声は同情しているように聞こえた。


カマルとはネフティトのことに限らず、誰かを好きになったとか、そう言った色恋の話題を今までしたことが無かった。

そう言う気持ちに無関心だと思っていたカマルが、メリメルセゲルの恋心に気付いているとは思ってもいなかった。


「そんなこと。言われなくても分かってる」

メリメルセゲルは叫んで立ち上がった。


ネフティトへの気持ちを知られていたことと、庇ってもらった後ろめたさで、カマルの顔を見ることができなかった。

メリメルセゲルはカマルを残し、帰路へと歩いて行った。




翌日、メリメルセゲルは無断欠勤を企てた。

適当な口実を付けて休むのも白々しいと思ったからだ。


どうしても、センネジェムと顔を合わす気になれなかった。

正直に言ってしまえば、センネジェムが怖かったのだ。


昨夜帰ってからも、祖父母に母のことを問い詰める気にはなれず、勤務を休むにしても家には居づらかった。

それならと、王家の谷の職人村を訪ねようと思い、朝早くに船着き場へ向かったのだった。


「何で」

メリメルセゲルは驚きと落胆が混じった声を上げた。

家を出た先にカマルが待っていたのだ。


「メリが今日、休むんじゃないかと思って」

「じゃあ、ちょうどいい。監督官へ休むって伝えといてくれ」

「今日、休んでは駄目た」


「お前だって、新月の度に休んでるじゃないか」

どんなに仕事が詰まっていようとカマルは休む。

それに比べたら、今日一日、自分がサボるくらい許されると思った。


「あれは私の命に関わることだから、仕方が無いんだ」

確かに、休み明けのカマルは身体の動きが違うし、肌も艶々している。

カマルは明言しないが、どうやら持病があるらしいとメリメルセゲルは思っていた。

治療のための休暇と、ただ行きたくないだけの自分とを、並列に考えたのを少し反省した。


「メリが休むのを止めに来たんだ。今日休んだら、明日はもっと出勤しづらくなるから」

お前は俺の母親か何かかと言いたくなるのを、メリメルセゲルはぐっと抑えた。


「明日はちゃんと行くよ」

「駄目だ。今日行くんだ。休むなら明日にしろ」

カマルの命令口調をメリメルセゲルは初めて聞いた。


結局、カマルに引きずられるようにして出勤する羽目になった。


センネジェムは昨日のことなど何事も無かったように振る舞っているが、メリメルセゲルのことは視界に入れないようにしているのが分かる。


やっぱり休めば良かったと思い始めた昼前、センネジェムがメリメルセゲルを呼び付け、王家の谷へ行くから同行するようにと言った。

「カマル。お前も来てくれ」

センネジェムは出がけに声をかけた。


二人きりでは無くなり気が楽になったが、今、この二人と一緒にいるのは、いずれにしても気まずいのに変わりはなかった。


「昨夜。ネフティトから全て聞いた」

センネジェムは船着き場へ向かう途中でメリメルセゲルへ告げた。

カマルは二人の後ろを歩くようにしている。


「市場で偶然会ったこと。お前が育ての親に会ったこと。邪悪なものに襲われたこと」

本当に全部話したんだなと、メリメルセゲルは切なさを覚えた。

メリメルセゲルにしてみれば、二人だけの秘密にしておいて欲しかったのだ。


「お前とは宿命で繋がっていると、ネフティトは言っていた。俺は信じていないが。まあ、それは置いておこう」

感情を押し殺して話しているセンネジェムの声は、怒っているようにも疲れているようにも聞こえた。


「だからこれからも、お前と会うのを責めないで欲しいと言ってきた」

思いがけない言葉を聞いたメリメルセゲルは、はっとしてセンネジェムを見上げた。


「お前はどうなんだ」

今日初めて目を合わせたセンネジェムの顔は上司と言うより、一人の男の顔だった。


「俺は。宿命とか、まだよく分からないけど」

メリメルセゲルはそこまで言うと、センネジェムの無言の圧力を感じて、視線を逸らしてしまいそうになった。

だが、負けてはいけないと言う自分の心が瞳に力を持たせた。


「俺は。どんな理由だろうと、またネフティトに会いたい。理由なんか無くても会いたい。この気持ちは、今の俺から無くなることはありません」

言ってしまったら、気持ちが楽になった。


メリメルセゲルとセンネジェムはしばらく互いを見続けた。

二人の間に、視線をそらしたほうが負けという決まりが突然できたかのようだった。


先に冷静さを取り戻したのはセンネジェムだった。

「分かった」

この話はここまでだとでも言うように、それだけを言って、センネジェムは顔を前へ向けた。


舟に乗った三人はそれぞれに無言だったが、メリメルセゲルの気持ちはすっきりしていた。


誰にも打ち明けられず、気持ちの上でとは言え、尊敬する上司も密かに裏切っている状態からは少なくとも抜け出せた。


この状況を予期していた訳では無いと思うが、無理に出勤させてくれたカマルにもメリメルセゲルは感謝していた。

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